カンニングはお互い様
時はやや遡り。
合衆国より派遣された部隊は、大西洋を渡り、欧州へと接近していた。
そこに待ち構えていたのは、ある種の絶望である。
「……あそこに突っ込めって、冗談きついぜ」
装甲艦の甲板上から見える景色に、誰かが呟く。
それは、たった一つの小さな言葉だったが、その場にいる全員の内心を代弁するものだった。
目の前にあるのは、純白の壁。
ただひたすら高く、ただひたすら分厚く。
天まで届く濃霧の壁である。
それが欧州全域を包み込んでいるというのだから、恐ろしい。
その向こうには、異世界が広がっているのではないか、などと考えてしまう程だ。
実際、然程間違っていない想像ではあるが。
どうせ、この霧の中には、フランスの《母神》エメリーヌが、文字通りに産み落とした化け物怪物が、跳梁跋扈している状況だろう。
下手すると、先日の異界門戦争よりも現実味の無いフィクション世界が広がっている可能性がある。
というか、高い。
そこに、彼らは突っ込まされるのだ。
国家に命を捧げた身ではあるが、上層部からのこの命令には、心からの罵倒を送りたいところである。
無茶言うんじゃねぇぞ馬鹿野郎、と。
しかし、それも必要な事だ。
あの濃霧を無力化する、すなわちイギリスの魔王を無事に叩く為には、その戦力を可能な限り万全の状態で送り届けなければならない。
彼らは、その為の囮だ。
捨て駒だが、必要な一手である。
理解はしているので、文句を言いつつも彼らは責務を全うする覚悟があった。
やがて、船脚が霧の直前で止まる。
向こう側からの攻撃の気配はない。
完全に待ちの姿勢である。
地の利を捨てる気はない、という事なのだろう。
「総員、整列ッ!」
特攻隊の部隊長が、選出された者たちを甲板上に引き出す。
「諸君、分かっていると思うが、我らの仕事は、何の情報も分からないあの中へと突っ込む事だ。
一番槍は誉れとも言われるが、まぁ、単なる囮の捨て駒だという事は、優秀な諸君なら理解しているだろう」
飾り気のない言葉に、隊員たちからは失笑が漏れる。
「安心したまえ。
幸いにも、我らの働きには相応の見返りが約束されている。
昇進は元より、勲章と特別賞与付きだ。
生死を問わずにな」
「隊長! 死んでは意味がありません!」
隊員の一人が、声を上げる。
上官の言葉を遮っての発言は厳罰ものだが、この決死隊の中にそんな無粋な事を言う奴は一人もいなかった。
部隊長も、咎める事なく、その言葉に深く頷く。
発言した者が、親類縁者のいない、遺産を残す相手のいない人物である事も、理由の一つだったろう。
「うむ、まさにその通りだ。
死んではどんな報酬も意味がない。
だから、私からの命令は一つだ」
そう言って、彼は言葉を区切り、息を吸う。
「総員、生きて帰れッ!!
死ぬ事は許さん!
無茶無謀を押し付けた上の連中を、目一杯、強請って集る事こそが我らに課せられた真の任務である!
任務放棄は銃殺刑だ!
私自ら殺してくれる!」
「「「サー! イエッサーッ!」」」
「我らの役割は所詮は囮!
無様に逃げ回っているだけでも、誰も怒らん!
敵前逃亡!? 上等だ!
どうせ誰も見ていない!」
霧の中は、センサーを通さない無明の世界である。
中で彼らが何をしていたのかなど、外の者たちには分からない。
だから、無様に逃げ回っても良い。
地を這って、泥を啜り、泣きながら命乞いしてでも、一秒でも長く生き残り、一人でも多くの敵の目を引き付けるのだ。
もう一度、彼は息を吸う。
「再度、命じる! 生還せよッ!!」
「「「サー! イエッサーッッ!!!!」」」
力強い了解の応えに満足し、部隊長は出撃を宣言する。
「総員、着装!」
言って、彼自身も背負っていた金属のバックパックを起動させる。
途端、それが大きく展開した。
内部構造を開き、細かい部品へと変じながら、彼らの身を包み込んでいく。
最新型の飛翔翼である。
純粋魔力技術とマギアニウム技術、そしてそこに先端科学によるパワードスーツ機構を搭載したものだ。
魔力親和率の高いマギアニウムで出来た装甲は、純粋魔力によって爆発的に強度が上がる。
そのおかげで総重量の削減に成功し、従来のパワードスーツに比べて運動性能が向上し、更には飛翔機能まで搭載できた。
加えて、動力源が外付けである為、自身が持つ魔力と合わせて、継戦能力が大幅に増強されている。
一方で、即応性には乏しいという欠点もあった。
携行サイズの魔力タンクは、密封性に問題があり、どうしても微量の魔力が漏れてしまうのだ。
その為、暴発を防止する為に、普段は純粋魔力を抜いて保管しておかねばならない。
とはいえ、そのデメリットは、今作戦においてはさしたる問題はない。
薄手の全身鎧姿となった彼らは、背中から金属翼を展開する。
「では、諸君。戦争を始めよう」
それまでの檄とは違う、部隊長静かな宣言を合図に、彼らは甲板から飛び上がった。
最初からフルスロットルであった。
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幾つもの集団に分かれた航空魔術師部隊は、ほぼ同時に、様々な方向から霧の魔界へと突入した。
「隊長! 視界、ゼロです!」
「ンな事は見れば分かる!
自分の感覚を信じるなよ!
計器の情報だけを信じろ!」
「宇宙飛行士にでもなった気分ですね!」
「その内、この飛翔翼も宇宙戦対応になるだろうよ!
その練習だと思え!」
仲間の姿どころか、自分の手指さえも見えない、濃厚な霧。
事前にインプットしている地形や、微弱なレーダー情報のみを頼りに、彼らはその中を進撃する。
闇へと飛び込む恐怖を紛らわせる為に、彼らは口々に軽口を叩いていた。
「魔力センサーは役に立ちませんね!」
「想定通りだろ!?
全周が魔力に覆われてんだから!」
「いや、ホントにこれ、怖すぎ……って、うわっ!?」
暫しの飛翔中に、唐突に一人の声が大きく非常を知らせてきた。
「どうしたッ!? 報告しろッ!!」
隊長が声を張り上げれば、動揺した応えがある。
「エ、エンゲージ……!
敵です! 飛行型! 速い……!
コード、《ファルコン》に見えました!」
「ダメージは!?」
「問題ありません!
少し装甲が凹んだだけです!
最新型じゃなかったら今ので墜ちてましたよ!」
エメリーヌの子供たちの中で、飛翔タイプの代表的な存在を報告する。
非常に高速で、翼が刃物のようになっており、一撃離脱戦法を得意とする個体だ。
「上層部からのせめてもの餞別だからなッ!
……各員、散開ッ!
敵さんのお出ましだ!
お相手して差し上げろ!」
「「「サー! イエッサー!」」」
固まっていては良い的だ。
なので、それぞれにバラけて回避機動を取る。
《ファルコン》は、速度こそ速いが、旋回能力に難があると分析されている。
細かに動いていれば、そう簡単には捉えられない筈だ。
どうやらその分析は正しかったらしく、何体ものファルコンが飛び交うが、その全てを間一髪の所で回避できていた。
しかし、一方でこちらからの撃破も無かったが。
「クッソが……!
速すぎだろ! 当たんねぇ!」
「墜とされないだけで精一杯ですね! ハハッ!」
「笑い事じゃないぞ、お前ら!?」
「あぁ!?
あっ、下です!
下方より攻撃接近……!」
「緊急回避ッ! 気合いで避けろ!」
「無茶言うな、バカ隊長!」
十字砲火をするように、下方から幾つもの火線が伸び上がってきた。
直前で気付いた隊員の一人からの報告によって、ギリギリで回避するが、しかし避けきれない者も出てくる。
「ぐあっ!?
飛翔翼に被弾! 片翼やられました!
戦闘飛翔は困難です!」
「チッ! 仕方ない!
お前は地上に降下し、陸戦だ!
引っ掻き回してやれ!
ディエゴ! カーチス! イーサン!
援護してやれ!」
「「「サー! イエッサー!」」」
随伴を連れた仲間が地上へと降下していく。
数秒後、地上から戦闘音が聞こえてくる。
彼らが暴れているおかげか、僅かに下方からの弾幕は薄くなった気もするが、総量からすれば焼け石に水であった。
濃密な霧の中で、正確に狙い撃ってくる攻撃に、罵倒を漏らす声があった。
「あいつら! この中でどうやって照準付けてんだよ!?」
「どっかに覗き穴があるんだろうよ!
こっちの知らないな!」
「カンニングとは卑怯ですな!」
「全くだ!」
気分が悪くなる程に、縦横無尽に飛び回って必死に回避する彼らに、反撃する余裕などない。悪態を吐くだけしか出来なかった。
やられるのも時間の問題だと、誰もが思う状況だろう。
集中が切れた時こそ、集中砲火で撃ち墜とされる時だと。
「だが、それはこっちも同じだ!」
ピピッ、とアラームが鳴る。
それは予定していた時刻となった事を報せる合図だった。
瞬間。
空から星が降り注いだ。
第三宇宙速度にまで達した流星群は、霧の大天幕を吹き散らしながら、有無を言わさずに地上を破砕していく。
《射手座》ジャックによる、超長距離砲撃であった。
「パターン17だ!
位置取り間違えるなよ!」
「言われなくとも!」
「どんだけ訓練してきたと思ってるんですか、隊長!」
欧州側が、濃霧の中に侵入者を察知する覗き穴を持っているように。
米国側は、降り注ぐ流星群の中に、意図的に設置された安全圏を把握していた。
カンニングをしているのは、お互い様である。
流星群によって一時的に吹き散らされた霧だが、発生源を叩いていない以上、すぐに戻ってくる。
僅かな晴れ間に見えた敵陣の模様を頭にしかと叩き込みながら、隊長は時計を横目で見る。
まだ、予定時刻ではない。
イギリスへと戦力を、新しい星座、《蟹座》を戴いた少女を送り込む時間には、いまだ達していなかった。
「もう少し、足掻くしかないか……!」
吐き捨てるように言う。
そう言いつつも、彼の、彼らの口元には、笑みが浮かんでいた。
戦争が好きな訳ではない。
軍人など、暇をしている方が良いに決まっている。
一方で、何処か燻る想いもあった。
せっかく鍛えている力を発揮したい。
そんな想いだ。
最近の巷は、非常に慌ただしく、とても危険だ。
軍人の力を発揮する場に満ち満ちている。
だから、彼らは、不謹慎にも喜んでいた。
人々の安寧を護る。
その為に、命と力を惜しみ無く使えることが、楽しくて、嬉しくて、どうしようもなかった。
「行こう、諸君! 軍人の本懐を果たすぞ!」
「「「サー! イエッサー!!」」」
気勢を上げて、彼らは力強く羽ばたいた。