何気ない決闘の日々
出席し損ねた入学式から三日後。
《嘆きの道化師》の身柄を無事に高天原の管理機関に引き渡した剛毅は、堅苦しい空気から逃れられて高揚する気分を現す様に、大きく身体を伸ばす。
「くっ、はぁー……。やっぱ、軍とかお役所とか、形式ばっかり堅くて疲れるね、どうも」
性格上、その様な場は苦手ではあるが、悲しいかな、剛毅は公の場で奔放に振舞えるほど、怖いもの知らずの常識知らずではないし、それが許されるほどの権力者ではない。
だから、仕方なくお堅い言動に付き合う訳だが、やはりストレスという物は溜まるもので、まだまだ小生意気な学生相手に稽古をつけてやる事が最近のストレス解消法となっている。
管理棟セントラルから出てきた彼は、時計を取り出して時刻を確認する。
「……まだ昼前か。ちょいと職員室にでも顔を出してみるかね」
今日はまだ、軍務による止むを得ない休日の範疇だ。
故に、少しばかり早くそちらの仕事が終わったからと言って、学園の仕事をしなければならない理由はない。
しかし、新年度が始まったばかりで忙しいであろう時期に、早々にクラス管理業務を全て担任である栞に任せてしまっている。
然程の疲労もない上に、止むを得なかったとはいえ罪悪感もあり、剛毅は休日出勤と勤しむ事にしたのだ。
軍務に就いていた彼は、まだ知らない。
入学式に起きた惨劇を。
それによって、今現在、彼が副担任を務めるクラスの業務が地獄の惨状と化している事を。
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「な、なんだこりゃあ……」
職員室に入った剛毅は、自分の席とその隣の席が書類の山――比喩ではなく本当にそうとしか思えない――に埋もれている状況に、唖然とせざるを得ない。
担任である栞教諭とは、深い仲ではないものの、全く知らない仲ではない。
剛毅の知っている彼女は、かなりの几帳面な性格だった筈だ。
仕事があれば、即座に済ませ後に回すような事をせず、書類整理は見易く綺麗に、がモットーだったと思っている。
少なくとも、こんな惨状を間違っても晒すような女性ではない。
何があったのか、と思っていると、更に追加の書類を同僚の教師が持ってくる。
「お、おい。すまん。これ、どういう事だ……?」
「え? どういう事って、見ての通り……って、あー、火縄先生は軍の方にいたんでしたっけ。
じゃあ、入学式の事も知らないのも無理はないですかね」
「にゅ、入学式? それがこれと何の関係が?」
呼び止められた同僚は、面白がるような、同時にそれを処理しなければならない剛毅と栞に同情を含ませた表情で言う。
「宣戦布告ですよ、宣戦布告。
火縄先生の所の生徒が、代表挨拶で盛大に喧嘩を売りましてね。
これ、全部、決闘申込書とか、決闘結果報告書の類ですよ。
いやー、私が担任じゃなくて本当に良かったです」
「け、決闘……? これが? 全部?」
剛毅も元は高天原学園の生徒で卒業生だ。
だから、決闘システムは知っているし、ランキング上位に食い込む様な生徒は毎日の様に決闘をしている事を実体験として知っている。
だが、それは入学直後から、ではない。
少なくとも、外部受験を通過してきた入学生は、暫くは様子見期間があったし、それが終わったとしても、間違っても一日に何人も相手にしなければならない様な熱烈な申し込みなどありはしない。
それは、ランキング一位であっても、だ。
なのに、その有り得ない事態が目の前で起きている。
剛毅は、一番上にあった書類に目を通す。
正式な書式の整った、決闘申し込みの書類である。
申込者は、内部進学生の上位クラス。
学年別学内ランキングでも一桁に入るような生徒だ。
総合ランキングでも二桁に入る、中々に優秀な生徒である。
まだ入学したてで実力も碌に分からない外部入学生に、積極的に喧嘩を売るような生徒では、断じてない。
だというのに、こんな書類を提出している。
相手は誰なのか、と視線を動かせば、ある意味では予想通りの名があった。
雷裂 刹那、と。
「…………あいつか」
本来、軍務との兼任であり、教員として常駐できない剛毅に、クラス担任の仕事など回ってこない。
それなのに、副担任となったのは、彼自身が望んだからだ。
目的は簡単だ。
あの衝撃的な実技試験を為した刹那に興味が湧いたからである。
己を圧倒したあの力は何なのか、それで何を為そうというのか、何が目的なのか、天帝とどのような繋がりなのか、どのような立場にいるのか、そういった様々な疑問の答えに近づけるのではないかと考えたが故である。
目的の人物が行動を起こした。
それは望んだ事態の筈なのだが、初っ端からこれほどにやらかしてしまうとは思わなかった。
途方に暮れる様に天を仰ぐと、授業終了のチャイムが鳴り響く。
昼休憩の時間だ。
丁度良い、と剛毅は思う。
この休憩時間中に刹那を捕まえて、何のつもりなのか、訊いてみようと思ったのだ。
だが、その思惑は職員室に駆け込んできた、一人の女性教員によって遮られてしまう。
「ひ、火縄先生……!?」
ばたばたと騒がしく入ってきたのは、緑髪の女性教員。
五十嵐 栞である。
数日会っていないだけだというのに、随分とやつれて見えるのは気のせいだろうか。
「戻っていらしたのですね!? 良かったです!
もう私一人では無理です! これからすぐに第二三演習場に向かってください!」
「お、おい! いきなり何だってんだ!?」
縋りつくように、若干涙目の栞に詰め寄られて剛毅は慌てる。
「決闘ですよ! 決闘!
その見届け人をしてきてください!
昼休みの間に三件は消化するんですからね!?
放課後までには結果を報告書の形にしておいてください!
私は他の処理を進めておきますから!」
「お、おう!? わ、分かったから!
そんなに詰め寄るんじゃ……抱きつくんじゃねぇ!」
逃がさない、とばかりにしがみ付く栞教諭を力づくで引き剥がす剛毅。
彼とて若い男で、栞教諭は十分に魅力的な女性だ。
プライベートな場ならばまだともかく、こんな場所で必要以上に接触していては、どんな噂が立つか分からないし、無意味に理性を試されて腹立たしい。
それ故の行動である。
「お願いしますよ!? 逃げちゃ駄目ですよ!?
逃がしませんからね!? 自分で望んだんですから、ちゃんと仕事をしてくださいね!?
あっ、これ、決闘スケジュールとデータです!」
抵抗する事なく引き剥がされた栞教諭は、代わりとばかりに釘を刺すだけ刺して分厚い紙束を彼に渡し、自分の席へと向かう。
彼女は、昼食を簡易栄養食で手軽に済ませつつ、積み上がった書類の山と格闘し始める。
職員室にいる同僚たちは、その様子を気の毒そうに見つめ、ついで剛毅にさっさと仕事に取り掛かれよ、という責める様な視線を向ける。
居た堪れなくなった剛毅は、逃げ出す様に職員室を飛び出していった。
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第二三演習場。
形はスタンダードなコロッセオタイプである。
観客席も多く設置された、立派な闘技場だ。
決闘は基本的に公衆に公開している。
学園を含めて高天原関係者なら、身分証を提示するだけで観戦できるし、高天原外の、例えば一般観光者であっても、きちんとした手続きさえ踏めば、割と簡単に見物できる。
とはいえ、人気があるのは、当然、学内総合ランキングで上位、最低でも二桁台に入るような猛者同士の決闘である。
たとえ、人気のある魔術師が片側にいようとも、何処の誰とも知れない相手では見応えもクソもない。
その為、その場合は見物人はよほどの決闘ファンか、戦闘の収集癖のある研究者辺りくらいしか見に来ない。
入学から三日。
普通に考えるならば、刹那の知名度など下の下だ。
内部進学生ではない為、当然、学内ランキング――一週間に一度の更新――に名は載っていない。
外部生だとしても、魔術師学校は高天原学園以外にもある為、それなりに名の知れた者も中にはいるのだが、不登校児だった刹那の名が知られている訳がない。
故に、初日の決闘場所は、観客席も碌にない体育館の様な場所であり、実際に見物に訪れた物好きは、前述の者たちに身の程知らずを笑ってやろうという悪趣味な輩を加えただけの少数だった。
つまり、それは伝説の始まりを目撃した者が、それだけ少なかったという事であり、それにもかかわらず僅か二日にして、大規模な演習場を手配されるほどの注目度になったという事でもある。
刹那の基本戦術は、そのまんま返しだ。
相手が魔術戦を仕掛けてくるのならばそれに合わせ、近接戦を仕掛けてくるのならばやはりそれに合わせる。
それだけなら、自信家の範疇に収まっただろう。
相手の心を折る為に、相手の土俵に合わせるという行為は、決闘においてはさほど珍しい物ではない。
問題は、彼が魔力属性すらも合わせている、という事だ。
火には火を、水には水を、風には風を、土には土を。
現在、確認されている限り、刹那は命属性を除く七属性を使いこなしてみせた。
魔力属性は、基本的に一人一種。
二重属性はごく稀。
三重以上に至っては、魔術史上、たった一人、ロシア神聖国にいる現存する最古の魔王クラスだけだ。
有り得ない。誰もがそう思った。
何かのトリックだ。誰もがそう言った。
だが、もしもそれが事実なら。もしもそれが現実なら。
自分たちは今、魔術史に名を遺す何かの目撃者となっているのでは?
そうした半信半疑の心が、皆の興味を誘い、結果、ここまでの注目を集めているのだ。
そして、今回。
これから行われる決闘は、刹那対複数の集団戦である。
通常は、複数対複数の集団戦なのだが、刹那が仲間を集めなかった為、この様な虐めみたいな形になったのだ。
コロッセオの中央に、相対する決闘者が出揃う。
――オオオオオオオオオオオオォォォォォォォォォォォォ…………!!
途端に、歓声が上がる。
その声に含まれる感情は、当初あった憎悪や憤怒だけではない。
期待を込めた好意的な物もある。
流石に一桁クラスは様子見をしているが、名を知られる二桁レベルを相手に連戦戦勝を重ねているのだ。
その実力が、入学式の大言に見合う確かな物である事は明らかであり、早くもファンが付くのは道理である。
「双方ともに、準備は良いか?」
見届け人である剛毅が問いかける。
向かい合う両方が頷く。
刹那は素手だ。何も持っていない。
集団の方は、杖だったり、拳銃だったり、剣であったり、とそれぞれに魔術デバイスを用意している。
「では、位置についてください」
両者の言葉を聞いて、集団側の見届け人である教員が指示を出し、双方が距離を取る。
距離は、おおよそ30メートルほど。
魔術師としてはやや近距離であり、近接術師としてはやや遠距離という絶妙な間だ。
緊張が流れる。
刹那は悠然と構えているが、集団の方は緊迫感溢れる表情だ。
二人の見届け人は頷き合い、同時に手を上げる。
「では、始め!」
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「ぜあっ!」
開始の合図とともに、剣を構えていた男子生徒が一足飛びに踏み込んでくる。
その金髪が示す通り雷属性であり、それによる身体強化は速度に重点を置いて強化される。
彼にとって、30メートルなど密接しているも同然だろう。
上段から振り下ろされる刃を、刹那は滑るように横にずれて躱す。
その動きは最小限にして流麗。
傍から見れば、男子生徒の方が外したのだとも見えるだろう。
躱された金髪は、そのまま背後へと抜ける。
代わりに、灰髪の巨漢、土属性の男子生徒が盾を構えながら、刹那の正面に至る。
一歩ごとに、地面から巻き上げる様に岩石が生まれ、彼の全身を包む鎧となる。
土属性魔術――ロック・アーマー。日本名では、岩鎧。
と、そのままであり、チープな発想の基に生まれた単純な魔術だ。
だが、魔力強化された岩の頑強さは分厚い金属の装甲を凌ぎ、その上で魔力強化された術者は高速で動き回る。
人間大の戦車同然であり、魔術黎明期から未だに実用され続ける優秀な術である。
「ぬん!」
全体重を乗せて盾の一撃を叩きつける。
衝撃。
大音を響かせ激突する。
刹那はその重撃を受け切る。
「殴り合いか? 付き合ってやるぞ」
刹那が左腕を背後に引き絞る。
見れば、その腕に肌色はなく、代わりに金属の光沢を得ている。
変身能力が発展した結果できるようになった、無機物変身だ。
一直線に拳を振るう。
明らかなテレフォンパンチであり、対応するのは容易い。
灰髪は盾を掲げて受ける。
「ぐっ!?」
巨漢であり、更には岩鎧を纏った彼の重量は、二トンを超える。
だというのに、彼の身体は一撃で後退させられる。
見れば、彼の盾には凹みができ、微細な罅が入っている。
拳を振り切った姿勢で、動きが止まる。
瞬間。
水球と火球が左右から降り注ぐ。
背後にいた、杖を持った青髪の女子生徒と、銃を持った赤髪の男子生徒の攻撃だ。
「さて……おっ?」
対処しようとした瞬間、バランスが崩れる。
足元が水気に満ちて、いつの間にか沼化している。
どうやら灰髪と青髪が足止めを仕掛けていたらしい。
着弾する。
粉塵が巻き上がり、また一部の水球と火球が接触した事で、高熱の蒸気が発生する。
「止めだ!」
そこに、金髪が雷撃を叩き込む。
蒸気を伝い、広域に拡散する雷撃。
足止めにもはまっている以上、躱す事は出来ないだろう。
これで決まって欲しいと願う。
だが。
「ハハハッ、油断したな。
やはり集団だとやる事が多彩だ」
パチン、と指を弾く音が聞こえた。
途端、空気が逆巻く。
蒸気と粉塵を上空へと洗い流した後、現れるのは傷どころか汚れすらない刹那。
沼に足を取られていた筈だというのに、靴や裾にすら泥が付いていないのだから、丁寧な事だ。
「チッ!」
即座に切り替えた金髪は、刹那を背後から襲う。
目にも止まらぬ連撃。
だが、その全てが当たらない。
躱すのではなく、流される。
振るわれる刃に手を添え、その動きを阻害する事無く、軌道だけを上書きしている。
そんな事をせずとも躱せるくせに、そんな事をせずとも傷を受けない癖に、それをする理由は力を見せ付ける為。
単なる性能だけでなく、技量ですらお前たちは及ばないのだと言っているのだ。
一方で、灰髪には強引な力押しで対処している。
技術もクソもなく、力任せに殴り付けるだけで耐久力に優れた重戦車を押さえつけている。
「あ、有り得ない! まさか、生徒会長と同じ……!?」
後衛の青髪が、水球を飛ばし、足元を崩そうと水を浸透させようとするが、しかし全てが何らかの手管で防がれている。
水球水弾は、隣で同じように火球を飛ばし、前衛を巻き込む事を承知で火壁を作り出している赤髪のそれと同様に、ほぼ中間地点で撃ち落とされ、かき消されている。
地面も硬く固定化されているのか、水が入り込む余地がなく、まるで崩れる気配がない。
どれだけの処理量だというのか。
前衛二人と近接戦をこなし、後衛二人の魔術をも無効化させる。しかも、補助となる魔術デバイスも持たずに。
とても人間業とは思えない。
それは、魔術の並列処理による飽和攻防を得意とする、雷裂生徒会長を彷彿とさせる物だった。
「勘違いはいかんな。俺如きと賢姉様を同列で語るとは」
製作者である刹那ですら使いこなせない、フルスペック版《サウザンドアイズ》を平然と使いこなす美雲とでは、並列処理能力には明確な差異がある。
とはいえ、学生レベルの決闘内で見える物だけでは、その上限を測れる物ではない以上、勘違いするのも無理はない。
故に、刹那の言葉は苦笑を滲ませた独り言だ。
遂に灰髪の盾が砕ける。
彼は諦める事無く、腕の岩鎧を肥大化させる事無く殴りかかる。
刹那はそれを片手で受け止め、そのまま腕を捩じ切る。
「ぐあぁ!」
血が噴き出す。
その一瞬の隙に、刹那の胴へ向けて雷を纏った刃が迫る。
それを膝と肘で挟み止める。
二つの四肢を伝って雷撃が奔るが、それを気に留める事無く、刹那は捩じ切った岩の巨腕を金髪へと叩きつける。
大質量の激突に、たまらず大地へと倒れる金髪。
「さて、最後にお返しだ」
右手に火球を、左手に水球を生み出す。
その大きさは、二人が生み出すそれとは桁違いである。
刹那はそれを投げるのではなく、その場で重ね合わせる。
途端、発生する莫大な水蒸気。
戦場の全てを包み込む熱気に、逃げ場などない。
反射的に防御壁を築こうとするが、今まで攻撃に注力していた為、反応が遅れる。
結果。
防御をかいくぐってきた蒸気に焼かれ、二人の後衛も倒れる事となった。
「勝者、雷裂 刹那……!」
見届け人の宣言に、会場は一拍遅れて、歓声に包まれた。
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剛毅は、見届け人の名の通りに、全てを見て頬を引きつらせる。
(……とんでもねぇな)
彼は知っている。
あのアホほどに硬い防御壁の存在を。
自身の全霊をかけても一切攻撃を通せないあれを。
あれをしていれば、最初から勝負にすらならない。
だというのに、それをしないというのは、それだけの余裕があるという事。
確かに多彩だった。
今回の決闘で見せたのは、火水風土雷の五属性だった。
それだけでも伝説的な所業であるが、徒党を組めば打倒できるのではないか、と思えるレベルまで抑えてもいた。
おそらく、と、剛毅は察する。
(……あいつの視点、生徒側じゃなくて、教師側なんじゃねぇか?)
自らを伸ばすのではなく、自らを誇示したいのではなく、相手を引き上げようと、相手を育てようと、そんな意思があるのではないか、と感じた。
(……まっ、確かめにゃ分からんか)
肩を竦めた剛毅は、すぐに仕事へと戻る。
昼休みの間に、三戦は消化しろと要求されているのだ。
すぐに次へと移らねば、追いつかないのである。
入れておきたい場面あって、書く順番に悩む……。




