黙認の見送り
激しくなっていく姉妹喧嘩に巻き込まれぬように、こっそりと戦場の端で蠢いている影がある。
それは、一言で表現すれば、粘液だった。
半透明の薄桃色の粘体物質が、人から骨格を抜いて丸めればこれくらいの大きさになるかな? という程度の質量を保ちながら、ゆっくりと戦場から離れている。
頭(?)の上に黒いとんがり帽子を載せて、表面にはデフォルメされた人の顔を浮かべているそれは、もはや言うまでもなく、永久である。
寝こけている所を美影の盾にされて、そのまま投げ捨てられた彼女は、特に関係ないようなので放置してお暇する事にしたのだ。
「抜き足、差し足、忍び足~……」
足はないけど、と内心でツッコミを入れながら、自分はただの液体と言い聞かせて気配を押し殺して移動していく。
すると、そんな彼女の頭上に粉塵が舞い降りた。
「おやー、やはり無事でしたね~」
「ふっふっふっ、当然なのだよ。
私を焼き払うには、エネルギーの桁がちょっとばかり足りていないのだよ」
その粉塵の正体は、ナノマシン粒子となったサラであった。
自分と同じく人間の身体をしていないので、死んではいないとは思っていたが、中々に元気そうである。
「あれ、放っておいていいのですか?」
背後では盛大に雷鳴が響いている。
空に浮かんだ分厚い暗雲から、雨としか思えない量の雷が降り注いでいる様は、世界の終りのような気さえしてくる。
魔王が災害と称されるのもよく理解できる光景だ。
その影響で、ただでさえ廃墟の様だった研究都市が、更に粉々に砕かれていっている。
永久にはどうでも良い事だ。
触らぬ神に祟りなし、という言葉に従って、下手に巻き込まれない内にトンズラしてしまおうという魂胆だ。
しかし、ここを本拠としているサラにとっては違うだろう。
自分の城を完膚無きまでに破壊していく行為は、迷惑以外の何物でもない筈だ。
その辺り、どういうつもりなのか、と興味本位で訊ねてみた。
「別に。好きにさせておけば良いのだよ」
なんとも薄い反応が返ってきた。
少なくとも、介入しようというつもりはないらしい。
「何で?」
ド直球に質問を繰り返した。
「ふーむ」
少しばかり思考する雰囲気を漏らした後、彼女は答えた。
「私こそが、叡智の全てなのだよ」
サラ・レディングを構築するナノマシンは、その全てが演算装置であり、記録装置として機能する。
この研究都市にある全てのデータは、常に彼女の中に集積されているのだ。
機材や資材としての利用価値はあるが、無いならば無いで何とかなる、という程度の代物でしかない。
今となってはそうなってしまった。
なので、取り立てて執着するほどの事ではないのだ。
スティーヴン大統領は頭を抱えてしまうだろうが。
そんな事情をわざわざ語るような事はないが、特に問題はない、という事だけはしっかりと察した永久は、それ以上はツッコまなかった。
狂人に付き合っても面倒ばかりがやってくるのだ。
程々に距離を取ろうと学んだのである。
「それでは、この辺でおさらばとしましょうか。
お互いにすべき事があります」
「そうなのだよな。
面倒なのだよ」
勢いで了承してしまったが、国土魔法陣の書き換えは手間がかかり過ぎる。
憂鬱な気持ちを引っ提げたまま、サラは風に流されて消えていった。
それを見送った永久も、この場から離れて、次なる目的地に行こうと考える。
「……月ですかー。
どうやって軌道上まで上った物でしょうか」
以前までよりも地球に近くなったとはいえ、やはりそれなりに距離がある。
魔力全開でやれば、軌道上まで行く事は出来ると思うが、派手に目立つ事請け合いだ。
今の所、目立った事をしていないおかげで、誰にもその存在を悟られていない。
いや、気付かれている所には気付かれていると思われるが、指名手配などの措置は取られていない。
要監視対象が、唐突に地球から離脱し、要塞化しつつある月の一つへと向かえば、確実に警戒されてしまう。
「お姉様にご迷惑をおかけしてしまうのも、心苦しいですしねー」
この辺りが潮時なのかもしれない、と思う。
刹那との縁を繋いで、ポイント稼ぎをしようと思ってここまで付き合ってきたが、姉の心労を考えれば、これ以上は我儘だろう。
そろそろ手を引くべきだと考えた。
そうしていると、近くの瓦礫が唐突に崩れた。
特に、戦闘の余波は届いていない。
バランスを崩しただけだろうか、と思っていると、中から金属鎧を纏った人影が転がり出てきた。
「ひっ……! ひっ……! ひぃっ! 酷い目にあった!」
鋼色の、人間の形に沿ったスマートな鎧だ。
女性型で、丸みのある造形をしている。
見覚えが大変にある代物である。
「……お姉様?」
それは、久遠が持つ専用デバイス――イフリート簡易式の圧縮形態である。
本式は圧縮状態であっても十メートルを超えるし、そもそもまだ再建途中だ。
この簡易式は、展開状態でも百メートルに届かない比較的小柄な品であるが、その代わり圧縮形態は人の大きさ程度に調整されており、パワードスーツとして活用できるという特徴がある。
『お母さん、お母さん!
ボク、ちゃんとお母さんを守れたよ!?
偉い!?』
「偉いから私を母と呼ぶのを止めろ」
いつも通りのやり取りをしている様子から、どうやら無事らしい。
どうしてこの場にいるのか、と疑問に思うが、おそらく雷裂姉と一緒にやってきたのだろうと予測が立つ。
偶然の再会にほっこりした気分になった永久は、うにうにと蠢いて機械鎧を纏った姉に無警戒に近付いていく。
「お姉様―。
よくあの爆発の中をご無事でしたねー」
「と、永久!?」
呑気にやってきた妹に、久遠は瞠目する。
彼女は、ヘルムを取って素顔を見せながら、粘液状の妹の側に駆け寄った。
どうでも良い事だが、原形が欠片もないゲル物質を見て、即座に妹を連想する辺り、久遠は慣れ過ぎである。
ムニュリ、と妹を持ち上げて抱きしめた。
「ああ、良かった。
無事だったか。まぁ、無事だとは思っていたが。
元気そうだな」
「お姉様こそ、壮健そうで何よりです。
御心配をおかけして、申し訳ありません」
「いや、良いさ」
モニモニムニムニ、と妹の全身を撫で回して、その感触に安堵する。
いつも通りにひんやりとした体温に、低反発クッションのような不思議な柔らかさをした身体だ。
夏場に抱き枕にすると大変に抱き心地の良さそうである。
「ところで、お姉様はどうしてこちらに?」
永久は、されるがままにクッションとなりながら、疲れを癒すように頬ずりしている姉に問いかける。
「ん?
ああ、ほら、永久が何やら美影君に連れ回されているようだったからな。
一応、連れ戻すという体で美雲に付いてきたのだ」
「あらー、それはとんだご迷惑を」
「良いんだよ。
ちょっとした気分転換だ。
別に、強要されている訳ではないのだろう?」
「はい。自らの意思で美影様のお手伝いをさせて戴いております」
「なら、構わないさ。
私が言う事はない」
「おや、意外ですね。
てっきり、強引に連れ戻されるかと思いましたが」
久遠にはその気はないようで、永久の好きにさせるという意思が本気で伝わってきた。
久遠は、やや苦笑しながら言う。
「そりゃあ、まぁ、永久が流されて、あるいは強引に連れ回されているようなら、そうしただろうがな。
自分にとって必要な事を、ちゃんと判断できる子になったし、今も自分の意志で選んで動いているのだろう?
なら、私はそれを応援するだけだよ」
「……災禍をもたらすかもしれませんよ?」
「その時は、一緒に世界に謝ってやるさ。
家族だからな」
「なんとも、まぁ、随分と信頼されたものですね」
どうしてここまで無条件に信じられているのか、永久の方が信じられない気持ちである。
先日まで、多大な迷惑をかけて、信用を地の底にまで落としてしまっただろうに。
「うん。だから、私への迷惑とか考えず、好きにして良いんだぞ?」
デフォルメされた永久の顔に視線を合わせながら、現在の永久の心境を見透かしたような事を言う。
「……分かりますか?」
「姉だからな。ちゃんと理解しているさ」
持ち上げていた妹を地面に下ろし、解放する。
「本当に好きにして良いのですか?」
ムニ、と久遠の足に寄り添いながら、確認する永久。
その頭を一撫でして、久遠は朗らかに笑いかけた。
「ああ。存分にやってしまえ。
自慢の妹、ここにありって世界に見せつけて良いんだぞ。
後始末は全部私がやってやる」
「…………分かりました」
永久は、一つ頷き、人の形を取り戻した。
彼女は、深く姉に頭を下げて、宣言する。
「では、ご要望にお応えしまして、派手にやらせていただきます」
永久は、足腰の筋肉量を操作する。
見本はある。
この世で、人の形をしていながら、最も進化した身体能力を持つ生物を、よく見知っている。
あれを模して、筋肉を、それを支える骨格を、再現する。
万能細胞で出来た、ショゴスの身体ならばそれが可能だ。
それを、全力の魔力で強化した。
魔王クラスにまで至った永久の魔力は、超人の脚力を、更なる高みへと押し上げる。
「行って参ります」
「いってらっしゃい」
激震。
地が砕けるほどの踏み込み。
舞い上がる粉塵を置き去りにして、永久は遥か空の高みへと消えていった。
「…………可愛い子には旅をさせよ、か。
ああ、楽しんで来い、可愛い妹」
何を目的として、何をする気なのか、全く知らない。
それでも、姉は妹を信じて、笑顔で送り出すのだった。