悪だくみ
「…………」
「…………」
「うまうまうま。
キャットフードも悪くはないのじゃが、やはり人の飯の方が美味じゃのぅ」
話を聞き終えたサラは、無言で茫洋と宙を眺めている。
美影は、特に何も言わない。
ノエリアだけが、我関せずとばかりにビスケットとコーヒーを楽しんでいた。
「……同志が」
ようやく、サラが口を開く。
「何もしていないとは思えないのだよ?」
彼が消えて、彼が忘れられている、という現状。
そんな今を、彼が見通していなかったとは、とても思えない。
なにせ彼は、自分が認めるだけの知性と狂気を持った生命体だ。
自らに向けられた悪意を、何も察知できずにしてやられたとは、思えないし思いたくない。
その言葉に、美影は憮然としながら言う。
「多分、お兄は知っていたよ。
知っていて、敢えて何もしなかった……」
僅かに間を開けて、彼女は続ける。
「……いや、何も、ってのは言い過ぎかな。
ほんの少しだけ、ヒントは散りばめられてる。
きっと、お兄は人間が、っていうか僕たちがどれくらい出来るのかを見てるんだと思う」
所々に、ヒントやアイテムを散りばめている。
ただの偶然とも見れるし、気付いていたけれど対処が間に合わなかった、という見方もできる。
しかし、それはイメージに合わない。
一を知って十を悟り、敢えて五くらい見なかった事にする。
それくらいの遊び心の方が、刹那の行動として理解し易い。
そして、そうだとすれば、遊び心の正体は一体何なのか。
答えは、やはり想像できる。
人間たちが、どれだけ出来るのか。
何処まで対抗できるのか。
それとも、やはり己がいないと何もできないのか。
そこに興味を抱いているのだと思われる。
上等だ、と美影は思う。
そんなに試したいと言うのならば、試されてやろうじゃないか、と。
美影は、刹那の大切な人でありたいとは思っているが、守られるべき弱い存在でありたいとは思っていない。
彼女は、刹那と並び立つ偉大なる巨峰となりたいのだ。
その為には、この程度の試練など、笑って潜り抜けるくらいでないといけない。
「ならば、放っておいても戻ってくるのだよ?
わざわざ面倒を増やす必要もないのだよ」
サラの言葉も尤もだ。
放置していても帰ってくるのならば、ちょっとした外出と変わらない。
いちいち手間暇をかけて連れ戻す必要もない。
だけど、と美影は言う。
「そうかもしれないね。
だけど、シャクじゃない?
試されてるのに、黙って見てるのって。
喧嘩売られてるんだよ?
かかって来いって中指突き立てて受けて立つべきでしょ」
「血の気が多いのだよ。
これだからカンザキという連中は。
でも、まっ、言いたい事は分かるのだよ。
確かに、何もできない雛鳥だと思われるのは、腹立たしいのだよ」
クッ、とサラも挑発的に笑む。
彼女もまた、好戦的思考回路の持ち主である。
それが、腕力ではなく、学問に向かっているだけで、目の前に難題を置かれれば、挑戦してやろうという気持ちが湧いて出てしまう。
「さてさて、そうと決まれば早速行動なのだよ。
……何か案はあるのだよ?」
今しがた、起こっている事態の概要を聞いたばかりのサラには、具体的な策はない。
適当に世界中に掛けられた幻覚でも解除してみようか、とその程度だ。
彼女の問いに、美影は無言で指先をテーブルに突き立てた。
雷が線となって、テーブルの上に複雑怪奇な図形を描き出す。
「これは……ふむ、解呪の魔法陣なのだよ?」
さらりと流し見たサラは、魔法陣の機能を言い当てる。
「そ。さっき走りながら考えてたの」
「ほむほむ。
まぁ、必要最低限の機能はあるのぅ。
とはいえ、無駄も多いの」
自分も関われる話題になったので、口の周りにビスケットの屑を付けたノエリアも、魔法陣を覗き込んでコメントする。
怪描の言葉の通り、相当に無駄が多い。
やたらと術式が冗長で、複雑な割に効果は非常に小さい。
一応、機能するとは思うが、向こうが出力を上げるだけで、おそらく圧殺されてしまうだろう代物だ。
とはいえ、そんな物を走っている最中に、適当に作り出すだけで馬鹿げているが。
通常、零から術式を構築するなど、演算機を片手に時間をかけて行う物である。
このレベルの干渉式となれば、優に年単位が必要とされる筈だ。
それを片手間に短時間で構築するのだから、大概だ。
「改良の余地が盛大にあるのだよ。
ついでに、これをどうやって転写するかも問題なのだよ」
パッと見ただけでも、百を超える改良ポイントがある。
流し見ただけでそれだけあるのだから、熟考し精査すれば、きっと千、あるいは万にすら届く程の改善点があるかもしれない。
しかし、それはやれば済む話だ。
無駄に才と能力のあり余っている者たちが、この場には三人も揃っている。
三人寄らば文殊に匹敵するのならば、才ある三人ならば、文殊さえ超越できるだろう。
実用レベルの術式の完成は、そう時間はかからないと予測していた。
問題は、その完成した魔法陣を、どうやって世界に反映するのか、という所にある。
魔法陣は、基本的に陣の内側にしか効果を発揮しない。
地球を包み込むほどの魔法陣の構築は、流石に無茶がある。
予算と時間があればどうとでもなるが、即座の実現は不可能である。
ならば、地球人類に、一人一人張り付けていくか、というと、それもまた面倒臭い。
時間がかかるなんてものではないし、悠長にしている内に仕掛人に気付かれて、対策を取られてしまいかねない。
「それについては、三重連月輪を利用しようと思ってる」
「ああ、あの。
なんか要塞化しているそうじゃの。
月を丸ごと改造しようなどとは、随分と思い切ったというか、派手好きじゃのぅ。
……誰の発案じゃ?」
「勿論、お兄に決まってんじゃん。
こっそり改造してたら嗅ぎつけられちゃったんだって」
現在、先の戦闘で盛大に破壊され、三つの衛星として再構築された三つの月、中心月を《月詠》、そして二つの小月を《ルーナ》《アルテミス》と勝手に名付けられて、大改造を施されている最中である。
外側からやってくる敵への防衛線だ。
刹那が一人で勝手に行っていた所を察知され、あちこちの国が絡ませろと割り込んできたのだ。
以前よりも距離が地球に近くなったおかげで、資材や人を送る労力が減った事でそう考えられたらしい。
「あれだけで出来るとは思えないのだよ」
三重連月輪の大改造計画にも、一枚噛んでいるサラは、否定的な意見を口にする。
そういう機能を搭載していないし、そもそも未完成品だ。
地球を覆う程の魔法陣を形成できるとは思えない。
「いや、使うのは《アルテミス》の神弓だよ。
あれなら、大体の形は出来てるしね」
「……ああ、成程。
そう来たのだよ。
それなら、出来そうなのだよ。
何処に打ち込むかは、決めてあるのだよ?」
美影の言葉に、すぐに理解を示すサラ。
何をするつもりなのか把握した彼女は、何処を標的とするのか、訊ねた。
「勿論、瑞穂だね。
お兄の影響力が一番強いし、もしかしたら瑞穂の記憶だけでお兄を復活できるかもしれない」
「ふむ。そうかもしれぬな。
我らは、人の意志によって自己を保っている所があるからの。
数は少なくとも濃厚な記憶が注がれれば、充分に可能性はあるの」
「……個人的には、アメリカが良いのだよ~」
やはり、自分が拠点を置いている場所を優先して欲しいもの。
サラがその様に主張すると、美影はもう一つの案を言う。
「そっちは、アークエンジェルで何とかすれば良いじゃん。
権限、まだあるんでしょ?」
国土防衛用巨大魔法陣である。
効果としては地脈からエネルギーを汲み上げて砲台を作り出すものだが、改変すればどのようにでも効果を変えられる筈だ。
刹那がいなくなり、別の物が絶対権限を持っている以上、もしかしたら地脈への干渉権限が無くなっている可能性もあったが、ラグナロク・システムのエネルギー流路にきちんと地脈エネルギーが流れていた為、きっとそちらも問題なく機能していると美影は見ていた。
彼女の予測通りにアークエンジェルは今も機能しており、そして言いたい事も理解したサラだが、少しばかり渋る。
「えぇ~? 確かに、そうすれば魔法陣の転写は出来ると思うのだよ。
でも、面倒なのだよ?」
ただのやる気の問題である。
魔力だけで形成された魔法陣ではないのだ。
スイッチ一つでポンポンと切り替えられる物ではない。
解呪用魔法陣に改変した後、再び砲台用術式に戻すとなれば、やたらと面倒な手間がかかる。
「うるせぇ、やれ」
美影は一顧だにしなかった。
苛立ちと怒気が混じった威圧さえ漏れ出している。
「えぇ~」
しかし、サラは全く怯む事無く、相変わらず渋る。
魔王の威圧程度で彼女に言う事を聞かせられるなら、スティーヴン大統領は何も苦労していないのだ。
この手の人間は、知っている。
サンダーフェロウの研究室にも、たまにいる手合いだ。
だから、美影はアプローチの仕方を変える事にした。
「事が済んだら、うちから適当な寄付をくれてやるから」
「分かったのだよ。
万事、任せておくのだよ」
効果は抜群だった。
研究とは、ひたすら金のかかるものである。
あればあっただけ嬉しいものだ。
それは、サラも例外ではない。
常識を外れた雷裂からの寄付金ともなれば、その額はそこらの国家予算を軽くぶっちぎる物となる事は分かり切っている。
わざわざ確認するまでもなく、そういう部分でケチるような連中ではない。
なので、金に目が眩んだ彼女は、あっさりと国土魔法陣の切り替えを請け負った。
「よし! そうと決まれば早速行動だよ!
多分、その内、お姉辺りが襲撃かましてくると思うから、それまでに形ぐらいは造っておきたいね!」
「まぁ、私は逃げるから、姉妹喧嘩は程々に頑張るのだよ」
「対話という段階を無視して、いきなり武力制圧とは。
なんとも野蛮な姉妹じゃのぅ」
「お前に言われたくない」
二百年もの間、誰かに協力を仰ぐでもなく、一人で好きに暗躍してきた黒幕の言葉に、美影は苦言で返した。
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魚の水死体から復活した永久は、今度は燕らしき物に変じて空を舞っていた。
正確には、燕を基にした、様々な鳥の特徴を取り入れたキメラである。
だが、形はほぼほぼ燕であり、専門家でもなければ一見して新種生物とは見えないだろう。
邪魔するもののない空は、自由の国らしい自由の空気に満ちており、とても気持ち良い気分で飛ぶ事が出来ていた。
「うーん。鳥になりたい、という願いもよく分かりますねぇ~」
飛行速度は、おおよそ時速二百㎞強。
水平飛行の最速記録を塗り替える速度である。
ノエリアとの繋がりを辿っていく彼女は、休む事無く飛翔し、空の旅を大いに楽しむ。
遠くの海では、自分の分身体が水煮にされて溶けているようだが、大した問題ではない。
抜け殻なので好きにしてくれれば良い。
既に遺伝子情報なども破壊しているので、どれだけ精査されても永久に繋がる情報など出てこないのだから。
「本当に便利で良いですねぇ、この身体は」
彼女が合流する時は、そう遠くはない。
それはともかく、人外である事に慣れ過ぎである。