三人目と迷子
町の中に、人の気配はなかった。
高天原の地下層の様な町全体が研究施設となっているのだろう。
街並みには、娯楽的要素は少なく、ビジネス街のような雰囲気と、また実験失敗による被害を抑える為に重厚に造られた要塞的雰囲気が混在している。
最初から人がいなかった、という訳ではないのだろう。
数は少ないが存在しているカフェの露店席に、飲みかけのカップなどが残されている。
おそらく、美影の目的地を理解して、避難指示が出ていたのだと思われる。
誰もいない中央通りを、我が物顔で駆け抜けていく美影。
「誰もいなかったりしての」
カラカラとからかうようにノエリアが言う。
「言わないで。
考えないようにしてるんだから」
その可能性に思い当たらない程、馬鹿ではない。
彼女の狙いに気付いているのならば――というか、ランディに言ったのだからおそらく伝わっていると思われるが――、サラにも避難指示が出ている可能性は充分に有り得る話である。
これで空振ってしまうと、非常に手間がかかる。
いっそサラの助力を期待せず、自分たちだけで解決に動いた方が早いのではないか、と思えてしまう程だ。
心に過る不安を無視して、美影は中心部にある一際大きな建物へと辿り着いた。
外周にある高い塀を飛び越えて敷地内に入り込む。
『侵入者――発見。排除シマス』
すると、四つ足に四本腕の警備ロボットが反応した。
(……機械式、電気信号)
作動方式を即座に看破した美影は、細い雷を飛ばす。
魔力式で動作するロボットであれば壊さざるを得なかったが、機械式の上で電気信号で動作するのであれば、彼女の敵ではない。
飛ばした雷がロボットの装甲に弾ける。
途端、まるで痙攣するようにそれが震え、スピーカーから耳障りなノイズを吐き出した。
異変は二秒ほどで収まり、その時にはロボットの戦闘態勢は解かれていた。
『来訪者――歓迎』
「はい、ありがと」
武装を納めたロボットが道を譲り、美影は堂々と歩を進める。
繊細な電気操作によって、ロボットのシステムを書き換えたのである。
電気システムで動いている機械など、美影にとっては壊すまでもない。
軽々と乗っ取ってしまえる軽い玩具なのだ。
次に立ちはだかったのは、ごく普通に扉だった。
やたらと分厚そうで頑丈そうで重そうな鉄扉であるが。
「……電気式な部分はともかく、魔力式な部分は解除できないかな」
「そちらは我がどうにでも出来るぞ?」
「じゃあ、任せるとして、だ」
幾重にも施されたプロテクト。
やたらと能力のあり余っている美影とノエリアの二人ならば、大半の鍵を簡単に無効化してしまえる。
「問題は、この物理的施錠だよ。
何、この鍵穴。
アナログか」
最後の鍵は、純粋に物質的な施錠だった。
現代となっては、もはや骨董品レベルのプロテクトである。
現物は博物館ぐらいにしかないと思っていたのだが、まさか現存しているどころか、実際に使用されている姿を見せられるとは思わなかった。
「ピッキング、と言ったかの?
汝は出来ぬのか?」
「やった事はないね。
原理は知ってるから、やって出来ない事はないと思うけど」
道具がない。
専用道具は勿論、代用になりそうな針金のような何かが手元にない為、正攻法で突破する事は非常に難しい。
「……仕方ないか。
邪道だから、やりたくなかったんだけど」
「ほほぅ? 汝にはこの難攻不落を解決する手段があるのかえ?
それは良い。
後学の為、是非とも見せ――てっ!?」
ノエリアの声が不自然に途絶えた。
美影が、化け猫に巻き付いている羽衣の一端を握って、鎖分銅の様に高速で振り回し始めたのだ。
「きっ、きさっ……! まさかっ!?」
「せめてもの忠告をしてあげる。
身を固めた方が良いよ?」
充分に速度が載せられた一投を、美影は重厚な扉に向けて解き放った。
「秘技、猫魔球壱号……!」
「ぬああああぁぁぁぁぁぁ……!?」
狙ったのか否か、見事に顔面から硬い扉に叩き付けられるノエリア。
破砕音。
それはもう盛大でド派手な音が鳴り響き、分厚い鉄扉がひしゃげる。
「あれ? 思った以上に硬い。
もう一発必要かな?」
呟いた瞬間、美影の身体が浮き上がった。
「その一発は、貴様で賄ってくれるわ……!」
羽衣を蠢かせ、脱出を防ぐ為に全身を縛り上げながら、ノエリアが持ち上げているのだ。
先程を超える勢いで歪んだ鉄扉へと叩き付けられる美影。
「我の痛みを思い知れッ!」
「それは無理かなぁ」
大破砕。
既に壊れていた鉄扉は、駄目押しの一発によって完全に破壊され、道が開ける。
飾り気のない白い廊下の上に綺麗に足から降り立ちながら、美影はダメージを感じさせない様子で答えた。
「……まるで堪えておらぬな」
「受け身を取ったからね」
「いや、そういう問題ではなかろうに」
ドヤ顔で、頭のおかしい事をのたまう美影である。
受け身を取ったからどうなるのだ、という勢いで叩き付けた筈なのだが、全く傷も痛みも受けていない彼女に、ノエリアは頭痛がしてくるようだった。
(……こやつは本当に人間なのかのぅ)
結構、本気で悩ましい所だ。
少なくとも、惑星ノエリアにはこんな人間はいなかった。
彼女であれば、魔力無しでも普通に鬼やら何やらと殴り合えそうである。
人間の可能性とは、思っていた以上に大きいようだ。
ここ200年で随分と痛感した事実であるが、美影を見ていると更にそう思えてくる。
「いやー、随分と派手に壊してくれたのだよ~」
全身に付いた埃を払っていると、奥からのんびりとした女性の声が響いてきた。
視線を向ければ、いつの間にか、極至近に青髪に白衣の女性が立っていた。
「……ちゃんといたんだね、サラ・レディング」
「そりゃあ、いるのだよ。
ここは私の城なのだよ?
いない筈がないのだよ」
クツクツ、と、楽し気に笑うサラは、踵を返して奥へと誘う。
「ノックをしてくれれば良いものを、と、居留守していただろう自分を棚に上げて文句を言う所だけど、まぁ許してやるのだよ」
「へぇ、何で?」
その後ろに付いていきながら、美影は訊ねる。
サラは、肩越しに顔だけ振り返らせながら、それに答えた。
「そりゃあ、私も同志のおうちを壊してしまった事があるからなのだよ。
まぁ、お相子って事で、同志の妹君なら許してあげる広い心があるのだよ」
「…………やっぱり、覚えてる」
美影の安堵したような呟きに、彼女は不服そうに首を傾げた。
「うん?
まさか、私が友達の玩具を壊した事を忘れてしまう様な、そんな薄情な人間だとでも思っていたのだよ?
それは、ちょっと不本意な評価なのだよ~」
「そういう事じゃないけど、うん、後でそれも含めて説明するから」
「? まぁ良いのだよ」
三人目を、確信した瞬間だった。
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一方、その頃。
なんとか《水瓶座》の追撃から逃れた永久は、やっとの事で北米大陸へと辿り着き、何処かの川を遡上していた。
(……さて、これからどうしましょうか)
非常に残念な事に、目的の人物は聞いていたのだが、具体的に何処にいるのかまでは聞いていなかった永久は、途方に暮れていた。
はっきり言おう。
迷子である。
このまま川やら下水やら地下水脈やら、魚に化けて、微生物に化けて、スライムに化けてこっそりと移動していれば、そうそう見つけられる心配はないのだが、目的地が分からないという現状はどうにもならない。
(……帰ってしまう、というのも、味気ないですね)
なんなら、もう帰ってしまっても良い。
幸い、自分が反逆に関与したという情報は出回っていないらしく、美影のように指名手配はされていない。
素知らぬ顔で日常に戻ろうと思えば、簡単に戻れる。
何かツッコまれても、知らぬ存ぜぬを決め込んでいれば良い。
魔王級の魔力を持ち、全属性、特に幻属性や、それを含んだ混沌属性を使える今の永久を相手に、強引に情報を抜き出す手段など基本的に存在しないのだから、それで大体解決する。
黙秘を決め込んでいれば、美影への義理も果たせるという物だ。
とはいえ、これでおしまいでは、あまりにもスッキリしない。
ここまで首を突っ込んだのだ。
始まりは巻き込まれただけであるが、途中からは進んで協力し、その終わりが尻切れトンボでは、永久にとって精神的満足感は得られない。
むしろ、苦労ばかりかけられた徒労感しか残らない。
なので、出来れば合流したいところなのだが、やっぱり分からない物は分からないのだ。
だって分からないんだし、どうしようもない。
(……困りました。どうしましょう)
魚に扮している彼女は、気を紛らわせるように、微生物を取り込んだり、より小さな小魚を食したり、水草の隙間で戯れたりする。
これが魚の生態として正しいのかは分からないが、きっとそこまで不自然には思われないだろう、おそらく。
どんな毒や病気を含んでいるか、分かった物ではないが、どうせ全身ショゴスである。
悪食のこの身ならば、美味しくはないけど、きちんと栄養として取り込む事が出来る。
(……便利な物です)
試す気はないが、今の自分ならば、きっと廃棄領域にも適応できるだろうと思う。
本格的に巻き込まれて指名手配でもされたら、廃棄領域の奥地に逃げ込んでしまおうと秘かに思ってみたり。
(……うん?)
そうして、暫し時間を潰していると何かに引っ張られるような感覚を得た。
釣り糸でも引っかかったか、と思うも、身体の何処にもそんな物は絡まっていない。
(……気のせいでしょうか?)
今日はもう疲れた。
慣れない遊泳法で不眠不休で太平洋を横断したと思ったら、今度はガチ魔王との戦闘である。
しかも、全力を出してはいけないという縛りプレイで。
精神的にも肉体的にも、結構、限界に近い。
あまりの疲労から感じた幻覚である、と永久は判断した。
しかし、再び、引かれる様な感覚があった。
(……あー、もう。何なんですか)
身体をくねらせて苛立ちを表現する永久。
無駄に芸の細かい女である。
魚形態では、他にできる行動がないというだけだが。
いつまで経っても消えない感覚に、苛立ちがピークに達した永久は、遂に幻属性魔力を発動させ、自身の精神走査をする。
幻覚を感じている回路自体を焼き切ってしまおうという荒業を開始したのである。
己の精神を洗い出し、幻覚の原因へと辿り着く。
(……これは)
そこにあったのは、意外なものだった。
糸である。
自身の精神の外へと繋がる、何らかの糸。
それが反応して、引っ張られる、という形で永久に異変を知らせていたのだ。
(……えい)
永久は、何も考えず、躊躇なく、それを切断しようとした。
誰が仕掛けたのか知らないが、今の自分の精神に紐を付けるとはお見事である、その内お礼参りに行くから今は黙れ。
そんな事を考えつつの行動だったが、まさかの不発に終わる。
(……切れないとは)
苛立ちをぶつけるように、かなり強めに行ったというのに、全く手応えがなかった。
(……おのれ)
しつこく切断しようとするも、全く効かない。
柳に風、とばかりにすり抜けてしまう。
やがて、永久の方が先に力尽きてしまった。
くらり、と意識が飛ぶような感覚があった。
疲労が完全に限界に達したのだ。
(……あー、やばいです。
気絶しそうです)
首の座っていない赤子のように、頭がぐらぐらしているような気分だ。
取り敢えず、幻覚の事は一旦忘れようと意識を切り替え、彼女は休息に入ろうとする。
(……ノエリアー……は、今はいないのでしたね)
知らず知らず、デブ猫を探していたが、現在は美影と共に行方不明である事に気付いて、少しばかり消沈する。
抱いて良し、枕にして良しの、素晴らしい毛並みと弾力だったのだが、実に残念極まりない。
(……ん? ノエリア?)
と、そこでふと気付いた。
そういえば、自分とノエリアは繋がっている筈だ、と。
それに思い至ってしまえば、先程まで苦戦していた精神の紐付けの正体も分かる。
あれこそが、ノエリアとの繋がりなのだと。
思えば、ノエリアが復活して以降、すぐに炎城家に引き渡され、永久とずっと行動を共にしていた。
これ程の長時間、物理的な長距離にいた事は初めての経験だ。
それが故に、全く気付いていなかったが、距離が離れていると引っ張り合う様な感触があるようだ。
(……おお! では、これを辿れば追いつけますね!)
行き先の目途が付いて、永久のテンションが上がる。
瞬間。
テンションの高揚に、肉体の方が付いていけず、一気に意識に霞がかかっていく。
(……あっ、これ、やば)
精神を立て直す間もなく、永久の意識は彼方へと飛んでしまった。
気絶した魚擬きは、腹を見せて水面にプカリと浮かび、水死体となって流されていくのだった。
思えば、なんだかんだ言ってちゃんと週刊更新を守っている自分は、結構偉いのでは?
なんて自画自賛してみたり。