幕間:女神の哄笑
帝国本土の一角。
空属性による結界に区切られ、人の気配を排したそこに、魔術による爆炎が噴き上がる。
元は閑静な住宅街だったが、高位の魔術師が激突した事で瓦礫の山の中で、一人の赤髪の男が周囲を見回しながら吐き捨てる。
「ちったぁ歯応えはあったが、まぁこんなもんか」
男の名は、火縄 剛毅。
帝国軍に所属する戦闘魔術師であり、平時は高天原神霊魔導学園にて後進育成の為、教員を兼任している男だ。
本来であれば、今日は彼が副担任を任されたクラスとの初顔合わせであり、学園にいるべきだったのだが、数日前から軍から出動命令が下された為、やむなく欠席する事となった。
命令の内容は、国際指名手配されたテロリスト《嘆きの道化師》の捕縛だ。
どこから手に入れた情報なのか、《嘆きの道化師》の構成員三名が帝国内に侵入し、活動しようとしているらしく、それを捕捉し、撃退、可能ならば捕縛を命じられたのだ。
あの逃げ足の速さと雲隠れの上手さがウリの連中が、そう簡単に捕捉できるものか、と半ば以上ガセ情報だと思っていた。
だが、実際に目の前に現れてしまっては、自分が愚かだったと諸手を挙げて降参して、真面目にお仕事をする時間である。
突発的な遭遇戦なら様々な問題――周辺被害など――もあっただろうが、事前に出現が分かっていた以上、準備は万端だ。
即座に異界生成型結界魔術によって、一般民を排除すると同時に連中の逃走阻害を行い、剛毅を中心とした高位魔術師で構成された一隊によって電撃的な襲撃を敢行した。
結果は、圧勝。
Aランクの魔術師であるリーダー格がおらず、全員がBランク。
更には僅か三人だけ――元より八人しか構成員がいないが――で、こちらは十人以上での襲撃だ。
これで圧勝できなければ笑い物だ。
剛毅自身は、単独で一人を相手にしていた。
《悲嘆》のコードネームで呼ばれる、痩せぎすの男だ。
魔術師のランクはBランクだが、長年、世界各地で暴れ回っただけあり、技量面はかなりの物があった。
Aランク下位の魔術師ならば、一対一では負けていた可能性もある。
だが、相手はAランク最上位であり、格下と油断する気もまるでない剛毅だった。
土属性の人形遣いであり、無数の土石人形を作っては相互に連携させる手腕は見事だったが、それを突破して接近戦に持ち込まれてからはお粗末であり、呆気なく制圧される事となった。
他を見れば、残り二人の制圧も終わっているようだ。
軽傷者はいるようだが、重傷者や死者はおらず、余裕をもって仕事は完遂できたらしい。
「ヒ、ヒヒッ、ここ、こんな事しても……む、無駄なんだな」
「あ?」
足元から聞こえてきた声に、剛毅は取り敢えず足に力を入れる事で答える。
「グギッ」
足蹴にされていた《悲嘆》が悲鳴を漏らす。
だが、それでも《悲嘆》の口元から笑みは消えない。
「ぼ、ぼくたちには、ヒヒッ、めめ、女神さまが、ついてるんだな……。
誰にも、そそそ、そう、誰にも、止められっこ、ないんだな。ヒッ、ヒヒヒッ」
「なら、その女神とやらもとっ捕まえてやるだけだ。
……おい、連れていけ!」
他の隊員の元まで彼を蹴り飛ばし、剛毅は苦い顔を浮かべる。
「女神、か……。
単なる狂人の戯言か、それともあいつらの黒幕なのか、分かったもんじゃねぇな」
だが、もしも、彼らの異常性がその女神とやらの仕業だというのならば、一筋縄ではいかない事は確かである。
仲間意識の強い連中の事を思い、他の構成員からの襲撃を警戒するつもりはあったが、もう一段階、警戒を強めるべきだと剛毅は考えを改めるのだった。
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「は? 高天原に?」
上官の言葉に、剛毅は素っ頓狂な声を上げる。
「ああ、そうだ。
連中の異常性はお前も良く知っているだろう?
故に、何か秘密があるのではないかと、徹底的に調べる事になったのだ。
特に、魔力発生器官の治癒については興味深い。
もしも、その秘密が解き明かされれば、魔術史に名を刻む大発見だしな。
あそこの研究者どもも大層奮起しているようだぞ」
「理屈は分かりますが、危険なのでは?
他の構成員の襲撃の可能性もありますし、更なる黒幕の可能性も捨てきれません。
高天原は帝国の叡智の総本山です。
もしも攻撃を受けるような事になれば、その損害は計り知れません」
「その可能性は考慮された。
だが、現在の高天原にはかの《六天魔軍》の一人がいるだろう?
陛下にも確認を取ったが、いざという時には命令を下していただけるとの返事を戴けた。
常に《六天魔軍》が守護についているのだ。
帝国内では、皇居に次いで安全な場所だ、と上層部は判断したのだ」
「《黒龍》殿ですか。
確かに、彼女ならどうとでもなると期待するのも分かります」
まだ初等部だった時代から知っている。
あの頃は、確かにSランクとしての強さはあったが、それでも自分たちの延長線上にあり、策さえ練れば戦えるという印象だった。
それが変化したのは、初等部高学年の頃からだ。
それまでは純粋魔術師、遠距離から魔術を放つだけのスタイルだったのが、自分と同じように近接戦を交えるスタイルになった。
まるで最初からそうだったように、凄まじい速度で成長していく彼女に戦慄を覚えた感覚を今も思い出せる。
極めつけは、彼女の髪色が変わりだしてからだ。
元は姉と同じように鮮やかな金髪だったのが、今の様なかつてのアジア人の様な純黒に染まり始め、同時に彼女の雷が黒色に変化した。
その頃からだ。
絶対に勝てない、と確信したのは。
直後には《六天魔軍》に任命され、自身の直感が間違いではないと思ったものだ。
その彼女が防衛任務に就くというのなら、万が一も起きないだろう。
「承知しました。
《嘆きの道化師》構成員三名、高天原へ移送します」
「うむ。頼んだぞ」
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「…………ヒヒッ」
魔力絶縁牢の中で、薄い笑みを浮かべる《悲嘆》。
手足の腱を斬られ、魔力発生器官を破壊され、その上で鉄鎖にきつく繋がれ、更にはこの最上級の魔力絶縁牢、内部の魔力を問答無用に分解し、Sランクの魔力を以てしても魔術を発動できない空間に閉じ込められている。
とてもではないが、脱出不可能な場に捕らえられて猶、彼は楽観的な笑みを絶やさない。
それは助けが来ると理解しているが故に。
それはこの痛みが後の復讐の糧となると期待しているが故に。
どれだけ経っただろうか。
やがて何処かへと移送され始めた頃、魔力絶縁牢の中に魔力が満ちるという有り得ない事態が起こる。
「おやおや、《悲嘆》よ。
随分と酷いやられようじゃの」
目の前の空間が歪み、裂けて、姿を現したのは、一人の女性。
年齢は、二十代中盤ほどだろうか。
足元まで届く長髪は、絶えず変化し、まるでオーロラの様である。
女性らしい凹凸に富んだ肢体をしており、それを純白のワンピースに包み、その上に輝く羽衣を纏っている。
金と銀の瞳は蠱惑的で、見るだけで虜にされてしまいそうな魅力を放っている。
「め、女神様。来て、来てくれたんだな!」
女神と呼ばれた彼女こそ、《嘆きの道化師》を裏で支援していた黒幕である。
「うむ。当然じゃ。おぬしらは、我の子も同然じゃからの」
嫣然と微笑む女性。
成程。確かに神々しくあり、女神と呼ばれるのも納得の美貌である。
彼女の応えに、《悲嘆》は感動するように涙を浮かべる。
あの地獄から助けてくれた時から、そうだ。
彼女はいつも苦しい時に助けてくれる。
いつも必要な物を用意してくれる。
自分たちの救世主だ。
「た、助けてほしいんだな、女神様!
そそそして、そして、あいつを、ぼくを踏みつけたあいつを、ころ、殺させてほしいんだな!」
「うむうむ。理解しておるぞ、おぬしの叫び。
さぞ辛かろう。さぞ悔しかろう」
優しい手つきで、《悲嘆》の頬を撫でる女性。
興奮する彼を落ち着かせながら、だが、と彼女は続ける。
「それは、もう少し待ってくれ」
「な、なな、何で、何でなんだな!
ここ、こんな場所、昔を、昔を思い出すんだな!
すぐに助けてほしいんだな!」
「その気持ちは分かるぞ。
しかし、ただ抜け出して殺しても、恨みは晴れぬぞ。
復讐は、相手が心から後悔する事をしてこそ、じゃ」
女性は言う。
「今、おぬしらは高天原へと移送されておる。
かの地は、この国の魔術の叡智が詰まった場所じゃ。
そんな地を壊してやれば、さぞや連中も悔しがろう。
おぬしらに手を出した事を後悔しよう。
そうは思わぬかえ?」
彼女の提案に、《悲嘆》は飛びつく。
「お、思う! 思うんだな!」
「では、今暫し、我慢の時じゃ。
我慢した分だけ、それを解放した快感は増すという物じゃぞ」
「が、我慢する!
辛いけど、ぼく、がが、我慢するんだな!」
「うむ。良い気迫じゃ。
とはいえ、あまり無理をさせるつもりはないのでな。
これは先に施しておこうぞ」
女性の指先に燐光が集まり、《悲嘆》の身体へと放たれる。
燐光は彼の全身へと満遍なく吸収され、跡形もなく消え失せる。
それは力の種。
発芽させれば、たちまちの内に全ての傷を、魔力発生器官の損傷を含めて治癒させてしまう、人智を超えた奇跡の魔術だ。
「これで、おぬしの意思次第でいつでも抜け出せよう。
いよいよ我慢できなくなれば、いつでも逃げるのじゃぞ」
優し気に言う女性。《悲嘆》は彼女の思いやりに心を打たれる。
「あ、ありがとう、なんだな。嬉しいんだな!」
「うむ。では、この場はこれで去るとしようぞ。
幾ら無能どもとはいえ、長居していては気付かれてしまうのでな。
おぬしの武運を祈っておるぞ」
そう言って、女性は再度空間を裂いて、この場から消える。
直後、見回りの兵が牢の前を通る。
「ヒヒッ……」
彼が見たのは、相変わらず気持ちの悪い笑みを浮かべる《悲嘆》の姿だけだった。
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地球であって、地球から僅かにずれた異界にて、女神と呼ばれた女性は酷薄とした笑みを浮かべる。
「……連中もそろそろ限界じゃの」
舞い踊るように、くるりくるりとステップを踏みながら、誰もいない世界で語る。
「幾度も損壊と修理を繰り返し、寿命が近付いておる。
そろそろ捨て時じゃの」
空を見上げる。
そこにあるのは、異界であるが故に濁った空であり、太陽も月も星もない。
「そうよの。貴重な資源じゃ。
どうせ使い潰すなら、盛大に使い潰すのも一興という物かの」
邪悪な笑みを浮かべる女性。
「魔術が広まって二百年。
そろそろ次なるステージに進んでも良い頃合いじゃ。
ふははっ、地球人どもの驚く顔が目に浮かぶわ。
ふは、ふはははっ!」
彼女の哄笑は、どこまでも広がっていった。
捕まったのは、《悲嘆》《虚栄》《淫蕩》の三人です。どうでもいい話なので、後書きで補足を。
元ネタは、皆大好き大罪です。七つじゃなくて八つの方ですけど。
だって、魔力属性が八属性あるんだから仕方ないのです!




