駆け抜けた先
高速で景色が流れていく。
単調で何もない荒野であるが故に、あまり実感は湧かないが、それでもその速度はかなりの領域に達する。
移動手段を考慮すれば、異常とも言えた。
かれこれまる一日以上は、走り続けている。
「ハッ……ハッ……」
吐き出す息に、熱がある。
当然だ。
時速100㎞以上を維持しながら、長時間も自らの足で走り続けていれば、たとえ魔力などで強化していたとしても、発熱の一つもするだろう。
とはいえ、余裕はある。
呼吸に苦しさはないし、足を主とした全身の筋肉にも、負担は感じない。
ちょっとばかり真面目に努力したおかげだ。
ちゃんと頑張った成果が出ている事に満足感を覚える一方で、面白くないと思う自分も片隅にいる。
(……お兄がいないせいで。
また変な事、考えてる)
美影は、走る事を続けながら、浮かんできた不快な思考に眉を顰めていた。
彼女は天才だ。自他共に認める。
新人類と言っても過言ではない雷裂の中にあってさえ、彼女を超える才覚は存在していない。
努力しても、頑張っても、必死になっても。
いつでもそれ以上の成果が出る。出てしまう。出せてしまう。
スタミナを鍛えようかと思ったのは、最初の異界門発生の後。
当時は、半日以上にも及ぶ長時間戦闘を想定していなかった。
地球上にいる全生命体を対象としてシミュレートしても、勝つにせよ負けるにせよ、非常に短期間で決着が付けられると考えていた。
だが、終わりなき人海戦術の前に、彼女はスタミナ切れを起こしていた。
なんとなく、危機感を抱いてみた。
あの時は間違えたが、そういう戦場なのだと分かっていれば、そのままでもやりようはある。
程好く隙間を作って休憩を挟んでいれば、この雷裂の肉体は短時間で調子を整える事ができる。
でも、敬愛する義兄と並び立つ為には、解決できる弱点は消しておくべきなのではないか、とそんな事を考えた。
だから、美影はほんのりとスタミナ訓練をしてきた。
気分的には、片手間だ。
スポーツ選手や軍人など、肉体が資本の彼らが聞けば、一人残らず激怒してしまうだろう程にテキトーな鍛錬を積み始めた。
それから、僅か二ヵ月ほど。
彼女は、飲まず食わず休まず、まる一日以上運動し続けても、疲労をまるで感じない驚異の体力を手に入れていた。
これが、雷裂というもの。
凶血とまで呼ばれた、人類の化け物の能力だ。
美影は、その中でも突出しているが、他の血族も似たようなものである。
皆が頑張っているのに、自分たちも頑張っているのに、それ以上が手に入ってしまう理不尽な性能である。
つまらない。
競い合える誰かがいない、という世界はあまりにも退屈であった。
克己心だけが支えである雷裂にはあるまじき事に、そんな気持ちを抱いていた。
だから、過去の美影は腐っていて、齢十の頃までは自分しか見ていない美雲の方が雷裂の後継として相応しいとされていたのだが。
刹那と出会い、どれだけ努力しても、どれだけ頑張っても、猶も突き放される怪物を前にして、ようやく克己の精神に目覚めた美影は、能力・精神共に相応しいと雷裂の後継として正式に認められる。
本人にとってはどうでもいい事だが。
だが、今、刹那がいなくなってしまった。
ようやく手に入れた、目指すべき目標を見失ってしまった。
果てしなき道の先が途端に見えなくなってしまった。
色の無い世界へと、逆戻りしてしまった。
退屈だと感じてしまう自分が、あまりにも情けない。
義兄がいない世界を壊し、彼を取り戻そうという大仕事の真っ最中だというのに、欠伸が出そうになる。
だって、もう見え始めているから。
敵の正体が、美影にはぼんやりと見え始めていた。
これは、彼女が優れているから、ではなく、単に変化の前と後を知っているからこその結論だが、きっと間違っていないだろう。
あとは、炙り出して、引きずり出してしまえば、殴り倒せる。
そんな風に、思えてしまう。
どうしようもない、なんて事を考えられない。
義兄のように、わくわくさせてくれそうな気配をまるで感じない。
倒せる敵を、当たり前のように倒すだけだと、そう思ってしまう。
「……二番煎じなんだよ」
「何がかえ?」
呟けば、身体に羽衣を巻き付けて、風にたなびいている猫が言葉を返してきた。
「今、相手にしている敵が」
「なんと。もう姿が見えているのかの?」
「分かり切った事じゃない?
お兄をどうにか出来るとすれば、〝アンタ〟たち以外にいないじゃん」
「分かり易い結論よのぅ。
もっと別の……なんか驚くべき未知の敵とか、そんな意外性はないのかの?」
「ふん。あったら僕も前言撤回して、大地に向かって土下座してやるよ」
本当に予想が外れていれば、五体投地で天地に土下座してやる。
美影は本気で敵の正体を確信していた。
「……それで? 見つける方法はあるのかの?」
自分と同じ、と言われれば、ノエリアにだっておおよそ見当は付く。
だが、そうであるが故に、難敵だと言わざるを得ない部分もある。
なにせ、自分も含めてだが、こいつらは兎に角手が長い。
宇宙規模で手足を普通に届かせてしまう。
そうであるが故に、目に見える位置に、常人が殴り飛ばせる位置にいない。
まるで神の如き存在なのだ。
自分の事ながら。
美影は、確かに強い。
それは、暴走状態だったとはいえ、自分に競り勝った事から確かに認める所である。
だが、あくまでも人間の延長線上の強さだ。
何処にもいない誰かを、問答無用で捻り潰せる神殺しの強さではない。
(……神を殺せるのは、神だけなのじゃが)
ノエリアが十全に能力を発揮できれば、この敵を容赦なく引きずり出してやる事も出来たが、そうではない以上、相手は見えない位置から見えざる攻撃を仕掛けてくるだけで全てが済んでしまう。
人間の強さを発揮できる相手じゃない。
「そんなの簡単だよ」
そう考えていたのに、美影はあっさりとそんな事を言った。
「この敵は馬鹿だ。
人間を舐め切ってる。
自分の思い通りに動く、自分が導いてやらねばならない、弱き愚者としか思ってない」
「……我も大体似たようなもんじゃが」
「思ってないだろ」
茶化すようにノエリアが言えば、彼女は即答で否定を返した。
「本当にそう思ってるんだったら、いつまでもそうやってないだろ」
「…………さてのぅ」
飼い猫などになり、人に世話をされ、人に踏みつけられつつ、人の中で生きているノエリア。
本当に人間を愚者として見下しているのならば、とうにプライドが自らの境遇を許していない筈だ。
そして、彼女がその気になれば、自己申告している以上の事は容易に出来る筈である。
なにせ、今のノエリアには彼女を信仰する、彼女に力を与えてくれる民たちがいるのだ。
火星という遠く離れた地にいるとしても、彼女たちの繋がりが切れている訳ではない。
ノエリアがその気になれば、あちらと合流する事も、力を共有する事も、何だって出来る。
それでも、そうしないという事は、己の現状に満足しているから。
多少なりとも、地球人類を引っ掻き回した事に対して贖罪の気持ちがあるから、飼い慣らされている現在を見せて、反省の意を示しているだけの事である。
愚者と見下しきった相手に、そんな事は出来ないだろう。
「人間を舐め切ってるから、挑発すれば爆発する。
飼い犬がいつまでも吠え立てて、あまつさえ噛み付いてやれば、簡単に釣り上げられてくる。
躾のつもりでね」
「釣り上げるのは、小魚ではなく竜やもしれぬぞ」
「竜くらい、僕は倒せるけど?」
「そういう例えではないのじゃがなぁ」
「分かってるから。冗談だよ」
呆れた様なノエリアに、美影は苦笑で返した。
「人智を超えた本物の化け物が出てくるかもしれない。
でも、何でだろうね。
負ける気がしないんだ、全然」
「仮にも我を倒したんじゃから、大概の相手は怖い者無しじゃろ」
「お兄にはやっぱり勝てないんだけど?」
「あれはのー……不思議な生き物じゃからなぁー」
傷が完治した後、同格の存在を倒したのだからもしかしたら勝てるようになっているのでは、などと考えて刹那に挑んだ美影であるが、順当に負けた。
遊ばれるように負けて、なんかおかしくないかな、と今更のように思ったものである。
「あやつ、我よりも弱い筈なんじゃがなぁ。
ちなみに、どうやって負けたのかの?」
「超強力瞬間接着剤ぶっかけられて、海に捨てられた」
「…………汝、脱出できなかったのかえ?」
あまりにも情けない負け方に、ノエリアは曰く言い難い表情を作って問い返していた。
「めっちゃ硬いんだよ、あれ。
電熱で焼き切ろうとしたけど、なんか耐えられちゃうし。
意味分かんないんだけど。
あれを作ろうとした意図も理解できないし」
刹那との戦いは、大抵がそうだ。
特に理由なく、思いついたから作ってみた、という何かを使用されて、結果として負けてしまう。
〝守護者〟としては、あまりにも歪な精神性をしており、そうであるが故に単純に強いだけではない怪物。
「しかし、そうだからこそ、必要とも言えるの。
強いだけで難事を乗り越えられるのなら、我はこうしておらぬ」
「うん。
だから、取り戻さないとね。
僕の楽しい人生の為にも」
荒野が途切れ、文明の香りがする建造物が見え始めていた。
ようやくサラ・レディングのいる研究施設に辿り着いたのだ。
彼女の居所は、大量にダミーをちりばめた極秘事項であるが、美影はピンポイントで向かう事ができていた。
(……お兄と友達で良かった)
刹那の残したデータベースの中に、当たり前のように住所が残っていたからである。
そうでなければ、候補地を虱潰しに巡る事になっていただろう。
時間節約になった事を、義兄に感謝しつつ、彼女は中心部にある施設へと向かって行った。
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僅かな反応が返ってくる。
「ふぅむ。ようやくの御到着なのだよ」
大気中にばら撒いたナノマシン。
埃と大差がなく、自分自身とも言えるそれらによって、サラは周辺一帯への走査網を造り上げていた。
自身の身体にもなる高性能ナノマシンは、製造コストが非常に高い。
この様な無駄遣いは中々できる事ではないが、最速の魔王を捉える為であれば出し惜しみなど愚の骨頂という物だろう。
そのおかげで、敷地内に高速で侵入してくる影をはっきりと捉える事ができた。
「クックックッ、何の用か知らないけど、友の妹なのだよ。
盛大に歓迎してあげるのだよ」
直接の面識はない。
お互いに、人伝の噂程度の事しか知らない。
サラの価値基準であれば、本来は相手にする価値無しと断じて、さっさと身を晦ませている相手だ。
それでも、サラは興味を持った。
会って話すに値すると評価した。
何故ならば、彼女は自分が認めた盟友の、自慢の妹君だから。
それだけで充分であった。
宣言通り、今年の更新はこれで最後の予定です。
一年、お付き合いくださり、本当にありがとうございました。
また来年も、よろしければお付き合いください。
ちょっと早いですが。
良いお年を。