血の発露
スーパー短い。
ずきり、ズキリ、と、痛みが苛む。
頭が、割れるように、潰されるように、裂けるように、刺すように、、溶けるように、燃えるように、様々な痛みでもって責め立てる。
「っ……」
普段は微笑みという無表情で覆い隠している仮面も、あまりの激痛に剥がれ落ちている。
美雲は、歯を食い縛りながら、その痛みを受け止めて、我慢していた。
原因は、分かっている。
おそらく、ではあるが。
彼女は、おおよその調査が終わり、返還された新型のマジノラインの中を、一人で歩いていた。
おかしくなってしまった美影からプレゼントされたそれは、何らかの悪意ある仕掛けが施されているのではないか、という疑いがかけられて、微に入り細を穿つほど念入りな調査が行われていた。
結果は、何も無し。
勿論、特急作業であったが故の見落としている可能性も充分に考えられるが、それでも分かり易いような仕掛けは何もなかった。
故に、所有者である雷裂家に返還され、美雲の手に戻ってきていた。
彼女は、全展開しているマジノラインの中を、硬い足音を響かせながら歩き回る。
操作室だけではない。
動力室や貨物部、脚部や各種砲門、果ては各部を繋ぐ配線など、あちこちを見て回っていた。
最初は、自分も確認しようというだけの事だった。
あるいは、姉妹である自分だけにしか分からない様なメッセージが、何処かに仕込まれているのではないかと、その程度のつもりで見ていた。
だが、そうしている内に、どんどんと目的が変わってきた。
心の内に広がる違和感が、否定しても否定してもいつまでも拭い切れないのだ。
そして、その違和感が大きさを増していくごとに、頭痛が酷くなっていく。
最初は気のせいかと思う小さな痛みであったのが、今では頭を抱えてのたうち回りたいほどだ。
頭が今も爆発していないのが、不思議に思える激痛が脳味噌に絶え間なく響いている。
もう誤魔化せない。
ここまでになっておいて、目を逸らす事は出来ない。
何かをされているのは、自分の方である。
美雲は、それを確信していた。
証拠は、この痛みだけではない。
マジノラインに残されている、違和感がその証拠だ。
物を作る、という事をした場合、そこには作成者の思想が反映される。
大なり小なり、それは確実だ。
それは、複雑な芸術品に限った話ではない。
単なる家庭料理一つとっても、それは分かる。
作成者は、どんな味付けが好みなのか。
焼き加減は。
凝った技術を使いたがるのか。
簡素に済ませたがるのか。
そうした嗜好が出てこない筈がない。
美雲は、マジノラインという巨大な作品を鑑定して、そこに残された作成者の痕跡を見つけて、その結果、これが彼女の作品ではないという結論にしか至らなかった。
無論、美影が手を加えている部分もある。
他にも、もう一人か二人ほど、関わっていると思しき痕跡も見つけている。
それは、おそらくは永久とノエリアが正体だろう。
だが、根本的な部分において、主軸となる部分は、そのどれとも一致していない。
思想が、嗜好が、その三人のどれとも一致しない。
思い当たる誰でもない、見ず知らずの第三者の存在。
それが、きっと全ての鍵である。
問題は、それを解き明かす手段がない事だ。
おそらく、美影も分からないのだろう。
分かっていれば、一切の躊躇なくそれを実行していた筈である。
それをしていない時点で、現状では彼女にも解決の手段がないという事を示している。
「あぁー、もう! 鬱陶しい!」
殴りつける様な頭痛に、堪らず苛立ちを吐き出した。
理解力の足りない馬鹿に物を分からせるように、一際、頭痛が強くなった気もするが、ここまで来るともう大して変わらない。
「……ふぅ。私らしくないわね」
吐息して、荒れている気持ちを落ち着ける。
どうにも、この所、自分のペースという物が乱されている気がした。
それもこれも、自分の中にある妹のイメージから美影が大いに逸脱している所為だし、ひいてはこの事態を招いた正体不明な黒幕が悪い。
「見つけたら、ぶち殺してあげないと」
美雲は、剣呑な瞳で呟く。
世界で最も自分が可愛い美雲。
そして、それに次いで天才の妹は、大変に可愛い存在だ。
そんな彼女にとって、自分を勝手に弄り回す行為は万死に値するし、妹に罪過を背負わせた事は死を以てしても償いきれない大罪だ。
どんな手段を用いてでも、この世から一片残さず消滅させねばならない邪知暴虐の化身と言っても過言ではない。
「ふふっ……」
自らの心に灯った決意に、美雲は小さく笑みを浮かべた。
美雲は、基本的に他人に迷惑をかけず、ごく普通に優等生としての人生を歩んできた。
それは、あまりにも雷裂らしくない生き方だった。
妹も、父も、そして嫁入りであり本来は雷裂の血など一滴も継いでいない筈の母も、誰も彼もが、自らの思う所を好き勝手に行ってきている。
無駄に有り余っている財力や権力、そして才覚を駆使して、世界に大きく貢献し、それと同じくらいに多大な迷惑を振りかけている。
そんな中で、美雲は彼らに反するように、とても良い子だった。
内面はともかくとして、誰にも迷惑をかける様な事をせず、良い意味で雷裂らしくないと言われる子供だった。
だが、そんな彼女に、他者を一切気に掛けずに行動しよう、という決意が生まれた。
その事が、面白くて仕方ない。
(……ああ、やっぱり私も雷裂だったのね)
今までは、特に琴線に触れる事がなかったから、良い子でいられただけだったのだ。
いざ、彼女の心を引っ掛けてしまえば、やはりというか、あっさりと全ての軛から解き放たれてしまう。
「良いわ。
うん、美影ちゃんたちがはまるのも、よく分かるわ」
何も気にしなくて良い、あらゆる障害を叩き潰してしまえば良い。
そんなあまりにも文明人からかけ離れた価値観が湧き上がるにつれて、美雲の心はどんどんと軽くなっていく。
それが、とても心地良い。
家族がはまってしまうのも、今ならば理解できる。
これは心の毒だ。
「ええ、そうね。そうしましょう。
害虫に、〝神裂〟の血を思い知らせてあげましょう」
とても美しく、同時に寒気を覚える、凄絶な笑みを見せて美雲が呟いた。
その時、携帯端末から呼び出し音が鳴り響く。
「はい、雷裂美雲です。
……はい、はい。分かりました。
ご連絡、有難う御座います。
至急、対処に向かいます」
短くやり取りを終わらせ、彼女は懐に端末に仕舞った。
それは、美影がアメリカ合衆国に上陸したという連絡であった。
美雲には、帝経由でもたらされたそれを、無視するという選択肢はない。
「害虫の正体は見えないまま……。
じゃあ、今はちょっと姉妹喧嘩で場を温めておきましょうか」
他に出来る事も見当たらないし、という適当な思考で、美雲はあっさりと物騒な行動を決めてしまった。
思えば、美影とは喧嘩らしい喧嘩をした覚えがない。
まぁ、美雲が妹に勝てるとそもそも思ってもいなかった事もそうだが、美影は姉の事が大好きなのだ。
だから、彼女なりに気を遣うし、仲も良好だった。
お互いに、お互いを尊重し、怒らせるような何かをしてこなかったのだ。
故に、姉妹の間で喧嘩が発生する余地がなかった。
だが、今、その初めての喧嘩が発生しようとしている。
害虫の手が加わった汚らわしいモノだという事は、大変に不満である。
それでも、初めて勃発するであろう姉妹喧嘩に、不謹慎ではあるが、美雲は期待と興奮を覚えずにはいられなかった。
「うふ、うふふ♪
美影ちゃん、貴女は楽しんでくれるかしら?」
幼かった頃とは違い、今は色々と手札がある。
やはり勝てるとは全く思えないが、それでも全く勝負にならない、とまでは思わない。
きっと楽しい喧嘩になると、美雲は笑みを深くした。
心の片隅で、やっぱり自分のキャラではない、という冷静な声が聞こえた気がしたが、高揚感に身を任せた彼女は無視を決め込むのだった。
もう年末ですね。
多分、次回、日曜日の更新で今年の更新は最後になると思います。
それ以降、実は年越しまで休日がないというブラック具合なので、悪しからず。