頭痛の種
ちと短め。
鳴り響く電子音に、その部屋の主は渋面を隠そうともしない。
その音の正体は、大統領とゾディアックを直通で繋ぐ回線の呼び出し音だ。
ついさっき鳴ったばかりのそれが、再度の呼び出しを行う時点で、厄介事が舞い込んできたという事は予想に難くない。
予想できない方がどうかしている。
「……チッ」
無視したくなる本音を押し殺し、スティーヴン大統領は回線を開いた。
「何だ、誰だ、おい!
下らねぇ事だったら減給してやるぞ、おい!」
『俺だ俺、《牡牛座》のランディ・オズボーンだぜ』
「ああ? テメェ、何の用だ。
人が働いてる時に休暇なんぞ申請してくるアホが、殊勝にも給料を返上しようって相談か?
なぁおい」
『休暇は労働者の権利だろ?
ちゃんと給料分の戦災復興は手伝ってるぜ』
恥じる事はない、というランディの言葉に、スティーヴン大統領は眉間に皴を寄せていた。
完全に正論だから嫌なのだ。
ランディは、しっかりと指示通りに働いている。その上で、与えられている権利の範囲内で、きちんと手順を踏んで休暇を取得しているのだ。
だが、そんな正論など聞きたくないのが人情である。
この国難に、最高権限者である大統領がゆっくりと休暇を取れる筈もなく、先日の戦争以来、スティーヴン大統領はずっと働き詰めなのだ。
優雅にバカンスを満喫している輩を、呪いたくなるもなるだろう。
「で? 本当に何の用だよ、おい。
バカンス自慢だったら、テメェの家を爆撃してやるぜ?
なぁ、おい」
『違ぇって。
実はよ、ボス。
さっき、ビーチで女と寝ていたらよ』
「その時点で大罪だぞ、おい」
『最後まで聞こうぜ?
そしたら、ビーチに極東の雷帝が上がってきたんだ』
「…………。…………?」
もたらされた報告に、スティーヴン大統領は暫し思考が停止した。
脳が空転し、意味のある思考が紡げずに首を傾げてしまう。
「すまん。聞き間違えた気がする。
もう一度、言ってくれるか?」
『極東の雷帝、ミカゲ・カンザキが北米大陸に上陸したんだよ』
「何でだよッ!?」
『まぁ、そう思うよなー。
俺もそう思ったぜ、HAHAHA!』
「笑い事じゃねぇんだけど?
そんで? しっかりと捕縛したんだろうな、おい」
『俺に死ねって言うのかよ。
酷いボスもいたもんだぜ』
「してねぇのか、こら。
怠慢だぞ、おい」
確かに、国防の要として雇われて給料を貰っているのだから、国家の脅威となり得る因子を見逃したとなれば、怠慢の誹りは免れないだろう。
とはいえ、スティーヴン大統領としては、ランディの意見も理解できる。
美影は魔王の中でも相当に特殊で異常だ。
単純な火力やら耐久力では、彼女を超える魔王も多くいるが、速度という一点においては他の如何なる魔王の追随も許さない。
インド王国の女魔王が、辛うじて身を守る事くらいは出来る、というレベルだ。
目視範囲内に入った時点で、奇襲を決められたに等しい化け物なのである。
これが、普段の状態ならば、あるいは特に危険視はしなかっただろう。
日常の彼女は、意外なほどに理性的だ。
じゃれ合いの範疇、冗談で済む程度にしか行動しない。
比較的だが。
油断すると痛い目を見るが。
だが、今は駄目だ。
完全にタガが外れている。
その証拠に、現在、管理されているべき瑞穂統一国から離れ、単独で行動している。
国家としては、国力を高める為に取り込むべき、なんて判断もあるかもしれないが、あんな爆弾の様な娘を受け入れたくない、というのが面識のあるスティーヴン大統領の正直な意見である。
導火線に火が付いている現状ならば、特に、だ。
『馬鹿言っちゃいけねぇぜ。
俺はちゃんと働いたぜ?
ヘイお嬢さん! 密入国は見逃せねぇぜ!
ってな具合に入国管理官の真似事をしたもんさ』
「で? 結果は?」
『良いの一発貰って速攻ダウンだぜ』
「使えねぇ。
……まぁ、そんな雑魚のお前は減給するとして、だ。
本当に何をしに来たんだ、あの小娘は」
『そいつに関しては、ちゃんと聞き取り調査してあるぜ』
「……お前は使えるんだか使えないんだか、よく分かんねぇよなぁ、おい」
ダウン喰らっている筈なのに、ファインプレーである。
相手が相手だから除籍とかの話にはしないし、他のゾディアックの面々も納得するだろうが、情けないような誇らしいような、微妙な気分とならざるを得ない。
『そう褒めるなって。
……あの嬢ちゃん、なんでも《蛇遣い座》に会いに来たらしいぜ?』
「あん? レディングに?」
ゾディアックの番外として登録されている、狂人と天才の狭間、あるいは両方を併せ持つ女性の名が出てきて、スティーヴン大統領は困惑の念を覚えた。
一応、彼女はアメリカの秘なのだ。
《蛇遣い座》という名称こそ、予算割り当ての中に存在しており周知されているが、彼女がそうである、という事までは公開していない。
なにせ、本人は基本的には無力な弱者なのだ。
下手に狙われて襲われでもすれば、そこらの低レベルな殺し屋でも目標を達成できるだろう。
妙な発明品がそこら辺に転がっているので、意外と撃退できそうな気もするが。
故に、サラの名は秘してある。
無論、知っている者は知っているだろうが。
そんな彼女に、美影が目を付けた理由が分からない。
確かに、美影は正体を知れる位置にはいるが、これまでにサラとの接触は一切なかった筈である。
それが突然、興味を持つなど不可思議に過ぎる。
「何の為に接触しようとしてんだ?」
『さぁ?』
「そこが重要だろうが、テメェ!」
他人事のように放り投げる部下に、スティーヴン大統領は声を荒らげずにはいられない。
なんだか脳の血管が切れているのでは、という気分になるくらいに頭が痛くなってきた彼である。
『まぁまぁ、落ち着けって、ボス。
怒りは健康に悪いぜ?』
「テメェが言ってんじゃねぇぞ、おい」
『まぁ、詳しい目的は分からんが、取り敢えず追跡できるように発信機と盗聴器くらいは付けておいたぜ』
「おまっ……。
本当に何なんだよ、お前はよぉ!
醜態晒すか、手柄立てるか、どっちかにしろよ!」
またもや、醜態からのファインプレーである。
功罪をゼロで釣り合わせないと気が済まないのか、と疑いたくなるほどだ。
「今、何処にいるんだ? つーか、バレてねぇのか?」
美影の勘の良さなら、即座に発見されていそうなものである。
そうではないのか、という彼の問いに、ランディはそれ以前のもっと単純な現実を語ってくれた。
『安心しろ、ボス!
嬢ちゃんが走り出したら、余波で速攻壊れたぜ!』
「駄目じゃねぇか!」
『だが、そこまでにちょっとだけ猶予があったからな。
偵察衛星からの望遠カメラでロックさせる事が出来たぜ。
今は、州間道路を爆走中だな』
「……お前は、ほんっとによぉ」
その報告の直後、別の端末に通信が入る。
どうやらランディから接続コードが送られてきたらしい。
衛星への接続を開けば、撮影されているリアルタイム映像が映し出された。
ほぼ何もない荒野に一本だけ通った簡素な道路。
そこを、一人の少女が、高速で駆け抜けていく馬鹿馬鹿しい映像だ。
「……これ、早回しにしてあるんだよな?」
分かっているのに、わざとらしくスティーヴン大統領は言う。
『そんな訳ねぇだろ、ボス。
リアルタイムだぜ?
現在時速は、平均して130㎞前後って所か』
「……あー、魔力は使ってないんだよな」
『微量程度には、使用しているようだが?』
「つまり、一般人レベルに抑えて、か」
溜息を吐き出す。
つまり、自動車の全速力級の速度を、美影は生身で叩き出しているという事だ。
加えて言えば、超長距離を移動する為に負荷を抑えての走り、短距離走の様な全速力ではないという事実もある。
(……どんな運動能力だよ)
もう完全に人間ではないな、と再確認できたスティーヴン大統領は、椅子の背もたれに体重を預け、遠い目をした。
再度、大きく溜息を吐き出した彼は、頭を振って意識を切り替える。
「取り敢えず、そのまま監視は続行してくれや。
何か変化があれば、即座に報告してくれ。
他のゾディアック連中にも連絡は、こっちで入れておく」
『了解だぜ、ボス』
指示を出せば、一応、休日返上という事になるというのに、快活な応答が返ってきた。
あんな気楽な様子だったが、ランディはランディなりに状況に危機感と責任感を持ってくれていたのだろう。
変なサメの処理も終わっていないというのに、更なる問題が積み重なった事に、暫し彼はデスクに突っ伏して頭を抱えていた。
だが、それも数秒の事。
すぐに復帰した彼は、直近に必要な対応を考える。
「……取り敢えず、瑞穂に文句付けておくか」
盛大に迷惑をかけられているのだ。
せめて親元から何らかの譲歩と賠償をもぎ取っておかねば、割りが合わないにも程がある。
そう思った彼は、外交用の通信回線に手を伸ばすのだった。
この4章を書き始めた当初、そんなに長くならずにさらっと終わるかもなー、と考えておりました。
ふと見れば、文庫本サイズにして200ページに達する量になっております。
あれ? おかしいな。