宵闇の助け
星を揺るがす閃光の一撃が膨張する。
真昼の太陽よりも眩しい光は、大地を飲み込まんと何処までも広がっていく。
しかし。
宵闇の黒が発生する。
光球を下から支えるように、漆黒の天幕がじわりと広がり、閃光を浸食していく。
『ククッ、その様な脆弱な力で、よくもあれらと戦えた物だ。
誉めてやろうぞ』
押し潰すように、光球を包み込んだ宵闇は小さく萎み、一瞬の後には手の中に収まるほどの大きさになってしまう。
彼女の右腕に吊り下げられた俊哉は、その手の主を見て首を傾げた。
「え、ええと、どちら様で……?」
首根っこを掴まれながら、俊哉は突如現れたその女性に誰何の問いを投げる。
外見年齢は、二十代半ばほどの若さと成熟さの均衡の取れた年齢だろうか。
男の劣情を誘う豊満な肢体をしており、それを優美な漆黒のドレスに包み込んでいる。
髪の色は黒、透き通った夜空の様な美しい黒色をしており、真っ直ぐに足元まで届くほどの長さのそれを、豪華な飾りでポニーテールに結っている。
肌は髪の色と正反対の真白であり、瞳は吸い込まれてしまいそうな程に美しい純黒をしている。
そして、彼女は頭上に浮かぶ竜騎士と同じように、背に光翼を背負っていた。
鋭い刃のように研ぎ澄まされた、八枚の黒い光翼。
頭の上には、複雑な文様を描く天輪を戴いており、頭と天輪の間には、とても小さな人型が鎮座していた。
『――――』
「うむうむ。
まぁ、守護星霊という物は気難しい物であるからな。
報酬を用意せよというのならば、従うより他にあるまいて」
小人が女性の髪を引っ張りながら、俊哉の耳には聞き取れない何かを言えば、女性はそれに深く頷く。
『GYYYYYYOOOOOOOOO……!』
頭上の黒竜が吠える。
威圧を込めた、苛立ちの咆哮。
強さ無き者では、覚悟無き者では、とても前に立っていられない頂点に座する者の敵意と害意を顕わにした大音に、しかし女性は眉を顰めるだけだ。
「五月蠅いぞ、蜥蜴風情が」
恐れを抱く事なく、彼女は左手を掲げる。
その手の中には、圧縮した光球の成れの果てがあった。
「少し……黙っていろ」
押し込めていた宵闇に亀裂が入る。
僅かな隙間が空けば、内包されていた威力がそこへと殺到する。
閃光。
細く収束された閃光は、竜騎士と黒竜を貫き、更に勢いを増して飲み込むと空の彼方へと消える。
その先に、青空はなかった。
まるで、と言うまでもなく、宇宙そのものが見えていた。
「しまった。空に穴を開けてしまったな。
まぁ良い」
『――――!』
少しも悪いと思っていない口調で呟く女性の上では、小人が威勢よく勝どきらしきものを上げている。
明らかに虎の威を借る狐状態だと、俊哉は見ていて思った。
目の前の脅威を排除したからか、ようやく女性が視線を手にぶら下げている彼へと向ける。
「さて、吾が何者か……であったな、禿猿」
「はげざる……」
毛のない猿と言えば、人間は確かにその通りであるが、そんな暴言を言われるとは思わなかった俊哉は、驚きを覚える。
それだけだが。
特に侮辱だとか、そうは思わない。
先の一瞬の攻防を見れば、この女性が自分よりも遥かに高位の存在だと理解できる。
明確な敵対者ならともかく、俊哉は敵ではない長い物には巻かれる主義なのだ。
美影の所為でそんな主義に変更せざるを得なくなった。
故に、驚きだけで不快には思わなかったのだが、その硬直をどう取ったのか、女性は言葉を言い換える。
「ああ、すまない。
君たちを、あの禿猿と同じにしては失礼だな。
うむ、謝罪しよう。
改めて、人間の戦士……で良かったかな?」
「あっ、俊哉っす。
トッシーって呼んで下さいっす」
「成程。了解した。トッシー少年」
「……本当に呼ぶとは。
微妙に天然入ってる気がするな」
ともあれ。
「吾は惑星ノエリア最古の大精霊、黒の原初、エルファティシア・ユエ・ルルソン。
まぁ、端的に言えば、あれらの生みの親だな」
空の彼方から戻ってきつつある一組の異形を指しながら、そうと名乗る女性。
「うえっ!? じゃあ、子供の不始末を止めに来てくれたんすかね!?
それとも、子供にもうちょっと上手くやれと発破をかけにッ!?」
「止める、とは違うな。
抹殺しに来た訳だが……ああ、念の為に言っておくが、吾らは貴殿らの味方だ。
そちらの守護星霊殿が約定を守る限り、吾らもそれを違える事はない」
「えぇ? 守護星霊?
なんとなく誰を指してんだか分かるんすけど、一応、誰か聞いても?」
「ふむ? なんと言ったか。
確か、セツナ……とかいう名称を持っていた筈だが」
「あ、やっぱせっちゃん先輩なんすね。
了解っす。
じゃ、あとは任せたっす」
軽く手を上げて、即座に丸投げする姿勢に入る俊哉に、エルファティシアは首を傾げる。
「おや、貴殿は戦わないのかな?」
「いやいやいやいや、俺の状態見えてますかね!?
俺ってば、超瀕死ですよ!?
結構! かなり!」
言葉を示すように、両腕を広げて全身を見せてみせる俊哉。
声は元気溌剌としているが、あくまでも声だけであり、その姿はズタボロの一言だ。
右腕は肉が裂けて折れた骨が見えているし、左足も折れて人体として曲がってはいけない場所からあらぬ方向を向いている。
他にも全身のあちこちが炭になっていたり、溶けてケロイド状になっていたりと、大概に重傷だ。
もはや何でまだ元気に生きているのかが分からない程である。
単なる痩せ我慢だが。
高魔力負荷分散法《廻天》は、全身のあらゆる器官を魔力流路の代用品として用いる技術である。
当然、代用品である人体が損傷すれば、その部分は代用品として使えなくなり、その効率は落ちていくに決まっている。
今の俊哉は、既に魔王魔力を受け入れられる状態ではなく、継戦能力を完全に失っている。
通常魔力ならば供給されればまだ使えるが、空の竜騎士たちと戦うだけの力はもう残っていない。
「とはいえ、吾は結局は外様である。
この星を守るべきは、この星の住人ではないのか?」
「そんな正論、聞きたくないッ!
お願いします、大先生!」
「仕方ないな……。
ええい、鬱陶しいぞ! まだ話の途中だ!」
「うおぉ! 目が回るーッ!」
わざわざ話の終わりを待つ理由が、相手にはない。
竜騎士が槍を持って襲い掛かってくる。
エルファティシアは俊哉を片手に吊り下げたまま、それに対応する。
おかげで盛大に振り回される事になってしまう。
しかも、ただ守られるのではなく、その無駄に頑丈な左腕を目的に、盾として使われたりもしており、非常にスリルを感じざるを得ない。
目まぐるしく変わる視界の中で、俊哉の目が空の黒竜を一瞬だけ映した。
「エル先生! ブレスが来るっすよ!」
「分かっている」
振り下ろされた凶刃を、思いっきり俊哉を叩き付ける事で強引に間隙を作ったエルファティシアは、魔力を込めて腕を振る。
広がるのは、漆黒の網。
ブレスが放たれた。
極大の閃光は、漆黒の網に激突し、絡め取られる。
「そら、狙うべきはあっちだ」
少しばかり傾きを付ければ、ブレスの軌道が変えられる。
向かう先は、復帰した竜騎士だ。
頭から浴びせられた竜騎士は、遠方へと押し流される。
「お前も、頭が高いぞ」
網が分解され、幾筋もの縄へと変わる。
『GYAOOOOOO!?』
絡みつく漆黒の縄に締め付けられ、悲鳴を上げる黒竜。
エルファティシアは、掲げた腕を振り下ろす。
その動きに合わせて、黒竜は眼下へと叩き落される。
この程度で死ぬような相手ではないが、時間稼ぎくらいにはなるだろう。
改めて、彼女は俊哉へと目を向ける。
「では、仕方ないので吾が手助けを……おや、どうしたのだ?
そんなにぐったりして」
「人間って、武器として使われるようにはできていないもんで」
「いや、すまんな。
便利な盾があったので、つい。
代わりに、吾が力になってやろうぞ」
「は? いえ、結構です」
「そう言うな。痛くないぞ?」
「もう戦いたくないって言ってんすよ!」
エルファティシアは、聞く耳を持たない。
ぐったりしている俊哉を持ち上げると、彼を優しく抱きしめた。
瞬間。
魔王魔力が飛来した。
浮気に嫉妬した雫による、怒りの嫌がらせだ。
既に《廻天》を維持できない俊哉にとっては、命に係わるレベルの嫉妬の炎である。
しかし。
夜が来た。
青空が、星空を抱いた暗い夜に染まっていく。
『吾が貴殿の身体の代わりとなってやろう。
原初精霊と合一するなど、人間では有り得ない栄誉だぞ』
「……いやー、そう言われましても、俺には有難みってあんまり分かんねぇっすわー」
莫大な魔王魔力が、吸い込まれて消える。
その中心には、一人の青年がいる。
俊哉だ。
しかし、普段とは様子が違う。
髪色が、星空の様な光を宿した黒へと変わっている。
背にはエルファティシアと同じ八枚翼を背負い、頭上には天輪を戴いている。
そして、全身に淀みなく魔力が流れていた。
傷ついていた部位も、代用するように魔力の光が集まり、輪郭の上では元の形へと戻っている。
「でも、まぁ、やる力があるならやらなきゃいかんよな」
確かに、地球を守るのは地球人の仕事だ。
詳細はよく分からないが、エルファティシアは向こう側の住人なのだと思われる。
侵略者の尻拭いをすべきは彼女であるが、地球を守るべきは自分である。
何もかもおんぶにだっこで任せきりというのも、自分たちの面子に関わる。
「今までの身体が、錆び付いていたみたいだ」
生身の右手を上げて、そちらへと魔力を動かす。
滑らかに移動していく魔力。
特に意識するまでもなく、超能力と同じように自分の意思に従って動いてくれる。
叩き落されていた黒竜と竜騎士が上がってくる。
勝算の少ない戦いによって鎮火しつつあった俊哉の心が、ふと生まれた勝算によって再点火される。
「行くぞ、オラァ!」
戦いは新たな局面に入る。
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(……おーおー、頑張りよるわ)
俊哉の補佐をしながら、エルファティシアは感心する。
禿猿……人間など、彼女の価値観で言えば、ろくに力もないくせに声ばかり大きいクソ生意気な劣等種族である。
魔力が少なく、魔法文明もほとんど発達させられない、無能。
惑星ノエリアの文明発達に、何ら寄与しない害虫か寄生虫のような存在だった。
我が子から、協力してくれと頼まれた時には、何故禿猿如きに、と嘘偽りなく思ったものだ。
いっそ、彼らが滅びる時を待って、先住民のいなくなった地球に移住してしまうのも良いのではないか、と本気で考えていた。
それはエルファティシアだけでなく、生き残っていた精霊種たち全員に共通する気持ちだった。
だが、浸食されつつある守護星霊ノエリアを救う条件として、彼らへの協力を提示されたという。
地球の守護星霊がそう言ったのであれば、渋々ではあるがその条件を呑むしかない。
彼女たちにとって、守護星霊ノエリアはそれほどの存在なのだ。
大抵の無茶な条件は呑める。
そうして、各地へと散った訳ではあるが、そこで見たのは驚くべき光景だった。
禿猿が、人間如きが、いくら浸食されて暴れるだけの暴力装置になり果てているとはいえ、天竜種や上位精霊を相手に互角以上に戦っている、という惑星ノエリアでは有り得ない光景だった。
決して強くはない。
だが、創意工夫し、相互に連携して、確実に生き残り、反撃している、尊敬すべき戦士の姿があった。
そんな姿を見せられれば、彼女たちも認識を改めざるを得ない。
彼らは軽蔑すべき害虫ではなく、共に轡を並べるに足る戦友になり得る、と。
その判断が間違っていない事を、今、俊哉と名乗った人間が証明している。
エルファティシアは、少し背中を押しただけだ。
全ての祖である原初精霊の彼女からすれば、非常に微々たる協力。
惑星ノエリアにいた禿猿共であれば、この程度の後押しでは何億人集まっても天竜種にも上位精霊にも敵わなかっただろう。
だが、その常識を覆して、俊哉という人間はほぼ単独で、最強格たる存在の二つを相手にし、互角に戦っている。
(……ノエリアよ。我らの集大成よ。
これが、貴様の作った可能性か)
人間しかいないこの星に、彼女はどれ程に絶望しただろうか。
人間しかいなかったこの星の成長に、彼女はどれ程に満足しているだろうか。
自分たちも、この星を守ろう。
自分たちの文明を受け継ぐ彼らを守ろう。
そう思わせてくれるだけの希望を、この〝人間〟たちは見せている。
『さぁ、共に歩もう。吾らが友よ』
実はもう一つ、連載してる作品が、何故か一章終わってしまった。
書き始めてから一ヶ月経ってないのに、もう9万字。
こっちもそれくらいの速度で進行しろよ、という苦情は、うん、まぁ、ごめんなさい。