極地の戦い
壮大な姉妹喧嘩……!
極寒の南極。
七月という今の時期は、まさに冬の盛りであり、日の光の一切差さない極夜となる。
異界門は、そんな極地にさえも開かれる。
しかし、そこから出現した異形たちは、待ち構える地球の戦力と戦う以前に、天然で荒れ狂う吹雪を乗り切る事を余儀なくされた。
吹き荒ぶブリザードの中で凍り付き、あるいは飛んでくる鋭い氷柱に貫かれ、いっそ哀れな程に死んでいく異形たちだが、中には凍結耐性が高い者や生命力などに優れた種族の者たちは、氷の地獄を踏み越えて人里を目指し始めた。
そんな彼らを、闇と氷に紛れた怪物が襲った。
否。
怪物たちには、紛れているつもりなどないのだろう。
氷の身体を持って、そうあれと生まれ落ちた彼らは、ただ普通に近付いて、ごく普通に食らい付いただけなのだから。
襲撃に気付いた異形たちが戦闘態勢へと移行する。
だが、それを嘲笑うように、風に乗って風の怪物が警戒する彼らを穿っていく。
ブリザードが確固たる意志を以て襲い掛かっているようなものだ。
ただ漫然と猛威を振るうのではなく、確かな悪意を宿した攻撃には、さしもの異形たちも困惑を隠しきれず、無明の世界で右往左往するばかりである。
それを即席のカマクラの中に隠れながら認識しているのは、赤髪を持つ一人の少女。
炎城久遠である。
今、彼女は、道を踏み外した実妹の登場を待ちながら、凍えていた。
当たり前だ。
何の装備もなく、夏の服装のまま冬の極地へと放り込まれたのだ。
凍えない筈がない。
尤も、無防備に極地にいる時点で夏も冬も関係ないが。
勿論、魔力を使えば冷気を遮断する事もできるが、これからの事を考えれば少しでも温存しておきたかった。
故に、防寒を最低限に留め、こうしてせめてもの抵抗として寒風を凌ぐカマクラに隠れているのだが、そもそもの気温が低過ぎて気休め程度にしかならない。
「寒い……! 死ぬ!」
歯の根が噛み合わず、絶えず歯を鳴らしながら久遠は、大自然の脅威を前に死を覚悟していた。
「まさかこんな事で死を感じるとは……」
本当に思いもよらなかった事態だ。
もはや妹がどうこう言っている場合ではないのか、という思考が何度も脳裏を過る。
『ケケケッ、マぁスター?
強がってないでよぉ、俺様を使えば良いんじゃないのかぁ?
楽になれるぜぇ?』
悪魔の囁きが久遠の耳に滑り込む。
「…………うるさい。黙ってろ」
若干の葛藤の末に、誘惑を拒否する。
ここまでずっと耐えているのだ。
幸いにも、本当にギリギリながらも死なない程度には冷気を遮断できている。
今、全てを諦めて誘惑に乗ってしまえば、我慢してきた全てが水の泡となってしまう。
それはあまりにも悲しい結末だ。
もはや意地である。
『安心しなよぉ、マぁスター?
死んじまったら、俺様が使ってやるからよぉ。
妹ちゃんも、俺様がきっちりと可愛がってやるぜぇ?』
「お前などに任せられるか。
死んでも死にきれん。
あと、黙ってろ。喋るな。
余計な体力を使う」
久遠は切実な言葉を放つ。
世界中が異界からの侵略に騒がしくなっている中、たった一人で全く別の意味で孤独の戦いを強いられている彼女は、ただひたすらに願わずにいられない。
何でも良いから早く来い! と。
~~~~~~~~~~
それから少しして、遂にやってくる。
空間が歪む独特の気配を感じた。
「! 来たかッ!」
そこに流れるエネルギーは、魔力由来の物ではなく、超能力由来の物だった。
それ故に、久遠は待ち人がやっと来たのだと直感し、喜色を浮かべて勢いよく立ち上がる。
彼女がカマクラを蹴り崩して外に出るのと、虚空に走った亀裂から黒衣の少女が吐き出されるのは、ほぼ同時だった。
少女の名は、炎城永久。
久遠の実の妹である。
やや遠目であるが、久遠が見間違える筈もない。
何故か、錐揉み状態で大回転しながら、落下している彼女は、勢いそのままに氷の大地へと激突していた。
距離のある久遠にまで落下の衝撃が伝わってくるほどの速度だった。
「ちょっ! せ、刹那!?
と、永久! 大丈夫か!?」
『クケケ。こりゃぁ、面白ぇなぁ。
あぁ、面白ぇー。
俺様の出番もありそうで良かったぜぇ。
ケヒッケヒッケヒッ』
何かを感じ取ったらしい悪魔の言葉だが、それを問い質している暇はない。
永久の下へと全力で走った久遠は、そこにできた小さなクレーターの中心で、無事に立ち上がる姿を見つける。
「と、永久! 無事だったか!」
いや、喜んでばかりもいられない。
久遠は、反射的に喜びの感情を浮かべたが、今の永久とは敵同士なのだ。
そして、クレーターが出来るほどの勢いで叩きつけられて猶、全く堪えていない今の妹は、間違いなくSランク、その中でも魔王と称される者たちと同じ場所に立っているだろう。
そんな彼女に、己は勝ち、殺さねばならないのだ。
気を引き締める久遠の中に、闘志と殺意が漲る。
その気配を感じ取った永久は、姉の姿をここに来て初めて視界に収めた。
「敵、排除せよ」
静かで、平坦な言葉。
黒い諸刃の大剣を持ち上げた永久は、その切っ先を久遠へと向ける。
瞬間。
久遠の背筋を特大の悪寒が駆け抜けた。
彼女の眼前に、氷造生物がせり上がる。
お互いの視界が遮られる一瞬の間。
久遠は、全速力で身を沈めた。
直後、氷造生物が貫かれ、瞬前まで久遠がいた位置を漆黒の刃が突き抜ける。
「今のが……!」
話には聞いていた。始祖魔術師が使ったという《混沌属性》という未知のエネルギーを。
その脅威を、妹が振るっている。
そこに、久遠は複雑な感情を抱く。
『クケケケ!
あれを受けるんじゃねぇぞぉ。
俺様を使っていない状態じゃぁ、即死だからなぁ?』
「言われるまでもない!」
忠告はされていたし、今まさに肌で感じた。
あれはヤバい、と。
実際、急造品とはいえ、氷造生物があっさりと殺されている。
魔力と超能力で二重に強化したとしても、決して耐久力に優れている訳ではない久遠では、一撃すら耐え切れないだろう。
弓型デバイスを展開し、空に向けて火矢を撃ち放つ。
無数に枝分かれしながら、それらは矢から別の物へと姿を変えていく。
魔力超能力混合術式《地獄兵団》。
無数の人型へと変質したそれらは、それぞれに炎の武器を掲げながら、宙を滑って永久へと向かう。
「風、水」
永久の髪に、緑と青の色が一筋流れる。
同時に、極大のブリザードが吹き荒れた。
風属性水属性混合魔術《山吹雪》。
ただでさえ、極地に吹き荒れるブリザードに加え、それを後押しする力が混ざり合い、その力はあっさりと暴走した。
相互に威力を高め合う事で、その増幅効果が止められなくなったのだ。
吹雪は火の兵団を容易く打ち消し、その勢いのまま久遠を飲み込まんと拡大する。
「残念だが、自然は私の味方だぞ」
暴風となって迫る極寒の猛威に、久遠は干渉する。
命系統超能力《命付与》。
本来、魔力と超能力は相性が悪い。
打ち消し合う事はあっても融合する事など基本的に無い。
よって、同じ魂から発生しているならばともかく、別の魂から発生した魔力に干渉して〝命〟を与える事はまだまだ未熟者である久遠には到底不可能だ。
だが、自然現象が混じっているのならば、別だ。
地球由来の地球の環境ならば、久遠の力と混ぜ合わせる事が出来る。
永久の魔力が混じっているが、半分は自然現象である。
相性の悪い魔力と、相性の良い超能力。
お互いが主導権を奪い合えば、勝つのは決まっている。
『GYUEEEEEEEEEEEEE……!』
吹雪の巨獣が吠えた。
あまりの声量に、ただの咆哮でありながら、氷の大地が揺れ動く。
見上げても猶、全長の把握ができないほどの巨獣となったブリザードは、その足を持ち上げて、永久を踏み潰さんとする。
「大自然の脅威を思い知れッ!」
『私怨入ってねぇかぁ、マぁスター?』
五月蠅い声がツッコミを入れるが、久遠は聞こえなかった事にする。
待ちぼうけ中の身体の芯から凍えていた気持ちを味わえだなんて、決して思っていない。
「火、土」
今度は、赤髪に灰色の線が混じった。
火属性土属性混合魔術《火山弾》。
立ち上る、赤熱の光を放つマグマの柱。
特大サイズのそれは、ブリザードの巨獣を迎え撃ち、その熱量を以て獣を溶かし尽くしていく。
だが、その最中に永久は攻撃を受ける。
あらぬ方向から突然の衝撃を受けて、大きく吹き飛ぶ永久。
その正体は、不可視の風造生物だ。
火山噴火の只中に突っ込んだ為、それ自身も灼熱に晒されて死んでしまったが、一撃だけなら加える事が出来ていた。
「この場は既に私の味方だ」
起き上がろうとした永久だが、その手足が氷の中に沈み込んでしまう。
見れば、乱杭歯のような氷の牙列が、四肢を飲み込んで彼女を拘束していた。
その一瞬に、自然生物たちは畳みかける。
四方八方から、氷の、風の、海水の、あらゆる自然物質で造られた即席生物たちが決死の特攻を仕掛けた。
自身の身を惜しまぬ、全力を賭した体当たりだった。
その勢いによって、彼らは自壊していく。
更に、久遠は駄目押しの一撃を空に放つ。
放物線を描いた火矢は、徐々にその大きさを増し、人一人を飲み込むには充分な太さとなって、永久へと突き刺さった。
「やった、と思いたいが……」
奇襲に近い総攻撃。
これで駄目だと、あまり使いたくない奥の手に頼らざるを得なくなる。
当たって欲しくない予感ほど当たるもの。
舞い上がった氷の粉塵の中からは、全く衰えていない永久の魔力の鼓動が伝わってくる。
久遠は、もう一度、火矢を放つ。
真っ直ぐ、粉塵の中の魔力に向けて。
煙を切り裂いて飛翔する火矢群。
迎撃は、無かった。
火矢の勢いに押されて切り開かれた粉塵の中、無事な姿で立つ永久は、まるで脅威を感じていないかのように全身でそれを受け止める。
貫通する。
全身のあちこちに当たったそれらは、永久の身体を貫いて背後へと抜けていった。
「クッ、そういう事か!
最近、この手の奴ばかりだな!」
『ケッケッケッ、人の事ぉ、言えねぇんじゃねぇのぉ?』
大量の穴の開いた永久だが、血の一滴も流れておらず、それらは見る間に修復されて塞がれてしまう。
先日、月面で戦ったサラを思い出す光景だ。
命属性による回復術かとも一瞬考えたが、すぐに違うと否定した。
「見かけないと思えば、そんな事になっていたとは……!」
まるでスライムの様な粘性生物が、流動するように穴を塞いでいく様子を見て、その正体を看破する久遠。
ショゴスだ。
今の永久は、ショゴスと同化しているらしい。
「そこまで人間を止めたか、永久ッ!」
『だぁからぁ、マぁスターが言えた事じゃぁ、ねぇんじゃねぇかなぁ?』
「五月蠅い!」
ショゴスならば、火に弱い筈だ。
焼き尽くせるまで攻撃あるのみ、と久遠は弓を構える。
放たれた火矢は、すぐに拡散、扇形に広がりながら一帯を飲み込んでいく。
対して、永久は大剣を腰溜めに構える。
横一閃。
一文字に振るわれる剣。
その剣線を辿るように、漆黒のエネルギーが放たれる。
一切の制御なく、無秩序に放たれた混沌魔力は、前方という漠然とした範囲を不規則に広がり、飲み込んだ。
その大きさは久遠の火よりも大きい。
危険に久遠は後退するが、混沌魔力の方が速かった。
「チッ……!」
追い付かれると判断した久遠は、至近で爆裂を生む。
その爆発力に押される事で、辛くも即死領域から逃れる。
だが、この手は自身をも傷つける緊急手段であり、そう何回も多用できる物ではない。
「風」
体勢を立て直す前に、追撃が来る。
斜め上から放たれてきた竜巻が、久遠を地面へと叩きつけ、大地をやすりとして彼女を削り上げる。
「ぐっ、うぁああああああ……!」
「雷」
気合いで逃れるが、今度は雷撃が降ってきて、彼女を貫いた。
あと一瞬、魔力による防御が遅ければ、間違いなく感電死していた事だろう。
しかし、無傷ではない。
身体のあちこちが削られて血が滲み、皮膚にも焦げ目が多く見られる。
見えていないが、体内にも損傷はあるだろう。
雷撃を受けた事で思考がスパークして停止してしまう久遠。
「火、風、土」
その大き過ぎる隙に、止めの一撃が放たれた。
火属性風属性土属性混合魔術《隕石》。
《射手座》ジャックの特技に似ているが、彼の物よりは遅く小さい。
代わりに、火属性が加えられ、燃える巨石となって大質量が久遠へと落とされる。
思考停止状態の久遠には、もはや抗う術はない。
ただ、来る死を受け入れる事しかできない。
だから、久遠ではない者が対処する。
『ぼうっとしてんじゃねぇよぉ、マぁスター!』
突如、久遠の身体が炎上した。
炎は久遠を押しのけるように分離すると、人型となり、降ってくる隕石を見据える。
『ひゃは――――!』
彼は燃える両腕を構えると、隕石へと叩きつけた。
蒸発。
火属性を与えられ、炎熱に耐性のある筈の巨石を、火の魔人は溶かすだけでなく、一瞬で蒸発させてしまう。
「ぐっ、え、炎魔! 勝手に出てくるな!」
ようやく再起動した久遠は、真っ先にする事は魔人へと抗議を入れる事だった。
それを彼は笑いながらいなす。
『クケケッ、それが助けてくれた相手に言う事かよぉ、マぁスター?』
魔力超能力混合術式《炎魔》。
それが、この火の魔人の名前であり、正体だ。
久遠の火属性魔力の中から生まれ、彼女の魔力を吸って成長する生命体である。
誕生した当初こそ、他の即席生物と同じように知性も感じさせない様子だったが、共に過ごす内に学習し、言葉を紡ぐだけではなく、こうして自立行動する事すらいつの間にか可能になっていた。
自身の分身とも、あるいは子供とも言える存在だが、正直、久遠は好きではない。
人を見透かしたような事を、馬鹿にしたように言ってくるからだ。
必死に目を逸らしているが、それが自分の本心や本性を突いているのだと気付いている為、黙らせたくて仕方がない存在である。
『そら、次が来たぜぇ?』
「ッ、チィッ!」
炎魔が炎の翼へと変化し、久遠を抱えて飛翔する。
その眼下を漆黒が薙ぎ払った。
遅れていれば混沌に飲まれていた事は語るまでもなく、二度までも救われた事になる。
『意地張ってねぇでよぉ、俺様を使おうぜぇ?
悪い事は言わねぇからよぉ』
「…………ああ、そうだな。
負けて、死んで、何もかもが無駄になるよりは良い」
僅かな逡巡の末、決断した久遠は、切り札を切る事とする。
「《存在変換・炎魔霊》……!」
『ケッケッケッ! がったぁい!』
久遠を包み込んでいた炎魔が彼女の中へと吸い込まれ、改めて全身が燃え上がる。
否。
これまでの様に、久遠は炎を発しているのではない。
彼女自身を、細胞の一片に至るまでを火の魔術へと変化させたのだ。
命系統超能力《身命融合・存在変換》。
自身が造り出した生命体と融合する、命系統超能力の奥義に位置する御業だ。
久遠は、炎魔と融合する事で、火の魔術そのものとなったのである。
久遠は、弓を捨てる。
この状態になれば、補助器具であるデバイスなど、もはや必要としない。
超能力と同じように、思うがままに、手足のように力を振るう事が出来る。
「行くぞ、炎魔……!」
『合点承知だぜぇ、マぁスター!』
戦いは、新しい局面へと突入する。
ヴラドレンと淫魔を合わせた様な感じですかね。
自分で創って自分と融合させるとは、なんという自給自足!
卑怯臭い。