抵 抗
抵 抗
人間にすれば二十歳くらいだろうか。猫のような青く鋭い瞳に、高い鼻梁、肉の薄い濡れた唇。美醜の基準が地球と同じであればかなりの美人だろう。フード付きの黒い外套を頭から羽織り、白いズボンに貫頭衣のような白い上着には女の子と同じような意匠が黒い糸で縫われている。
腰には植物の蔓のようなベルトに木製の長い鞘を吊していた。鞘に納められていたであろう剣は、文人の眼前で鋭利に輝き、夕暮れの光を跳ね返している。日本刀のような芸術品とは比べるべくもないが、切れ味も良さそうだ。わずかに刃こぼれもあり、刀身には脂で曇ったような痕もある。人間か、少なくとも動物を切ったのは間違いなさそうだ。
女の子はと見ると、突然の出来事に目をぱちくりさせているが刃物を振りかざす闖入者に怯えた様子はなかった。
「@@@@@、@@@@@@@@、@@@@@@!」
黒い肌の女は文人に刃物を突きつけたまま、また何事か話しかけてきた。言葉はわからないが、先程と同じ音節のようだ。おそらく同じ質問を繰り返しているのだろう。さしずめ「貴様は何者だ?」とか「どこから来た」とかそんなところだろう。
「怪しいものじゃない。俺は中村文人。日本から来たカメラマンだ」
無駄だと知りつつも文人は同じ言葉を六カ国語で説明する。今度は最初から身振り手振りも交えたものの、やはりどの言葉も通じた様子はなかった。目の前の女はますます苛立たしげに鼻にしわを寄せた。
文人は悩んだ。
人と出会えたのはうれしいが、最初から敵意丸出しとはいただけない。よそ者だから警戒しているのか。それとも女の子に話しかけたのがいけなかったのか。
文人も数年に一度、日本に戻る時がある。そのたびに感じるのは、過剰な警戒心だ。最近は子供に話しかけただけで警官を呼ばれる始末だ。頭のおかしな奴はどこにでもいるし、用心するのは結構だが文人にはどうにも息苦しい。子供はもっとのんびり健やかに育てるべきだ。
「@@@@@、@@@@@@@@、@@@@@@!」
あさっての方向に逸れかけた思考を遮るように、褐色の女がまた話しかけてきた。声にさらに怒りがこもっている。このままだと手にした剣を文人の頭に振り下ろしかねない。
「その、言っている言葉は通じないかも知れないが、俺は君たちに危害を加えるつもりはない。信じてくれ」
文人は両手を広げ敵意のないことを示しながら、努めてゆっくりと話しかけると笑顔を見せる。文人もこういう事態には何度も遭遇してきた。その時に乗り切ってきたのは笑顔だ。作り笑いなんかじゃない。にっこりと腹の底から笑うのだ。
褐色の女は一瞬ぽかんとした顔つきをしたが、すぐに屈辱を受けたように顔をゆがめて剣を振り上げた。
「@@@、@@@! @@@@@、@@!」
何事にも例外はつきものだ。
文人は笑顔を凍り付かせながらよけようとした時、女の体がよろめいた。
「@@@@、@@!」
女の子が必死な面持ちで褐色の女の腰にしがみついていた。
そのまま何事か荒々しい声音で言い争う。どうやら女の子が自分をかばってくれているらしい、と文人は推量する。そのまま何回か言い争いを続けていたが、褐色の女は業を煮やした様子で女の子を突き飛ばした。
女の子が横倒しに草むらに転がる。同時に褐色の女は剣を振り上げ、文人に斬りかかってきた。
「@@、@@@!」
「させるか!」
文人は身を低くして褐色の女に体当たりを食らわせる。ちょうどみぞおちの辺りに肩がめりこむ感触がした。そのまま懐に飛び込むと振り返りざまに背中を女の腹部に密着させ、剣を持った腕を取りながら思い切り背中越しに放り投げた。
柔道でいうところの一本背負いで、女の背中は地面に音立てて沈んだ。
苦悶の声が上がった。女の目が苦しげに見開かれるものの、身動きする様子はなかった。衝撃で肺の中の空気を全て吐き出してしまったかのようだった。どうやら受け身を取り損ねたらしい。その隙に女の腕から剣を取り上げると素早く拾い上げると、森の奥に放り投げた。
「悪いな、お嬢さん。だが、俺もここで死ぬわけにはいかないんでね」
文人も武術には多少の自信がある。剣道初段、柔道二段、空手三段。若い頃に段位を取ったばかりで、まともに武道場など通っていないのだが、まだまださび付いてはいないようだ。実際、自動小銃や機関銃を構えたゲリラやテロリスト相手にほとんど役に立たない。
何より文人の武器はカメラであり写真だと思っている。
褐色の女は相当こたえたのか、まだ立ち上がる様子はない。女を殴るのは性に合わないので投げる方を選んだのだが、少々やり過ぎたようだ。まさか、ここまで通用するとは思わなかった。受け身を取り損ねたのだろうか。
女の子が不安げに褐色の女にとりすがる。肌の色が違うから家族ではなさそうだが、同じ集落の知り合いなのだろう。
とりあえず起き上がらせようと手を伸ばした瞬間、文人はゆっくりと立ち上がり両腕を上げた。
どうやら派手にやり過ぎたらしい。
気がつけば、弓矢を構えた男たちに囲まれていた。
年の頃はまちまちだが、いずれも褐色の女と同じ風体をしており、とがった耳をしていた。
不安げに服の裾をつかむ女の子を見下ろしながら文人は安堵させるように笑みを浮かべた。弓矢を構えながら男が二人、蔓のようなものを掲げながら近づいてくるのを見て文人は思った。
どうやら今日は野宿せずには済みそうだ。半分以上沈んでいた太陽が山の稜線の向こう側に沈んでいた。
文人はおとなしく捕まることにした。これ以上暴れても事態が悪化するだけだったし、彼らの集落だか村だかにも興味があった。道案内してくれるならそれに越したことはない。両手首と体を縛り上げられ、蔓で引っ張られるようにして連行される状況にはいささか難はあるが、許容範囲だ。銃口を突きつけられながら歩かされるよりずっとマシだ。
とんがり耳族(文人命名)の男たちは、鬱蒼とした森の中を警戒しながら一列になって進んでいる。文人はちょうど列の中央を歩いており、前後左右を男たちに囲まれている。時折先頭の男たちがリスのように木に登りながら周囲の様子をうかがっている。
振り返れば最後尾にいるのはあの褐色の女だった。よほど投げられたのがきつかったのか、まだ少し足がふらついているようだ。頭を打っていないから大丈夫だとは思うが、時折木の根につまづきそうになっているようだ。
文人の視線に気づいたらしく、目が合うと憎々しげににらみつけてきた。嫌われたかな、と苦笑する。女の子の方は文人の三人ほど後ろで、壮年の男に手を引かれながらもう片方の手でカゴいっぱいのキノコが落ちないよう、注意しながら歩いている。
そこで男たちに背中を突き飛ばされた。よそ見をしないで歩け、ということなのだろう。
了解、と理解されるはずのない返事をしながら文人は首を前に戻した。
集落はどの辺りだろうか。
女の子がキノコ狩りに来られるはずだから、とんがり耳族の集落はさほど離れてないはずだ。それにしては今、歩いているのは藪だらけで道の痕跡というものがない。
普段使っている道ならば獣道であれ、人が行き来しているのだから草は踏み固められ、もう少し通りやすくなっているはずだ。
二〇分近く歩いているが集落は影も形も見えない。むしろ同じ場所をぐるぐる回っているように感じる。
まさか迷ったんじゃないだろうな、と不安になりかけた時、急に強い光を感じた。
見上げると、森の奥、二本の木の間だけが昼間のように明るくなっていた。
先頭のとんがり耳たちが黙って光の中に入っていった。
先を行く男に引っ張られるように文人も光をくぐると、目の前には不思議な光景が広がっていた。
光を抜けた先は広大な空間になっていた。文人から見て左右には樹齢数百年は経過しているであろう巨大な木々が何千何百と一定の間隔で不自然なほど並んで生えており、城壁のような壮健さを誇るかのようにそびえていた。巨大樹の間にも巨大な木が生えていた。背はせいぜい十数メートルだが代わりに幹は異様に太かった。ところどころに穴が開いており、ほのかな明かりが漏れていた。穴の中からやはりとんがり耳の女性が出てくるのが見えた。どうやら樹木の中をくりぬいて住んでいるらしい。ほかに家や建物どころか建造物らしきものも見当たらない。巨大な木の中に住んでいると言うより、小さなビルがそのまま樹木になったように思えた。
見上げれば、雲のない夜空に玻璃を砕いたような白い星々が瞬いていた。
どうやらここが彼らの集落らしい。
なんだこれは。
まるでファンタジー映画の一場面のような光景に目を奪われていると、背中をまた叩かれた。振り返ると、褐色の女が不快そうにあごをしゃくった。
立ち止まっていないでさっさと歩け、ということらしい。文人は溜息をついた。
まったく、言葉が通じなくても気持ちは伝わるものだ。
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