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決 戦

 虎と獅子。砕けた大鍋の前で二匹の獣が向かい合っている。


 ファーリたちは広場から離れた樹の上で彼らの戦いを見守っていた。二人の間に割って入ることは許されない。静まりかえった空気とは裏腹に、熱気のような闘志が二人の間に渦巻き、二匹の蛇のように絡み合っている。うかつに加勢に入ればその瞬間に切り刻まれるか、レグルスを不利にするのは目に見えていた。事ここに至ってはレグルスの勝利を祈るだけだ。カーロもティニも目を閉じながら祖先の霊と偉大なる森の神に祈りを捧げている。その姿は懸命に勝利を願っているようにも、辛いから戦いを見ないようにしているようにも感じられた。戦士であるサリアナに逃げることは許されない。だが、戦いにも加われない以上、今の自分に出来るのは戦いを見届けるだけだ。

 サリアナは己に不甲斐なさともどかしさを感じながらも彼らの戦いを見逃すまいと、目を凝らした。






 先に動いたのはギンジの方だった。左右に軽くフェイントをかけながら地を蹴り、レグルスへと駆けてくる。二本足と四本足の違いはあれど、仰け反りたくなるほどの重量感と力強さ、それと相反するようなしなやかな動きはまさしく虎だった。


 レグルスは体重を後ろにかけ、迎撃の態勢を取る。カウンターを狙い、右腕を引く。

 ギンジは咆哮を上げ、突進の勢いのまま大きく左腕を振り下ろす。ほぼ同時にレグルスが拳を振り上げる。


 互いの拳が衝突する。

 空気を弾くような衝撃の中、ギンジが動いた。左に右にと、人間の時より倍以上に肥大した拳が叩き付けられる。見た目にも重々しい拳ではあったが、受けてみて、想像以上の力を秘めているとわかった。一撃一撃がクレーン車の鉄球のように、人間の頭蓋骨を吹き飛ばすのに十分な破壊力を持っていた。


 暴風のような拳の連続をレグルスは耐え忍ぶ。繰り出される拳を二本の腕で円を描くようにして捌き、かわし、しのいでいく。若い頃に学んだ空手の防御法は今もレグルスの体内に息づいている。

 防戦一方ではあるが、焦りはなかった。この程度の不利は山ほど経験してきた。反撃のチャンスはすぐに来る。


 なかなか崩しきれないのに焦ったか、ギンジが動いた。バックステップで大きく距離を取ると、轟音とともに砂煙が上がる。身を低くし地を這うようにしてレグルスに迫ってきた。音すら置き去りにするかのような突進にもレグルスは怯まなかった。倒されないように腰を落とし、変化にも対応出来るよう両腕を前に出す。二人の距離があと数歩と縮まった瞬間、ギンジは背を丸め、そのまま前のめりに倒れ込む。転倒したかのような動きに、目を奪われる。


 ギンジは倒れなかった。そのまま前転すると大地を手で掴みながら回転を加速させ、足からレグルスに倒れ込んできた。


 胴回し回転蹴り。


 巨大なマサカリとなって頭上へと振り下ろされた浴びせ蹴りを両腕でガードする。凄まじい重量の打撃に、腕が吹き飛ぶような感覚と、足が沈み込む感触を覚えた。してやられた、とレグルスは舌打ちするがそれが間違いだとすぐに気づかされた。


 ギンジの回転は止まっていなかった。カードの上から振り下ろした足をフックのように引っかけながら更に縦回転をしながらレグルスの頭上を飛び越え、背後へと回り込んだ。振り返る間もなく背中に強い衝撃を受けた。呼吸が止まった。たまらず吹き飛ばされ、前のめりに倒れる。


 まさか、空手技を使ってくるとは思わなかった。実践本意のケンカ自慢かと思っていたが、なかなかやるようだ。あるいは、チェロクスとしての身体能力のなせる技なのかも知れない。けっこう効いた。もうしばらく休みたいところだが、許してくれそうにない。わずかな空気の流れからレグルスは寝転がりながらその場を離れる。すれ違いにギンジのニードロップが地面に穴を穿った。


 砂埃を被りながらどうにか立ち上がり、息を吐く。

「空手の次はプロレスか。次はなんだ? 骨法か? マーシャルアーツか?」

「そんな上等なもんじゃねえよ」


 叫ぶなりギンジが飛び上がりながら回し蹴りを放ってきた。破壊力は十分だが、動作が大振りで、読みやすい。

 レグルスは上体を後ろにそらせる。唸りを上げて回し蹴りが鼻先を通り過ぎていく。体勢を崩しながらギンジが背を向ける。


 その時、レグルスはまたも己の不覚を悟った。足首をつかまれる感触がした。いつのまに生えたのだろう。ズボンの上から長く伸びた虎の尾が、レグルスの左足首に絡みついていた。


 引っ張られる。上体を反らしていたためこらえることも出来ず、今度は仰向けに倒れる。

 そこにギンジがのし掛かり、馬乗りになる。上体を回して回避しようにも、ずしりとのし掛かった虎の巨体はめったに剥がせそうになかった。白虎の顔が一瞬いびつに歪む。笑ったのだろう。そう感じた時には、白い拳が振り下ろされていた。


 レグルスは素早くギンジの手首を掴んだ。両腕で両腕を防ぐ体勢になるとギンジは上体を曲げてのし掛かってきた。体重と体勢の有利を生かして潰しに掛かるつもりか。


 そうではなかった。ギンジは頭を大きく振り、口を開けるとレグルスの肩口に噛みついた。金属同士をこすり合わせたような嫌な音が響き渡る。


 地球上には存在しない物質で構成された装甲が軋みを上げる。牙は通らなくても虎の咬筋力で締め上げるつもりか。

「だが、甘いな」


 レグルスはギンジの腕を引くと更に体を密着させる。その脇腹に拳を当てると、大きく息を吸いながらねじ込むようにして叩き込んだ。


 ギンジの上半身が浮いた。その隙に下から這い出ると、いまだ体勢の整わぬギンジの横面目がけ、拳を打ち下ろす。


 白虎の顔がゆがむ。先程のチェロクスたちなら首から上が吹き飛んでいたであろう。だが、分厚い肉と硬い骨に阻まれ、わずかに口の中を出血させるに留まっていた。


 続けて放とうとした拳をギンジが腕で防ぐと、再び飛びかかってくる。レグルスは両腕を伸ばしながら踏みとどまる。お互いに肩を組み合った姿勢で膠着する。


 金獅子と白虎の頭が向かい合う。先に動いたのはギンジだった。巨大な虎の顎門が大きく開かれる。今度は首筋を狙って噛みついてくる。

「そいつを待っていたよ」


 レグルスは膝を曲げ、体を低く沈み込ませる。白虎の牙をかわすと同時にギンジの両肩をつかんでいる掌に力を込める。


 互いにつかみ合ったまま、二人の体が宙を舞う。高々と浮かびながらレグルスはギンジの体を上下反転させると、その両足首を掴み、回転を与えながら落下していく。


「『セイバー・千尋落とし』!」

「甘え!」


 ギンジの咆哮とともにレグルスの上体がぐらつく。長い虎縞の尻尾が、レグルスの首に絡みついていた。落下しながらも巻き付かせた尻尾を鞭のようにしならせながら右に左にと揺らしていく。両足首をつかむ握力がわずかに緩んだ。ギンジはその隙を見逃さなかった。足を引いて逃れると、そのままレグルスへの蹴りへと移行した。顔面を蹴飛ばされ、レグルスの体は大地と平行するように横に吹き飛ぶ。やがて不安定な姿勢で着地すると勢いを殺しきれずに地面を転がっていき、大樹に背を打ち付けて止まった。


「いちいち技の名前まで叫ぶとはな。馬鹿なのか? おまけにテツヤと同じ技ぁ出すとは、なめられたもんだ」


 立ち上がりながらギンジが血混じりの唾液を吐き捨てる。レグルス同様、不自然な姿勢で地面と衝突したようだが、さほどダメージを受けたようには感じられなかった。

「そいつはすまなかったな……」


 大樹の幹に手をかけながらレグルスは立ち上がった。

「なにぶん、芸のない男でな。使える技は多くないんだ」

「ぬかせ!」


 闇夜を切り裂いて白虎が襲いかかってきた。両腕をハンマーのように振るいながら何度も殴りかかる。大樹を背に、両腕でガードするものの体重を乗せた一撃は重く、気を抜けばガードを弾き飛ばされてしまう。骨の奥まで響くような衝撃と、熱風のような殺意が容赦なく押し寄せる。至近距離で爆弾が何度も爆発しているような錯覚を覚えながらレグルスはチャンスを待っていた。


 視界の外から鞭のような固まりが飛んでくる。白虎の尾がレグルスの顔面を狙ってきた。レグルスは半ば本能で尾の軌道を読み切ると、顔を向けることなく腕を伸ばし、掴み上げる。手応えあった。そう感じた瞬間、ギンジの手がレグルスの肩を掴んだ。ぐい、と体か引き寄せられる。と同時に突き上げるような膝蹴りに強かに腹部を打ち付けられた。息が詰まった。


 続けて頭上に殺意を感じた。レグルスは背を丸めた。ギンジの組んだ両腕で背中を殴られる。頭部へのダメージは避けたものの、肺の後ろへの攻撃にまたも呼吸が止まる。ギンジの攻撃は止まらなかった。何度も何度もハンマーナックルでレグルスを殴りつける。その度にレグルスの体は沈み、四つん這いのように伏せていく。


 強烈な一撃が来た。目が眩んだ。こらえきれず、レグルスは地面に倒れる。その途端、宙に浮く感覚に襲われる。幻覚ではなかった。


「どうした、もう終わりか?」

 ギンジの巨大な掌がレグルスの頭部を掴み上げていた。


「……」

「正義の味方がだらしねえな、おい」

 ぐい、とレグルスを顔の近くに引き寄せる。金獅子の騎士の腕はだらりと垂れ下がり、頭を掴まれているために首が不自然に上を向いている。


「……」

「何とか言えよ、おい!」

「……お前の言うとおりだ」

「あん?」


 ギンジが訝しげな声を上げる。

「空手でもボクシングでもプロレスでも、いちいち自分で技の名前を叫ぶ奴はいない。実戦なら尚更な」

 技の名前を叫べば、当然技を外されやすくなる。不利になるだけだ。銃や爆弾の名前を叫びながら使う戦争映画など文人は寡聞にして知らない。


「……なら、どうして俺が技の名前を叫ぶと思う?」

「馬鹿だから、だろ」


「正解だ」レグルスの手がギンジの右腕……自身の頭を掴んでいる手首を掴み上げる。


「俺はスポーツマンでも格闘家でも兵士でもない。『正義の味方』だからだ。『正義の味方』にはな、自分の振るう拳に負い目があってはならない。だからここぞという時には叫ぶんだよ。『必殺技』をな!」


 ギンジの顔が苦痛にゆがむ。レグルスに掴まれた手首が軋みを上げている。引き剥がそうと腕を振り払っているようだが、微動だにしない。本物の万力であれば、工具ごと壊せるはずの腕力だろうと、無駄な足掻きでしかない。獅子の牙からは逃れられるものか。


「五十年も戦い続けていると、たまに『自分も正義の味方になりたい』なんて若者が現れるんだが、俺は賛成したことはただの一度も無い。割に合わないんだよ。給料は出ないし、辛いし痛いし、秘密がばれれば身近な人にも累が及ぶ。賞賛とも喝采とも無縁の生き方だ」


「それがどうした!」

 喚きながら反対側の腕を振り上げる。五本の指から白い爪がナイフのように伸びた。鋭く光る爪を大上段に振り下ろすものの、レグルスの脇を空しく通り過ぎた。レグルスの足にギンジの尻尾を踏みつけられ、体勢が崩れたためだった。


「こんな風に、虎の尾を踏むような命知らずでないと、勤まらない」


 にやり、と獅子の仮面の奥で笑う気配を感じ取ったのだろう。ギンジは激高しながら殴りかかってきた。レグルスも虎の尾を踏みながら受けて立つ。手首をつかんだままギンジの体を手元に引き寄せる。同時に左フックを右脇腹に叩き込む。崩れたところを今度は右手で虎の横面を殴り飛ばした。

 ギンジが血反吐を吐いて倒れ込む。


 だが、素早く立ち上がると四つん這いになりながらもレグルスを憎々しげに睨み付けている。闘志は衰えていない。

「うおおおおおっ!」


 咆哮とともにギンジは海老反りに仰け反った。左腕が脈動する。全身の血液を左腕に集中させているのだろう。肘から指先にかけて、別の生き物のようにうごめきながら膨らんでいく。そこにあるのは自身の筋肉と血液で鍛え上げた手甲(ガントレット)だった。高熱を発しているのか、湯気まで立っている。


「それがお前の必殺技か」

「おうよ!」


 痛そうに顔をしかめながらギンジが応じた。

「なら俺もそいつに応じるとするか」


 レグルスは距離を測りながら向かい合う。時間稼ぎで逃げ切る、というのは頭になかった。

 神聖樹の前で二匹の獣が対峙する。静まりかえった集落の中、先に動いたのはレグルスだった。


「おおおおおおおおおおおっ!」

 雄叫びを上げながら駆け出す。一気に最高速度まで持っていくと地を蹴り、跳躍する。


「セイバアアアアアアアアアアッ!」


 高々と飛び上がり、一回転すると空中で捻りを加えながら一本のネジとなって白虎のチェロクス目がけて急降下していく。そして、一点の曇りもない己の信念を誇示するかのように、高らかに叫んだ。


「螺旋ストラァァァァァァイクッ!」


 ギンジは腰を落とし、巨大な左腕を振り上げながら雄叫びを上げる。

 白虎と金獅子が交錯する。


 レグルスは着地したものの勢いを殺しきれず、地を滑る。土に轍を刻み、砂埃を舞上げる。砂をその身に浴びながら振り返る。


 凄まじい勢いで蹴りを放ったにもかかわらず、ギンジはその場から一歩も動いていなかった。

 ただ手甲(ガントレット)となった左腕と、自身の脇腹に巨大な風穴を開けて立ち尽くしていた。


 腕と腹から壊れた水道管のように流血しながらも侠の世界に生きる男は立っていた。

「やっぱり、こうなっちまったか……」


 吐血しながらギンジは呟いた。虎の顔には死相が色濃く表れていた。

「やっぱ……テメエの憧れてたモンに勝てる訳がねえよな……」

「ギンジ……」

「アンタに最後に言い残すことがある……」


 もはや気力も残っていないのだろう。吹きすさぶ夜風にすら攫われてしまうような、小さな声だった。それでもレグルスの優れた聴覚と、唇の動きから言いたい事は全て聞き取った。


「何故、それを俺に?」

「決まっているだろう」ギンジは笑った。「悪党には悪党の誇りってもんがあるのさ。『正義の味方』にゃあなれなかったが、な」


 その言葉を最後にギンジは崩れ落ちた。膝をついて倒れながら肩が肘が、脛が太股が、胸が背中が、小さな爆発を立て続けに起こしていく。音を立てて地に倒れ伏すのとほぼ同時に、白虎の肉体は爆炎と立ち上る黒煙へと姿と変えた。


 轟音と爆風に煽られながらレグルスは爆発を見つめていた。かつて幾度となく見送った光景に既視感を感じていた。その時、爆風の破片がレグルスの足下に転がった。何気なく視線を移し、全身を電光のような衝撃が駆け抜けた。


 まさか、そんな、あり得ない、何かの間違いだ、と湧き上がる恐怖を打ち消しながら破片を拾った。

 それは、徽章だった。おそらくギンジが上着か何かに付けていたものだろう。髑髏の左目から三ツ目の蛇が顔を覗かせている。その髑髏を四本足のカラスが上に乗るようにして爪で掴んでいる。認めたくはなかったが、レグルスは自身の疑問が確信へと変わったのを悟った。


 レグルスは徽章を握りつぶした。細かく砕けた破片が最後の爆風に煽られて、夜空へと流れていった。

 その行方を目で追いながらレグルスは、ギンジが最後に残した言葉を胸の中で繰り返していた。



 チェロクスの別働隊が『原初の神聖樹(ファースト・ツリー)』への行き方を見つけた。



お読みいただきありがとうございました。


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