窮 地
オリ・ペッカ様に続いて土の中からはい出ると、カーロは頭半分だけを出して辺りを見回し何もないのを確認する。追ってくる気配はない。どうやら撒いたようだ。それでも警戒だけは怠らずにゆっくりと這い上がる。
カーロが地面に立つと、続いて穴からぬうっと巨大な爪が地面をえぐる。
「神獣様!」
あわてて両手で毛むくじゃらの腕を抱え込むようにして引っ張る。懸命に引き上げようとしたのだけれど、腕力では役に立たず、なかなか上がらない。それどころか、神獣様の体が半分ほど地上に出てきたところでがくっと揺れて穴の中へと落ちていく。
「もう少しですから……がんばって……」
とっさに引き上げようとするものの引き留めるどころかカーロの体ごと穴の中へ引きずり込まれていく。歯を食いしばって耐えようとしても唸りながら両足が穴へと向かって轍を作るだけだ。
「がんばって、神獣……様!」
カーロのかかとが穴の縁に差し掛かった時、ぴたりと止まった。
「チュチュ」
いつの間にかオリ・ペッカ様が神獣……ベスキオ様の後ろに回っていた。ベスキオ様を抱え込むようにして穴から引き上げると、ゆっくりと地面に寝かせる。
「ひどいケガだ……」
背中に刺さっている槍の柄はオリ・ペッカ様が切り落としたけれど、穂の部分はまだ残っている。うかつに引き抜くと出血がひどくなるから抜かないように、とフミトから止められている。
フミトは無事なんだろうか。
迎えに行こうにもあの恐ろしいチェロクスたちがわらわらいる。何より元来た穴はオリ・ペッカ様がふさいでしまった。
ノーマのくせになぜああも命知らずなんだろうか。寿命だってファーリよりずっと短いのに。
ほかのノーマとは違う。死ぬのが怖くないのだろうか。強いから? 勇気があるから?
堂々巡りしかけた考えを苦痛のうめき声で中断させられる。我に返ると、ベスキオ様は地に伏せたままだ。
唸り声もだんだん弱々しくなっている気がする。ベスキオ様をこれ以上、連れて歩くのはムリだ。体力がもたない。
「ここに隠れていてください」
ベスキオ様を藪の中に隠すと、枯れ葉をかぶせる。臭いのきつい草も近くにあるからチェロクスどもの鼻も役には立たないだろう。
「すぐに助けを呼んできます」
族長ならベスキオ様のケガも何とかしてくれるだろう。村を抜け出したことも大目に見てくれるはずだ。
「失礼します」
オリ・ペッカ様に乗って駆け出す。早く戻って助けを呼ばないと。ベスキオ様と……フミトが危ない。
集落のへの入り口が見えてきた。静かだ。みんな寝静まっているころだからな、と思いかけて首をひねった。チェロクスが村の周りをうろつくようになってから夜通しで見回りをしているはずなのに、誰も出くわさない。ファーリにもチェロクスにも。
「チュチュ!」
カーロの体がぐらりと揺れた。オリ・ペッカ様が急に足を止めたためだ。小さなカーロは勢いを殺しきれずに前に放り出され、一回転して地面にしりもちをついた。
「あいたたた……」
お尻を撫でながら立ち上がろうとした時、地面に大きなものが横たわっているのが見えた。
カーロは恐る恐る顔を近づけてみて、後悔した。
折り重なるようにして、血まみれのファーリが何人も転がっていた。心臓を貫かれ、目を見開いて、舌を出して、明らかに死んでいた。スルホさん、ヴァッレさん、スヴィさん、ピッレちゃん……。つい今朝までしゃべって笑って生きていた人たちが、もう物言わぬ骸と成り果てていた。
「あ、あ、あ」
悲鳴を上げるつもりだったのに喉が締め付けられて、口から出てきたのは蛙のような声だった。
「チュチュ……」
オリ・ペッカ様が背中を撫でてくれた。それでようやく一息つくことができた。
そこで我に返った。そうだ、ティニはどうした。
「ティニ、ティニ!」
見たところ。村の人ばかりで妹の姿はない。罪悪感を感じながらもほっとする。まだ無事なのか、うまく逃げられたのか。
がさり、と藪をかき分ける音がした。カーロは振り返った。
「ん、まだこんなところにもいたのか?」
藪の中から現れたのは、オオカミの顔をしたチェロクスたちだ。
「チュチュ! チュチュ!」
オリ・ペッカ様が前に進み出ると、両手の爪をこすり合わせる。おそらくは威嚇のためだろうが、おぞましくも愚かなチェロクスたちの失笑を買っただけだった。
「だ、だめです。オリ・ペッカ様」
カーロは前に進み出る。ここでオリ・ペッカ様を失うわけにはいかない。結界を張りなおすためにも。命がけで連れてきたフミトのためにも。
近くには傷ついたベスキオ様もいる。
体が勝手に震え出す。涙が止まらない。
「こ、こい。お前たちなんかに負けないぞ」
短剣を取り出すと、突きつける。刺されば命だってないはずなのに、チェロクスたちはとうとう、憚ることなく爆笑を始めた。
「ありがとうよ、ファーリの坊や」
一人のチェロクスが歩み寄ると、無造作にカーロの手から短剣を払い落とした。あっという間もなく、弓のように長い曲刀を振り上げる。
「これは笑わせてくれたお礼だ」
カーロが目を閉じた途端、がさり、と頭上で葉のこすれる音がした。
次の瞬間、黒い影が樹の上から舞い降りてきた。白い光が瞬く。光源となった鋭い刃が二人のチェロクスが同時に地に伏せていた。
褐色の肌をしたファーリの女が振り返ると優し気に微笑みかけた。同時に樹の上からティニが滑り降りてきた。手にはお気に入りの人形をしっかりと握っている。
「大丈夫か、カーロ」
「お兄ちゃん」
「ティニ、サリアナ!」
カーロは自然と顔がほころぶのを感じた。
「一体何があったの? ほかのみんなは? 族長は?」
「安心しろ。族長は無事だ。だが、私の知る限り三十名は命を落とした。連中の総攻撃でな」
サリアナは忌々しげに言うと説明してくれた。
カーロととフミトが出て入れ違いでチェロクスの軍勢が攻めてきた。最初は良かった。結界が弱まっているとはいえ地の利はこちらにある。弓矢と魔術で討ち取っていった。だが途中で結界が消滅し、形勢が逆転した。防衛線は崩れ、獣の軍勢が集落の中に入り込み、殺戮を始めた。
村に入り込まれると、サリアナは女子供を森の奥へと逃がした。族長は最後まで反対していたが、半ば強引に連れて行かせた。その後は集落の中で抵抗を続けたが、多勢に無勢を悟ると、撤退しながら逃げ遅れたファーリの生き残りがいないか探し回っていた。その途中でティニも見つけたのだという。
「そんな……」
間に合わなかったのか。カーロはその場で膝をついた。
「とにかく、ここは危険だ。お前もすぐに」
「地獄に送ってやるよってか?」
大きなものが降ってくる気配がした。
サリアナがカーロとティニを抱えるようにしてその場から飛び退くのと入れ違いに、地響きとともに大岩が地面に沈んだ。
草葉と枝、土埃が舞い散る中、降ってきたばかりの大岩の上に大猿のチェロクスが飛び乗った。
「貴様っ!」
サリアナが雄たけびを上げて切りかかった。闇夜に白銀の鋭い光がひらめく。
何匹もの獣を狩り、チェロクスの兵士を討ち取ってきたはずの白刃を、大猿のチェロクスはよけもせず全て受け止めていた。
「この! くそっ!」
「ムダだってわかんないかなあ」
「遊びはその辺にしとけ、テツヤ」
声がした。森の奥から現れたのは、白い衣装をまとったノーマだった。おそらくこいつもチェロクスだろう。理由は不明だが、ノーマに化けているのだ。肌の色や髪の色はフミトに近いが、雰囲気がまるで違っていた。こいつはまるで肉食獣だ。
「そうカリカリしないでくださいよ、ギンジさん」大猿のチェロクスはめげなかった。
「まだミチタカさんも戻ってませんし、目的も果たしたんですから」
「俺がいつお前の意見なんて聞いた?」
凄味のある声だった。ぞくり、と背筋が凍った。自分に向けられた悪意でも殺意でもないのに血が凍りそうなほど恐ろしかった。
「もう、わかりましたよ」
すねたように肩をすくめると、テツヤと呼ばれた大猿のチェロクスはサリアナの斬撃をかわしざまに拳を腹にえぐりこませた。
唾を吐き散らすと呻きながらサリアナは剣を手放した。苦しげに地面に膝をつくとそのまま横に倒れた。意識はあるようだが、苦し気に息を吐くばかりで立ち上がるような雰囲気ではなかった。
「ああ、くそ、逃げられちまった」
振り返ると、いつの間にか地面に大きな穴が空いている。ベスキオ様の姿もない。
サリアナが戦っている間に、オリ・ペッカ様が連れて逃げたようだ。
「追いかけますか?」
「穴掘りがしたいのなら好きにしろや」
ギンジと呼ばれた男は面倒臭そうに言った。
カーロはほっとする。さすがに地面の下までは追いかけられないようだ。
テツヤは動けなくなったサリアナを肩で担ぐと、つまらなそうにカーロとティニを見た。
「こいつらどうします? 殺しときます?」
ひっ、とカーロは股間が縮み上がるのを感じた。麻痺していた死の臭いが鼻の奥でよみがえった。
「そいつらも連れて行け。足しにはなるだろう」
ギンジはこともなげに言うと、ゆっくりと背を向ける。
「俺はミチタカのところに行く」
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