黒 烏
文人はベスキオの下から這い出ると地に降り立った男の前に立つ。
黒い翼にカラスの頭を持ったチェロクスがそこにいた。その隣ではカーロが乗ってきた鹿が細長い槍に串刺しになっているのが見えた。
「お前は……」
ベスキオの下から顔をのぞかせたカーロが驚きと非難の声を上げる。
あの夜、ベスキオを襲ったチェロクスか。
「夜目が聞くカラスとは珍しいな。もしかしてフクロウだったかな」
「まあ、飛びにくいのは確かだけどね。それでも人並み以上には利くね」
淡々と答える。
挑発のつもりで話しかけたのだが、当ては外れたらしい。
そこでカラスのチェロクスがベスキオを一瞥する。
「随分いい調教をしているようだね。まさかご主人様をかばうとは思いもしなかった。アニメでもこうはいかない」
文人ははっとなった。
「もしかして、お前も地球から来たのか?」
「お前も、ということは君もなのかい? やっぱり、ほかの連中とか違うと思っていたよ。そうか、テツヤが言っていたのは君のことか」
言葉ほど驚いた様子はなかった。
「僕はミチタカ、短い付き合いだと思うけどよろしく」
まるで執事のような動きで一礼する。
「テツヤというのはこの前のゴリラか」
「正確にはニシローランドゴリラなんだって、あれ。どうでもいいけどね」
ミチタカは肩をすくめる。
「アリクイの調教なんて聞いたことがないけど、どうやったのかな。もしかして、向こうじゃサーカス団にでも入っていたとか?」
間違いない。目の前にいるのは地球から来た男……しかも日本人だ。
「こう見えても動物好きでね」
とにかく今は情報が欲しい。舌の滑らかな男から少しでも引き出さないと。
「昔はよくドリトル先生を読んでたものさ」
ミチタカは首を傾げた。
「何それ? なんかの漫画? それともドラマ?」
あの名作も読んでないのか。全く最近の若い奴は本も読まないのか。いや、子供の頃に本を読ませていない教育がなってないからか。
「その姿はどうした? 最近じゃあ、動物の頭をかぶる仮装が日本で流行りなのか?」
「確かにハロウィンでこの格好して歩いてれば注目の的だろうね。でもあいにくこいつはコスプレでもハリウッドの特殊メイクでもない。天然ものだよ」
「改造手術でも受けたのか?」
冗談めかして言ったつもりだが、言葉に苦いものが混じるのは避けられなかった。
「言ったろ、こいつは天然ものだって。手術でもやばい薬も飲んじゃあいない。僕はこの姿で、|この世界に生まれてきた《・・・・・・・・・・》んだ」
翼を誇るように広げる。
「異世界転生って聞いたことないかな」
唐突に出てきた単語の意味を頭の中でかみ砕く。
「輪廻転生とか、生まれ変わりというやつか?」
ごくまれに前世の記憶を持ったまま生まれてくる子供がいる、という話は聞いたことがある。本来なら知るはずのない知識を知っていたり、突然全く別人の口調で話し始めたり、と世界中で報告例が挙がっている。だが大半は嘘や勘違いやでたらめ、また科学的に説明のつく現象でもある。自我の未発達な子供が本で読んだり、聞いた話に影響を受け、別の誰かと思い込んでしまうのだ。実際、生まれ変わりと称する子供の話の中には当時まだ生まれてない人物や実在しない人物の話も混ざっているという。
「まあ、そんなとこかな。違うのは転生先が異世界ってところだけど。で、僕は西暦二〇一八年に死んだんだよ。トラックに轢かれてね。で、気が付いたらこの世界にチェロクスとして生まれ変わっていたってわけさ。この姿になってね」
「その与太話を信じろと?」
「なら二〇一八年のセ・リーグの優勝チームでも言おうか?」
「いらない」
言われても文人にだってわからない。
「フミト! 神獣様が……」
切羽詰まった声に振り返ると、ベスキオの巨体が地に伏せているのが見えた。背中には細長い槍が刺さっており、弱々しく地に伏せている。
分厚い毛皮と筋肉で即死は避けられたようだが、あの出血はまずい。
「見ただろう、ミチタカ君。こっちは急いでいる。君の境遇については色々聞きたいこともあるが、出来ればそこを通してくれないか」
「なんだかオジサンみたいな口を聞くんだね、君」
ミチタカがくちばしをしなやかな手つきで撫でる。
「まだ若いのに。見た目とは大違いだ」
「君ほどじゃないよ」
ミチタカが喉を鳴らして笑った。文人の物言いがツボに入ったらしい。
「でも、こっちも逃がすわけにはいかないんだ。わかるだろう」
「わかんないなあ。オジサンは最近耳が遠くなっちゃってね」
「なら目はどうかな」
ミチタカはくちばしを空に向けて、けたたましい声を上げた。文字通りの怪鳥音に耳をふさぐ。
程なくして地響きとともに足音が近づいてくる。正確な数はわからないが二十は超えているだろう。先程の怪鳥音は仲間への合図だったらしい。
やがて武装したチェロクスたちが文人たちを取り囲んだ。
「降参したら? 僕も君にはいろいろ聞きたいことがあるんだ。おとなしくすれば命だけは取らないと約束してあげるよ」
「いやだね」
「ワガママだなあ。子供じゃないんだ。今がどういう状況か理解しているだろう?」
言われるまでもない。逃げようにも鹿は殺され、ベスキオは負傷して動けない。加えて敵のメンツは狼や豹の顔をした連中ばかりだ。ミチタカの合図からここに駆け付けるまでに一分とかかっていない。足に自信のある部隊のようだ。その上、空まで飛べるミチタカまでいる。逃げきるのは至難の業だろう。
「物分かりがいいのはオトナだとか子供たとか関係ないさ。それに昔から根性だけがとりえでね」
「今時、根性論なんて流行らないよ」
「こっちの方が効率がいいんだよ、俺は」文人は肩をすくめた。「インターネットで検索しても南米で麻薬カルテルに捕まった時に脱出する方法なんて出てこなかったんでね」
「ハッタリにしても作りすぎだよ」ミチタカがつまらなそうに鼻を鳴らした。
事実なんだがなあ、と心の中でぼやく。
「死んでもいいのかい?」
「後悔はしたくないからな」
軽口を叩きながら文人は後ろ手に回し、カーロに指で合図を出す。息をのむ気配がした。こちらの意図を理解してくれたらしい。
「仕方ないなあ」
ミチタカがため息を吐いた。面倒くさそうに腕を上げる。
「今だ!」
文人が声を上げると同時にカーロがベスキオの体に抱き着いた。その瞬間、ベスキオ達の体が地面に沈んだ。
「なっ……」
ぽっかり空いた大穴の底から「チュチュ」と鳴き声がした。
のぞき込むと、夜の闇より暗い穴が奥底まで続いている。文人の予想以上に深くまで掘り進んだようだ。
「くそっ!」
ミチタカの声に初めて焦りが浮かぶ。地面の中では自慢の翼も役に立たない。
「追え!」
ミチタカの合図でチェロクスたちが穴へと飛び込む。チェロクスたちの姿が穴の中に消えていく。四人目が穴の底に消えたところで悲鳴が上がった。
「貸せ」
側にいたチェロクスのたいまつをひったくると穴の中に放り込んだ。ミチタカが息をのんだ。
土の底では部下たちが地面から生えた巨大な鍾乳石に体を貫かれていた。ここからでは見えないが、血の滴るとがった鍾乳石の側には横穴が集落の方まで続いているはずだ。
とっさに立てた作戦ではあるが、思いのほかうまくいったようだ。
「深追いすべきではなかったな。部下のことは残念だった」
「貴様……」
ミチタカが憎々し気ににらみつける。
「どうした? カラスさん。ゴミ箱あさりなら遠慮しなくてもいいぞ」
「そうさせてもらおうかな」
ゆらりと立ち上がる。その目は愉悦に満ちていた。からかいすぎたか、と文人の背筋に冷たいものが走る。
「お前の死肉でな」
黒い翼を広げた。突風が巻き起こり、闇夜に小さな黒い影が飛んでくるのが見えた。文人は反射的に地に伏せ、頭を抱えた。頭上を駆け抜けていった後、絶叫があちこちで上がった。
止まるのはまずい、と地面を丸太のように転がりながら悲鳴のあがったほうを見た。チェロクスたちの体中に黒い羽根のようなものが突き刺さっている。
「案の定か」
翼から飛び出した羽根がナイフのように硬質化したのだろう。文人がよけたためにその後ろにいたチェロクスの兵士が犠牲になったのだ。文人はそのまま転がり続けてから膝をつき、そのまま藪の中へと飛び込んだ。
一瞬遅れて、地面に固いものが突き刺さる音がした。
転がりながら態勢を整えると文人は、立ち上がり山の中を駆け下りる。走りながら周りを見回すと、どうやら集落の方向に向かっているようだ。
ちょうどいい。あの手ごわいカラスを少しでもこちらに惹きつけておかないと、カーロたちが少しでも無事に逃げられるように。
木々の間をすりつけるようにして駆け抜ける。後ろを振り返る余裕はないが、追いかけてきているのは明らかだ。その証拠に獣の雄たけびや地を蹴る音がにじり寄って来る。何より、背後から樹の間を駆け抜けるたびに地面や木に突き刺さる音が立て続けに起こる。例の羽根手裏剣を投げまくっているようだ。
また獣の声だ。後ろではなく、横から聞こえてきている。
まずいな。足も地の利も向こうの方が上だ。
坂を駆け下りていくと急に視界が開けた。一瞬戻ってきてしまったのかと錯覚したが、ここは南の集落だ。人の気配はあるが出て来る様子はない。
樹の洞穴に住んでいるところとか、木々の生え方もよく似ていたが、一番の違いは神聖樹だ。中ほどから折れて無残な姿を晒していた
「むごいな」
「そうでもないさ」
見上げると、へし折れた樹から伸びた枝の上にミチタカが立っていた。
「神聖樹なんてものがあるからファーリたちは森に縛り付けられる。そう考えれば、僕たちは解放者と呼んでもいいんじゃないかな」
「それをファーリたちが望んだと思っているのか?」
「思っているよ」ミチタカは腕を上げた。「こんな感じでね」
足音がした。文人が振り返ると、木の洞から次々とファーリたちが現れた。彼らの手には包丁のような刃物から短剣、手斧や弓矢が握られている。
一瞬、彼らが武装蜂起したのかと思ったが、その顔には一様におびえと戸惑いの色があった。何より彼らの背後には巨大な剣や斧を持ったチェロクスたちが控えていた。
「さあ、君たち。そこの男は憎むべきノーマの男だ。日頃の恨みを晴らすといい」
するとミチタカが大きく息を吸い込むと、高らかに啼いた。
けたたましい怪鳥音に顔をしかめながらも嫌な予感がした。何度も死線を潜り抜けた文人の生存本能が、とっさに身を屈ませていた。
一瞬遅れて頭上を早いものが駆け抜けていく気配がした。
腹這いになりながら飛んできた方角に目を凝らすと、弓を構えたファーリが感情のこもらない目で次の矢をつがえていた。
なんだこれは?
憎しみであれ怒りであれ恐怖であれ、生き物を殺そうとする時には、目に何かしらの感情がこもるものだ。戦闘訓練もされていないのなら尚更だ。
それにあの瞳の色。ほんの一瞬だったが、確か翡翠色をしていたはずだ、なのに今は赤く輝いている。しかもこの場にいるファーリ全員がだ。
「なるほど」文人は記憶を思い返しながら得心した。「あれは君の仕業だったわけか」
「そういや、あの時もいたよね。そうだよ」ミチタカは得意そうにうなずいた。
「傑作だったよね。あの子の顔。この世の終わりみたいな顔してたよ」
からからと笑い出す。文人は拳を固めた。
「さあ、遊びは終わりだ。君たち、やっちゃえよ!」
号令とともにファーリたちはこくりとうなずくと、弦を弾き、刃物を構え、文人へと摺り足で近付いてくる。わずかに崩れたファーリの壁の隙間からチェロクスに刃を突きつけられた幼い子供の姿が見えた。ミチタカの嘲笑が聞こえた。
そうか。
文人は唐突に理解した。踏みつけにされる弱い人たち。その人たちを利用し、踏みにじり、嘲笑う暴力者たち。弱肉強食。どんな世界でも変わらない絶対的なルール。それが今この場で適用され、履行されているに過ぎないのだ。
反吐が出る。
途方もない怒りが文人の中で沸き立っているにもかかわらず、頭の底は冷えていた。今までに何度も経験したこの感覚。
行き着く先は一つしかなかった。
「さあ、やれ、やっちまえよ。そいつをぶっ殺せ」
ミチタカの合図でファーリたちが一斉に文人に殺到した。
文人は逃げなかった。幾重もの刃が振り下ろされた。
そして、哄笑が上がった。
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