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戦場カメラマンの異世界転生記  作者: 戸部家 尊


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救 援

「くそっ!」

 サリアナは舌打ちすると敵目がけて走り出した。巨猿のチェロクスはリズロの死体を軽々と放り投げる。サリアナは身を屈めてリズロの死体をかわすと、そのまま地を這うようにして足下へ滑り込んだ。腕力では勝負にもなるまいが、これだけの巨体であれば小回りは利くまい。懐に飛び込んで関節や急所を切ることが出来れば勝機はある。


 破城鎚のような拳の唸りを頬に感じながら懐に入り込むと、小刀で剥き出しの内太股に切りつけた。そのまま大猿の足を掴み、絡みつくようにして背後に回り込みながら足の腱に刃先を突き立てる。


 サリアナの表情が固まった。深々と貫くはずの刃は肉どころか黒い体毛に阻まれ、血の一滴も流してはいなかった。


 馬鹿な、と驚愕するサリアナの体が浮いた。硬直した瞬間に大猿に首根っこを掴まれたのだと気づいた時には、宙に吹き飛ばされ、大木に叩き付けられていた。目が眩む。意識が飛びそうになりながらも肌が粟立つのを感じて反射的にその場から飛び退いた。


 一瞬遅れて大猿の足の裏が大木にめり込んでいるのが視界の端に飛び込んできた。

 四つん這いになりながら距離を取る。戦慄が走った。

 これまでのチェロクスとは戦闘力も段違いだ。おそらくこいつが首魁、少なくとも幹部クラスだろう。


 ならばこいつの首を取れば、チェロクスの戦意をそぐことが出来る筈だ。


 全身を支配しかけた恐怖を押し込めながらサリアナは手探りで弓矢を手にする。身を屈めながら構えていた弓矢を大猿に向けて矢を放つ。夜の闇に溶け込む黒い矢はまっしぐらに大猿の胸に吸い込まれる。何匹もの獣や魔物を射貫いてきた矢は、むき出しの分厚い胸板にはじかれ、地面に落ちる。

 大猿は大あくびをしながら傷一つ付いていない胸をぽりぽりかく。


「今、何かやったか?」

「ちっ!」


 舌打ちしながらサリアナは再び弦を絞る。風を切る音が闇の中に沸き起こる。矢は一直線に胸元を狙っている。

 大猿のチェロクスは余裕の笑みを浮かべながら大きく息を吸い込むと、大音声を響かせた。

 鼓膜の破けそうな音は巨大なうねりとなってサリアナを打ちのめし、闇夜を疾駆する二本・・の矢を叩き落としていた。


「残念だったな」

 黒く塗られた矢を踏み潰しながら大猿のチェロクスはサリアナへと迫る。


「一本をオトリにしてもう一本で目ん玉を狙うたあ、少しは考えているみたいだが、ま、底が浅いわな。この体は夜目も利くんだよ」

 距離を取ろうと後ずさるサリアナの眼前で大猿が地を蹴った。巨体が宙を舞い、あっという間にその太い腕でサリアナの体を弾き飛ばした。


 またも樹に背中を打ち付けられ、力なくずり落ちる。

「惜しかったな、ゲームオーバーだ」大猿の奇妙な勝利宣言を訝しむ余裕はなかった。


 激痛で薄れ行く意識の中で、ファーリたちの悲鳴と逃げ惑う足音が耳朶を叩いていた。

 大猿はサリアナの手首を掴むと強引に引き上げる。


 毛深い黒猿の顔が目の前に迫っている。鼻息が当たって気持ちが悪い。

「へえ、よく見たらすっげえ美人じゃねえか。マジ、ハリウッドとかでも通用するんじゃね?」

 サリアナは鼻で笑った。


「すまないが、山猿の言うことはさっぱりだ。雌猿が欲しいのなら山に行くといい」

「寝ぼけんなよ、このエセエロフ」


 激痛が走る。怪力で耳を引っ張られ、耳の付け根から血が流れる。

「ばったもんのクセに寝言言っているんじゃねえよ。なんだよ、ファーリって。いいじゃねえか、エルフで。別にトールキンに使用料請求されるわけでもねえのによ。どうせ、この次は『くっ殺せ!』とか言うんだろ。んで最後は股開いてアヘ顔ダブルピースするんだから全部一緒だ」


 サリアナは唇を噛んだ。言っていることの意味は半分以上もわからなかったが、これだけはよくわかった。このチェロクスは私を侮辱している。


「殺してやる」

「周りに宣言して、自分のやる気を煽るのは目標達成の効果的な方法ではあるけどさ」


 大猿の指が再びサリアナの耳にかかる。

「出来もしねえことを言うのは、カッコワルイぜ」


 再び耳に激痛が走る。褐色の肌を赤黒い血が流れていく。

「エルフじゃねえんだったら、耳なんかいらねえだろ。とっとくか」


 サリアナは歯を食いしばった。

 その時だった。


 地響きと共に足音が近付いていくるのが聞こえた。反射的に大猿のチェロクスとともに音の方角に目を向ける。

 サリアナは目をみはった。


 黒く長い毛を持った大きな獣がこちらに走ってくる。体格は目の前の大猿と同じくらいだろう。だが、顔は細長く、口は錐のように尖っている。額には折れた角が無残な断面を晒している。


 見間違うはずがなかった。神獣・ベスキオだ。角を折られ、巣に籠もっていたはずのベスキオが木々の隙間をすり抜け、長い爪で地を蹴りながら周囲のチェロクスたちを弾き飛ばし、薙ぎ払っている。だが、サリアナが驚いたのはそれだけではなかった。


 ベスキオの背には見覚えのあるノーマが乗っている。あの顔は忘れたくても忘れられない。フミトだ。

 何故かフミトがベスキオの背にまたがっていた。長い棒を槍のように振り回し、突きながら周囲のチェロクスを転倒させる。


「なんだ、あいつは?」

 困惑した様子の大猿のチェロクスに向かい、ベスキオとフミトは雄叫びを上げながら、突進する。

 フミトはわずかに腰を浮かせると体をしならせ、尖った棒の先端を大猿のチェロクスに伸ばした。

「よせ!」


 反射的にサリアナは叫んでいた。フミトの突き自体は鮮やかだった。それでも突進力があるとはいう、刃すら通じない皮膚の持ち主に木の棒が通じるとは思えなかった。


 大猿のチェロクスが口の端を緩めた。胸を反らしながら大きく息を吸い込む。それだけで胸筋が膨らんだかのように見えた。

 フミトの突きが鈍い音を立てて、大猿の胸にぶち当たった。続けてベスキオの体当たりが腹部に決まった。


 にもかかわらず、大猿の体は後退一つせず、壁のように立ちはだかっていた。次の瞬間、力の行き所を失った木の棒は大きく折れ曲がり、中程から音を立ててへし折れた。同時にフミトの体もまた、ベスキオの背中から放り出される。


 細い木片が舞い散る中、サリアナの目が捕らえたのは勝ち誇った大猿の顔と、顔の前で商売道具・・・・を構えたフミトの姿だった。

「目を閉じろ!」言われるままサリアナは目をつぶった。耳鳴りのような音がした。


 白くまばゆい光をまぶたの上から叩き付けられる。

「があっ!」


 まともに光を浴びたのだろう。大猿のチェロクスが顔を押さえてもだえている。その隙にベスキオが巨大な爪を叩き付けた。

 やはり血煙こそ上がらなかったものの、不意を突かれて大猿の体が仰向けに転がる。


 フミトは鮮やかに着地すると転がっていた毒草の束を拾い上げる。そして落ちていた松明の火にくぐらせると、すくい上げるように大猿の口の中に放り込んだ。


「ごぼっ! がはっ!」

 まともに、しかも大量に吸い込んだのだろう。盛大に咳き込む。

「chikusyou,dousite,kamera no furassyuga……」

 息苦しいのか、奇怪な言葉をわめき立てる。


「無事か、サリアナ」

「馬鹿が、貴様。何故ここに」

「話は後だ。撤退するぞ」

「わかった」


 サリアナはフミトに続いてベスキオの背に飛び移る。

 ベスキオが反転して走り出そうとした時、ぐらり、と振動を感じてとっさにフミトの背中にしがみつく。

 何事かと振り返ると、大猿のチェロクスが倒れながらベスキオの後ろ足にしがみついていた。


「逃がすかよ、テメエ」

 ベスキオが悲鳴を上げながら後ろ足で大猿の顔を蹴りつける。泥と砂埃を浴びながらも手を離す気配はない。

「離せ、痴れ者!」


 たまりかねてサリアナは腰の短剣を大猿の頭に投げつけるが、岩のような固い音とともにあらぬ方向へ飛んでいく。


「わかっているんだぞ、テメエ『転移者』だろ。いくらんでもこの原始時代でカメラなんて作れるわけねえからな! 持ち込んだのか? まさか、召喚したのか? 買ったのか? それとも、ネットスーパーか?」


 怒りに瞳を燃やしながら奇怪な質問を投げかけている。フミトも困惑を隠しきれないようだ。

 大猿が地を這いながら腕に力を込める気配がした時、不意に手のひらを右耳に当てた。


「なんだよ、こんな時に。今取り込み中で……え、マジですか?」

 一人でしゃべりながら声を荒らげる。右耳に付けたのは飾りかと思っていたが、何かのマジックアイテムなのだろうか。

「いや、でも……しかし、まさか……わかりました、はい。戻ります」


 話しながら意気消沈していく。どうやら話している相手は格上のようだ。もしかして、チェロクスの親玉なのかも知れない。

「ちっ」

 舌打ちをしながら手のひらを耳から離す。どうやら親玉との連絡が途切れたらしい。


 大猿のチェロクスはベスキオから手を離すと、宙返りをしながら樹上に飛び乗る。そして息を吸い込み、雄叫びを上げる。

 森の中に甲高い声が響いた途端、こだまのように鳴き声が帰って来た。


 サリアナたちへと迫っていたチェロクスたちが次々と足を止め、身を翻して走り去っていく。

 今のは撤退の合図だったらしい。

「そこのテメエ。次はねえぞ、コラ。ぜってえぶっ殺すかんな!」


 無頼漢のような捨て台詞を吐くと、大猿のチェロクスは木の枝を飛び移りながら去っていった。

「行ってくれたか。どうやら向こうでトラブルが起こったようだな。運が良かった」


 ほっと胸をなで下ろすフミト。そこでサリアナはようやくフミトにしがみついたままなのに気づいた。

 背を突き飛ばすようにしてあわてて離れる。まるで小娘のような振る舞いをしてしまったことが、たまらなく恥ずかしかった。


 つっきまでつかんでいた背の辺りが皺になっている。自身の温もりがまだそこに残っている気がしてまた顔が熱くなる。

 サリアナは自分の頬を叩いた。


 そうだ、浮かれている暇などない。それに、この男に聞きたい事は山ほどある。

 息を整えると、その背中に呼びかけた。

「フミト」



 名前を呼ばれ、振り返るとサリアナ大股で近付いてきた。顔を真っ赤にして目をつり上げて迫ってくる。大分怒っているな、と文人は心の中でうめいた。


「何故お前がここにいる? それに、ベスキオはどうして……」

 まあ、それは聞かれるよな、と頭をかきながら首をひねる。

「お前たちを放ってはおけなかったからだよ」


 それは偽りばかりの自分の、偽りない気持ちだった。

「だが、あの数だからな。正直、手に余ると思った。少しでも戦力がいると思った」

「だが、ベスキオが戦いに加わるなどこれまでになかった」

「さあな。神獣の気持ちなんて俺にはよくわからん」


 文人は正直な感想を口にした。心変わりした理由には心当たりがあるのだが、それを口に出すのは憚られた。

「気に入られたのかな。昔っから動物には懐かれる方なんだ」

 その途端、スネを蹴られた。痛がる文人に向かい、サリアナが宣言する。


「とにかくお前はここにいろ。私たちは警戒に当たる。まだ残党がいるやも知れぬからな」

 そう言い捨ててサリアナは去って行った。納得はしていないが、論破するだけの材料も持ち合わせていないのが腹立たしかったようだ。だからといって弁慶の泣き所を蹴り飛ばされてはたまらない。

 念のため、ベスキオにも同行してもらったので大丈夫だろう。


 それにしても、と文人は首輪に手を当てる。首輪は尋問のために、翻訳機の役割を持っている。実際に付けられた感想としては、吹き替えというより同時翻訳に近いようだった。現地の言葉と同時に、日本語訳された声が聞こえる。だが、文人がフラッシュを焚いて目を眩ませた時、大猿のチェロクスが発した言葉は一種類しか聞こえなかった。


 まさか、あいつ……俺と同じ日本から来たのか? だとしたらあの姿は何だろう。今流行の『こすぷれ』にしては出来すぎている。丸っきり本物のゴリラそのものだ。

「フミト」


 サリアナの声で我に返る。振り返ると、木の陰に狼の頭部をした兵士が倒れているのが見えた。既に五、六人のファーリが集まっている。駆けつけて様子を見ると、脇腹から出血しており、足が折れている。まだ息はあるようだが、戦えるほど軽傷でもないようだった。首には鉄製の首輪を嵌めている。


「仲間から見捨てられたのか」

「どうする?」誰かがサリアナに問いかける。

 連れて帰って尋問するか、この場で命を絶つか。

「おい、お前」


 サリアナが呼びかけると、獣人はくぐもった声を上げる。

「貴様らのアジトはどこだ? 話せば命だけは助けてやる」

 首を振る。


「隠したところでためにならぬぞ」

 またも首を振る。


「ならば仕方ない。どうせ、人質にはならぬだろうな。ひと思いに」

 サリアナは剣を抜いた。獣人がうめき声を上げながら首を振り、芋虫のようにもがきだした。

「待て!」

 文人は間に割って入る。


「止めるな。これは戦だ」

「悪いが、俺はその手の言葉が大嫌いなんだ」

 正義のだめだの、戦争だからとおためごかしはたくさんだ。

「それに、こいつは敵じゃあない」


 頭に疑問符(この世界にもあるかは不明だが)を浮かべるサリアナたちに文人は背を向け、しゃがみこむと獣人の首回りに両手を伸ばす。

「動くなよ。お前を傷つけるつもりはない」


 しきりに首を振る男に言い聞かせると、指先の感触に引っかかりを感じた。金具だ。鍵がかかっているようだ。

 やっぱりか、と文人は舌打ちをする。鉄製の首輪なんて嵌めているから妙だと思ったのだ。仲間に付けるものではない。


「待ってろよ」

 靴底から取り出した針金で鍵穴に差し込むと、数秒でかちゃりと音がした。狼の顔を挟み込むように持つと、一気に引っ張り上げる。


 悲鳴のような驚愕の声が上がった。

 狼の顔の下から現れたのは、猿ぐつわをかまされたファーリの顔だった。


お読みいただきありがとうございました。


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