奇 襲
報告は一件だけではなかった。何人もの見張りや偵察が獣の顔をした者たちを目撃している。いずれも剣や槍を持ちながら固まっているという。
集落は大騒ぎになった。ファーリたちもたちまち剣や弓を持って、戦いの準備を進めている。今のところ攻めてくる気配はないが、三百を超える獣人に攻めかかれれば、集落が落ちるのも時間の問題だろう。
「先手を打たれたの」
族長の声は苦かった。族長の家にはファーリの男女六名が集まっている。いずれも村の重鎮だ。
「これでこちらから攻める手はなくなったわけか」
「まだ、何とかなる。集落から打って出れば」
「数の力ですりつぶされるだけだ。それより食料はまだ余裕もある。持久戦に持ち込めば、連中の方が干上がる。あれだけの数の兵士を維持できるはずがない」
「連中の補給経路を知っているのか? 果実も鹿もこの森にはいくらでもある。時間が経てば、外から食料を持ち込めない我々が不利になる」
文人は族長宅の外で息を潜めながら議論の成り行きを聞いていた。非常時のためか、皆興奮していて、気づかれた様子はない。
激しい議論が続いているが結論に至るには時間が掛かりそうだ。
チェロクスの動きは予想以上に速い。明らかに戦いに慣れている。ファーリの反応もある程度予想しているはずだ。包囲しているのが三百人なら全体の数は更に上だろう。一方、ファーリの戦士は非戦闘員の男を加えても五十人程度、女子供を加えても百五十人程だ。
ファーリたちに有利な状況があるとすれば、結界がある間は攻めてこられないという点だが、それも時間の問題だ。
じり貧だな。
文人は心の中でうめいた。
この集落が攻め込まれれば、罪もない人たちの血が流れることになる。俺が何をするべきか。何が出来るか?
戦場カメラマンの仕事は写真を撮ることであって、戦いに参加することではない。そもそもこの世界に新聞やテレビのようなマスメディアが存在するとは思えない。あったとしても江戸時代の読売(瓦版)のような、限定的かつ小規模なものだろう。仮にチェロクスたちの悪逆を撮影したとしても報道する場所がない。手段がない。古代ローマに倣って壁新聞でも書き連ねるか? 書いたとしてそれを読んでくれるのか? 住人の識字率は? 不都合な事実が報道されたとしてそれが握りつぶされないような自由は保証されているのか? そもそも自分にはこの世界の文字すら定かではないのだ。状況は絶望的だ。
ならばどうする? 何をする?
「ここにいたのか」
頭上からサリアナの声がした。顔を上げると、窓からサリアナの顔が文人を見下ろしていた。
「ああ、すまない」
窓の下で這うように耳をそばだてていたのでは、言い訳は通用しそうにない。立ち上がって頭を下げようとした文人をサリアナの手が制する。
「お前に、頼みたいことがある」
「なんだ?」
「あの子らのことを頼みたい」
「カーロとティニのことか?」
「明日の夜、私たちは打って出る」
文人は目をみはった。
「このままでは座して死を待つばかりだ。ならば、余力のある内に少しでも敵の出鼻をくじいておくべきだろう」
「罠だぞ」
森はファーリのテリトリーだ。結界の外に打って出て、不意を突く。反撃が来たところを結界内に逃げ込むゲリラ戦を繰り返せば、ある程度は敵の数を減らせるかも知れない。
だが、向こうもその程度の作戦は予想済みだろう。防御を固めているだろうし、そうなれば数の力ですり潰されるだけだ。むしろチェロクスはそれを待っているのかも知れない。
「わかっている」
サリアナの目は落ち着いていた。こういう眼をした人間を何度も見てきた。生命を賭して戦う戦士の目だ。そして大抵は戻っては来なかった。
「お前はさっき言ったな。理想を目指さねば、目標には辿り着けないと」
「ああ」
「私たちの理想は平穏な未来。未来はあの子たち、村の子供たちだ。だからこそ、守らねばならない」
「しかし」
「もう決まったことだ」
頼んだぞ、と言い残すとサリアナは背を向けて、歩き出した。
文人は背を伸ばしたが、追いかけることは出来なかった。
次の日の夜。サリアナは仲間の戦士とともに結界を抜けて集落の外へ出る。
結界の範囲も徐々に弱まり、明日か明後日には無力化するかというのが族長の予想だった。集落を囲むチェロクスたちは、かがり火を焚いて野営をしている。見張りは二人一組が等間隔で並んでいる。異変に気づかれれば、たちまち反撃に来るだろう。
サリアナら戦士たちは顔に巻いた布を引き上げると、袋から赤紫色をした、細い草の束を取り出した。ラデム草である。煙には毒が含まれている。少量であれば気付けになるが、たくさん吸い込めば呼吸困難を引き起こす。毒の煙を巻いて混乱に乗じて討ち取っていく作戦だった。
これでチェロクスを追い払えるとはサリアナも考えていなかった。倒せて十か二十、というところだろう。
何度も繰り返せば効果もあるだろうが、結界の残り時間を考えれば荒野を落ち葉で覆い尽くすようなものだ。
結局、集落の命運は尽きているのだ。どこからか応援が来るか奇跡でも起きない限りは。
サリアナ一人だけなら混乱に乗じて逃げることも出来るだろうが、彼女にこの集落を見捨てるつもりはなかった。
サリアナはここより遙か東にある、とある集落の忌み子として生まれた。
サリアナの父も母も多くのファーリがそうであるように白い肌に金色の髪をしていた。だが、二人の間に生まれたサリアナは褐色の肌に銀色の髪をしていた。両親は呪われた子として忌み嫌い、生まれたばかりの子を獣の餌にしようとした。それを救ったのが族長イリスルリヤである。
彼女は嬰児のサリアナを引き取り、自身の集落に連れて帰った。
族長の話では、何百年かに一度、サリアナのような子供が生まれるという。
ファーリは森の子、森の祝福を得て生まれる。だが、森の力は決して光に満ちあふれたものばかりではない。生い茂る葉は日光を遮り、死んだ獣を葉と草で覆い、地に返す。死と迷いと恐怖をもたらす。そうした森が持つ闇の力を持ったファーリが生まれることがあるらしい。
「闇の力も光の力も森の一部。闇無くして光もありゃせん。じゃけえ、お前が自分の肌や髪の色を気にする必要は無いんじゃ」
族長はそういって幼いサリアナの頭を撫でてくれた。やがて成人し、戦士として独り立ちするまで育ててくれた。
族長だけではない。この集落の者たちはみな、サリアナを差別しなかった。
生まれた集落は何十年も前にノーマとの戦いで滅びた。ノーマの非道に腹を立てたが、死んだであろう両親には何の感慨も湧かなかった。
口には出さないがこの集落が生まれ故郷であり、族長を母と思っていたし、集落の者たちが家族だった。
見捨てたくない。だとえ誰が見捨てようと。自分だけはこの集落を見捨てるわけにはいかない。
待っていろ、チェロクスども。集落に手出しをするというのなら、貴様らを全員八つ裂きにしてやる。
鏃にはラデム草を乾燥させたものを巻いてある。これを敵のかがり火やたき火に放り込めば、毒の煙が発生する。
怒りと決意を込めてサリアナは弓を引いた。短い風切り音とともに一条の矢が炎に吸い込まれていく。
矢を吸い込んだかがり火から白い煙が噴き出す。牛や狼の頭をした兵士たちが咳き込みながら膝を折り、崩れ落ちていく。
続けて散った仲間たちも矢を放ち、焚き火やかがり火からは毒の煙が立ち上る。
あるものは逃げだし、あるものは喉を押さえて倒れる。獣の姿をした兵士たちは混乱の極みにあった。
「いまだ!」
合図とともにサリアナたちは弓矢を捨てると剣を抜き、掛け声を上げながら突っ込んでいく。
「くたばれ、チェロクスども」
ファーリの斬り込み隊の刃は次々と敵を討ち果たしていく。白煙の中、ろくな抵抗も出来ず血煙を上げて倒れる。
剣を振るいながら、サリアナは違和感を覚えた。
勇猛果敢で知られるチェロクスにしては弱すぎる。何より、ろくな抵抗もせずに逃げ出すなど、今までの連中の動向からして考えにくい。
「やはり罠か?」
掃討を終え、追撃を諦めて一度引き返そうとした時だった。
絶叫が上がった。
とっさに振り返ると、すぐ側にいたはずのリズロがいなくなっていた。
「やっぱりな」
頭上から声がした。
ずん、という地響きとともに黒く重たいものが落ちてきた。
巨大な猿である。サリアナの一・五倍はあるだろう。黒く短い毛に覆われた筋肉は、焚き火のわずかな明かりでも判別できるほどだった。
その手にはリズロの首を掴んでいた。彼の首はすでにあらぬ方向に曲がっていた。
「引っかかってくれると思ってたよ」
「チェロクス!」
巨大な猿がにやりと得意げに笑う。
「追い詰めれば、必ずゲリラ戦に出てくると踏んでたが、やっぱり原始人の考えることは底が知れているな」