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月 下

 耳の奥を直接叩かれたような音と同時に、眼を焼くような炎と光がカーロに向かってきた。とっさにしゃがみ込み、顔を伏せる。丸めた背中を熱い風が撫でていく。爆風が収まった。耳鳴りを感じながらおそるおそる顔を上げると、岩壁が剥がれ落ち、森の一部が焼け焦げていた。地面も草が剥がれて岩と土と根がむき出しになっている。その側には鱗のついた足首が転がっていた。


 フミトの姿はどこにもなかった。残っているのが岩壁の近くに神獣様が、樹の上にはカラスのチェロクスが避難していた。


「ありゃ、失敗か」

 さして残念でもなさそうに言った。

「まあいいか。やるだけやったし。あとは君たちの神獣様次第だね」


 カラスのチェロクスは翼をはためかせると夜空に舞い上がり、飛び去っていった。

 しばらく経って戻ってこないのを確かめてからカーロは草むらから這い出してきた。


 倒れていたチェロクスたちも爆風で吹き飛んでしまい、黒焦げになったり、体の一部が吹き飛んだりしている。五体満足で残っているのは、カーロと神獣様だけだ。

「あ、あのお怪我はございませんか」


 這うようにしてカーロは神獣・ベスキオに呼びかける。ベスキオが低く唸った。

 毛を返り血で染め、白い爪は乏しい星明かりでもわかるほど赤黒く、糸を引いて粘ついている。金色の瞳を燃やしながらカーロに近付いてくる。


「あの、ティニを、妹を見ませんでしたか?」

 返事の代わりに神獣様は大きく口を開けた。

 ぱっくりと花弁のように上下に開いた口を、白く尖った牙を、カーロは呆然と見つめていた。


 その時、森の奥から物音がした。

 カーロが反射的に振り返ると、そいつが森の茂みから姿を現した。


 ファーリでもノーマでもなく、獣の顔をしていた。大きな猫のようだが、顔の周りを太陽のような丸いなたてがみが覆っている。金色の鎧をまとっているようだが、継ぎ目は見当たらなかった。カーロは、こんなチェロクスを見たことがなかった。


 チェロクスは遠い昔、獣が知恵の実を食べて二本足で立つようになったという。だからチェロクスには狼や猪のように獣と似た姿をしている。でもこいつは見たことがない。


 昔は百を超える種族がいたらしいが、ほとんどが飢饉や病気、ノーマとの戦いで血が絶えてしまい、生き残っているのはわずか二十八の種族とその眷属だという。猫の眷属なのだろうか、と考えた時カーロははっと気づいた。


 もしかして、獅子なのか?


 昔、父さんから聞いたことがある。伝説では、遙か東の草原に獅子という生き物がいた。巨大なたてがみを持ち、群れを率いて草原を支配していたという。特に金色の獅子はいかなる獣との戦いにも敗れることなく、その強さは群を抜いていた。百獣の王、とうたわれた偉大な獣。


 だが、長い歴史の中でいつしか数を減らし、いずこかへと消えたという。幻の獣だ。

 獅子のチェロクス……まさかそんなものがいたなんて。


 獅子のチェロクスは悠然と歩いてくる。そのたたずまいには王者の風格とも言うべき威圧感を放っていた。腰を抜かしながらカーロは道を開ける。


 獅子のチェロクスはカーロを一瞥しただけでその横を通り過ぎる。神獣様とあと数歩というところで足を止め、対峙する。

 風が吹いた。戦士ではないカーロにも、二体の獣がまとっている戦いの気配を肌で感じ取れた。


 先に動いたのはベスキオ……神獣様だった。咆哮を上げて右の爪を振り上げる。獅子のチェロクスは片手で受け止めた。ぶつかった瞬間、空気の波がカーロの肌を乱暴になで回していった。


 神獣様は左の爪を今度は下からすくい上げるように振り上げる。当たれば大木すら切り裂くはずの爪をまたも片手で受け止める。爪が直接当たっているにもかかわらず、切り落とすどころか手甲に傷一つついた様子はない。


 カーロは寒気立つのを感じた。熊より強い神獣様の攻撃を受け止めるなんて。

 神獣様が雄叫びを上げる。攻撃が通じないのに苛立ったのか、両の爪を振り上げ、何度も叩き付ける。

 金属音が夜の森に響き渡る。


 嵐のような連続攻撃にも獅子のチェロクスは動じた様子もなかった。

 一つ一つを受け止め、受け流し、かわし、のけぞり、しゃがみ、全てをしのいでいた。


 神獣様は角を振り上げ、頭からぶつかっていく。短い間合いではさすがに避けきれず、真正面からぶつかる。

 太い短剣のような角が金色の鎧を貫いた、かのように見えた。


 獅子のチェロクスは角を左脇で挟み込むようにして封じると、両腕で神獣様の肩を掴み、突進を防いでいた。神獣様が声を上げて押していく。体重差で金色のチェロクスが押され、二本の稜線が地面に刻まれる。


 岩壁の際まで押された時、獅子のチェロクスが力を込める。後退が止まる。同時に右腕を神獣様の肩に差し込み、一気にのけぞる。


 神獣様の体が浮いた。軽々と巨体を持ち上げると、そのまま背中から倒れるようにして神獣様を後ろに放り投げた。岩壁に叩き付けられ、地響き立てて土煙が上がる。黒い巨体が仰向けに倒れ、半回転し、立ち上がろうとする。


 神獣様の動きが止まった。

 額から伸びた一本角を、獅子のチェロクスが片手で掴んでいた。


 神獣様は抵抗しようと爪を動かすが、投げられたダメージが残っているらしく、弱々しい動きで鎧の表面を撫でるばかりだった。

 獅子のチェロクスが手刀を振り上げる。


「やめろ」カーロはとっさに叫んでいた。何の効果もなかった。

 金色の閃光が走った。

 白い角が宙を舞い、地面に突き刺さった。神獣様はその途端、糸が切れたように膝をつき、地面に倒れ伏す。


「神獣様!」

 カーロはたまらず神獣様に取り縋る。

「しっかりしてください、神獣様!」


 根元から折れた角が無残な断面を晒している。目を閉じて呼吸も弱々しく、あれだけ雄々しかった巨体が一回り小さく見えた。

 側には獅子のチェロクスが立っている。その手には角が握られている。


 カーロはとっさに立ち上がり、両腕を伸ばす。何をやっているのだろう、と頭の中の冷静な部分が囁きかける。


 神獣様を簡単に倒すような奴に勝てる道理などあるはずがない。死体が増えるだけだ。それでも弱った神獣様を放ってはおけなかった。


 たとえ、震えが止まらなくて歯の根が合わなくて涙が出ておしっこが漏れそうでも。

 獅子のチェロクスが一瞬、笑ったような気がした。満足そうに頷くと、身を翻し、森の奥へと消えていった。


 カーロは全身の力が抜けてへなへなとその場に座り込んだ。

 ほっとした。助かった。そう思った途端、自分が情けなくなり、ちくしょう! とこぶしを地面に叩き付ける。


 何を喜んでいるんだ。あいつが見逃したんだのがそんなにうれしいのか。僕なんか、殺す価値もないってことなんだぞ。

 草の上に顔を埋め、すすり泣いた。


 どれほどそうしていただろうか。

 草の上を踏みしめる音が近付いてくる。


 カーロは顔を上げた。チェロクスたちが戻って来たのか? それとも、フミト?

 近付いてきた人影は小さく、カーロの見知った形をしていた。

「お兄ちゃん」

 妹のティニが駆け寄ってきた。


「ティニ!」

 カーロは膝立ちのまま腕を伸ばし、妹を抱きしめる。

「大丈夫か、ケガはないか」


 カーロはあわてて、ためつすがめつ妹を見る。

「どうした、この背中?」

 ティニの背中の辺りに、大きな穴が空いている。服だけで肌には傷一つない。

「えーと、その、ちょっと転んじゃって。その時に木の枝に引っかけちゃって……」


 目を逸らしながら気まずそうに言う。

「平気か?」

「うん、へいき」笑顔で言った「いたいよ、お兄ちゃん」

「ごめん」と慌てて腕を放す。


「バカ、こんな時間に外に出る奴があるか」

「ごめんなさい」

「人形は見つかったのか?」


「うん」ティニはうなずくと、人形を顔の横に持ち上げる。

「フミトが見つけてくれたの」

「フミトが?」


 すると、ティニの来た方角からノーマの男がこちらに近づいてきた。フミトだ。

「フミト、無事だったの?」


 爆発に巻き込まれて死んだかと思っていたのに。服が少しばかり焦げているだけで、大きな火傷を負った様子はない。


「とっさにあのチェロクスを背負い投げで放り投げてな。どうにか直撃は避けたんだが、爆風に巻き込まれて頭打って気絶していたらしい」

 痛そうに頭の後ろを撫でさする。


「爆発したのって、あの蜥蜴のチェロクス?」

「ああ」

「フミトはどうしてあのチェロクスが爆発するってわかったの?」


 そうでなければあの動きは説明が付かない。

「勘だよ」フミトは淋しそうに答えた。

「自爆テロはイヤと言うほど見てきた。やった奴も、させた奴もな」


 『ジバクてろ』が何なのかはわからないけれど、フミトの顔は悲しそうだった。きっと辛い思い出なのだろうとカーロは思った。


 神獣様は弱々しく息をしている。命に別状はないようだが、これで結界を張る力は失われてしまった。すぐにも攻めてくるだろう。


 フミトはしゃがみ込むと神獣様の頭をなでさする。神聖樹の使いにあるまじき行為ではあるが、とがめるつもりにはなれなかった。誰も死んではいない。でももっとまずいことになった。無事を喜べばいいのか。悪化した状況を悲嘆するべきなのかもわからなかった。


 族長にも知らせないといけない。怒られるくらいならまだいい。不安ばかりがカーロの胸を占めていた。

 そんな息苦しさから逃れるために、帰りはずっと妹の手を握っていた。

お読みいただきありがとうございました。


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