狂 乱
カーロはフミトとともに森の奥へ向かった。ティニが道を外れたようだという予想と、その理由を説明するとフミトも同意してくれた。
奥に進むと木立も生い茂り、いつもならまばゆいばかりの星明かりも見えない。まるで落ち葉の中に顔を突っ込んだように真っ黒で息苦しい。
「そこ、危ないぞ」
フミトの声で我に返ると同時に急につんのめった。地面にむき出しの木の根っこに足を引っかけたのだ。二三歩、よろめいてどうにか転ばずに済んだ。
「昼間とは違って足下が見えないからな気をつけて歩かないと」
噛んで含めるような物の言い方がカーロの癪に障った。なんだい、偉そうに。
「子供じゃあない。僕はもう三十七歳だ」
ノーマの年齢はわかりづらいけれど、フミトはせいぜい二十年くらいしか生きていないってサリアナが言っていた。
ノーマの二十歳は大人だそうだけれど、自分よりは年下のはずだ。
「子供のうちさ」フミトは怒りもせず言った。「俺にとってはな」
気分を害した風でもなく、見た目よりひどく落ち着いている。カーロは思った。
もしかしたらフミトはファーリの血を引いているのではないだろうか。外の世界ではノーマとファーリの間に生まれた子供もいるという。そういう子供はハーフファーリ、もしくはアナザー・ファーリとしてどちらの世界からも忌み子として嫌われている、と聞いたことがある。
フミトがファーリの血を引いているのなら、若々しい見た目にそぐわない落ち着きも余裕も説明が付く。けれど、フミトはファーリのように耳も長くないし、肌の色も自分たちともサリアナとも違う。一体何者なんだろうか、と考えていると、フミトが足を止めた。
「待った」
フミトは地面にしゃがみ込むと小さなガラス板を取り出した。透明なガラスに奇妙な記号や文字らしき紋様が浮かんでいる。指先で表面を撫でると、ガラスの板から白い光が出た。
「な、なにそれ? それも魔法なの?」
確かフミトは「すまほ」と呼んでいた。小さなガラスの板に「あぷり」とかいう魔法がたくさん入っていて、姿を写したり様々な叡智を知ることが出来るらしい。
「ただのバックライトだよ」
ほほえましそうに答えると、「ばっくらいと」を地面に照らす。フミトの顔が険しくなる。
「聞いていいか、カーロ」地面を見つめながらフミトは言った。
「最近、この森に入った人……ファーリはいるか? 昨日の俺たち以外に」
「いない……と思う」
記憶の引き出しを開けながら答える。
「神獣の森に入るのはこの前みたいな儀式くらいだし」
「なら、結界の外から入る可能性は?」
「どうしてそんなことを聞くんだよ」
そこでフミトは体をずらし、地面を照らしながら指さす。
「大勢の足跡だ」
カーロは血の気が引くのを感じた。
「どうなんだ?」
「ちょっと待って」
フミトの質問を手で制しながら頭をひねる。結界の中に余所者は入れない。入れるのは神獣であるベスキオ様が許した者だけ。それは絶対だ。
「あり得ない。それこそ……いや、待って」
そこでカーロはあることに気づいた。
「神獣様の結界……ここは外なのかも知れない」
「どういうことだ?」
「結界の範囲は一定じゃないんだ。日によって広がったり小さくなったりする。もちろん、集落は常に結界の中だけれど、森の方になると結界に入ったり入らなかったりするんだ」
「なるほど」フミトは考え込む仕草をした。
「結界が時間や場所によって一定でないのなら……だとしたらティニは」
「結界の外かも知れない。まずい!」
外にはファーリ目当てのチェロクスがたくさんいる。そいつらに見つかったら……。かぶりを振って最悪の想像を打ち消す。
カーロよりも早く、フミトが走り出した。カーロもその後を追って駆け出す。
「一応聞くが、チェロクス以外の可能性は?」フミトが前を向きながら聞いてきた。
「あるよ」カーロは言った。「ノーマの密猟者だ」
「密猟者?」
「神獣様の角は万病に効くと言われているんだ。角を折ってかざせば、死人以外ならどんな病人や怪我人でも治してしまうんだって」
実際、別の集落でも神獣様の角を狙ってノーマの軍隊が攻めてきたこともあったらしい。
「もしかしたら、チェロクスたちの狙いもそれかも」
あのおぞましい連中ならそのくらいのことやりかねない。
「角で治せる人数はどれくらい?」
「確か、一人だけだって」
密猟者にしろチェロクスにしろ、危険なことに変わりはない。仮に角が目的でないとしても結界を張る神獣様は、チェロクスにとって邪魔な存在だ。そんな連中がうろついている中をティニは一人で……。
「ティニ、どこだ!」
気がつくとカーロは叫んでいた。父さんも母さんもいなくなって、その上妹まで失うなんて耐えられない。耐えられそうにない。
地鳴りがした。足を止めて辺りを見回すと、空気を震わせる咆哮が鳴り響いた。腹の底まで震わせる声にカーロは耳を押さえて目を閉じる。
「あっちの方から聞こえたな」
険しい顔をしながら森の奥を見つめる。カーロも目を凝らせば森の木陰の間でうごめくものが見える。黒い塊から突き出た細長い影は、角のようにも見えた。
「神獣様?」
「君はここにいろ」
言うなりフミトが走り出した。返事をする間もなかった。
カーロはふくれた。なんだよ、あいつは。どこまで自分勝手な奴なんだ。
「ふざけるな」
ティニは僕の妹だ。僕が守らないでどうするんだ。
近づくにつれて声が、いくつも聞こえてきた。木々の間から見える神獣様も右に左にと激しく動き回っている。誰かと戦っている?
何度もつまずきそうになりながら森を抜けると、目の前に巨大な岩壁が立ちはだかっていた。岩壁の手前は半円状に背の低い草が広がっている。集落の家がいくつも入るくらいの広さだ。岩壁の手前の辺りで月明かりを浴びながら神獣様は襲いかかる獣たちを両腕で払い落とし、なぎ払っている。
いや、獣ではない。様々な獣の姿をした半人半獣の異形たち。チェロクスだ。それも一人や二人じゃない。数えただけでも二十人はいる。どうしてこんな場所に?
猪の顔をしたチェロクスが神獣様に突進する。脇腹にしがみつき、牙を突き立てて肉を破ろうとしている。反対側では犬のチェロクスがよだれを垂らしながら、後ろ足にかみついている。
でも神獣様は長い爪でなぎ払うようにチェロクスどもを振り払う。強烈な勢いで弾き飛ばされて仰向けに倒れた二匹の胸めがけて神獣様の爪が同時に突き刺さる。
絶叫を上げて二匹のチェロクスが胸から血を流して動かなくなる。
威圧するような神獣様の雄叫びにチェロクスたちが後ずさる。すっかり怖じ気づいたようだ。今にも背を向けて逃げ出しそうだ。
やっぱり神獣様は強いや。カーロは感心してしまう。神獣様がいればチェロクスなんて恐れることなんかない。
またもチェロクスの悲鳴が上がった。血しぶきを上げてうつぶせに倒れる。でも、倒したのは神獣様ではなかった。
「いやー、よかったね」
上空からほっとしたような、楽しそうな声がした。翼を羽ばたかせて現れたのは、カラスの頭をしたチェロクスだった。背中に黒い羽を生やし、手には鋭利な短剣を握っている。根元まで赤黒く濡れていた。逃げだそうとした仲間を血祭りに上げたのだ。
カラスのチェロクスは、上空で旋回してほかのチェロクスたちの一番後ろに着地する。
「逃げ出す奴は僕が始末しておいたから君たちは存分に戦うといいよ」
うれしそうな声音で翼をはためかせると、無数の黒い羽根が飛んだ。夜の闇に溶けるような羽根が刃物のようにチェロクスたちの足に突き刺さった。
「二の長、な、何を?」
困惑した顔で膝を突いて倒れる。背後から、しかも味方にやられるとは思っていなかったのだろう。ネズミも鹿も山羊も、驚きと困惑で目を見開いている。
二の長、と呼ばれたカラスのチェロクスが小首をかしげる。
「おや、どうしたんだい? 君たちの間じゃあ、逃げるのは臆病者で卑怯者のすることなんだろう? だから逃げられないように退路を断ってあげたんだよ。あ、心置きなく命つきるまで戦うといい」
「……」
「どうしたんだい? 僕は戦えと言っているんだよ」
カラスのチェロクスは目を細めると短剣に付いた血糊を振り払った。飛び散った鮮血がチェロクスたちの足下を濡らした。
「戦いたいんだろう?」
チェロクスたちの顔が青ざめる。
半ばやけくそのように雄叫びを上げると、神獣様へと向かっていく。でも足をケガした状態でまともに戦えるはずはなく、爪に切り裂かれ、踏みつぶされ、岩壁に叩き付けられて動かなくなる。
気がつけば、残ったのはカラスのチェロクスだけだ。
味方が全滅しても動揺した様子はなく、むしろ面白がっている風に見える。
「こいつはまた、聞きしに勝る強さだね。これなら十分かな」
カラスのチェロクスが指を鳴らした。その途端、神獣様の背後の岩が盛り上がる。風船のように膨張した岩は人型を象っていく。
あれは、岩じゃない。この前、集落に忍び込んだ、蜥蜴のチェロクスだ。岩に化けて神獣様の背後に回り込んでいたんだ。
カーロが気づいた時には蜥蜴のチェロクスは、神獣様の背中に飛びつき、負ぶわれるように張り付く。神獣様も気がついて引きはがそうとするが、背中に手が届かないのでうまくいかないようだ。
「二の長、今です」
懇願するように蜥蜴のチェロクスが呼びかける。
「余計な事を」
二の長と呼ばれたチェロクスは苛ついたように舌打ちする。
「……けど、まあいいか。どのみち、消えてもらうんだからね」
カラスのチェロクスはにやりと笑って腕を上げる。
「まずい!」
舌打ちをしながらフミトが飛び出した。矢のような速度で駆け出すと蜥蜴のチェロクスに体当たりのように飛びつく。
「てめえ、また……」
不意を突かれた蜥蜴のチェロクスは驚いた顔で神獣様の背中から引き離される。
二人の体がもつれ合うように森の中に消えた途端、爆音が響いた。
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