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愚 者

 文人の手から離れた短剣はカーロの横を通り抜ける。縦回転しながら横になっている男の腹にめがけて飛んでゆき、音を立てて床に突き刺さった。腹に突き刺さる寸前、倒れていたマクネが身を翻し、壁にへばりつくようにして起き上がっていた。


 あっ、とその場にいたファーリたちが目をみはった。

「元気そうだな。これならもう退院してもいいんじゃないか」

「貴様……」


 文人の皮肉をマクネが憎々しげににらみつける。

「演出が派手すぎたな」 

 文人は肩をすくめた。


「村から二日もかかってたどり着いた割には血を流しすぎている。あの出血量なら普通はどっくに失血死している」


 おまけにケガをして二日も経っているのに服に付いた血も乾いていなかった。重傷をよそおって安心させたかったのだろうが、裏目に出たようだ。


「これは一体、どういうことだ?」

「こいつは本物のマクネじゃない」


 サリアナのつぶやきを文人が拾う。おそらく本物はとっくに殺されているだろう。前の村と同じ手では見破られると思い、変化を付けたようだ。同じファーリなら警戒も緩むだろう。ノーマ……人間に変身できるなら、ファーリに化けても不思議ではない。何より、同じ村のカーロを見て何の反応も示さなかった。


「ちっ!」

 ごまかすのはムリと判断したのだろう。舌打ちをすると、偽者のマクネは自身の顔に爪を立てると一気にひっかいた。皮膚が無残に剥がれたが、血は流れなかった。代わりに目の下から頬にかけて、傷の下から鱗のような緑黄色の肌があらわになった。


 続けて自分で付けた顔の傷に指先を突っ込むと、マクネの顔が覆面のようにはがれ、床にぬめった音を立てて落ちた。


 カーロが青ざめた顔で悲鳴を上げると壁に背中を押しつけた。

 マクネの顔の下にあったのは、突き出た口先にとがった目、そして皮膚の代わりに顔中を覆う鱗、蜥蜴そのものの頭であった。


「チェロクス……」

 誰かが戦慄をこめてつぶやいた。


 蜥蜴男の動きは速かった。身を翻すと、一気に跳躍する。爆薬でも仕込んでいたかのような音を立てて窓へと身を投げ出し、外にいたファーリを蹴り飛ばす。隣の木に叩き付けられ、頭から血を流すファーリの横を冷やかすように通り過ぎながら蜥蜴男は集落の中を駆けていく。


 ファーリたちがその光景を見て我に返ったらしく、追跡を始める。

「深追いはせんでええぞ」


 イリスルリヤの指示に首肯すると、姿を消していく。


 残ったのは四人のファーリとサリアナ、カーロ、イリスルリヤ、そして文人だった。文人とイリスルリヤ以外のファーリたちはいまだ事態が飲み込めないらしく、困惑と警戒で目を白黒させている。

「さて」


 文人は肩の荷が下りたと言わんばかりにため息をつくと、壁際でへたりこんだままのカーロに向かって膝をつき、頭を下げる。


「すまなかったな。怖がらせるつもりはなかった。申し訳ない」

 非常事態とはいえ、カーロを巻き込んだのは明らかに失敗だった。


 ぽかんとしたままのカーロにもう一度頭を下げると文人は立ち上がり、今度は床に刺さった短剣を拾い上げる。そして、身構えるサリアナに柄を向けて差し出す。

「返すよ。勝手に借りてすまなかった。あと、乱暴なマネをしたのも謝る」


 サリアナは困ったように短剣と文人を見比べる。受け取るべきかどうか判断しかねているようだ。

「何のマネだ」彼女は絞り出すように言った。

「借りたものは返すのは当然だろう」


「そうではない!」苛立ったように声を荒らげる。

「牢を抜け出し、私を人質にして外へ逃げ出すのかと思ったらわざわざ危険な目に遭ってまで里に入り込んだあの偽者を見破りに来たというのか? 何のために」


「牢の中から俺が教えたとしても君たちは聞く耳を持たなかっただろうからな」

「わざわざそのために脱走したというのか」

 サリアナは信じられない、と言いたげにかぶりを振った。


 正確に言えば脱獄の計画中に偽者と感づいたから急いで実行に移したのだが。そこは言わぬが花、というものだろう。


「お前に何の得がある? あいつの目的は集落に仲間をおびき寄せることだろう。そうすれば混乱に乗じて逃げ出すことも出来たはずだ」

「あいつを野放しにしたらこの集落の全員が危険にさらされるだろう」


 当然その中にはティニやカーロも含まれる。生まれた村を追われた子供たちをまた同じ目に遭わせるわけにはいかない。

「それで?」サリアナの声に冷ややかさが戻った。


「情けを掛ければ見逃してくれるとでも思ったか? わざわざ助けてやったんだから貴様を無事解放するとでも思ったのか? 貴様がチェロクスの仲間ではない理由はない。貴様がこうして我々を助けたことも連中の作戦でないとどうして言い切れる?」


「そうだな」

 文人はあっさりと認めた。


 わざと味方を売ることで信用を得て、より深く相手の内情に潜り込む。スパイ映画でも見た手口だ。文人がそうでないことを証明することは今の段階では難しい。


「まあ、信用できないというのならそれでもいいさ。おとなしく牢屋に戻ればいいんだろう?」

 ほら、と両腕を上げて降参の意を示す。


「なんなんだお前は」

 サリアナは顔をしかめた。

 理解できない存在への気味の悪さを感じているかのようだ。


「お前の行動はさっぱりわからない。ちぐはぐで、デタラメで、筋が通っていない。何を考えているんだ」

「損得勘定は苦手なんだ」


 要領がよければもっと楽な生き方をしていただろう。カメラを片手に戦場や紛争地域を渡り歩くような真似などせず、金銭的にも恵まれた生活をしていただろう。もしかしたらタキシードでも着て、パーティでも開いていたかも知れない。プールのある豪邸で日光浴でもしながら女優のような美人の愛人でも侍らせていたかも知れない。


 だが、今文人が着ているのは、着古したシャツとジーンズであり、財布にあるのは数枚のアメリカドル紙幣と六十二セントのコインだけだった。バイクはあるが家はなく、資産と呼べるのは一眼レフのカメラくらいなものだ。日本に戻った時も安いホテルか知人の家に止まらせてもらう。おおよそ大金とは無縁の生活だ。


 どちらが幸せなのかはわからない。ただ、文人は自分で選んだ人生に後悔はしていない。

「貴様っ!」

「もうそのへんでええじゃろ」

 なおも納得がいかない顔でつかみかかろうとするサリアナを族長が制した。


「おとなしゅう捕まるというとるんじゃ。もう夜も遅い。尋問はまた明日にせえ」

「……承知しました」

 サリアナは不承不承という感じで頷いた。


 文人は牢屋に戻された。今度は両腕両足を縛られてしまった。錠前は変えられ、靴の底にしまってあった針金も没収された。その上、見張りのファーリが二人、牢の前で常時見張っていた。牢屋の中も徹底的に捜索されたらしく、積もっていたはずの落ち葉が牢の中に散乱していた。文人は苦笑しながら、体を芋虫のようにのたうち回らせ、どうにか落ち葉を部屋の真ん中に集めるとその上にごろりと横になった。


 ますます脱獄は難しくなったが、まあ何とかなるだろう。殺すつもりならとっくに実行に移しているはずだ。機会はまだある。明日のことはまた明日考えればいい。


「それじゃあ、おやすみ」


 見張りのファーリに声を掛けて文人は目を閉じた。今日のところは逃げ出すつもりはなかったが、やはり一度抜け出したので警戒心を解いてはくれないようだ。こちらの一挙手一投足に気を配っており、寝返りを打つにも反応するのがおかしかった。


 翌朝、見張りに差し出された朝食を食べているとサリアナがやってきた。


 表情には出していないものの疲れと寝不足が見て取れた。昨日逃げた偽マクネの捜索に当たっていたらしく、足下には昨日は付いていなかった泥が付着していた。


 サリアナは見張り二人と何事か話すと、鍵を手に取り、牢の中に入ってきた。

 死刑判決でも出たのかな、と文人が苦笑しているとサリアナは無言で両手両足を縛っていた蔓を外した。


「出ろ」ぶっきらぼうに言った。

「族長がお前の処遇について決められた。牢から出せとの仰せだ」


「それじゃあ、無罪放免?」

「そうではない」

 サリアナは首を振った。


「やはりあのチェロクスは斥候役だったようだ。近くに軍勢が来ているのは間違いない。どうやら湖の近くに陣を張っているようだ」

 忌々しそうにサリアナは舌打ちをする。


「貴様も多少は腕が立つようだが、一人で出歩けば命を落としに行くようなものだ。しばらくこの村にとどまるといい。折を見て、ノーマの村まで案内してやろう」


 ただし無用に村の中をうろつくのは禁止。当然、無法を働けば掟に従い処分する、と忠告を加える。

 要するに囚人から客人に昇格する、ということらしい。

 文人もこの処遇は予想外だった。


「いいのか?」

「族長の決められたことだ。ならば従うしかない」

 仕方がない、とサリアナは念を押すように付け加える。


 表情が変わらないので判断しづらいが、言葉ほど命令に自身の心を押し殺している様子は感じられなかった。

「ありがとう」

「礼なら族長に伝えることだ。貴様はフミト、だったな」

「ああ」


「貴様は愚か者だ」

「知っているさ」

「その上、無知で無謀で無茶をする」

「まあ、そうだな」


「だから」とサリアナは微笑んだ。

「誰かが監視しなくてはな」


お読みいただきありがとうございました。


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