第9羽 狼は大神です
「アノォ。少シヨロシイデショウカ?」
「はい。何でしょうか?」
わたしが受付の大ホール内を歩いていると、不意に呼び止められたので振り返って見ると、そこには一匹の純白の綺麗な毛並みのオオカミがこちらをジッと見つめて立っていました。
「どうしました? もしかして、哺乳類班の受付が分からないのですか? でしたら、ご案内致しますね」
以前にもお話ししたかも知れませんが、この天界は神界の一画とは言え、途方もない広さを有しています。
そして、その天界の一つの建物に過ぎない日本支部もそれなりの広大さを有しています。
一つの課に過ぎない転生課の受付ホールですら、わたし達が全力で端から端まで翔んで数時間は掛かるでしょうか。
なので、初めて来た方が迷うのも無理はありません。
えっ、皆初めてだって? そうでしたね。わたし達にとっては良くあることなので、つい、って……前にも似たような事があった様な。
「アッ、イエソウデハ、ナクテ……ジツハ、連レ合イヨリ先ニ、死ンデシマイマシタガ、来世モ一緒ニイタイト思イマシテ、シバラク霊体ノママ彷徨ッテイタノデスガ、コチラニ連レ合イノ気配ヲ感ジマシテ……」
「えっ! そんな事ができるんですか? って……ああ、あなたはかなりの力をお持ちですね。なるほど、あなたが……物質界にとどまり続けた神獣ですか……ふむふむ、ならば可能でしょうか」
物質界とそれぞれの『界』の協会は、昔は……と言いましても途方もない昔、そう、人々が『神話の時代』と言うような時には、かなり曖昧で、それこそ力有る生物やあまり力が無くてもそれなりの複雑な手順を踏めば『神界』や『冥界』といった場所へも出入りする事が出来たそうです。
人間の社会に広まっている神話や昔話の中にも、この手の話は数多く伝わっていますよね。
確か、メルエルちゃんに聞かせてもらったスズメとお爺さんのお話も、その様な話の一つだったと思います。お爺さんが、お婆さんにつまみ食いの罰で舌を切られて死んでしまったスズメに会いに、冥界に行き日本神仏界の職員の牛頭さんや馬頭さんの手伝いをしつつ、道を聞きながらたどり着き、再会し、歓待を受け、お土産を貰い、生還する話でしたか? ……あと、パンドラの箱っぽい物も出て来た様な気がしましたが??? 途中からメルエルちゃんの声に和んでウトウトしてしまって、かなりあやふやになってますね。今度もう一回聞かせてもらいましょう。
……コホン。ですが、現在ではいろいろな事情により、それぞれの間は徐々に隔てられ、距離を開け、物質界の格の低い生物では、おいそれと行き来出来なくなっています。
『距離』で言うと分かり難いかも知れませんが、『次元が違う』と言う言葉の方が分かり易いかもしれません。
近い様で遠く、遠い様で近い、それが物質界と、他の『界』の位置関係です。
それを気にした様子も無く奥さんを探しに来たのですか? 亡くなっているとは言え、いや、だからでしょうか。一体、どのくらいの間、何処の『界』にも引き寄せられず、彷徨っていたのでしょうか?
「ドウカシマシタカ?」 私ガ何カ?」
「いえ、凄いですね。一体、どのくらいの間、彷徨っていたのですか?」
「恐縮デス。ソレ程、長クハアリマセン。私ガ死ンダ後、連レ合イノ守護霊ニナロウカト思ッテイタノデスガ、連レ合イモ、間モナク亡クナッタ様デ、行方ガ分カラナクナッテシマッタノデス。ソレデ、探サセテ頂キタイノデスガ、ヨロシイデショウカ?」
「探されるのは構わないのですが、どうやって、この膨大な魂の中から探しますか? まぁ、哺乳類班で狼種の番を待てばそんなに時間も掛かりませんかね。ではやはり、哺乳類班の受付に行きましょうか」
「イエ、多分、大丈夫ダト思イマス……デハ、行キマス」
「えっ?」
わたしが呆気にとられている間に、純白のオオカミは大きく息を吸い込んでから一拍して、
「ウォーーーン!!!」
「おわぁ~! 」
物凄い咆哮を上げました。わたしは耳を抑える暇も無くまともに目の前で、ほんと~に目の前でその咆哮の衝撃波を受けることとなりました。
「ドウデス。生前ナラ、7ツクライナラ山ヲ越エテ届カス事モ出来マシタヨ」
誇らしげに純白のオオカミは、しっぽを振って悠然と佇んでいます。流石は神獣と言ったところですか。ですが……。
「やる時は先に行って下さい! こんな目の前で全力で吠えるなんて……危うく、超音波分解されるかと思いましたよ」
「ウォーーーン!!!」
「だから、やる時は先に言ってって、あれ?」
「妻デス!!!」
そう言うが早いか純白の狼は一目散に走りだしました。
「あっ! ちょっと待って下さい!」
わたしも慌てて翼を広げ、その後を追いかけて行きます。
翔び上がり、上空から純白の神獣狼の後を追っていくのですが、当の神獣狼は、多数の種でごった返しているホールを衝突することなく、種の間を器用にすり抜けて、遠吠えの返って来た方向へ走って行きます。しかも、スピードも落としている様子がありません。
やはり、この方は凄いですね。魂の状態でこれだけ自由に動けるのですから……通常は、ここにきて具現化しても会話は兎も角、行動は神様か、最低でもわたし達天使と同程度の格でもなければゆっくりと動く程度しか出来ないのですが、これだけの動きを自由にできるとは……。
しばらく、後を追いかけていると灰色の毛の狼と……その横に立っているピンク色の髪のメルエルちゃんが見えてきました。うん、メルエルちゃんって、遠くからでも、結構目立ちますね。
「あれ? メルエルちゃん、こんな所でどうしたの?」
「ああ、パスティエルちゃん、実はですねぇ。北アメリカ支部に転出される方々を誘導した帰りに、遠吠えが聞こえましてぇ、近くをキョロキョロしていたら、この方が応えているのが見えまして、どうしたのかなぁと思って、お話を聞いていたところなんですよぉ。それによると、連れ合いの方が探しに来てくれたらしいのですが……って、そちらの方のようですねぇ」
横を見ると、純白の神獣狼と灰色の狼が、お互いの顔を嬉しそうに舐めあっている光景が目に入って来ました。
「ヤット会エタ。会エテ良カッタ」
「……アナタ……サガシテ……クレタ」
「パスティエルとメルエル、こんな所で揃って何かあった? って、さっきの遠吠えの正体はキミ達か」
わたし達が話していると、ミサリエルさんが翼をはためかせながらやって来て、わたし達に声を掛けた後、横に寄り添っていた2匹の狼に向き直りました。
「ミサリエルさん、実はこのお二方、生前は夫婦だったそうで、連れ合いの方が亡くなってから、夫の方がしばらくあっちこっち彷徨っていて、ここまで探しに来られたそうなのですが」
「へえ、それって……ああ、なるほど、納得したよ。神獣なら確かに可能だね」
わたし達が事情を説明していると、純白の神獣狼がこちらに歩み出てきて話して来ました。
「オ願イガアリマス。私ヲ妻と一緒ノ種ニ転生サセテハモラエナイデショウカ。神格ヲ落トシテモ構イマセンノデ」
真剣にこちらを見つめて来る純白の神獣狼に、ミサリエルさんが水晶盤を操作しながら応えました
「う~ん、キミの転生先は哺乳類で、このまま、来世もオオカミになって、更に神格を上げる事もできるし、人間に転生して神格を上げることもできるんだけど……と言うか、『格』のことも理解していると言う事は、既に神様からの勧誘もあったのでは?」
「ハイ。デスガ、ワタシハ、ツマトイッショガイイデス」
「……ワタシ……オット……イッショ」
横に並んできた灰色の狼が、純白の神獣狼に体をぴったりと擦りつけています。何かいじらしい光景ですね。
「何とかしてあげたいですねぇ」
「と言ってもねぇ……できれば、希望は叶えて上げたいんだけど、彼女の方は、河川生物への転生だし……」
わたしは、ミサリエルさんが考え込んでいる横に行き、小声で話掛けました。
「以前、人間の女性の方で、彼氏が何人もの女性と浮気して、それを問い詰めたところ、逆上されて石で殴打されこちらに来られた方が『男は皆狼』と言っていたのですが、この方々はとても一途なのですね」
「ああ、それ、完全な人間の誤解なんだよ。狼はね、パートナーがいる間は一夫一婦制を貫く種なんだ。だからね、その言葉を実際に即して訳すなら『男は皆一途で身持ちが堅い』ってことになるね。まぁ、こっちはこっちで、人間に合ってなさそうだけど……いずれにしても、人間の狼に対する表面上だけの印象が広められた弊害だね」
「そうだったんですね。……哺乳類で川の生物ですか……クジラとかではダメですね。う~ん」
「……クジラ……クジラ……そうだよ!!!」
何か思いついた様子のミサリエルさんが、真剣な面持ちで水晶盤を操作して確認を始めました。
「どうしたんですかぁ、ミサリエルさん?」
「実はね、イルカの中に、河川の河口付近の汽水域で生息しているカワイルカという種がいてね。ボク達のいたヨーロッパでは見ることはないし、ここ日本でも見ることはないから、思い出せなかったけど、いけるかもしれない。だから、南アメリカ支部かインド支部に問い合わせてみる」
……。
わたし達は、ミサリエルさんの様子を黙って見続け、確認作業が終わるのを待ち続けました。
特に狼夫婦は、真剣そのものです。流石神格を持っているだけあって、緊迫した気配が漂っていますね。気が付くと、わたし達の周りには、かなりの空間ができていて、遠巻きに他の種が見ていました。
この気配の中でも、ぴったりと寄り添っていられる連れ合いの方も、実は、すでにかなりの格なのではないかと思うのですが……。
……。
「やった。南アメリカ支部でアマゾンカワイルカの空きがあったよ。これなら哺乳類で河川生物の条件をクリアできるから、夫婦揃って同じ種に転生できるよ! 向こうでも成り手が少なくて、アマゾンカワイルカになってくれる魂を探してたみたいだから、とても歓迎されてるみたいだし、今から南アメリカ支部への転出手続きをするね」
何故か、その瞬間、遠巻きに見ていた他の種からも歓声が湧き上がりました。
何でしょうか、この一体感?!
その後、ミサリエルさんが、満面の笑みで狼夫婦に説明を始め手続きへと移って行きました。
◇
「有難ウゴザイマシタ。妻モ私シと同ジ位ノ格ヲ得ルマデ見守ルツモリデス。ソシテ、一緒ニ『門』ヲ潜ロウト思ッテイマス」
「やはり『門』の事も知っていたのですね」
「エエ、マァ」
わたしとメルエルちゃんは、ミサリエルさんと一緒に南アフリカ支部への転出をされる方の見送り……と言っても、魂達を他の支部へ送迎する総務課連絡送迎係に引き渡す為の入口までですが……に来ていました。
他の魂は、すでに球体化し意識も無くしているのですが、流石は神獣と言うべきでしょう。いまだに具現化していて、こうして会話をしています。
その横には、純白の神獣狼の妻である球体化した灰色の狼の魂がぴったりと寄り添っています。……意識は無くしてる筈なのですが、やはり、すでにかなり高い格の様ですね。おそらく後少しで神格を得るのでしょう。まぁ、コーチが傍で導いているのですから当然でしょうか。あれ? 例えの言い方が何故かミサリエルさん風に体育会系になっていますが、わたしって感化されやすいのかな? そう言えば、以前にもメルエルちゃんの言い方に感化されていた気がしますね。
「でも、記憶って、なくなるのではないですかぁ? 大丈夫なのでしょうか? せっかく、同じ場所の同じ種に転生できても巡り合って再び夫婦になれないと、ここまで探しに来た神獣狼さんの苦労が報われませんよぉ」
「神獣の方は問題ないよ。奥さんの方は、格は結構高い方ではあるけれど……断片的に残っているくらいかな? でも、この夫婦なら、きっと大丈夫だよ」
「そうですね。わたしも大丈夫な気がします」
「ソロソロ行キマス」
「そうですか、良き来世を」
「お元気でぇ」
「ミサリエル様、有難ウゴザイマシタ」
「気にしないで。ボク達の職務内で、希望に添える範囲で出来る事をしただけだから」
挨拶を交わすと純白の神獣狼も具現化の状態から球体へと変わっていきました。
そして、総務課連絡送迎係への入口に、他の魂と共に夫婦仲良さそうに向かっていきました。
このまま行けば、何れは夫婦神でしょうか? 夫婦円満の良い神様になりそうですね。
「ああ言う夫婦を『おしどり夫婦』と言うんですね」
「あのぉ……パスティエルちゃん、日本では仲睦まじい夫婦の事を『オシドリ夫婦』と言っていますが、実はおしどりの夫婦は毎年パートナーを替えるので実際のところは、オシドリの夫婦は『おしどり夫婦』ではないのですよぅ」
「えっ、そうだったのですか!?」
わたしとメルエルちゃんは、そんな話をしながら自分達のそれぞれの持ち場に向かい、翼を広げて翔び上がりました。ミサリエルさんは、まだ入り口の方を見て立っていた様ですが……。
「来世もお幸せに、だよ」