08
小さくて、華奢で、ふわふわしてて……元気いっぱいだけど、どこか危なっかしいコリス。
一挙手一投足が子猫のように愛らしく、見つめているだけでまわりを和ませる少女であった。
しかし、いまは違う。
実った稲穂のような黄金色の光を放つ少女は、まるですべての母のような慈愛に満ちあふれていた。
コリスの変わりようにミコは驚きを隠せなかったが、不思議と戸惑いはない。
むしろ気持ちは日向ぼっこをしているかのように穏やかで、ぽかぽかしていた。
成長して母の背を追い越した娘のように、肩より下を見下ろしながらミコは尋ねる。
「コリスさん……あなたは、いったい……?」
「……わたしの職業は、付与術師……。こうやって身体に触れて……仲間に力を与えることができるんだよ……」
その囁きすらも、ミコにとっては子守唄のように響く。
「ミコちゃん、見て……ラスカルラビットさんのおでこに、バッテンの傷があるでしょ? あそこが、ラスカルラビットさんの弱点……矢を命中させれば、一撃でやっつけられる……そこを狙って……」
ユリの腕や太ももをガジガジしているラスカルラビットたち。
その額には例外なく、500円玉くらいの大きさの十字傷があった。
「あ、あれは……! 大きさとしては、弓道の霞的の、正鵠と同じくらい……! 狙うには、あまりにも小さすぎます……! それに外れたら、ユリさんに当たってしまいます……!」
息を呑むミコに、コリスは小さな子に諭すように首を左右に振った。
「ううん、外れないよ。だって……わたし、知ってるもん。ミコちゃんの矢を……。まっすぐで、絶対にぶれない、ミコちゃん自身のような、凛とした矢……。いつもどおり、それを射ればいいだけだよ……大丈夫、ミコちゃんならできるよ……」
「わたしなら、できる……?」
「そう、できる……! ミコちゃんなら、きっと……!」
「わたしなら、できる……!」
揺らいでいたミコの半目が、カッと見開く。
その瞳には、確かな光が感じられた。
引き絞ったままの矢を、ピタリと固定する。
その立ち姿に、もう迷いは感じられなかった。
側には弓道の先生のように、コリスが寄り添っている。
小さな存在であったが、今は何よりも頼もしかった。
ミコは弓道を教えてくれた、高祖母のことを思い出す。
「高祖母様……いつもこうやって、わたくしにお教えくださいましたよね……四つの頃から、毎日……。高祖母様……ミコは、大きくなりましたよ……こんなに……!」
冬の道場で、冷たくなった彼女の手をしわくちゃの手で包み込んでくれた温かさを、ミコはたしかに感じていた。
時には厳しく、時にはやさしく彼女に弓を教えてくれた高祖母。
弓だけではない。巫女として……そして女としての生き方も、教えてくれた……!
今こそ、その教えに報いる時……!
ミコの瞳に、明鏡のような輝きが走った。
「……まいります……! 一弓、入魂っ……!!」
……シュパァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ……!!
妖精の鱗粉のような光をまとい、尾のような軌跡を残しながら、射ち放たれる矢。
空を切り裂くというよりも、風に乗るように、空気抵抗すらも味方につけるように、一切の淀みを受けずに進んでいく。
……シュトォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ……!!
そして矢は、ふたつの線が交差する箇所……×印のちょうど真ん中に突き立った。
狙ったのは、ユリの腕に取り付いていたラスカルラビット。
そいつは噛み付くためにせわしなく頭を動かしているうえに、振りほどこうとするユリが激しく腕を振り回していたせいで、片時も静止することがなかった。
それにもかかわらず、まるで傷が吸い込んでくれたかのように矢は命中したのだ。
弱点を射抜かれたラスカルラビットは、誰から攻撃されたのかもわからないまま、黒い霧と化す。
しかしミコは心を切らさなかった。
ピンと張り詰めた気持ちを保ったまま、新たな矢をつがえる。
「……コリスさん……! このまま全滅させます……!」
まっすぐ前を向いたまま、独り言のようにつぶやくミコ。
まるで自分の内にいる存在に話しかけているかのように。
「うんっ!」という返事が、心の中に染みわたった。
……コリスが使ったのは、『付与術師』の能力のひとつ、『コンセントレーション』。
仲間ひとりの命中率を、大きく上昇させる魔法だ。
いわゆるBuffといわれるパワーアップ魔法なのだが、『付与術師』のそれはレベル1とは思えないほど効果が高い。
他の魔法職もBuff自体は使用可能なのだが、その効果は限定的となっている。
違いの理由は簡単。
『付与術師』は付与以外の能力がなく、また付与している最中は他のことができないため、効果が高めに設定されているのだ。
本人は直接戦闘に参加できないため、パーティーに『付与術師』がいると、単純に戦力がマイナス1されるということになる。
しかし……仲間の力を飛躍的に高めることができるので、本人の立ち回りによってはマイナス1だったものが何十倍にもなる可能性を秘めている。
戦いにおいては広い把握力と高い判断力が要求される、上級者向けの職業なのだ。
そしてパーティーの危機に際し、コリスがとった行動は功を奏していた。
ラスカルラビットの大群を相手にしているというのに、全滅させるのにそれほど時間はかからなかった。
イタズラウサギの額の傷は、ミコにとってはもはや照準器同然。
外す外さないというよりも、そこに飛んでいくのが当たり前のようになっていた。
一矢に一殺は必定。
時には一矢で二殺することもあった。
草原に弦の音が奏でられるたび、黒煙があがっていく。
敵が片手で数えられるくらいになってからはユリもようやく戦えるようになり、一気に形勢は逆転した。
「……よかったぁ……」
最後のラスカルラビットが霧散したのを確認し、コリスはほうっとひと息つこうとしたのだが……ミコからぎゅっと抱きしめられてしまい、それどころではなくなってしまう。
「むぐぐ……み、ミコひゃん、どうひたの?」
コリスは自分の頭くらいありそうな豊かな胸に顔を埋めさせられ、くぐもった声をあげる。
「少しだけ、こうしていてもよろしいですか?」
……ミコは、どんなときでも物静かで、落ち着き払っていた。
そう育てられてきたからそうなのだが、同じ年頃の女の子のようにバカ騒ぎすることは決してなかった。
自習と聞いてクラスメイトたちが大騒ぎしている時でも、静かに皆を見守っている。
体育祭などで所属する組が優勝した時も、みんなが抱き合ってよろこぶ中、ひとり片隅で微笑んでいた。
そんな彼女が生まれて初めて感極まって、人を抱きしめたのだ。
『ヴァーチ』で初めて感じた、とめどなくあふれる万感の思いを……押さえることができなかったのだ。
「……ありがとうございます……ありがとうございます……! コリスさん……!」
生まれてきた子供に感謝するように、声を湿らせるミコ。
なにをそんなに感激してるんだろう……? とコリスはミコの胸の内で小首をかしげる。
そして、大事なことを思い出した。
「あ……そ、そうだ……ミコちゃん……抱きしめるのは、いいんだけど……ユリちゃんのケガを治したいから、ユリちゃんのところに連れてって……」
「承知しました」
ハグされたまま、ユリの元へと運ばれるコリス。
ユリは地面に剣を突き刺し、傷だらけの身体をへたりこませていた。
ふと、その身体がホタルの光に包まれる。
「……なんですの、これは……?」
顔をあげたユリの頬に、もみじのような手が触れた。
「じっとしてて、ユリちゃん……。わたしたちを守ってくれて、ありがとう……ケガ、治してあげるね……」
後光がさしている顔が間近にあって、ユリは心臓を射抜かれたように固まってしまう。
「こ、コリス……あなた、一体……!?」
「……わたしの職業は、付与術師……。こうやって身体に触れて……仲間のケガを治すことができるんだよ……」
慈母のような微笑みを浮かべるコリス。
……それは奇跡のような光景だったが、かなり妙な光景でもあった。
ミコはコリスを抱きしめ、コリスはユリを抱きしめ、ユリはコリスを抱きしめ返す……。
少女たちは青空の草原のなかで、折り重なるようにしてお互いの身体を抱きしめあっていた。
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