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翼をもがれた堕天使が、最後の時を迎えようとしていた。
大口を開けて彼女を待ち構えていたのは、地獄の釜のように、蜃気楼が立ちのぼるほどに熱された石床。
ひとたびでも触れれば、最後……!
白き柔肌は、鉄板のような灼熱に焦がされ……渇死した黒き炭へと変わる……!
それは少女にとって、耐え難いほどの苦痛になるであろう。
あれほど遊びたがっていた憧れの『ヴァーチ』から、足を遠のかせてしまうほどに……!
いよいよかと思われたその時、木の枝に引っかかったような抵抗感が、腰のあたりに生まれる。
ハッと顔をあげると、そこには……特殊メイクもなしに鬼ソックリの形相を作る、お嬢様の姿が……!
「ゆ、ユリユリっ!? ……あんっ!」
アイシャドウをぱちくりさせるギャルの驚きは、色っぽい嬌声に変わる。
ペアダンスのような体制で、ユリが何の断りもなしに胸を揉みしだいたからだ。
「ソフィア……! トラウマに負けるなど、このあたくしが絶対に許しませんわ……!」
吊り上がった目尻、裂けた口角とともにぴしゃりと言ってのけ、抱き起こすユリ。
このまま食べられてしまうのではないかとソフィアが覚悟した直後、
「……来るよっ! 猫さんっ!」
前方から、コリスの指示が飛び込んできた。
ユリはクルリとした片足ターンで前方に向き直り、素早く床に伏せる。
慌ててソフィアもそれにならった。
「「「「「ふみゃぁぁぁぁぁぁ~ん」」」」」
かわいい合奏を奏でたあと、誰よりも早く立ち上がったユリはまた踵をかえしてソフィアを睨みつけると、
「サウナに閉じ込められたトラウマに負けるということは、サウナに閉じ込めた者たちに負けるということ……!」
叱責しながら豊かな胸の片方に指をめり込ませ、わしわしと乱暴に揉みこんだ。
胸は脂肪のカタマリなので、熱を持つ。
それは臼から出したばかり餅のように熱く、そして柔らかかった。
お嬢様の手の内でギャルの餅はさらにこねくり回され、面白いように形を変える。
「あっ……! ふわっ……! ゆっ、ユリユリぃ……!」
神経昂ぶり敏感になっているソフィアは、送り込まれる愛撫に切なそうな息を漏らすだけで精いっぱい。
「次っ、ウサギさんっ!」
「「「「「ぴょん! ぴょん! ぴょん!」」」」
一同は両手を頭の上にあげてウサ耳のようにして、かけ声とともにジグザグに跳ねた。
ウサギパターンの場合、床は一部を残して鉄を溶かすほどに熱くなる。
ようは池の上にある飛び石のようになって、そこを決まったタイミングで飛び移っていかないといけないのだ。
最後のジャンプを終えたユリはすぐさま振り返って、先程とは逆の胸に手のひらを押し付ける。
巨大マシュマロのようにむにゅりと潰れたそれを、マッサージのように、円を描くように動かす。
「ソフィアをサウナに閉じ込めた人間は、ソフィアに一生モノの傷を追わせたなんてこれっぽっちも思わずに、のうのうと生きている……! そんなヤツに負けるだなんて、悔しくありませんの……!?」
「そっ……それは、そっ、そう、そうなんだけど……あんっ!」
叱られたうえに双丘をいいようにイジり倒され、たまらず堪えていた声を漏らしてしまうソフィア。
熱気あふれる室内のなかで、その光景は実に異様だった。
「風俗嬢に説教する中年オヤジのよう」とはヤマミの弁。
コリスとミコは心配そうにしていたが、止めに入るわけにもいなかった。
なぜならばこの『ファイヤー・ルーム』において、少しでも隊列を乱すことは即全滅に繋がるからだ。
それに、ユリはパニックになったソフィアの心を落ち着かせるために、あえてセクハラ役を買って出てくれている。
普段ならそれはヤマミの役目なのだが、一列に並んでいる以上、近くにいるユリにやってもらう他ないのだ。
何度目かの心臓マッサージで、ソフィアはとうとう涙ぐんでしまった。
ユリの手は外見はしなやかであるが、荒くれ者のように掴んで離さないので、己の手を重ねながら観念するように言った。
「わ、わ、わかった、わかった。わかったからぁ……ユリユリ、そんなに激しくないでぇ……。お願いだから、もっと……もっとやさしく……」
いつになくしおらしいギャルに、お嬢様は一瞬ドキリとしたものの、お姉さま然とした毅然とした態度で返す。
「では誓うのです、ソフィア。トラウマに負けそうになっても、最後まで抵抗すると。あなたをこんな目に遭わせた者たちに、決して屈しないと。もし心折れそうになっても、ひとりであきらめずに……このあたくしによりかかると……!」
「ゆ、ユリユリ……!」
憧れの上級生を映しているかのように、キラキラと輝くソフィアの瞳。
「いいこと? あなたは栄えある『百合学園VRMMO部』の一員……! これはただの部活ではなく、選ばれし者であるあたくしが立ち上げた偉業への第一歩……! 偉業を成し遂げるためには、部員全員が家族のようにひとつになる必要がある……! 従って、ソフィア……あなたもあたくしの家族の一員として生まれ変わるのです……! 部長であるあたくしを、母親だと思って……! 偉大なる母親だと思って、あたくしを頼るのです……!」
「まっ……ママっ……!」
感極まるソフィア。
ユリの肩越しに見えているミコの顔は、「伽藍堂……間座……?」とさも不思議そうだったが、それどころではない。
「まっ……ママ……! ママぁ……!」
ソフィアは両手を広げ、母親の胸に飛び込んでいこうとしたのだが……さらにミコの肩越しに、ひょっこりと新顔が現れる。
「グランドマザーは母親ではなく祖母。仮に母親だとしても、娘の胸をあんなに熱心に揉んだりしない。あれは血の繋がってないスケベオヤジの触り方」
ヤマミだった。
彼女は隊列から外れると、ソフィアの傍らに寄り添い、責めるようなジト目をユリに向けた。
「なっ、なにを言いますの、ヤマミ! そんなことありませんわっ! ……そっ、それはまぁ、思いのほか触り心地が良かったので、少し熱が入ったりはしましたけれど……でもそんな、やましい思いは……!」
「怪しい」とつぶやくヤマミを、ソフィアはテディベアのように胸に抱き寄せる。
「うわあ、ユリユリって、そんなつもりでウチのおっぱい触ってたん!? それ、ただのエロオヤジじゃん! エロっ! ユリユリっちってもしかして、マカロニ坊や!?」
「なっ……!? なんですのその『マカロニ坊や』って!?」
「……ソフィアは『エマニエル夫人』のつもりで言っている。『エマニエル』を『マカロニ』と、『夫人』を『坊や』と勘違いしている」
「なにひとつ合ってないじゃありませんの!? だいいちあたくしは、エマニエル夫人でもありませんわっ!」
「やーい! ユリユリのマカロニ坊や~!」「マカロニ坊や~」
「なんですってぇ!? このあたくしを侮辱するなど許しませんわよっ!? そこになおるのですっ、ユリっ、ヤマミっ!」
からかうように駆け出すソフィアとヤマミ。諸手を振り回して後を追うユリ。
通路の入り口まで戻ってヘッドロックをしているところを、見かねた様子でコリスが止めに入った。
「あの……みんな、そろそろファイヤー・ルームさんをやっつけないと……」
そう言われて3人組は、じゃれあいの途中でエサを見つけた仔ライオンのように、ぱっと争いをやめる。
「あ……! そういえば……すっかり忘れておりましたわ……!」
「炎攻撃が止んでいる」
「どうして……? ちょっと前までジャンジャン火が出てたのに……?」
「ファイヤー・ルームさんは奥のほうにある床のスイッチを踏むと、しばらく攻撃をしてこなくなるんだよ」
皆が言い争っている間に、コリスは敵を無効化させる仕掛けを作動させていたのだ。
「だから、あとは弱点を攻撃するだけ。ちょっとかわいそうだけど……このままだと外に出られないから、やっつけちゃおっか」
コリスが小さなバスガイドのように手のひらで示す先には、かつての獰猛さを失い、生きるのを諦めたような鬼の顔が5つ並んでいた。
少女たちは、その前に並んで立つ。
今度は縦一列ではなく、横一列になって。
ユリは長剣を、ソフィアは蹴り足を、ミコは弓矢を、ヤマミは樫の杖を構える。
武器を持っていないコリスは、デコピンするような指を鬼の額に近づけていた。
「……では、まいりますわよっ! 我が栄えある『百合学園VRMMO部』が、この『ヘルズ・スポット』初制覇を成し遂げた、記念すべき一撃……! ……いよぉぉぉぉーーーーっ!!」
部長の鏡割りのような掛け声にあわせ、部員たちの思いの詰まった一撃が振り下ろされる。
……もちろん、寸分たがわぬタイミングで。
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