03 番外編:はじめてのキャラメイク
今回はミコのキャラメイクのお話です。
そこは、自然界には存在しえない、混じりけのない黒が広がる世界だった。
地形と呼べるものは、緑のワイヤーフレームが格子状になっている床のみで、時折ネズミのような小さな光が駆け抜けている。
SF映画などに出てきそうなサイバーな空間。
そこに立っていたのは、柔らかな人影。この世界に似つかわしくない、和装の少女であった。
この色のない世界でも目を引くほどの美しい黒髪を、ほのかに揺らす少女。
あふれるほどの光を帯びるそれは、足元まで届くほどの長さ。首の後ろのあたりでキッチリとひとつにまとめられている。
前髪のほうも折り目正しく、神社幕のように均等に左右に分けられていた。
正三角形になった隙間から、すべやかな額を覗かせている。
今時、ヘアカラーが当たり前になっている女性の髪型にしては実に質素であった。
だが余計なものが加えられていない分、磨きあげられた那智黒石のような艶やかさが一層引き立っている。
顔のほうも、見事な黒髪に負けていない。
整っていながらも親しみを感じさせる、あどけない日本人形のような顔。
きめ細やかな白さの肌に、長い睫毛をたたえる、ぱっちりとした大きな眼。
瞳の奥に宇宙を内包しているかのように、光り輝いている。
主張する目とは対照的な、控えめな小鼻とおちょぼ口。
形の良いタマゴ顔とあわさって、顔のパーツはどれもちょうどよいバランス。
街を歩けばスカウトの嵐に見舞われるのは間違いない、かなりの美少女だ。
服装は白衣に緋袴と、いわゆる巫女装束。
着慣れている感じはあるのだが、アンバランスに飛び出た胸のおかげでコスプレ感がある。
なんにしても、人生ベリーイージーのような恵まれた容姿の彼女だったが……いまの表情はすぐれなかった。
「あの……こちらは……どちらなんでしょうか……?」
豊かな胸の前で、おろしたての手ぬぐいをきゅっと握りしめたまま、不安を隠しきれない表情であたりを見回している。
ふと、ワイヤーフレームの地平線の向こうに、ピンク色の光がともった。
ただの点だったそれは、すぐに人型とわかるまでに大きくなる。
どうやら、かなりの速度でこちらに接近してきているようだ。
数秒後、丸っこいシルエットまで判別できるようになる。
正体は、ずんぐりむっくりしたウサギの着ぐるみだった。
身体を揺らしながら走ってくるデブウサギ。
ドスドスという足音がよく似合いそうだったが、足音は一切たてていない。
コミカルな体躯と走り方に似合わぬ俊敏さで、「あっ」という間もなく少女の前に到着、突風を巻き起こす勢いで急停止した。
「やあ! 世界一のVRMMO、『ヴァーチ』にようこそ! ボクはゲームスタートを手伝う『メイク君』だよ!」
新幹線のような速度で走ってきたにもかかわらず、息ひとつ切らしていない『メイク君』。
街角で子供相手に風船を配っていそうな、ベーシックな外見のウサギの着ぐるみ。
満面の笑顔で長い耳をピョコピョコと動かしながら、野球のグローブくらいある大きな手の親指でサムズアップする。
愛嬌ある声と姿に、少女は安堵した。
それまでは誰もいない砂漠を彷徨っているような心細い気分だったのだが、オアシスを見つけたように顔がほころぶ。
着ぐるみは人間離れした身体能力を持っているようだったが、おっとりした性格の彼女はその程度では警戒したりはしない。
そして相手がどんな不審者であっても、持ち前の礼儀正しさで接するのだ。
「あらあら、ご丁寧にありがとうございます。わたくしは白ハブ神社で巫女をやっております、羽生美子と申します。はじめまして」
少女の言葉は聞き取りやすく、心地よい音で響いた。
神楽鈴のような、心まで清められるような声で挨拶を述べ、深々と頭を下げる。
「ミコさんだね? その名前でキャラクターデータを登録したよ!」
人差し指と親指で輪っかをつくり、OKのハンドサインをするメイク君。
彼は世界のほとんどの人が遊んでいるというVRMMO、『ヴァーチ』にログインしたときの案内人だ。
高度なAIで動いているためコミュニケーションも可能で、ゲーム起動時のキャラクターメイキングや、ゲーム再開時の案内をしてくれる。
ちなみにOKのハンドサインは国によっては侮辱の意味があるので、人種を判断してOKポーズも変えてくれるという気の利きようだ。
彼がいてくれればVRMMO初心者でもすんなりとゲームに入っていけるのだが……今回ログインした少女、ミコはだいぶ様相が違っていた。
「あの、すみません、めいくさん。ちょっとお伺いしたいのですが……お部屋のお掃除をしていたら、いきなりこちらに来てしまったのですが……どちらなのでしょうか?」
「ここはヴァーチだよ!」
耳慣れない言葉だったのか、少女は瞳を何度も瞬かせる。
「……ばあち? お婆様のことでしょうか?」
「そりゃ、ばあちゃんだね! ヴァーチは誰でも手軽に楽しめるVRMMOなんだ! 簡単で楽しいから、キミも遊んでいきなよ!」
メイク君に勧められたものの、ミコはここに来る前にやっていた掃除がまだ終わっていないことを気にしていた。
お誘いをどうしようかと、口に手を当てる上品な仕草で考えはじめる。
彼女はメイク君がAIであることを知らない。というか、AIというもの自体を知らない。
さらに言うと、いま居るのはVR空間ということも知らず、現実世界だと思っている。
目の前にいるのも、中に本物の人間が入っていると信じて疑わない。
なので、プログラムに則って行われているだけのゲームのお誘いに対しても真剣に考えているのだ。
せっかく勧めていただいたものを、お断りするのは悪いという結論に達するミコ。
生真面目だった顔が、パッと明るくなる。
「はいっ、喜んで。ですがわたくし、こういった世俗のものには疎いのですが」
「大丈夫! ボクがサポートしてあげるし、最初の村や町ではいろいろ教えてくれる人がいるから心配いらないよ!」
「そうなのですか? ご親切に、ありがとうございます。では、よろしくお願いいたします」
「そうこなくっちゃ! ミコさん、ヴァーチへようこそ!」
デブウサギはニッコリ顔を張り付かせたまま、両手を広げて迎え入れるようなポーズを取る。
「じゃあ、さっそくキャラクターメイキングといこうか! 最初は、ゲームモードの決定だ! ミコさんは16歳のようだから、ゲームモードは『ティーン』まで選べるよ!」
「……ちーん? 仏具でしょうか?」
仏壇になどによく置いてある、叩くとチーンとなる仏具、『鈴』を想像するミコ。
もちろんそんなわけはない。
『ティーン』というのはヴァーチに存在する、年齢によって分けられるゲームモードのひとつだ。
6歳未満だと『ベイビー』。
6歳から13歳未満だと『キッズ』。
13歳から18歳未満だと『ティーン』。
18歳から60歳未満だと『マチュア』。
60歳以上だと『シニア』。
各ゲームモードはインターフェースの複雑さや、制限コンテンツへのアクセス、ゴアやエロの表現度合いのフィルターなどがプリセットで構成されている。
プレイヤーの実年齢以下のゲームモードであれば、自由に選ぶことができる。
だがそれは表向きの話であり、特殊な方法を使えば年齢に関係なく全モードが選択可能となる。
今どきは小学生でも『マチュア』モードでプレイしているのが現実だ。
世間一般が何であれ、ミコはメイク君の説明が九割がた理解できていなかった。
異国の言葉を耳にしているかのように、しきりに首をかしげている。
その反応に、さすがのメイク君も苦笑い。
少女は、AIを引かせてしまうほど横文字が理解できないのだ。
「ハハッ、ミコさんはかなりのVRMMO初心者のようだね。だったら現実との差がない『ベイビー』のほうが良いと思うよ。これはゲーム途中でも変えられるから、ひとまず『ベイビー』モードでいいかな?」
「はい、それでお願いいたします」
ミコは勧められるがままに、ぺこり、と頭を下げた。
「よし、ゲームモードは『ベイビー』にするよ!」
メイク君がパチンと指を鳴らすと、地平線の向こうにある暗闇に『ゲームモード:ベイビー』という文字が仕掛け花火のように浮かび上がる。
その美しさにミコは思わず、「わぁ、きれい……」と目を見開く。
「じゃあ次に、個人情報の公開範囲の設定だ! ミコさんは13歳以上だから、フルオープンにもできるよ! もちろん選んで隠すこともできるけど……」
ヴァーチでは、13歳以下は個人情報の公開は一切できない。
国産のVRMMOの場合は、13歳以上であっても個人情報保護の観点から、デフォルト設定でほとんどの個人情報が隠されている。
プレイヤーが公開したいと思わなければ、情報は外部に知られることはない。
逆に海外産のVRMMOは、学歴から勤務先から住所に至るまで、個人が特定できるほどの情報がデフォルトでオープンになっているものが多い。
隠すことを忘れてゲームを始めてしまうと、ありとあらゆる個人情報が知られてしまうハメになる。
これについてもミコは意味を理解していなかったが、決断は早かった。
「わたくしは高祖母様から『隠し事はしないように』と育てられてきました。ですので、隠すことはなにもありません」
「じゃあ、完全フルオープンでいくね!」
ゲームモードの下に浮かび上がる『個人情報の公開範囲:フルオープン』の文字。
「よおし、次はアバターの容姿決定だ! ひとまずは現実の容姿をそのまま反映させるけど、エディットもできるよ! アバターをエディットする?」
「痘痕を、エイッとするのですか?」
「……アバターのエディットというのは、キミの種族や容姿を好きなようにいじって変えちゃうってことだよ!」
それを聞いたミコの顔が、不良から悪い遊びに誘われた優等生のように、驚きに満ちる。
「お母様から頂いた大切な身体ですので、いじったりだなんて、とんでもありません!」
「じゃあ、そのままだね! なら、職業とかスキルも全部そのままでいいかな?」
「はい。高祖母様は『ありのままを大切にしなさい』と常日頃からおっしゃっていました。ですので、そのままでお願いいたします」
メイク君の合図とともに浮かび上がる、『種族:人間』そして『職業:巫女』という文字。
スキル一覧は多すぎるあまり、満点の星のように空にかかっていた。
「わあっ……! 素敵……!」
内容はなにひとつ理解できていないが、文字群を見上げているミコの顔は初めてのプラネタリウムに来たかのように嬉しそうだった。
容姿確認用のためか、空に巨大な鏡があるかのように自分の姿が映し出されているのが何よりも珍しいようだ。
「じゃあ、最後はスタート地点の選択だね! 冒険の始まりとなる場所を、最寄りの村と町から選べるけどどっちにする? 初めてだったら村のほうがオススメだけど……」
尋ねられて、メイク君のほうに向き直るミコ。
彼女はどんなときでも、話している人の目を見るのだ。
ほんのりと頬を紅潮させながら、
「はいっ! 『村』でお願いいたします!」
最後の最後で出てきた、唯一理解できた単語……それを元気いっぱいに叫んだ。
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