01 プロローグ
「……あなたが転校生の、皆好コリス?」
放課後のチャイムが鳴ったばかりの教室。
窓際の席に座るコリスの前に、仁王立ちで現れたのは……ツインテールを縦巻きにした少女だった。
子リスを狩るキツネのようなツリ目に見下されて、コリスはビクッと肩を震わせる。
「は、はい……えっと……百合さん……?」
黒目がちなタレ目で、怯えたような上目遣いを向けるコリス。
大きなリボンに結われた、リスのしっぽのようなポニーテールが頼りなげに揺れた。
百合と呼ばれた少女は「わかってないわね」という表情でツインテールをかきあげる。
縦ロールの髪が、バネのようにビヨンと跳ねた。
「コリス。釣り糸みたいな名前ですわね」
「つ……つりいと、ですか?」
コリスの困り眉の角度が、さらに深くなる。
「そんなことはどうでもいいの。それよりも、あたくしは苗字で呼ばれるのがキライなの。名前で呼んでくださる?」
「は、はい……えっと……」
言葉に詰まるコリスに、やれやれといった様子でテールを弾ませる強気少女。
「由利……百合由利ですわ。あたくしは名前を忘れられるのもキライだから、永久に覚えておいてくださる?」
「はい、わかりました、ユリさん」
コリスは素直に頷いたあと、言いにくそうに切り出す。
「それで……あの……わたしに何の……?」
「用件がなければ、話しかけてはいけないのかしら?」
「い、いえ……そういうわけでは……」
「もちろん用件はあるわ。でもその前に……普段と同じように話してくださる?」
「えっ?」
キョトンとするコリス。
「あたくしは確かに選ばれし者。この『私立百合学園』の理事長の娘にして、校長と教頭の妹……。1年生にして生徒会長で、学級委員長も兼務している……。恐れ多く感じるのも無理はないけど、あなたは普段そんなにかしこまった子ではないでしょう」
「は、はぁ……」
1年生にして生徒会長なのは、この学園はできたばかりなので2年生と3年生がいないのだ。
でもコリスはそれには突っ込まず、おずおずと頷く。
話が見えない。
人と話しているはずなのに、魔女が支配する暗い森に迷い込んだかのようにコリスは戸惑いを隠せずにいた。
「『私立百合学園』、乙女の三ヶ条……『きまま、わがまま、ありのまま』。……よろしくて、コリス? わかったら慣れない敬語はおよしなさい。あなたはありのままで……普段どうりにあたくしと話せばよいのよ」
それでようやく、コリスはユリの意図を理解する。
「あっ……ご、ごめんなさい。ユリさ……ユリちゃん。普通に話すね」
「うむ、よろしくてよ」
満足そうに頷くユリ。
厳しかった表情も、いくぶん和らぐ。
「それで用件なのだけれど、ここでは話せないから一緒に来なさい」
疑問形ではなく言い切り系。
気弱なコリスは従うほかなく、帰りの準備を中断して席から立ち上がった。
その姿に、ユリは錯視してしまったかのように目を瞬かせる。
コリスは立ったはずなのに、いまだに髪の分け目が見下ろせたからだ。
「……コリス、あなたってずいぶんと背が低いのですわね。釣り糸というより、本当に子リスのようだわ。あたくしには今年小学生になったばかりの姪っ子がいるのだけれど……その子と同じくらいじゃありませんこと?」
「ううっ、そ、それは言わないで……」
コリスは照れたようにうつむいてしまった。
不意にその小さな身体が抱き寄せられ、頭上に何かがのしかかる。
「な……なに? ユリちゃん……?」
「少しじっとしてなさい。あたくしに髪のニオイを嗅がせるのですわ」
つむじに感じたものの正体は、ユリの鼻だった。
「ど、どうして……髪のニオイを嗅いでるの……?」
「それが好きだからに決まっているでしょう。特に髪の分け目が格別ですわね。コリスは背が低いから分け目を嗜みやすくてよいですわね。まるで公園の水飲み場のように手軽ですわ」
「そ……そうなんだ……」
頭上からすんすんと鳴る吸気音に、熱心に嗅がれていることを意識してしまうコリス。
それはかなりの困惑であったが、人のいい少女は動かずにじっとしている。
ふとクラスメイトじゅうが、自分たちに注目していることに気づいた。
「あ、あの……は、恥ずかしいよ、ユリちゃん……」
「恥ずかしがることはないわ。こんなにいいニオイなのだから、むしろ誇りなさい」
髪の分け目のニオイを自慢するだなんて、できないよ……と思ったが、コリスは言い出せず、されるがままになっていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
『私立百合学園』は、大分県のとある山奥にある全寮制の私立女子高。
盆地を見下ろす山の上にあり、学び舎のまわりは手つかずの自然にあふれている。
今はちょうど夏服に切替わったタイミングなので、緑々しい葉っぱが陽の光を受け、まぶしいほどに輝いていた。
特別教室棟の廊下を歩いているユリとコリスも、窓から差し込む新緑の香りを感じているところだった。
片やうんざりした様子で、片や歓迎するように。
「ハァ……ここは冬もイヤだけけれど、夏もウンザリですわ」
「そうなの? わたしはここに来たばかりだけど……自然がいっぱいで、とってもいい所だと思ったけど」
「山に囲まれてるから、夏は暑いし冬は寒いのよ。でも山の上だから、麓の町に比べたらマシなのだけれど」
「でも、空気はキレイだよね」
「それが何だというのよ。そういえばコリスは東京から来たのよね。あなたのことはよく知らないけど、そこだけは羨ましいですわ」
「そうかなぁ? わたしは東京よりも、この大分のほうが静かで好きだけど……」
「あたくしは賑やかなほうが好きですわ。セミとか暴走族の、品のないうるささじゃなくて……エネルギッシュでリッチな都会の喧騒が欲しい。あたくしと同じハイソな人種がいるという田園調布を歩いて、成城石井でショッピングをしたい……こっちじゃ外を歩いても会えるのは、野生のサルかタヌキくらいなのですわ……」
「ええっ!? おサルさんやタヌキさんがいるの!? 会ってみたい!」
「この学園にいれば、そのうちうんざりするくらい会えますわ……さ、ここですわ」
ユリが立ち止まった教室には、『第三視聴覚室』と書かれた新品の札がかかっていた。
鍵を取り出して施錠を解除すると、中へと入っていく。
つづいて部屋に入ったコリスは、田舎の学校には似合わない光景を目にし、「わぁ」と声をあげる。
教室というより、モデルルームのようにオシャレな室内。
近未来的なLEDの光あふれる室内には、ダイニングとキッチンがあり……冷蔵庫のショールームのごとく、大型装置がまわりを囲んでいた。
「まわりにあるのは、ヴァーチユニット……それも、4台も……」
コリスは圧倒されていたが、瞳はかすかな輝きを宿している。
その光を、ユリは見逃さなかった。
「そう。今日の昼に搬入が終わったばかりよ。たしかコレで、えっと……ぶいあーるナントカができるのでしょう?」
「うん。正確には『ヴァーチ』という VRMMOだね」
「うぅむ、さすが東京っ子だけありますわ。じゃあさっそく、使ってみせなさい」
「えっ、わたしが……?」
「そう。用件というのは、これを使ってみせてほしいのですわ。東京の学校はどこも『ヴァーチ』は必修科目だと聞いたことがあるから、コリスも使ったことがあるのでしょう?」
「う……うん……。じゃあ、ちょっとだけだったら……」
コリスは気が進まない様子だったが、仕方ないと手近なヴァーチユニットに近づく。
転校してきて立場が弱いというのもあるのだが、少女は頼まれると断われないタチなのだ。
『ヴァーチユニット』と呼ばれる装置は、フタがひとつの冷蔵庫みたいな外見をしている。
正面についている液晶パネルを操作すると、宇宙船のハッチのように扉が持ち上がり、横にスライドした。
中はドライアイスのような煙に覆われており、人がひとり立てるだけのスペースがあった。
「はい、これでOKだよ。この中に入れば、自動的に扉が閉まって……あとは『ヴァーチ』にログインできるの。ログインするときにヨクトゼリーっていうあったかい液体が出てきて溺れちゃいそうになるけど、ゼリーの中ではちゃんと息ができるから慌てないでね。あと、『ヴァーチ』にログインしたあとは、『メイクくん』っていうナビゲーターさんが教えてくれるから、特に迷うこともないと思うよ」
「よろしくてよ、コリス。うぅむ、中はこうなっておりますのね。クッションがきいてて、吸血鬼の棺桶のようですわ……コレって、ひとり用なのかしら?」
棺桶のような中身をしげしげと覗き込みながら、尋ねるユリ。
「うん、基本的にはひとり用なんだけど、入れるようであれば何人でも同時ログインできるよ。自分の子供といっしょに『ヴァーチ』をプレイする親御さんとかは、子供といっしょにログインするのが一般的みたい……って、ユリちゃん?」
コリスはふと、ユリの手によって棺桶に押し込まれようとしていることに気づいた。
「あっ、あのっ、ユリちゃんっ!? わ、わたし、ヴァーチはちょっと……!?」
「いいから、もう少しだけあたくしに付き合うのですわ。一緒にログインなさい」
「ご、ごめんっ! む……ムリだよっ! お願いだから、離してぇ!」
誘拐犯の正体を見破った子供みたいに暴れだすコリス。
でも体格差も大人と子供なので、あっさりと持ち上げられてしまった。
同い年とは思えないコリスの軽さに、ユリはぎょっと目を剥いてしまう。
「軽い……!? 片手で持ててしまうだなんて……小1の姪っ子より軽い……!? コリス、あなたって体重何キロなのかしら?」
「何キロでもいいよぉっ! そ、それよりも離して! 離してぇ!」
腰を抱きかかえられたまま、風呂に連れて行かれる猫のように手足をパタパタさせてもがくコリス。
「いいから大人しくなさい。でないと姪っ子にするみたいに、お尻ペンペンいたしますわよ?」
「ぶ……ぶたないでぇ! お……お願い! わたし、ヴァーチはもうやりたくないのっ!」
奈落の底に引きずり込まれるような少女の悲鳴が、真新しい教室内にこだまする。
やがて、自動ドアのようにユニットの扉が閉まると……誰もいなくなったかのような静寂に包まれた。
新連載です。
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