気付くことの大切さ
人生、特に、不良の道を歩んできた人たちの多くが、様々な問題を抱え、思い悩み、苦しんできた経験があるだろう。
その始まりは、親や教師に対する不満や苛立ちではないだろうか。
親や教師へ不満を持ち始めると、学校に行くのが嫌になる。学校に行かなくなると、授業について行けなくなる。そうなると、更に輪をかけて親や教師から、小言を言われたり説教を受けるようになる。
すべてが嫌になり、自分の居場所を求め始め、やがて同じ痛みや苦しみを持った仲間に辿り着く。
タバコを覚え服装が派手になる。派手に着飾って仲間とつるんでいても遊ぶには金が要る。そのお金を得るために恐喝や窃盗などの犯罪に手を染めるようになる。
次第に、自分がどうしたらいいのかが分からなくなってくる。
しかし、悪いことをしながらも、一方では、
( 本当にこのままでいいのか… )
と、自分自身との葛藤がはじまる。
悪いと解っていながらも、仲間と一緒になって悪事を働く。
( 誰かに助けを求めたい )
悪い事をしながらも、心のどこかでは、そう求めている若者も多いのではないか。
しかし、大人達がこの、
『 心の声 』
に気付く事は容易ではない。
1回でも不良仲間や先輩達との繋がりを持つと、そこから抜け出すことは困難である。
( 仲間の誘いを断わると嫌われてしまう )
( 先輩の頼みを断わるとリンチを受ける )
その恐怖心からズルズルと関係を引きずっていくのではないか。
大人達が、
『 不良 』
と呼ばれている少年達の、
『 心の声 』
に、いち早く気付いて対処すべきなのだが、本当に気付いて行動に移すのは本人なのである。
『 このままではダメだ 』
と、気付いたら、勇気を持って行動に移し、やり直すのである。
16歳で気付く者もいれば、死ぬまで気付かない者もいるだろう。
何に気づくのか。
これも各人によって違うと言える。
気付いてもなかなか行動に移せないこともまた事実である。
そんな人たちに言いたい。
『 自信と勇気を持って欲しい 』
『 気付くことが出来たのだから 』
「頑張れ!」
と…
周りがなんと言おうと、最終的にやり直すのは自分自身である。
若いうちは何をやっても良いと私は思う。
しかし、未成年であればケンカをして相手に怪我をさせれば治療費や慰謝料を支払うのは親である。
警察に捕まったり、補導されれば親を呼ばれる。
万引きひとつにしても、その弁済をするのは親なのである。
未成年である以上、すべての悪行の後始末が親に回ってくるのである。
これも忘れてはならない事実のひとつである ( 散々、親を泣かせてきた私が言うのも矛盾していると思うが… )。
しかし、暴走して頭に血が上った若者達には、それが分からないし分かっていたとしても止められない。
何回失敗しても良いと思う。何回でもやり直しはきく。その分人の信用は失うと思うが、自分自身が、最終的に気付く事が出来て、やり直す事が出来たらそれでいいではないか。
そして、涙を流して喜んでくれるのは血のつながった、
『 親 』
である。
捕まった時とは違う涙で…
この自叙伝を読んで頂いた多くの読者の皆様に、この場をお借りして深く御礼申し上げます。
語彙に乏しく、誤字脱字が目立ち、ストーリー展開が下手なこの作品に対して皆様はあたたかく見守ってくれたような気がします。
皆様のお陰で、最後まで書くことが出来ました。
『私の作品を読んでくれる読者がいる』
その思いが、素人作家 今田信義をここまでの人間にしてくれました。
これからも皆様に読んでいただけるような作品を作り続けていきます。
末永くご愛読ご指導のほどよろしくお願い致します。
今田信義




