少年鑑別所
前歴の多い私は、釈放されることなく10日間の留置場生活を送ったあと、群馬県某市内に在る少年鑑別所へと身柄を移された。
ここから、私の収容生活が始まることになる。
これから42歳まで、計12年もの長き時間を塀の向こう側で費やすことになる。
〈 鑑別所生活の1日の流れ 〉
6時40分 起床
起床後、洗面、部屋の掃除を済ませて、順に点呼 ( 鑑別所、少年院、刑務所に問わず、刑事施設においては、朝夕の2回、被収容者の所在の確認のため、必ず点呼が行われる )
7時30分 朝食
麦飯 ( 通称・バクシャリ ) に、味噌汁、漬物、日替わりに納豆や生卵等が出る。
私は、この少年鑑別所で生まれて初めて麦飯というものを口にした。因みに留置場までの主食は日本全国、白米であるが、その後収監される少年鑑別所や拘置所からは麦飯となる。
当然、そんな知識など中学生の私にあるはずもなく、麦飯の存在自体を知らなかった。見たことも聞いたこともなかった。
鑑別所は、
雑居部屋 ( 6人部屋 ) 2部屋
と、
独居部屋 ( 1人部屋 ) 20部屋
が、横一列に配置された造りになっていた。
部屋の前が通路になっており、鑑別所の教官が順に食事を配っていく。
収容されているのは、腹の空かせた育ち盛りばかり。おまけに、季節はまだ春先である。暖房器具など当然ないし、部屋の片隅にある水道の蛇口からお湯が出るわけでもない。トイレは部屋の窓付近にあり、食事、睡眠、用便のすべてが同じ部屋の中。
食事の時は、トイレに背を向けたかたちで食べるようにしていた。
体が暖まるのは、ご飯を食べ、温かいお茶を飲んだ時と、夜、布団に入った時だけである。
その食事さえ温かいとは限らなかった。むしろ、冷めている方が多かった。
入所した日の最初の食事だった。
ご飯の蓋をとった瞬間、
「なんだこれは!」
と、声を上げた。米が茶色に変色しているのである。
私はすぐに教官を呼んだ。
「先生、俺のご飯、腐ってるみたいなんですけど。臭いですし…」
「お前なぁ、バクシャリ知らんのか?」
「これ、食えるんですか?マジで」
「おお。こんな美味いもん、他にないで!」
教官先生は続けた。
「ここの卒業生とたびたび街で会うが、みんな、バクシャリ食ったら銀シャリ ( 白米 ) なんて食えん言うとるで。ハハハハハハ」
私は恐る恐る、バクシャリを口にした。