前科ニ犯
平成21年2月、私は再び千葉県警察に逮捕された。
罪名は私文書偽造、暴行傷害、逮捕監禁。
37歳になっていた。
これもまた、仕事上に絡む事件であり、千葉地方裁判所が下した一審判決は、懲役5年。前のと併せると、その合計は、10年6ヶ月に及んだ。未決通算と、前刑の少年刑務所における仮釈放を差し引いた収容年数は、ちょうど10年。
これに少年院に収容されていた年数2年6ヶ月を併せると、私の矯正施設における収容年数は、実に、
『 12年6ヶ月 』
になった。
岩手県の少年刑務所を仮釈放になり、千葉市に帰ってきた私は、直ぐに、また元の不良生活に逆戻り。少年刑務所や、拘置所内で知り合った面々との交流も深くなり兄弟分も多くなっていった。千葉市には闇金の事務所も無くなっており、そこで一緒に働いていたクリハラも他の事件で逮捕され服役中とのことだった。
私が仮釈放になった平成10年当時は、かなりの勢いで携帯電話が普及し始めていた。
私達は、そこに目を付け事務所当番の合間を見てはシノギに励んだ。
当時はまだ携帯電話を借りる時の審査がかなり緩く、代理店と手を組めば保険証1枚ですぐに借りることが出来た。
当然、保険証の氏名欄にはフリガナがふっていない。
例えば、今田信義だったら、
『 いまだのぶよし 』
だけでなく、
『 こんだのぶよし 』
とか、
『 いまだしんぎ 』
とも読むことが出来る。
これは、免許証にも同じことが言える。
この偽名を、フリガナ欄に書けばすぐに借りることが出来たのである。
当時はまだ、携帯電話の通話料金がかなり高く、今のような様々なプランは全く無かった。だから、携帯電話を頻繁に使用すると、通話料だけで月に軽く10万円を超えた。
当然、払えなくなる者が続出した。
当時は通話料金を払えないと、約2ヵ月後に使用不可能になったが、1社飛ばしても ( 通話料を支払わない )、また、他の携帯電話会社で借りることが出来た。
すべての携帯電話会社を飛ばした者や何らかの理由で携帯電話を借りる事が出来ない者、犯罪を目的に使用したい者に、私達が携帯電話 ( 飛ばしの携帯 ) を作って高額な値段て売りさばいていた。
因みに私は、大手携帯電話会社の
『 P203 』
という携帯を使っていた。
メールなどの機能は一切なく、ただ通話のみの携帯電話。
あの時代は、まさか携帯電話が今のようになるなんて夢にも思っていなかった。




