不良への第一関門
中学2年の秋、この不良漫画が映画化されることになった。
昭和60年公開のこの映画は、隣の市で上映されることが分かった。
私達、市内の不良は正直悩んだ。
隣の市の中学校の数は、私達の市の倍はあった。当然、不良の数も比較にならぬ程多かった。そこで上映されるのである。
「どうするべ」
「けど、観たいべよ」
「ケンカになるべ、隣の市の奴らと」
「30人から囲まれて、袋叩きにされるべよ」
普段、馬鹿な話しかしない私達も、この時だけはさすがに真剣な会話になったが、
「とにかく、行ってみるべ」
との結論に至った。
なぜだか分からないが、私達の通う市内の全ての中学校(6校しかないが)は学生服ではなくジャージ通学が義務づけられていた。
ジャージのラインが1本線なら何処の中学校。ラインが2本なら何処そこの中学校と、すぐに分かるようになっていた。
学生服を着用できるのは、始業式、終業式などの行事のある時だけで、普段はジャージ通学だった。
そのめったに着ない学生服を、先輩から買わされるのである。ある意味、馬鹿らしいし、たまったものではない。
おまけに自転車に乗る時は、中学校指定の白いヘルメットを被る事も義務づけられていた。当然、ヘルメットなど被って自転車に乗る者などいない。一部のまじめな連中は、きちんとヘルメットを被って乗っていたが、そういう事情からかいつも余所の市の不良連中に、
「ダセェ!」
と、馬鹿にされていた。
だから、映画に行って、地元の連中とケンカになった時、
「お前らどこのもんだ!」
「なんだこの野郎、○○市だよ。文句あんのか!」
「○○市だぁあ?」
「○○市のもんが、うちの市に来るなんて、10年早いんだよ!」
「ジャージでも着て、勉強でもしてろや!」
となるのは目に見えていた。
しかし、予想していたようなケンカにはならなかったが、映画館から出てきた不良共は、みな映画に影響されたかのように、ヨタって歩いてはそこら辺にツバを吐きまくっていた。そういえば、昔の不良は、ウンコ座りで話をする時に、必ずと言っていいほど無意味にツバを吐きまくっていた。コンビニの前は、そこでたむろしていた不良共が吐いたツバで、一面濡れていたのを思い出す。