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IONシリーズ外伝一   作者: EVI
『護国の赤蛇』
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『護国の赤蛇』 第八章

宗教問題。

 アエギュプトゥスへの遠征について、サマエルは為政者と話し合った。どうかアエギュプトゥスとだけは戦争をしたくないと彼は言った。

「どうしてでございますか?」

現ローマ最高指導者のカエサルは不思議そうである。ラハブがサマエルの力が及ばないほど強い、と言う理由では無さそうだったのだ。サマエルはしばらく黙ったが、ようやく言った。

「貴方には底辺に堕ちたと言う経験はあるか」

「……無い訳ではございませんが」

「底辺に堕ちた時、己へと助けの手を差し伸べてくれた存在の感謝と恩義がどれほどのものか、貴方にも分かるだろうか」

「……。 それをサマエル様はアエギュプトゥスの誰かに抱いていると……?」

「そうだ。 守護神ラハブに私は心底感謝している。 その恩義を汚すくらいならば私は守護神を辞めても良い。 何か、良案は無いだろうか」

「……同盟を締結する、と言うのはいかがでございましょうか。 これならば対等の関係で、こちらからの戦争は避ける事が出来ます」

「……問題は、それにアエギュプトゥス王が同意するかだな」

その時であった。召使いが慌てて彼らに非常事態を伝えた。

「アエギュプトゥスからの使節団が間もなくやって参ります! いかがいたしましょう!?」

「通せ」サマエルはそうは言ったが、内心では不安そのものを抱いた。

 しかし、使節団の中にサマエルはラハブを見つけ、その見つけた途端にうんざりして脱力してしまった。酔っていないだけで、後は、いつもの全裸に近い格好をしていたからである。

「コノタビハ、ローマノペルシステイコクヘノセンショウヲ、オイワイシマス」脱力したサマエルを見て、にやにや笑いながらラハブは言う。わざと変な発音で言う。「ツキマシテハ、コンゴノ、ローマトワレラガアエギュプトゥスノ、リョウコウナカンケイヲキズキアゲルベク、ヤッテマイリマシタ」

「お前は」サマエルはうんざりも過ぎて、ついに頭痛がした。抱いていた不安は吹っ飛び、その代わりに、いくら自分が強かろうとこの男だけには絶対に敵わない事を思い知らされた。「お前と言うヤツは……」

「元気そうで良かったぜ」ラハブは場を全くわきまえていない。「取りあえずさー、腹減ったから飯くれ。 あと、酒。 美少年も一緒にな!」

 ……盛大に饗応の宴が開かれた。

「俺にゃ、ぶっちゃけ戦闘能力無いのね。 つーか元々が戦神じゃねーし」ラハブは美少年を撫でまわしつつ、言った。勿論酒器は手放していない。恐らく死んでも離さないだろう。「だからさー、こっちはサマエルみたいなのに攻めて来られるとチョー困る。 だから同盟を締結してくれ。 こっちが下手に出るからさー、良いだろ?」

「本当にそれで良いのか?」

国の格で言えば、ローマは強国だとは言え新興国、アエギュプトゥスは由緒ある大国である。それが下手に出るとなると、反対する者はいないのだろうか。

「嫌です!っつってアレクサンドリアを焼かれるよりはマシ。 それにな、こちらが下手に出たって、そりゃ商人がお客様を神様だと言うのと同じだからさ。 ローマは実に素晴らしいウチの交易相手になりうるんだ。 既にウチの穀物でローマの民は毎日のパンを食っているだろう? って事で、仲良くしようぜー」

「そうか」サマエルは完全にほっとした。「それならば構わない」

だがそこでサマエルはラハブの背中を殴った。サマエルが安心した途端にラハブは何と、宴の席だと言うのに美少年を押し倒したからである。ここは宴の場であって、そう言う行為をする場所では無いのに。しかも衆人環視の真ん前で!

「テメエ何しやがる!」ラハブは怒鳴った。

楽器が美しく奏でられ、心地良く詩を歌う合唱が響き、美味を礼賛し、香水の匂いが立ち込め、楽しくざわめいていた宴席が、一瞬で嫌な沈黙に押し潰されて静まり返った。

「それはこちらの台詞だ! お前はいい加減に場をわきまえろ!」

サマエルも怒鳴り返す。

もはや場の雰囲気は最悪そのものであった。

「だから俺は見られると興奮するって」

「見せつけられる方の苦痛を考えろ!」

「苦痛? ふざけるな、眼福だぞ!」

「お前の粗末なモノを見て何が眼福だ!」

「――! テメエぶっ殺す!」

饗応の宴は、完膚なきまで台無しになった。

ラハブは完全に頭に来ていた。頭に来て、サマエルに掴みかかった。両者は取っ組み合いの喧嘩を始めた。ぶっ殺すも何も無い、世界一下らない理由の喧嘩であった。争いは同じ段階の者同士にしか起きないと言うが、正にそれであった。周りの者は相手が相手なだけに止めるに止められず、かと言って放置も出来ず、おろおろするばかりだった。最終的にはアエギュプトゥスの知の魔神トートが自慢の知恵を絞り、奴隷に水瓶を運ばせ、二人に水をぶっかけて止めさせた。犬の喧嘩の方がまだ性質が良いと誰もが胃をきりきりと痛めつつ思った。あれはうるさいだけで、自分達にはそれ以上の損害は与えないのだから。自分たちの眼前で大国の守護神同士が拳で殴り合うなどと、どれほど見たくない悪夢だろうか。

「……」

「……」

びしょ濡れの二人はまだ睨み合っている。

「お二方」トートが情けなくて泣きながら言った。「いやしくも守護神であらせられる方々が、何とまあ……まるで子供の喧嘩でございますぞ」

「だってコイツが俺の自慢のモノをけなしたんだ!」ラハブが喚いた。

「けなすも何も、事実だろう!」サマエルは言う。

「かかってこンかィ戦じゃァ!」ラハブはサマエルを蹴った。

「望むところだ!」サマエルも蹴り返す。

こんな下らない理由で戦争を始められてはたまったものではない。

周囲が胃を痛めつつも行った必死の説得となだめすかしで、二人はようやく落ち着いた。

ともかく、ローマとアエギュプトゥスの同盟の締結が終わった。


 それから数日後。

「で」とサマエルは言った。「何故お前はここに居つく?」

「だって酒と飯が美味いんだ」何とローマの神殿の一角で、ラハブは酔いどれている。使節団は国へ帰ったのだが、肝心な守護神が他国に居残ったのだ!

「守護神が国へ帰らなくても良いのか」ここローマでも、サマエルはまたラハブと美少年の例の行為を見せつけられるのか、と嫌になってしまった。

人前でのそう言う行為は止めてくれと何度言っても、ラハブは聞かない。聞く耳を持たない。持つ、と言う神経そのものが無い。悪い男では無いのだ。むしろ人の良い、過度の流血を嫌う、誰に対しても親切な男である。

しかし、致命的なまでに変態なのだ。

「んー、もうちょっと休暇を満喫したい」

「休暇? お前は毎日が休暇のような生活をアエギュプトゥスでもしていただろう?」

美少年と戯れ酒を飲み神殿にも帰らず道端で酔いつぶれて寝る!

「それがさあ」とラハブは口に当てた酒の入った瑠璃の器をぐいと傾けてから、ぷはあ、と息を吐き、「バシレイオスがさあ、俺をあっちこっちの教授の講義に引っ張り出すんだ、『面白いですから、是非お聞きください!』って。 流石に講義中に酒は飲めないだろう? だから俺疲れちゃって」

「自業自得ではないか」

自分からそのバシレイオスに手を出した癖に、今更何を悔いているのだ。

「酷い事言うな。 バシレイオスってさあ、おまけに試験前になるともう俺とセックスレスなんだぜ、いくら誘っても却下されるんだ、酷いだろ? おまけにアイツ、試験前に五日連続で徹夜とかして、なのににこにこしているんだ、怖い」

「それは優先順位がお前より学問の方に圧倒的にあるからだ」

「やっぱりぃ?」べろべろに酔っぱらって、ラハブは滑舌も怪しい。

こんな男が守護神で本当に良いのか?いや、実は相当我慢を重ねているのでは、とサマエルはアエギュプトゥスの民に同情した。

「バシレイオスは学びたいがために国法を犯し、自分の貞操をも捨てたのだ。 お前よりも優先して当然だ」

「でも俺さみしい。 閨の中ですらバシレイオスは歴史があーだこーだと嬉しそうに喋ってさ。 それを俺はうんうん頷きながら聞いてやってた。 可愛いのにさあー、あー畜生、さみしい」

「お前は側に誰かいないと生きていないのだな」サマエルは呆れた。常に誰かに己を構ってもらえなければラハブは生きていけないのだろう。

「うん。 だってさあ、さみしいじゃん」

「……。 お前がやたらに人の視線にこだわるのは、さみしいからなのだな」

この変態は常に誰かが側にいてくれねば、自分を見ていてくれなければ、不安でたまらないのだろう。変態性が自己完結していれば良いのに、他者に構ってくれとちょっかいをかけ続ける、全くはた迷惑な変態である。

「そうそう。 ……俺さあ、乞食だったんだ」

ふとラハブは目を細めた。遠い昔を見るかのように。

「……」

「ちょうど五才だったな、親に捨てられたの。 アエギュプトゥスがすげえ飢饉でさ、もう子供は養えないから捨てるか殺すしかないってくらいだった。 まあ殺されなかっただけ愛されてはいたんだろうが。 ……確かに乞食はひもじかった。 食うものにも寝る場所にも事欠いて、辛かった。 だが俺は何より一人になるのが嫌だったんだ。 兄姉が六人いて、俺その末っ子だったから、一人ぼっちになるなんて経験ゼロでさ」

「……そうか」

「……俺が能力に目覚めたのも、また酷い飢饉になりかけた年だったな。 流石に飛蝗(イナゴ)は俺にもどーしよーもないが、あの時は雨が原因だった。 後で聞いたら、雨を降らしてくれって懇願が山ほど神殿に来ていたんだと。 乞食だった俺は飲み水にすら事欠いてさ。 ……それで俺は覚醒した。 今でも覚えているぜ、雨を降らした時、みんながわあっと嬉しそうに叫んだのを。 雨だ雨だってどいつもこいつも外に出てぴょんぴょん踊ってやがるの。 泣いてんだか雨に濡れてんだか分からない面なのに、笑ってさ。 それから俺はとんとん拍子、気付けば守護神にまで担ぎ上げられていた。 美少年を食べるようになっていた」

「豊穣の代償の、供犠か」

種をまかぬ所に生える草は無いし、手入れをせずに報われる実りなど無い。そして、何よりも死ぬ種が無ければ新たな命は生まれない。

「供犠ってよりは、『捨てないで』だな。 俺は美少年しか性の対象にならない。 だから数年でせがまれるんだ、『捨てないで』って」

ラハブはほんの少し寂しそうに言った。だからサマエルは言ってやる。

「良かったな。 バシレイオスは魔族だから、お前を捨てるかもしれないが、お前から捨てられる事は無いぞ」

「まあな、だから俺は安心している。 ところでこの鳥肉のハーブ焼きなんだが、おかわりをくれ。 ところでこのハーブは何だ? 凄くかんばしいんだが」

サマエルは苦笑して、「バジルだ。 で、ついでに酒も、だろう?」

ラハブはにやりと、「分かってるじゃん。 ビールでも葡萄酒でも大歓迎だぜ!」

 結局ラハブは帰ったものの、年に数回はローマへとやって来るようになった。当然、変態を餌付けしてしまったとサマエルは後悔する羽目になった。


 ……その昔、アエギュプトゥスに移住してきた、ヘブライと言う民がいた。イスラエルと同じ一神教の宗教と、独自の慣習を持っていた。

それでも、先代の国王(ファラオ)の時代までは、それほどアエギュプトゥスの民と差別されてはいなかった。特別な税――アエギュプトゥスでは一般に宗教税と呼ばれていた――を納めていれば、アエギュプトゥスの民とほぼ同様に扱われていた。ヘブライの民でありながらアレクサンドリアの学者になっている者も大勢いたし、公職に就いている者も大勢いた。アエギュプトゥスの民とヘブライの民の公的な結婚だけが、相互の宗教の違いにより仕方なく禁じられていたが、その他は差別らしい差別など無かった。私的に結婚している者なら大勢いたのである。

それやこれやで、神々の中にも、民の中にもこれと言った差別意識は無かった。あるとすれば、私的な結婚をした時に、どちらの宗教を優先して子供を育てるか、その時にヘブライの民はどうしても一神教を優先させようとするから面倒だ、だがそれだけ信仰心が篤いと言うのは凄い事だ、程度であった。現実問題としては、基本的に実家が富裕で高貴な方の宗教が、育児においては優先されていたのである。

だが国王が変わった。新しい国王は、非常に攻撃的な性格をしていた。更に、偶像崇拝を禁じている一神教の神を毛嫌いしていた。

彼の幼い時、彼の乳母がヘブライの民であり、その乳母子もヘブライの民であった。そして子供ゆえの残酷さで、当時王子であった彼が何よりも気に入っていた小さな神像のお守りを、喧嘩をした時に破壊したのだ。そしてこう言ったのだ、神様を信じないから壊してやったんだ、と。以来、国王はヘブライの民を心底から憎むようになった。強引に暴力的に押し付けられる神様と信仰、と言うものを彼は徹底的に嫌ったのである。これに元来攻撃的な彼の性格が加算されると、どうしようもなく恐ろしい事態がやって来た。

彼の唯一神への憎しみは、アエギュプトゥス国王として、最低な結末を招く。憎しみのままに彼はラハブら多神教の神々を信奉するように強制し、断ったヘブライの民を徹底的に迫害した。しまいにはラハブらが止めろと言ったのも聞かずに、ヘブライの民の新生児を虐殺させたのである。暴力的に押し付けられる神様と信仰を嫌っていたはずが、逆に彼自身がそれを強要する立場に立ってしまったのだ。

この大惨事に激怒したラハブは飢饉を起こした。彼に言わせれば、

「きちんと税を納めて労役に就いてこっちの法を守っている、ならば別に信仰する対象が何であったって良いじゃないか、何であれ敬意を払うべきものには払う、他人の大事なものを自分も大事にする、全ての神霊を崇める、それこそが多神教だろう? 大体、よりにもよって何の罪も無い赤ん坊を、無駄に大勢ぶっ殺しやがって、クソバカ国王が!」であった。


 だが、その後も国王のヘブライの民への差別と迫害は加速する一方であった……。暴力は暴力を、迫害は迫害を、差別は差別を、段階を飛ばして肥大化させていったのだ。


 「あんまりですよ!」バシレイオスは憤慨している。彼はちょうど、神殿に、生贄の肉を分けてもらいに来ていた。「アレクサンドリアの学問の担い手の中にはヘブライの方も大勢います! ヘブライの教授の御方だっていっぱいいらっしゃるんです! あの方々と私達は信じるものが全く別でも、同じ目的のために協力し合う仲間なのに、何て事をするんですか!」

「同感だ」ラハブは忌々しそうに言う。「俺は豊穣神だ。 命の豊穣を司る神だ。 それがこの無意味な虐殺を、クソ馬鹿馬鹿しい弾圧を看過してなるものか! クソバカ国王め、命を何だと思っていやがる! しかもこれの理由が『気に入らないから』だ! 俺はお前の(つら)の方が余程気に入らねえってんだよ、クソ大バカ国王!」

「ラハブ様」とそこに癒しの女神ハトホルがやって来て、心底うんざりした顔で言った。「そのクソバカ国王ですが、今しがた、病に倒れたそうですわ」

「……はー」ラハブは深いため息をついた。「そら見ろ、因果がはね返ってきやがった。 だが死なせるのも可哀相だ。 ハトホル、頼む」

「了解いたしました、ラハブ様」ハトホルも嘆息して、「精一杯、治しますわ」


 ヘブライだと言うだけで家財や家畜を没収され、抵抗したら家を焼き払われた。ヘブライだと言う理由だけで、役職から追放された。ヘブライだと言う理由だけで暴行された。辛うじて命だけは庇われたものの、それ以外の全てを失った。いくら多神教の神々がそれに真正面から反対したとは言え、完全には国王の横暴を止められなかった。やがてヘブライの民への差別意識は、国王からアエギュプトゥスの民の間にも、徐々に浸透していった。

「ヘブライの民は奴隷と同じだ」

そう、人々の口に囁かれる事が増えて行った……。

そして、それが月日を重ねるごとに、どんどんと最悪の事態を招きよせていく。


 ……ムーサイと言う名のアエギュプトゥスの王族がいた。彼は実は殺されたはずのヘブライの民の新生児の出であった。ある日、彼はふとした事から、迫害されているヘブライの民の一人を見て、猛烈な怒りを抱いた。そして、迫害していたアエギュプトゥスの人間を殺してしまった。すぐに彼が人を殺した事は発覚し、捕まる前に彼はどこかに逃げ去ってしまった。

いつだって、こじれる。

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