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IONシリーズ外伝一   作者: 2626
『護国の赤蛇』
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『護国の赤蛇』 第十二章

サマエルとエステル、見ていると何かもどかしくてイライラする。

 強いと言う事が己にとって何であるのかサマエルは知っていた。それは彼にとって大事なものを護れる事、であった。彼は一度愛したものを全て失っていたから、貪欲なまでに愛したものを護ろうとした。けれど彼はその欲望だけではなく、きちんとした疑心をも抱いていた。己が度を越した行動に出ないよう、その疑心は彼を上手に制御していたのである。

彼は歴代のローマの王、そしてローマの皇帝達の行う政治に対して、積極的には関わろうとしなかったが、もしも彼らが彼にとって到底看過しがたい事態を引き起こした場合のみ、エステル一人を連れてローマの元老院に、あるいは宮殿に乗り込んだ。そして直に対話した結果、為政者として失格だと彼が判断すると、彼は次のローマの為政者に相応しいと思われる人物を元老議員らに選ばせ、現為政者を退位させては新たに即位させた。

一見、それは凄まじいまでにサマエルに政治への執念があるからの行動であるように見えるのだが、サマエルのその行為を責める民も神々も、ほとんどいなかった。何故ならば彼は私利私欲では動かなかったからだ。

「あの美女が気に入ったからと糟糠の妻を毒殺して、新たに美女をめとった、それはまだ良い。 それはお前の問題だからだ」

「だがその殺された妻の一族がお前の行いを元老院にて告発しようとする前に兵を遣わして皆殺しにした、それは許さぬ。 これはローマの問題になるからだ」

「お前は戦時でも無いのに、兵を不法に動かした」

「公と私を混同したお前に権力を委ねたままにしては、いずれはローマは不法行為と不道徳に埋め尽くされ、滅びるだろう」

サマエルは別に怒鳴りつけるでも脅すでも無い、普通の口調でそう言って、為政者にローマから出て行くように命令し、後は神殿に帰って、次の為政者に期待した。

そうしてから、時々、サマエルはふと思うのだ、もしもこれをラハブが出来たのであれば、彼はまだ生きていてくれたに違いない、と。だがあのラハブの事だ、これを一度でもやったならば完全に自己嫌悪に陥って、あの優しさと親切さを失い、酒臭いだけの嫌な酔っ払いになってしまっていたに違いない。

アイツは本当に優しかったからな、とサマエルは思った。

あれほど親切だったアイツを、せめて望んだ『ミイラ』にしてやりたかった。


 ……ローマの神殿に、天涯孤独で臆病で血を見ただけで失神するほどの弱虫で、その事で誰彼からも馬鹿にされている若い魔神がいた。名前を、ダイモスと言う。

サマエルはある日、彼が奴隷達にすらあざけられている所に遭遇した。サマエルは神殿の外へエステルを連れて出かけようとしたのだが、エステルは所用で女奴隷達の部屋にいなかった。少し待ったのだが、戻ってこない。それで彼は仕方なく一人で出かけようとした。その時、だった。エステルの怒声が遠くで聞こえたような気がして、彼はそちらへと向かった。

「真にダイモス様は果敢であらせられる」

「魔神よりも物乞いの方が似合っていらっしゃる」

「おやおや何と気高くていらっしゃるのか! 今にも目から水をこぼして乾いた大地を潤すおつもりでいらっしゃる!」

「いい加減になさい!」エステルは半泣きのダイモスを背中に庇っていた。神殿の廊下、物言わぬ太い柱が彼女らの背後に立ち並んでいる。「貴方達も奴隷なのに、魔神相手に何と言う口を!」

「魔神?」くすくす、げらげらと彼女らを囲む奴隷達は哂った。「何の力も持たぬのに、魔神とは笑止千万だ!」

「サマエル様のご寵愛を受けているからって、エステル、調子に乗ってんじゃないわよ」

だがエステルは一歩も引かない。かつて戦場でそうであったように、果敢である。

「サマエル様のご寵愛がそんなに欲しいのならば、まずその卑怯でひねくれた性格をどうにかなさい。 サマエル様は卑怯者が何よりも嫌いであそばされる。 臆病は何とでもなります。 だがその腐った性根だけはどうしようも無い!」

奴隷達が、怒った。

「何だとう!?」

「ただの女奴隷の分際で、いい気になってつけ上がりやがって!」

エステルの細い体が倒れた。平手をくらって、よろめいた拍子に柱に体がぶつかり、頭を打ったのだ。

「や、止めろ、止めるんだ!」か細い声でダイモスは叫んで、必死にエステルを庇う。彼をも足蹴にして、奴隷達は暴行を始める――。

「ふむ」そこにサマエルが出てきたから、奴隷達は真っ青になった。「確かにそうだな」

恐ろしいまでの沈黙が流れた。サマエルはその沈黙を破って、一人で言葉を放った。

「確かに私は卑怯者がどうも好きにはなれない。 無駄な殺生も好きにはなれない。 だから、闘技場(コロセウム)にて、無抵抗の奴隷を猛獣が殺すのを群衆が観劇して喜ぶ、と言うのもあまり好きでは無い。 それで私は闘技場にはあまり行かないのだが――明日には久方ぶりに姿を見せるとしよう」

真っ青になっていた奴隷達の顔は、もう白くなっていた。彼らは必死に哀願したが、サマエルは耳を一切貸さずに、ダイモスとエステルを連れて去ってしまった。

「さ、サマエル様」ダイモスはその場にひれ伏して御礼を述べる。「ありがとうございます、ありがとうございます!」

「気にするな。 私が、ああ言うのを生理的に受け付けないだけだ」

「う、うう――」ダイモスは地に頭をつけたまま、泣き出した。「どうして俺は臆病なのでしょうか、どうして腰抜けなんでしょうか、どうして魔神に生まれてしまったのでしょうか、俺なんか奴隷がぴったりなのに!」

「人には得手不得手がある。 お前はお前に合った務めを果たすべきだ」

「何にも出来ないんです、俺は……! もし失敗したら、失敗してみんなに迷惑をかけたらと思うと、怖くて、怖くて――!」

「慎重なのだな」サマエルは少し考えてから、言った。「……補給部隊はどうだろうか」

「補給部隊……?」ダイモスは顔を上げた。赤い魔神は頷いてみせて、

「そうだ。 近い内に我らがローマはイスラエルと激突する。 戦の基本は、情報と補給だ。 いくら強い軍でも、情報と補給が無ければ敗北する。 お前は、その補給を司る部隊を率いるが良い」

「え」ダイモスは驚いた。「ど、どうして俺なんかにそんな大役を!?」

「お前は慎重だ。 臆病なまでに慎重だ。 ならば出来る。 何も前線で戦う事のみが勇敢である、有能であるとの証明では無い。 目立たぬが欠かせぬ、と言う立場もあるのだ」

「……目立たぬが、欠かせぬ……」ダイモスは考え込む。それは、彼にとってはとても合っている、いや、彼にしか出来ない事のようであった。石橋を叩いては怯えつつ歩く彼の性格が、上手い具合に、初めて作用するような気がした。「……承りました!」彼はしっかりと頷いた。

「では、頼むぞ」サマエルはそう言って、エステルを連れて出かけていく。

その後ろ姿をじっと見て、ダイモスは自分に言い聞かせるように、言った。

「そうだったのか……。 こんな生き方も、俺にはあったんだ……」


 ある日の朝、エステルはサマエルの衣を神殿の泉で洗いながら、ぼんやりと考え込んでいた。近頃の彼女はこんな風にして考えてばかりであった。

(こんなに胸が痛いのは、何故なのだろう)

(病気なのだろうか)

(だったら医者の所へ行けばよい、のに……)

(治らぬ病と言われるのが怖いのか)

(……違う。 そうじゃない。 私はこの痛みの原因をもう知っている)

(……)

エステルは声を押し殺し、うつむいて泣いた。もう洗ってなどいられなかった。

(私はあの人が好きなのだ)

(好きになってしまったのだ!)

「どうした」

背後からのサマエルの声にエステルははっとした。

慌てて、赤い衣を洗うのを再開する。

「何でもございませぬ。 疲れたので怠けていただけでございます」

「そうか。 本当にそうか?」

「……」

言えるものか。彼女は奴隷だ。人の尊厳や意志など要らない存在なのだ。このままで良い。このまま、あの人の側にいられるだけで良い。これ以上の幸せを望むならば、傲慢と言うものだ。

彼女は彼に背を向けたまま、言った、「はい」

「……」

黙ったままの彼の足音が去っていく。エステルはそれが完全に聞こえなくなってから、唇を噛みしめてまた泣いた。

byラハブちゃん。

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