『護国の赤蛇』 第十章
このシーンには、メタリカのクリーピングデスが似合います。
……アエギュプトゥスにただならぬ異常が起こった。河が、湖が、泉が、血で染まったのだ。そして害虫が凄まじい勢いではびこり、腫れ物が出来る人が多発し、疫病が流行った。天から蛙と雹が降ってきた。そして真昼であるのに夜のように暗くなり、とどめとばかりにアエギュプトゥスの民の長子がことごとく死んでいった。
その原因は、差別と迫害に耐えかねたヘブライの民の国外脱出を、帰国したムーサイらが要求してきたのだが、アエギュプトゥス王が拒絶したためであった。
ムーサイは謎の力を持っていて、もはやかつてのムーサイでは無くなっていた。殺人犯として捕らえる事すら出来なかった。謎の力を、それで起こした異常事態を、ムーサイは、『唯一神の起こしたもうた奇跡』と言った。『邪教の悪魔共を信奉している愚者共など、皆死ねば良いでしょう』とまで言った。これにアエギュプトゥスの神で血気盛んな者は激怒してムーサイを殺そうとし、逆に返り討ちに遭った。
まだ天変地異が起きている間は、王は拒絶し続けた。だが、流石に長子が次々と死んでいくに当たって、とうとう許可した。
ラハブが言ったのである、
「もうあんな疫病神とは関わるな、自分から出て行くと言っているんだから追い出せ!」と。
ヘブライの民が移動を始めた。それと同時に天変地異が終わり、ラハブはほっとして、
「二度と戻ってくるなよ、二度とだ」と呟いた。
「……先生達が、友達が、みんな行ってしまう……」バシレイオスはヘブライの民の去っていく後姿に、半泣きである。学生である彼は疑うと言う事を知っていたから、彼らに差別意識など持っていなかった。むしろ同情していた。「もっと教えを乞いたかったのに……! 何でこんな事に……!」
「全部あのクソバカ国王が悪い!」ラハブは断言した。「あのクソバカ国王が弾圧なんかしなければ全部上手く行っていたんだ。 トチ狂って弾圧なんかしなければ、相互の理解と寛容と、そして何よりも強い『調和』が異教徒と俺達の間にあったのに。 それに必要なのはお互いへの遠慮と配慮、そしてお互いを受け入れられるだけの豊かさやゆとりだった。 創り上げるには何十年何百年とかかるそれを、ほんの一瞬でぶっ壊しやがって。
……信仰心や宗教愛ってのが、迫害されればされるほど加熱するものだって事を全然分かっていないんだ、あのクソバカは。 どうしてもヘブライの連中を堕落させて一神教の信仰を捨てさせたかったら、金貨銀貨の雨あられと美女美男と美酒美食でやれば良いものを、その真逆をやりやがった。 全くどうしようもないクソバカ国王だ。 だが……」
そこで彼は珍しく黙り込む。うるさいくらいにいつもは喋るのに。
「どうされました、ラハブ様?」バシレイオスは不安になって訊ねた。
「いや、な……」ラハブは少し苦々しい顔をして、「この国の守護神として、俺はあのクソバカ国王を殺すべき、あるいは退位させるべきだったんじゃないか、って思ってな……」
「……」バシレイオスは黙っていたが、きっぱりと言った。「ラハブ様はお優しいから、そう思われるのです。 でも、ラハブ様が一度でも政治問題に関与したとなれば、以後延々とラハブ様はそう言う問題に関与し続けなければならない。 それは……豊穣神であるラハブ様には、とても耐えがたい事でしょう?」
ラハブは優しい。致命的に誰に対しても優しい。だから、彼が関与し続ければ、国の政治は成り立たない。政治とは目に見える流血が無いだけの戦争だからだ。
「……まあ、な」
ラハブは重苦しい思いを抱え込んでいる。それで、バシレイオスはせめて気分を少しでも良くしてくれればと思って言った。
「でも、大バカ国王に一発くらい蹴りを入れたって誰も責めはしないですよ」
「はは!」ラハブはやっと笑って、「そうだな、思いっきり強烈なのを入れてやるぜ!」と言った。
「ええ、それが一番です!」
バシレイオスは元気に頷いて、それから講義があるからと去っていった。
だが、ヘブライの民が出て行ってしばらくして、アエギュプトゥス国王は思ってしまった。
何故己の長子を殺したも同然の輩を、みすみす何の処罰も受けさせずに逃す必要がこの世のどこにあるのかと。
王は戦車と騎兵から編成された軍隊を差し向け、自らその陣頭指揮を執った。
不運にもそれをラハブらアエギュプトゥスの神々が知ったのは、もう何もかもが止められない段階になってからであった。まさか王が自ら出陣したなどと言う事態、考えにも及ばなかったのである。
ラハブは血相を変えてその後を追った。他の神々に言い残して。
「もしも俺に何かあったら、あのサマエルを頼れ」
「!? いけません、いけませんラハブ様!」ハトホルが慌てて彼を引き留めようとして彼の腕をつかんだ。「貴方様に万が一の事がありましたら、この国は!」
「私めが参ります!」とトートがラハブの前に立ちはだかった。「ですので、ラハブ様は――!」
ムーサイに憑いた強大な『何か』が、下手をすれば国王もラハブをも害するかも知れない。否、『何か』は国王達に対して、必ずやとんでもない反撃手段を取るだろう。『邪教の悪魔共』と呼ばれて怒り、襲いかかったアエギュプトゥスの神々を何人も『何か』は簡単に殺傷したのだから。その中には歴戦練磨のアエギュプトゥスの戦神もいたのに、一瞬で殺されたのだ。
まだ王は良い。王族から次のアエギュプトゥスの王を選べば良い。
だがラハブには、代替者などいないのだ。
この高貴で偉大な豊穣神の代わりなど、そうたやすく出てくるものでは無いのだ!
「相手はあのクソバカ国王だ。 クソバカに言う事を聞かせられるのは俺くらいだ! じゃあな、俺は行く!」
トートは突き飛ばされた。ハトホルは振り切られた。
「こんな事になると知っていたのならば」ハトホルが膝を折り、泣き叫んだ。「あのクソバカ国王が病に陥った時に、精一杯治そうとしなければ良かった!」
ラハブが軍隊に追いついた時、ヘブライの民は船を持たぬまま海の岸辺に追いつめられていた。そこを軍隊は殲滅させようとしていた。
「大馬鹿野郎!」とラハブはいつになく大声で怒鳴った。腐っても守護神、その声は良くとどろいた。「関わるなと言っただろう、すぐに引き返せ!」
だが王はその言葉に耳を貸さず、ヘブライの民を殺そうとした。
その時、超常現象が起こった。
海が割れて、道が出来たのである。
あまりの出来事にあ然としているアエギュプトゥスの者達に構わず、ヘブライの民はそこを通って逃げ出した。
「な」とラハブは絶句して、それから叫んだ。「何だこれはッ!」
何が起きたのか、何が起きているのか、彼にはもう訳が分からなかった。
ただ、恐ろしいと感じた。とても恐ろしいと。
「――アエギュプトゥスの悪魔ラハブよ」
まるでそのしんがりを務めるかのように立ちはだかっている男――ムーサイは厳かな声で言った。
ばっと天がかき曇り、そこから光が一筋差し染めて、ムーサイを照らした。
誰もが思わず息を呑むような、荘厳な光景であった。
「俺はムーサイに憑きし大天使ミカエルだ。 貴様ら邪教の悪魔共を殲滅するために、我らが唯一絶対の神により遣わされた」
「唯一神、だと……!?」
「そうだ。 我らが唯一絶対神に刃向う悪魔ラハブと異端者共め、今この場にて朽ち果てろ! ――『天地無用』!」
ラハブ達に、何か、重たいものが圧し掛かってきた。まるで大岩を背負ったかのようであった。そしてそれは瞬く間に凄まじい重圧となり、ラハブ達はそれに耐え切れず地面に倒れた。彼らの体にかかる重力が操作されているとも分からずに、肺がつぶれて彼らは呼吸すら出来なくなっていった。
「ぐああ、あ――!」
倒れても悲鳴が漏れても重圧は止まない。段々とラハブ達の体がひしゃげていき、そして――。
まるで熟れた果実を踏み潰すかのように、つぶれた。
ラハブが戻ってこない。王も戻ってこない。軍隊の誰一人戻ってこない。時が経つにつれてアエギュプトゥスの王宮も神殿ももはや天地が動転したかのような大騒ぎになった。それにトートがたまりかねて、ついに己の目で確かめに行った。
彼は行き路も足が重かったが、帰り路はまるで鋭い剣で出来た山の上を歩かされるような思いであった。
――行った先で、彼は虫に集られた死体の数々を発見するのである。もはや死体は誰が誰であったのか分からぬほどであり、人の原形を留めてすらいなかった。地獄がこの世にあるのならば、ここだとトートは思った。そして聡い彼はそれをこの世に生み出した存在をも、すぐに察知できた。ある意味では有名であったのだ、その大天使ミカエルの降臨先で多神教の神々や信者達に何が起きるのか、は。
ただ、一つ。
一つだけ、トートはその遺体が誰のものであったか、すぐに分かった。
その人物だけはいつも、どんな時であっても、誰に何と言われても断固として変な格好をしていたから、衣類で判別が付いたのだ。
「おお」彼はその場に両膝を突き、もうこらえきれずに大粒の涙をぼたぼたとこぼした。「ラハブ様……!」
ラハブが何をしたと言うのだ。彼はこの国を安定させていた。供犠を受け取っては、その倍の豊穣で返した。変態ではあったが憎めない男であった。アエギュプトゥスのために生きて、働いて、人を愛し、人から愛され――なのにその最期がこれか!
血に染まった包帯に手をやり、トートは号泣した。
その直後より、イスラエルから、アエギュプトゥスへの凄まじい侵略が始まった。大天使ミカエルの手により、次々とアエギュプトゥスの街は陥落し、住民は全滅させられた。アエギュプトゥスの神々も軍も必死に立ち向かったが、生還者は誰一人いなかった。
これを見過ごせるローマでは無かった。同盟国の危機である。ローマは即座に軍事行動を取って、海を渡ってイスラエルの撃退へ向かおうとした。
サマエルは心底怒っていた。侵略者大天使ミカエルへ、凄まじいまでの怒りを抱いていた。アエギュプトゥスの魔神トートが援軍を求める使者としてローマにやって来て、語ったラハブの最期に、激怒に激怒を重ね、もはや理性を失って怒り狂う寸前であった。血に染まった包帯を握りしめた拳がわなわなと震えていた。その怒り様は、ローマの皇帝、元老院議員達にすら物も言えないほどの恐怖を抱かせるほどのものであった。
殺されたのは、彼の恩人にして唯一の友だったのだ。生贄の代わりに雨を降らす、崇高な豊穣の魔神だったのだ。アエギュプトゥスの高貴なる守護神だったのだ。
それを虫けらのように殺すなど。
サマエルは、だが、あまりにも怒り過ぎたがために、その怒りをも突き抜けて、冷徹になってしまった。冷徹にならねば、彼はそれこそ狂ったように暴走しただろう。何がどうあろうと何をどうしようと、必ずミカエルを殺すのだ。ラハブの無念をミカエルの骨身に思い知らせてやるのだ!赤の魔神は冷徹に、そう考えた。
サマエルの所へ、学問の聖地アレクサンドリアが、ついに陥落したとの知らせが届いたのは、そのローマ艦隊が渡っている、ちょうど海の上であった。
地響きのような恐ろしい音が、徐々に這い寄りつつ聞こえてくる。
バシレイオスはぶるぶる震える手で槍を握りしめる。他の学生達も、必死に書物を船へと運ぶ者、逃げ出す者、血気盛んなあまりに街の防衛軍へと志願する者、様々であった。
バシレイオスは、大図書館の書物を船へと運び、無事な場所へ運ぶ学生の警護の役目を果たしていた。だが本よりも重たいものを持った事も無く、戦った経験も無い彼は、はっきり言って役立たずであった。彼の側で二輪車に乗せた沢山の書物を、ゼフォンが必死に押して運んでいる。何とか彼らが港に着いた時には、もう嫌な臭いの煙が辺りに立ち込めており、兵士の雄叫びと剣戟の音がすぐ近くまで聞こえていた。彼らは急いで書物を船へと運びこんだ。
その時であった。イスラエルの軍隊が、港までついに攻めてきた。
「いたぞ、殺せ!」兵士達が駆け寄ってきた。バシレイオスは咄嗟に槍を構えて迎撃しようとして、それをゼフォンに奪われた。
「あ!」バシレイオスはその拍子に突き飛ばされて、船の中に転がった。
「寄こせ!」後からそう叫んだゼフォンが槍を構えて、船から飛び降りた。
バシレイオスは慌てて自分も降りようとしたが、船長がもう限界だと出航を命じたので、血相を変えた。
「待って下さい、ゼフォンさんが!」
バシレイオスは船長にすがり付いて頼み込んだが、船長はもう聞く耳を持てなかった。
「すまないが、もう限界だ!」
もはや己の命の問題なのである。ましてや他人の命に構う余裕など無かった。
「バシレイオス!」ゼフォンの声が響いた。バシレイオスが、こうなったら船から海に飛び込むまでだと体を船べりから乗り出した、その時に。ゼフォンは彼に背中を向けて兵士達と対峙したまま、叫んだ。「歴史書を書く時が来たら、精々俺の事は格好良く書いてくれ!」
「そんな! 今、今そっちに行く! ゼフォンさん、一人じゃ死んでしまうよ! 僕も戦う! ――あッ!」
「馬鹿、止めろ!」船員の一人が海に飛び込もうとしたバシレイオスを後ろから羽交い絞めにした。「死にたいのか!?」
「放して下さい!」バシレイオスは半泣きで叫んで暴れた。けれどひょろひょろの体躯の彼が、屈強な船員に敵うはずも無い。「ゼフォンさんが、ゼフォンさんが! 今、今行きますから、ゼフォンさん!」
そう叫んだバシレイオスに、ゼフォンは言った。
「馬鹿かお前は。 お前なんか来たって邪魔なだけだ! ――じゃあな!」
「ゼフォンさん!」
もう、ゼフォンの運命は誰がどう見ても決まっていた。ただの学生一人と兵士達の戦いである。奇跡が起きたとしても結末は変わらない。
「ゼフォンさん!」バシレイオスは絶叫したが、その声はもう届かなかった。
船はあっと言う間に戦煙に覆われた港を、逃げ出て行ってしまった。
何の因縁か、バシレイオスの乗ったその船が、ローマの軍隊が乗り、サマエルも同乗していた艦隊と出くわしたのである。
「サマエル様」バシレイオスは無念のあまりに、泣きながら事情を説明した。「アレクサンドリアは滅びたのに、僕だけ生き延びてしまいました」
「……」
「僕の第二の故郷は、どうして滅ぼされなければならなかったのですか」
「……」
「ゼフォンさんまで死なせてしまって、どうして僕が生きているのですか」
「……」
答えられない。だが言葉にすらならない激怒がサマエルの心中に湧きあがってくる。かみ殺さねば暴発する怒りだった。下手に口を開けば、どんな爆発的暴言が出てくるか分からない。それでサマエルは黙っていた。
……サマエルはとにかくバシレイオスを休ませると、最高速度でアレクサンドリアに向かった。
かつてサマエルを真っ先に出迎えてくれたあの大灯台が、滅茶苦茶に破壊されていた。にぎやかであった市場から、壮麗だった『教授達の家』や庭園があったはずの学芸の聖地はほぼ全域が焼き払われてわずかな煙のみが立ち上っており、特に大図書館は完膚なきまで消し炭にされていた。その周りには、恐らくここだけは護ろうと戦ったのだろう、学生達の死体で一杯であった。
あの大樹のように厳然とそびえ立っていた人の叡智の牙城の成れの果てが、これであった。人間の栄華など儚いもの、そう言いたげに。
「あ、あぁああああああああああああああああああああ!」
無理を言って付いて来たバシレイオスが絶叫して一番間近の死体に駆け寄った。それがもうただの物言わぬ肉塊であると分かっていても、割り切れずに抱き着いて泣き叫んだ。
「先生、アストリウス先生! そんな、そんな、どうして先生が!」
「……」サマエルはまだ黙っている。
イスラエル掃討戦が始まった。ローマ軍は善戦した。戦っては勝ち、勝っては戦って、そしてついにイスラエル軍を追い詰める事に成功する。
その時、天から、黄金の翼を持った青年が舞い降りてきた。
「……貴様が噂の大天使か」
サマエルは軍隊を離れた場所へと移動させた。
これから起きるのは魔神と大天使の争いである。巻き添えを受ければただの人間達にはひとたまりも無かった。
「そうだ!」ミカエルは邪悪に笑って言う、「俺こそがあの変態を潰し殺してやった大天使ミカエル様だ」
「貴様が守護神ラハブを殺したのだな」
本来ならばミイラにされて丁寧に埋葬されるはずであったラハブを、野垂れ死にさせたのか。アエギュプトゥスを貧しさと飢えから護っていた男を、虐殺したのか。たった一人の友を、恩人を、まるで虫けらのように潰したのか!
「守護神?」ミカエルは馬鹿にしきった態度で、「貴様らは神じゃない、ただの人食いの悪魔だ!」
「……そうか。 ならば」サマエルは右手を突き出した。「――BIGBANG!」
ミカエルは咄嗟にかわしたものの、空間の爆発の余波を受けて吹っ飛んだ。そこに空間を跳躍してサマエルが迫る。阿修羅の形相をして。ミカエルは咄嗟に、
「『天地無用』!」
サマエルの体に重圧がかかった。だがサマエルはするりと空間を歪曲させてその攻撃を逃れる。逃れながら、猛攻撃をかけた。
「BIGBANG! ――BANGBANGBANG!!!」
ミカエルの体が地面に叩きつけられた、と同時に爆発で空中高く吹っ飛ばされた、そしてまた地面に叩きつけられる。土ぼこりが舞い上がり、地響きがうなった。
「――く、クソッ!」
止まぬ猛攻に、ミカエルは叫んだ。
「おいサンダルフォン、ガブリエルの支援攻撃をよこせッ!」
天から小隕石が降って来た。だがサマエルが指をぱちりと鳴らすと、彼に命中する前に隕石は爆発して木端微塵になってしまう。
「効かんぞ」サマエルは瞬間移動してミカエルに迫った。大きく右腕を振りかざし、「思い知れ!」
顔面が思いきりひしゃげたミカエルが、空中でよろめいた。
「ぐ、ぐおお、おお……」ミカエルは顔を押さえて激痛に呻く。
その時であった。サマエルが人の気配を背後に感じて振り返る。
サマエルは名前は知らなかったが、男――ムーサイが黄金の箱を持って立っていた。
「貴様は誰だ!」サマエルは殺気まみれの声で叫んだ。
「私はムーサイ。 神に選ばれし預言者だ。 悪魔め、滅べ!」
そう言うなり、ムーサイは目を閉じて箱を開けた。
落雷があったかのように、辺りが白光で塗りつぶされた。それはもはや、直視したならば目がつぶれるのは間違いないほどの凄まじい光であった。
「ぐ、う――!」サマエルが目を押さえて膝をつく。「何を、した!」
「この箱は滅びた『先代文明』の遺物の一つ」ムーサイの哄笑が響いた。「『開けてはならぬ聖櫃』! 放たれた光を直視すれば貴様のように目がつぶれるのだ!」
ムーサイはしてやったりと言ってのけた。
先代文明とは、伝説で、かつてこの世界以前に存在したと言う、空前絶後の栄華を誇った文明の事であった。だが、ある日一瞬にして滅びた――。
「ミカエル様!」続けて、ムーサイは嬉々として叫んだ。「今でございます!」
「よくやったムーサイ!」ミカエルは勝ったと思い、最後の一撃を下した、「――『天地無用』!」
だが次の瞬間、かっと目を見開いて、サマエルが立ち上がった。
「BIGBANG!!! BANG!」
ミカエルが空間破壊に巻き込まれて下半身を失った。同時にムーサイも爆死した。
「目を潰した?」サマエルは凄まじい眼光を放つ目でミカエルを見た。光を失ったと言うのに、ミカエルが震えあがるような目つきだった。「それで私に勝ったつもりか? 私を誰だと思った。 私はローマが守護神サマエルなるぞ! 思い上がるな大天使風情が! よしんば首だけになろうと、私は貴様の喉笛を食いちぎる!」
そして、地面に這いずるミカエルへと一歩一歩、近づいて行った。
「ひ」ミカエルは生まれて初めて恐怖を感じた。怖かった。今までここまで彼を圧倒した魔神などいなかった。今まで彼は負けた事など無かった。彼は死の恐怖を知らなかった。だが、ここで、彼は初めて『殺される』と感じた。今まで殺す側だったのに、殺される。殺される!彼は死ぬ!「や、止めろ、俺を殺せば、我らが唯一絶対神は、貴様を、」
「黙って死ね!」
ミカエルの首が、どこか遠くへと飛んで行った。
それを空間構造の変異で感じ取りつつ、サマエルはその場にまた膝を突いた。両方の目から血があふれ出した。
「ぐ、う……!」サマエルは、意志で抑えていた苦悶のうめき声を出した。「目が。 だがラハブの仇は討てた……!」
……。
誰かの声がする。
「おやおやミカエル、何て有様ですか」
「ら、ふぁ、える……? た、す、け……」
「やれやれ本当に仕方の無い。 特別に癒して差し上げますから。 ……。 我らが唯一絶対神が呆れ果てております。 たかが一匹の悪魔風情に負けるなど、それでも我が下僕か、と」
「油断した……ヤツは、目を潰してもまだ噛み付いてきた……」
「言い訳はあまり我らが唯一絶対神には好まれませんよ。 それより我らが唯一絶対神よりご命令です、飽きたのでアエギュプトゥスからは手を引くように、との事」
「分かった……」
あの曲を聞いていたら、閃いた。