母と父の恋物語②
「おい、てめぇら! この男がどうなってもいいのか!」
ドスのきいた声で、盗賊らしき男が兵士たちを脅す。その鍛えぬかれた腕に人質としてしめ上げられているのは、見るからに身分の高そうな上質な服を着た青年だった。短い黒髪に、紫の瞳を持つ、凛々しくも美しい青年は、がたいのいい男に抗うも、すべて抑え込まれていた。
集まった兵士たちは、こビィラード王国にとって大切なその青年を救い出す機会を慎重に伺っていた。
「お、ぉ、お前たち……こんなことをせずとも、私にできることなら話を聞こう……」
青年が、自分を捕らえている男に話しかける。
「殿下っ! その者たちの言うことなど……!」
「おいおい、忠誠を尽くす王子の言うことだぜ。兵士が逆らっていいのかよ? なぁ、お前ら」
男が後ろに控える仲間たちににやりと笑いかけた。
――――その時。
「あなたたち、バカなことはおやめなさい!」
青いレンガ屋根からふわりと舞い降りたのは、輝く金糸の髪をなびかせる、美しい娘。白く美しい肌の露出が多いドレスに、幻想的なショールを纏うその姿は絵本に出てくる可愛らしい妖精のようでもあり、神々しい女神のようでもあった。
彼女は捕まった男に目配せをし、にっこり笑った。
その笑顔に、青年の目は釘付けになる。
それは、青年だけでなく、兵士たち、盗賊の男たちの目をも奪っていた。
そして、次の瞬間には青年は兵士たちの手に預けられ、盗賊の男たちは彼女に説教されていた。
「もう、確かに私はお金が必要ねって言ったわよ? でもね、人様に迷惑をかけてまでお金を欲しがっていた訳じゃないの」
「へぇ……すんません、ユリア嬢」
男たち全員を正座させ、美しい娘ーーユリアはぷんすか怒っている。
しかし、ひとつため息を吐いて彼らに背を向けた。その視線の先には、兵士たちに囲まれている黒髪の青年の姿があった。
「オルディス王子殿下、私の家族が大変ご迷惑をおかけしました……とても許されることではないとは分かっています。でもどうか、許してやってはもらえませんか?」
懇願するように、ユリアが地に頭をつける。
しかし、その顔をゆっくりと上げたのは、被害を被ったオルディスだった。
「私には何の怪我もありません。よければ、事情を聞かせてもらえませんか?」
これが、盗賊と同じぐらい血の気の多い旅一座を率いるユリアとビラード王国第二王子オルディスとの出会いだった。
* * *
ユリアは赤子の頃、踊りや演劇を披露し、生活する旅一座《アナベル座》に拾われた。
可愛らしい容姿のため、裏方ではなく、表舞台に立つ踊り子として、日々稽古に明け暮れた。
アナベル座は、ビラード王国内の様々な地を回り、公演を重ねて金を稼いできた。とはいえ、その収入にはムラがあり、金に余裕があるときとないときでは、差が激しく、一座の生活は基本的に不安定なものだった。
育ての親である座長が一番人気のユリアを座長に任命し、ユリアは十七歳という若さで座長になった。普通はあり得ないが、一座のみなは認めてくれた。それは、みながユリアを愛し、ユリアもみなを愛していたから。
景色はきれいだが、裕福ではない田舎町での公演を終えて、アナベル座の生活費はいよいよ底をつきかけた。
そこで、ユリアは貴族たちが住まう、経済的に潤っているビラード王国の王都へ行くことを決めたのだ。
無事、王都に着いたはいいが、講演許可が出たのは王都の外れで、宣伝はしたものの客はそう多くなかった。
儲けがでないことには物価の高い王都に来た意味がない。そのことを嘆いていると、力仕事が得意な男たちが「オレに任せろ!」と息巻いて行ってしまったのである。彼らが何をしてしまったのかは言うまでもないかもしれないが、あろうことかこの国の王子を人質にとり、ありったけの金を用意させようとした。アナベル座のみながユリアの育ての親であり、みながユリアを見守ってくれる。しかし、日に日に成長するユリアへの過保護っぷりは異常だった。目に入れても痛くない、とはよく言ったもので、みなユリアのために無茶ばかりしようとする。彼らの動向はチェックしておかねば、何をしでかすか分からない。しかし、それもすべてユリアを心配してのことだと思うと、迷惑だと切り捨てることはできないのだ。
「また王子様が来てるぜ?」
「懲りねぇなぁ」
「ま、男はみんなユリア嬢の虜になる定めさ。たとえそれが一国の王子様でもな」
木製の舞台の補強をしながら、アナベル座の男たちが囁く。
彼らの視界には、あの日以来毎日のようにアナベル座の講演を見に来る王子オルディスの姿があった。
「今日の踊りも素晴らしかったよ、ユリア」
穏やかな笑みでユリアを褒め称えるのは、ビラード王国第二王子のオルディスである。
「ありがとうございます、王子殿下。あの、たしかに先日我がアナベル座は貧乏一座であるとお伝えしましたが、こうも頻繁に来て頂かなくても……」
ユリアは控えめに、しかししっかりとオルディスを見て言った。
一国の王子が来ることで、大きな宣伝となり、今アナベル座は大盛況だ。しかし、王子一人についてくる兵士の数はなんと約十五名。武装した兵士たちの影響で、お客さんが素直に楽しめない。
「どうしてそんなことを言うのです? 私はただあなたの力になりたいだけなのに」
「それは、嬉しいのですが、殿下の護衛の方々がお客様を怖がらせています」
「そうか。では、もうあの者たちは連れて来ない」
「え? いえ、それでは殿下の護衛が」
「私とて剣術を心得ている」
胸を張って微笑むオルディスに、ユリアは脱力した。初めて出会った日、まんまとアナベル座の一員によって捕らえられた人がよくもまあそんなことを……半ば呆れながらも、ユリアは苦笑した。
「あぁ、やっぱり私は踊っているあなたも好きだが、あなたの笑顔が一番好きです」
そう言って手を取られたかと思うと、膝をついたオルディスに手の甲に口づけを落とされた。
「お、王子殿下……っ?!」
抗議の声が裏返る。
しかし、オルディスはユリアの困惑など聞こえないふりをしてにっこりと笑う。
「いけません、王子殿下。もう私に近づかないでください!」
「何故ですか?」
「な、何故って、私たちのような旅一座と王子殿下では本来なら口をきくこともできないんですよ? 王子殿下が公演に来てくださるのは嬉しいですが、身分が違いすぎます」
きょとんとこちらを見つめてくるオルディスに、ユリアは冷静に拒絶の言葉を放った。
「ユリアに会いたいという私の気持ちは分かってはもらえないのですか?」
真摯な瞳に見上げられ、ユリアは言葉に詰まった。しかし、ここで折れてはいけない。
「でも……王子殿下には王宮でやるべきことがあるはずです。私にも、このアナベル座でやるべきことがあります。私のせいで、王子殿下の評判を落としたくはありません」
この時ユリアは、はっきりと住む世界が違うのだと告げたつもりだった。
ユリアの言葉を聞いて、オルディスは頷いて帰って行ったから、納得してくれたのだと思っていた。
しかし、この次の日からオルディスは客としてではなく、アナベル座の舞台裏に通い詰めるようになった。
「あの方、本当に王子様なのかしら……?」
「最近じゃぁ、剣舞とナイフ投げが上達してるぜ」
王子を人質にしていた男、ゴートンがにやりと笑う。完全に、ゴートンは面白がっていた。オルディスが護衛なしでアナベル座に来るようになって、ピリピリしているのはユリアだけだ。こっちは王子の身に何かあってはいけないと気を張っているというのに。
「もう、王子様に何やらせてるのよ」
「その王子様がノリノリなんだからいいじゃねぇか。そのうち舞台に立たせてやれよ」
「絶対ダメよ!!」
基本的に、アナベル座のみなはノリを大事にする。人生を楽しむことをモットーに生きている。自分の技を磨き、美しさを求め、自由を謳歌する。そこに、身分の壁は存在しないのだ。だから、オルディスが王子としての権限をふりかざさず、純粋に技を習得するために来ているので、一座のみなにとっては新しい仲間のような認識なのである。
ビラード王国の王子にさすがにそれはまずい。
一応、オルディスには一つ上の兄エドワードがいるのだが、それでも王位継承権第二位の持ち主だ。エドワード派の貴族と、オルディス側の貴族で派閥争いも勃発していると聞く。それというのも、現国王が流行り病にかかり、弱っているからである。そんな状況の中で、王都のはずれ、それも身分の低い者たちばかりがいる下町にしょっちゅう来ていていいのだろうか。ユリアは真剣な顔で大きさの異なる玉に乗りこなそうと頑張っているオルディスを見て心配になる。
(こうして見ていると、普通の人なのに……)
出自がはっきりしないユリアとは違い、オルディスはあまりにも高貴な出自である。
優しくて、穏やかで、争いを好まないオルディスに、惹かれる気持ちはあれど、それを出してしまえば悲しむのは自分だ。王子様との恋など許されるはずがないのだから。たとえその王子様が自分に夢中だと人目をはばからずに主張していたとしても。
ビラード王国での公演をはじめて約半年が経った。
この半年間、何度断っても、拒絶しても、オルディスはアナベル座に通い続けた。
「王宮でやることはすべて片付けてきているから心配しなくてもいいよ」
そう言って、オルディスはいつもユリアの側で笑っていた。
「ユリアが本気で嫌がっていたら、私はここには来ない。でも、私に少しでも好意があるなら、側にいさせてほしい」
そう言って、オルディスはいつもユリアを頷かせた。オルディスを拒絶しきれなかったのは、ユリア自身、彼と一緒にいたいと思っていたから。
「一目見た時から、私はユリアに恋に落ちていたんだよ」
そう言って、オルディスはいつもユリアを困らせた。
「王子殿下……」
そっと呼びかけると、オルディスが嬉しそうに振り返った。
「もうそろそろ、名前で呼んでほしいな」
「む、無理です。王子殿下は王子殿下ですから」
「半年経っても、ユリアの心は私に向かないのか……それだけ私に魅力がない、ということか」
後半の呟きが耳に入って、ユリアは瞬時に否定した。
「そんなことはないです! 王子殿下は身分の壁を感じさせない優しい方で、みんなだって本当の仲間のように慕っています。そういうお人柄だからこそ、私も……」
好きになった……そう言いかけて、ユリアはあわてて口を閉じた。しかし、オルディスは笑みを浮かべたままユリアに詰め寄った。
「その続き、私に教えてくれないか?」
間近でそう問われ、ユリアは顔が熱くなる。
「わ、私も王子殿下こそ、次期国王にふさわしい方だと思います……と言おうとしたのです」
無理矢理くっつけた言い訳は、オルディスの整った顔を少し歪めてしまった。
「私は、国王になるつもりはない。もし国王になってしまえば、ユリアと会う時間がますます減ってしまうではないか……」
貴族たちが次期国王の座を巡って派閥争いを繰り広げていることを知りながら、ただユリアに会えないというだけでその戦いから身を引こうとしている。
それを聞いて、やはりユリアの決断は間違っていなかったのだと思う。
「王子殿下、私たちアナベル座は明日、王都を発ちます」
人気踊り子としてやってきたユリアは、オルディスに出会うまでにも何人もの男に口説かれてきた。そういう人間は、ユリアの踊る姿に魅せられて夢を見ているだけだ。しかし、オルディスは違った。本気でユリアと近づこうとしてくれた。踊り子ではない、ただ一人の女性として。
だからこそ、ユリアはオルディスを破滅させたくなかった。聞けば、第二王子であるオルディスは優秀な頭脳を持つことで多くの貴族に支持されており、国の頭脳としての働きが期待されているという。間違っても、ナイフ投げや玉乗りの訓練をやらせるような人物ではないのだ。
しかし、ユリアがここにいては、オルディスは無理をしてでもアナベル座に足を運ぶ。
だから、ユリアは王都を離れようと決意したのだ。
「急なことですが、もう決まったことです。王子殿下には、本当になんとお礼を言っていいか……今まで、本当にありがとうございました」
茫然と立ちすくむオルディスを置いて、ユリアは後ろ髪ひかれる思いでその場を去った。
出発の朝。
どういう訳かユリアはみなに心配されていた。
「本当にあの王子様と離れてもいいのか?」
「あいつ、ユリア嬢のこと本気だぜ?」
「ここを離れてもついてくるかもよ?」
「これで本当にいいの?」
今までユリアに近づく男は皆殺しだ! と物騒なことを口走っていた者たちが、なぜかオルディスに対しては肯定的だ。
「いいのよ、これで。旅を続けていれば、そのうち忘れる時がくるわ」
「忘れてもらっては困る」
ユリアが一座のみなに反論した言葉に対して、ここにいるはずのない人物の声が聞こえてきた。
まさか、と思いながら視線を動かすと、折りたたんだテントの横からオルディスが姿を現した。
「え、王子殿下っ……どうしてここに!?」
オルディスには、出発は夜だと嘘を吐いた。それなのに、何故今ここに彼がいるのだろう。
「ユリア、何度言えば分ってもらえるのかな? 私はあなたを本気で愛している」
「王子殿下こそ、何度言えば分ってもらえるのですか。私たちは、身分が違いすぎるのです。私は、王子殿下の重荷になるだけですわ」
落ち着いて答えようとするのに、声が震えた。もう、これでオルディスと話すことが最後かもしれないと思うと、目頭が熱くなる。
「そういうことじゃない! 私は、ユリアの気持ちが聞きたいんだ」
「私の、気持ち……?」
言えるはずがない。言ってはいけないのだ。ずっと、自分自身をもだまして隠してきたのだから。
「私のことが嫌いか?」
オルディスの必死さに、思わずユリアは首を横に振った。
「では、好きか?」
この問いにも、首を横に振った。
「嫌いでも好きでもないというのなら、私のことをどう思っている? あなたの気持ちが聞けないと、私は前には進めない」
真っ直ぐに、ユリアに向けられる不安そうな瞳。
初めて会った時も、オルディスはこんな目をしていた。
だから、ユリアは守ってあげたくなるのだ。立派な青年である彼のことを。
「……あ、愛しています。でも、無理ですよ! 私はあなたのために離れるんですから!」
顔を真っ赤にして声を出すと、オルディスがほっと息を吐いた。
「……ユリアの口からその言葉が聞けただけで、私は幸せだ」
「だ、だったら」
このまま見送ってくれますよね、そう続けようとした言葉に重ねて、オルディスが叫んだ。
「私は、王位継承権を放棄し、王族である身分も捨て、ユリアとともに生きていく!」
その宣言を聞いて、ヒュー! と野次を飛ばずのはゴートンたち。
ユリアはといえば、その宣言の意味がいまいちよく理解できない。
王位継承権を放棄して、王族もやめる。そう言わなかっただろうか。
ユリアとともに生きる、ということは、正式にアナベル座の一員になる、ということだ。
「玉乗りも上達したし、ナイフ投げはもうマスターした。きっと、私も人気芸人になってみせるよ!」
やる気満々のオルディスを見て、ユリアは頭を抱えた。
第二王子は頭脳明晰ではなかったのか。こんな無謀なことが許されるのだろうか。
それに、ついて来たとして、王宮で何不自由なく暮らしていたオルディスが、野営や空腹に耐えられるだろうか。耐えられるとしても、高貴な生まれである彼に、そんな無茶な生活をしてほしくない。
どうしてもオルディスがユリアと一緒にいるというのなら、ユリアにとっての選択肢は一つしかない。
「王子殿下の本気は伝わりました。ですが、この国にとって重要な役目を担うあなたがこの地を離れることは許しません」
「ユリア、私はもうただのオルディスだ」
「いいえ、あなたはオルディス王子殿下です」
「ユリアとともに生きていきたいのです」
「えぇ、ですから、私がここに残ります」
オルディスがアナベル座に来ることができないのなら、ユリアがオルディスの側に行けばいい。
たとえ王宮のしきたりに苦戦しても、身分差のことを言われても、誰に反対されようとも、今までアナベル座で耐えてきた困難に比べればなんてことはない。オルディスがユリアに近づく努力をしてくれたように、今度はユリアも彼のために頑張りたい。
ユリアはちらりとアナベル座のみなを見た。その瞳は一様にさみしそうではあるが、ユリアを止めようとする者は一人もいなかった。
ユリアの自分勝手な我儘を、みんなは許してくれる。
「王子殿下、人気ナンバーワンの踊り子である私を落としたのですから、幸せにしてくださいますか?」
「あぁ、もちろんだよ」
* * *
オルディス派の貴族たちの反発をすべて黙らせ、オルディスはユリアと正式に結婚した。
父である国王が崩御し、兄エドワードが王位を継いだ。
公爵位を継いだオルディスは、ユリアともうすぐ生まれてくる娘のために広い屋敷を建てた。
「可愛いわね~。髪の色はパパで、顔つきはママに似てるかしら?」
ユリアは、生まれたばかりのわが子を腕に抱いて、幸せをかみしめる。
慣れない作法や決まり、周囲からの目など、辛いことも、苦しいこともあったが、ユリアは幸せだった。それはすべて、オルディスが深い愛情で包み込んでくれたから。
「本当に、かわいすぎる……ユリアばかり抱いてずるいぞ」
娘にデレデレと顔を緩めていたオルディスは、愛する妻の腕から娘を奪い取る。
「あらあら、私にまで嫉妬していたら、将来アレグレットが結婚相手を連れてきたら大変そうね」
「アレグレットは誰にもやらないよ。もしその男が私のように深い愛情をアレグレットに向けて、アレグレットのために生涯を捧げる覚悟を持つ男なら、認めなくもないが」
「うふふ、困ったパパねぇ。私たちの娘が選んだ人なら、きっと大丈夫よ。だって、私は今とても幸せだもの」
「私もだよ」
赤子のアレグレットを抱いたまま、オルディスとユリアは口づける。
そのキスは、幸せの味がした。