天使を想う
デビットの『侍女になりきって入室大作戦!!』は見事に失敗に終わった。
「いい考えだと思ったんだけどなぁ」
スースーするスカートを脱ぎながら、デビットが呟く。
「デビット君なら美しい顔をしているし、女装しても違和感がないと思っていたんだが……」
何故かこの作戦に乗り気で、侍女の服まで貸してくれた侍従長ジョンも一緒に首を傾げる。
「しかしお嬢様も、なんで君を急に遠ざけたんじゃろうな……使用人が増えたことで不安も多いじゃろうに」
最近、アレグレットが人と関わろうとかなり努力しているのは知っている。
どうしても人が集まると、心の声が聞こえてくる。
だからと言って、心の声を聞かないようにと心を閉ざせば、人とコミュニケーションがとりずらくなる。
「もう、お二人とも大馬鹿者ですわね」
そうして頭を悩ませる二人の目の前に現れたのはフローラだった。
「最近、アレグレットお嬢様はダンスの練習をお一人でなさっているのよ。その意味がお分かりにならない?」
デビットは聞き捨てならないその言葉を復唱する。
「お嬢様が一人でダンスの練習をっ……⁉」
なんということだ。
片時もお嬢様の側から離れたくないと思いながら、お嬢様が一人でダンスの練習をしていることに気づけなかった。というか、ダンスとは男女で踊るもの。それを一人で練習しているとなると、もしや意中のパートナーを想定しているのではないか?
そんなこと、お嬢様が自分以外の男性に微笑み、寄り添って踊るなど、耐えられない……!
「もしや、お嬢様は社交界に顔を出すおつもりなのか?」
すでにまともな思考ができなくなったデビットに代わり、ジョンが言った。
「えぇ、おそらくは。しかし、ダンスの練習をしていると伝えただけでこんなにうろたえているのでは、デビット様はお嬢様とともに社交場へは行けませんわね」
というフローラの言葉で、デビットは現実に戻った。
そうか。
最近は毎日お嬢様の顔が見れて、声が聴けて、側にいられる幸せに甘え過ぎていたのだ。何の緊張感も持たず、ただただお嬢様といられる幸福に浸り、お嬢様の幸せを考えられていなかったかもしれない。
これではただの馬鹿だ。
だから、お嬢様はデビットを遠ざけたのだ。
アレグレットという存在に酔いしれ、それだけしか見えていなかったから。
「お嬢様、このデビット、必ずお嬢様への深い愛を胸に自分を律してみせます!」
誰にでもなく宣言し、デビットはすぐさま屋敷内の仕事に取り掛かった。
いつ何時お嬢様の姿を見つけても、すぐに飛び出さず、仕事をやり遂げてから落ち着いた態度で会いに行くのだ。
その思いを胸に、デビットは屋敷の床や壁、階段を磨き続けた。
「あら、見違えるほどピカピカじゃない」
どれだけ離れていても、同じ空間にいれば間違うことのない可愛らしい声。すぐにでも飛び出したい衝動を抑えて、デビットはお嬢様の元へゆっくりと身なりを整えてから近づく。
珍しく発狂せずに跪いたデビットを見て、アレグレットはその大きな黒い瞳をさらに大きく開いた。
「お嬢様、僕が間違っておりました。お嬢様のため、と言いながらすべては自分のためでした。でも、もう同じ過ちは繰り返しません。お嬢様の幸せのために、これからも心から尽くしていきたいと思います」
その言葉を聞いて、アレグレットはにっこりと笑った。
心臓が止まるかと思った。
あまりにも可愛くて、愛おしくて、永遠にこの人を自分の瞳に閉じ込めておきたい……という危ない思考に苛まれながらも、デビットはその場から動かなかった。自制心と理性とをフル動員して、デビットは目の前の天使のようなお嬢様を見つめるだけに留めた。
もし今、触れられてしまったのなら、この危険思想がお嬢様に筒抜けになる。
知られたい、という馬鹿な自分をすぐに頭から追い出して、デビットは無心になろうと努力する。
「気づけたのなら構わないわ。あなたは私の侍従なんだから、しっかりしていてよね」
その言葉に、デビットは泣きそうになる。
天使だ、この人は本当に天使だ!
そう叫びたくなる。どうしてこれほどまでに感情というものは次から次へと溢れてくるものなのだろう。
自分に光を見せてくれた少女は、いつまでも変わらない心の美しさをもって、デビットを救い上げてくれる。
その光に包まれるためなら何でもしようと思えるのだ。
何ものからも、お嬢様を守る。
それがたとえ自分自身からでも!
冷静になって考えてみると、一番の危険人物はデビットなのだ。
お嬢様が優しすぎるから側にいられるだけであって、普通ならば追い出されている。
「今日はいやに無口なのね。逆に怖いんだけど……」
お嬢様が怖がっていらっしゃる。
どうすればよいものか、デビットはとりあえず土下座をした。
「どうしてそこで土下座になるのかしら……?」
ひきつった笑顔を浮かべるお嬢様を見て、デビットは今の行動が失敗だったのだと悟る。
(このままお嬢様の側にいてもいいのか……?)
真剣にデビットが考えた時、急にお嬢様の顔つきが変わった。
「駄目よ……! あなたがこの屋敷から出て行くのは許さないわ!」
泣きそうな顔で、お嬢様がデビットに強く言った。
「え……」
「デビットが、私を外に連れ出してくれたのに、暗い闇にも光はあるって、美しい花が咲くんだって教えてくれたのに、勝手に私の側を離れるなんて、絶対に許さない……!」
おそらく、本気でお嬢様の側を離れるべきだと考えたデビットの心を読んでしまったのだろう。不安そうに言葉を並べるお嬢様を見て、デビットはもう我慢できなかった。
「申し訳ありません! 僕がどれだけ気持ちの悪い人間か、お嬢様には知られたくありませんでしたが、お嬢様のことが愛しくて仕方がないのです」
華奢なその身体を強く抱きしめる。
きっと、自分が触れているところから、お嬢様を想う気持ちの悪い程に強い恋情が筒抜けになっているだろう。
それでもいい。
自分を引き留めるために一生懸命に、不安そうな顔で言葉を紡ぐお嬢様が愛おしくてたまらなかったから。
あのまま放っておけるはずがない。
強い衝動にかられるままに、お嬢様の身体を包み込む。
なんて細く、か弱い身体だろうか。
自分のような危険な男を側においてはいけない、と思うのに離れろと言われても離れられる自信はデビットにはなかった。
「あなたが気持ち悪いのは出会った時から知っているわ。そして、その強い想いだって、嫌じゃない……のよ」
「そんな可愛いことを言われては歯止めがきかなくなります」
「え? ん……‼」
きょとん、としたお嬢様の可愛らしい桃色の唇に、デビットは優しく口づけた。
そして、そのまま甘く柔らかな花びらを堪能する。息苦しそうに顔を歪めるその顔にそそられ、デビットはもっと深く、と調子に乗る。
そして、案の定お嬢様の反撃を受けることになる。
はじめのうちはお嬢様も甘い雰囲気に流されていたが、そのうち我慢できなくなったのか、あろうことかデビットの股間めがけておもいきりグッと膝を上げた。
「……うぅ」
形容しがたい痛みによって意識が遠のきかけるが、デビットは男の意地で立っていた。
そして、立っているのがやっとのデビットのことなど気にした様子もなく、お嬢様はさらにとんでもないことを口にした。
「今度、この屋敷で舞踏会を開くことにしたの。そこで、あなたのことを私の婚約者として紹介するからそのつもりでいなさい」
デビットは股間の痛みなど忘れて、お嬢様の手をとって口づけた。
「そういうことは男に言わせてくださいよ」
「あら、ごめんなさい」
少し照れたように頬を染め、お嬢様は口元をおさえた。
「アレグレットお嬢様、僕と結婚してください」
何のムードもロマンもない、突然のプロポーズ。
しかもそれは女性であるアレグレットから言い出したもの。
デビットはお嬢様から同じ思いを返してもらえるなんて思っていなかったので、アレグレットとの結婚生活は自分の中だけで妄想して楽しむつもりだった。
それが、今まさに実現可能な未来になった。
デビットはポケットから小さな包みを取り出して、開く。
そこには、キラキラと光を浴びて輝くダイヤの指輪があった。
ダイヤを見て目を見張るアレグレットの左手薬指に、デビットはゆっくりと指輪をはめ込んだ。
「よかった、ぴったりだ」
「ねぇ……これ、どうしたの?」
震える声で、お嬢様が問う。
「いつもお嬢様のことを考えていたら、思わず買っていたんです。でも、渡す日はずっと来ないだろうと思っていました。僕は、ただの侍従ですから」
そう、あまりにも強い感情を持ちながらも、公爵令嬢であるアレグレットと幸せな家庭を築くことなどできるはずがないのだとずっと諦めていた。お嬢様の家柄にふさわしい貴族の坊ちゃんと結婚するのを影から恨めしく見守ることしかできないのだと思っていた。
しかし、お嬢様の方からデビットに近づいてきてくれた。
その幸せを象徴するかのように、アレグレットの白く美しい左手にぴったりとはまったダイヤの指輪は輝きを放っていた。
「これで、デビットが私から逃げることはできなくなったわね」
「もとより、お嬢様に救われた命、お嬢様の側以外に居場所などございません。こちらこそ、逃がしませんのでご覚悟を……」
そう言ってデビットは立ち上がり、再びアレグレットにキスをする。
優しく、甘い、これからの幸せを予期させるような深い愛情のこもったキスを……。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!
とにかく馬鹿みたいな後日談でしたが、楽しんでいただけたでしょうか。
これはただただデビットの変態馬鹿と、いちゃらぶが書きたかった、という私の欲望を詰め込んだお話になっております。
私の妄想にお付き合いいただいてありがとうございました!
奏 舞音