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天使との再会

 熱い。熱気を肌で感じる。目を開けると、赤い世界が広がっていた。悲鳴と泣き声と爆発音が響いている。炎は勢いを増して、この世界を破壊しようとしている。


(もう、いいや……)


 デビットは、静かに目を閉じた。


 三十年前、戦争中だったビラード王国は多くの武器工場を作った。

 終戦後、ほとんどの武器工場は閉鎖された。貴族や富裕層の住む地区にできた工場は綺麗に破壊され、整備されたのに対し、貧困街の工場は壊されることなく残っていた。放置された武器工場は、家や家族を失った子ども達にとって最高の住み家となった。

 三十年も前の火薬がまだ生きているなんて、子ども達は知らなかった。

 寒い、寒い冬。

 誰かが暖をとろうとした。いつもなら火薬の積まれた箱の近くでは焚き火なんてしないのに、この日は雨が酷く、いつも集まっている場所に水が浸水してしまったため場所を移動したのだ

 少量の火薬に火が付き、炎が大きくなるのは一瞬だった。箱の中にある大量の火薬に引火すれば、大爆発が起こる。

 子ども達のリーダー的存在だったデビットは、すぐ皆に外へ逃げるように叫んだ。

 誰も後ろを振り返らなかった。

 振り返ることはできなかった。

 もう、すぐ後ろには炎が迫っていたから。


(あいつら、ちゃんと逃げたかな……)


 爆風に飛ばされ、背に火傷を負ったデビットは、雨で湿ったひんやりとする床の上に転がっていた。

 火傷は酷くない。まだ、身体は動く。

 でも、デビットは動かなかった。

 これまで十二年間、最悪なことばかりだった。

 貧しい家に生まれ、両親はデビットを養うことができず、捨てた。

 時々貴族が下町に来て、施しをくれた。偽善と傲慢な態度に吐き気がした。街の福祉委員か何かよく分からない奴に施設に入れられたこともあった。すぐ嫌になって抜け出し、自分の力で生きようとした。

 人を騙し、物を盗み、暴力を覚え、気づけば自分と同じような子ども達を束ねるリーダーになっていた。

 ただ、生きるためだけに生きてきた。

 しかし、そうやって生きて何が得られただろう。ただ、人を騙し、傷つけることがうまくなっただけだ。自分が生きるために人を傷つけ、様々な物を奪ってきた。恨まれて復讐されることもあった。これから先、この日常が変わることはないだろう。


(俺の人生に光が差すことなんてない……)


 ここで生き延びても、どんどん闇に堕ちていくだけだ。そうなるぐらいなら、ここで生を終わらせよう。

 デビットは、すべての喧騒を遠くに感じながら目を閉じていた。火は、雨だというのにゴォゴォと凄まじく燃えている。もうじき、自分も炎に飲み込まれる。デビットの口元は自然と弧を描いていた。


 べちんっ!

 突然、頬に痛みが走った。

 炎や箱の残骸が飛んできた訳ではない。これは平手打ちの痛みだ。

 この工場にまだ人間が残っていたのか?

 デビットは不思議に思い、目を開けた。

 そこには、天使がいた。

 美しい少女のかたちをした天使が。

 天使は、何かを必死で叫んでいる。その可愛らしい唇から紡がれる声を聞き逃してはいけない。そう強く思い、デビットは耳に全神経を集中させた。


「馬鹿じゃないのっ?! あなた何死のうとしてるのよ!」


 天使は酷く怒っている。

 デビットはまだ死ぬ運命ではないのだろうか。

 でも。


「天使様、僕は地獄でもかまいません。このまま死なせてください」


 こんなに丁寧な言葉を使ったのは初めてかもしれない。デビットはそんな自分に少しおかしくなる。

しかし、天使はますます怒っている。


「生きなさい! これは命令よ!」


 その言葉は、強くデビットの心に響いた。

 そして、その言葉でデビットの意識は夢うつつから現実に戻った。

 天使の命令に背いてはいけない。

 自分は生きなければならないのだ。


 それから、どうやって工場を出たのかは覚えていない。

 気が付いたら清潔な病院にいて、適切な治療がなされていた。医療費なんて払えない。病院から逃げ出そうとしたデビットに、医師が医療費はもう頂いたと告げた。

 意味が分からない、と首を傾げるデビットに、医師は優しく教えてくれた。

 デビットを救ってくれたあの天使は、王族の血を引くメーデル公爵家のお嬢様であると。そして、デビットが生きているのも、病院で治療が受けられるのも、すべてはお嬢様のおかげなのだと。

 身分の高いお嬢様が、取り残されていたデビットのために工場に飛び込み、救ってくれた。デビットに真っ直ぐ向けられた、あの言葉が忘れられない。


『生きなさい! これは命令よ!』


 自分の人生に光なんて差さないと思っていた。

 暗闇に堕ちるぐらいなら、死にたいと思った。

 それなのに、優しい少女は見ず知らずのゴロツキであるデビットを生かした。その姿は眩しくて、美しくて、本物の天使のようだった。

 まだ、たった七歳の少女に、デビットは生きる光を見たのだ。



 

   * * *



〈メーデル家の侍女・侍従募集します。精神的にタフな方大歓迎!〉


 十年後。

 二十二歳になったデビットはメーデル邸の前に立っていた。

 白い壁と紺色の屋根が特徴的な優雅で美しい屋敷だ。しかし、それとは不釣り合いの使用人募集の張り紙が、金でできた豪奢な門に張られている。

 しかも、一枚ではなく何枚も張られている。

 使用人が欲しい、という切実な願いがこの張り紙を見るだけで伝わってくる。

 そう。メーデル家は今、使用人不足という公爵家には到底縁がないような問題を抱えてしまっているのだ。その原因がこの屋敷に住む我儘な引きこもりの公爵令嬢だということを、メーデル領に住む者で知らぬ者はいない。


「……やっと、会える!」


 その、我儘で引きこもりの困ったお嬢様に会うためだけに生きてきたデビットは、目をきらきらと輝かせて門をくぐった。


  


「初めまして。本日よりアレグレットお嬢様の侍従となります、デビットと申します」


 頭を下げたデビットの向かい側には、一人がけのソファにゆったりと腰を下ろしている美しい公爵令嬢がいる。

 デビットをじっと見つめる黒曜石の瞳には感情がなく、ただそこにある光景を映していた。

 闇を溶かしたような漆黒の長い髪、それとは対照的な陶器のような白い肌。人形のように感情のない整った顔。身に着けた黒のシンプルなドレスは、その冷たい美しさを引き立てていた。十七歳だというのに、大人っぽい落ち着いた雰囲気を持っている。

デビットの目は、その全てに釘づけになっていた。


(はうぅぅ……美しすぎる……!)


 目には涙が溜まっていた。眩しい。

 部屋は暗くて、雰囲気も冷たいのに、デビットの心は雲一つない空のように晴れ間が広がっていた。

 メーデル家の公爵令嬢、アレグレットからは何の反応もなく、デビットの存在すら認識しているのか分からない。

 しかし、デビットは今目の前にアレグレットがいるという事実に絶賛感動中なので、そんなことは気にならなかった。


「僕は、アレグレットお嬢様のためなら何でもいたします。この命は、もうお嬢様のものなのです。今ここにいられるだけで、僕の心臓は喜びに震えております!」


 興奮するまま思ったままに言葉を紡げば、アレグレットの表情に少し嫌なものが混ざる。


「……あなたの命はあなたのものでしょう? 私はあなたの命なんて欲しくはないわ」


 初めて聞いたその声は、透き通っていて耳に心地よく響いた。


「お嬢様は、命を大切にする方なんですね。そういうお嬢様だからこそ、僕はここにいるのです」


 一瞬、アレグレットが固まっているように思えたのはデビットの気のせいだろうか。


「……手を、出しなさい」


 ふいに発せられたお嬢様の声に、デビットはすぐに反応した。お嬢様の目の前に右手を差し出す。

 白く滑らかな美しい手がゆっくりと近づき、デビットが差し出した右手の甲に一瞬触れた。


(うおおおおぉぉぉぉ………い、今触れた?! お嬢様が俺の手に触れた! あぁ、もう二度と手が洗えない!! このまま死んでもいい!)


 全身に雷が落ちたかのような衝撃が走った。

 デビットは、お嬢様の手の感覚がまだ残っている手の甲を見つめて震えていた。目からは無意識に涙が零れ落ちる。こんな幸運なことがあるだろうか。

 自分は今、世界一幸せな人間なのではないだろうか。

 デビットは、信じてもいない神に初めて感謝をした。

 そうして自分の幸せに浸っていたデビットの目の前で、アレグレットは今度こそ完全に固まっていた。




「……き、気持ち悪っ! あなた何なの!」


 今までこんなに鳥肌が立ったことがあっただろうか。

 アレグレットは自分の身体をさすりながら、汚らわしいものを見るような目つきでデビットを見つめる。


「え? だから、お嬢様の侍従ですよ。あ、下僕でも全然いいですけど……」


「……あ、あなたみたいな下僕いらないわよ! 早く出て行って!」


 びしぃっと出口である扉を指差すも、うっとりとこちらを見つめるデビットは出て行く気配がない。

 だったら、とアレグレットは自ら彼から逃げるように部屋を出た。



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