過去、早朝の特訓
俺は昔、落ちこぼれでいじめられっこだった。
その理由は、アンサーになる上で必要不可欠とも言える魔力が、全くと言っていいほど無かったからで、魔力が関係する科目ではいつも赤点ギリギリだった。
そんな俺はやはりというべきなのか、周囲の好奇の眼差しを浴びるようになり、ついにそれは陰湿ないじめの引き金となってしまう。
二年間。二年間俺は耐えた。
家族の目すら痛いと感じるようになり、学校に行くのも嫌になり、だけど引きこもったりしたら最後、今まで応援してくれていた先生達を裏切ってしまうと考え、俺は必死に学校に通っていた。
その頃だった。ゼルファーによって西の大陸が攻撃を受け始めたのは。
西の大陸は群雄割拠という言葉を形にしたような状態で、いくつもの種族が大陸の覇権を握ろうと躍起になっていて、毎日いたるとことで小競り合いが起こり、血が流れない日はないといった有様だった。
誰もが、他の者を敵とみなし、荒んだ生活をしていた。
そこへどこからともなく現れたゼルファーは、誰にも気づかれずに一つ一つ種族を食らっていった。全てが敵となった西の大陸に住む者たちに、ほかとの情報共有、協力など存在せず、西の大陸はゆっくりとだが確実にゼルファーに咀嚼されていった。
ゼルファーの存在に西の大陸の種族たちが気づき始めた時にはもう時すでに遅く、数は少なくても強力だった種族は軒並み絶えていて、数だけの非力な種族しか残っておらず、ゼルファーの牙に抗するほどの力も当然なく、そしてとうとう、西の大陸から生命は絶えてしまった。
それから、ゼルファーはどうやってか海を渡り東の大陸、つまり今俺が生きているこの大陸へとやってきたのだ。
その話をクラスメートが話しているのを聞いたとき、千載一遇のチャンスだと思った。あまりにも愚かだったが、そう俺は思ってしまった。自分の力を示すいい機会だと。
そして、いつものようにいじめを受けたとき、理不尽な暴力を受けるいわれはないと怒り、そして思わずその場の勢いで周りの奴らに啖呵を切り、馬鹿にされ侮られ煽られ、後に引くに引けない状態で飛び出すように旅に出て、右も左も分からぬまま数ヶ月をかけてようやっとゼルファーの居所をつかみ、そこから戦うまでの決心をするまでの間に一週間を使い、ようやくゼルファーの前に立ったのだ。
あの死闘からすでに半年が経過している。が、あの時のことは軽々しく口にするべきではないと、俺は未だに周囲に何も言っていない。
唯一周りにわかるように持っているのが、ゼルファーの体毛だが、一見するとただ赤黒く光沢のある先端の尖った棒きれにしか見えないので、好奇心で聞いてきたりする者はいたが一度断ればそれ以上追求してこなかったので、しつこく突っ込んでくる者たちに悩まされるということもなかった。それに、俺があの、今はゼルファーが封印されている、古都の地下広間から出てきたことをあの場にいた多国籍軍の兵士たちは知っているはずだが、後にゼルファーを封印することに成功したという発表がされた時、俺に関することは何一つ話されなかった。トロールがその封印に協力したということまでは話していたのにも関わらず。俺が知らずに行った多国籍軍への協力は、公には存在しないことになっている。
そんな結果なわけで、相変わらず、いや、何もできずにむざむざ帰ってきた弱虫という不名誉な称号が加わって、俺はさらにいじめられることとなってしまった。 だが一度死から逃げられたことからか、物事を達観できるようになった俺にもはや虐めなどなんにも怖くなくなり、逆に、こいつらは能天気だなぁと見る余裕まで生まれた。
口元に微笑みすら浮かべていじめを行っている自分たちを見る俺を不気味に感じ、だんだんと直接的に暴力でいじめてくるやつらは俺に近づかなくなり、それに伴い間接的な物を無くされたり取られたりといういじめもなくなっていった。
そして今となっては、まるで腫れ物のような扱いを受けている。
それが、今の俺の状況だ。 朝靄が漂い、鶏ですら眠っている時間。
俺はベッドの上でゆっくりと体を起こした。わずかに軋む音を立てるベッドに顔をしかめつつ、相部屋で寝ているヤーンとエルヴァを起こさないよう、できる限り物音を抑えて寝巻きから普段着へと着替える。それからいつもの愛剣を右腰に差し、体毛を左腰に差し、静かに部屋を出た。
(寒いな……)
学生寮の廊下は、これでもかというぐらいに冷え切っていた。今が丁度、一年で一番寒い季節だからだ。吐く息も白くなる。着込んだローブの前をぴったり閉じると、時折部屋から聞こえてくる鼾以外まったく音もしない廊下を黙々と歩いた。
石造りのこの学生寮は、アンサーを目指す者たちを教育する学校に通う学生たちが暮らしている。殆どが、実家が遠方だからという理由だが、中には家がないと言う者もいる。
学校の名前はラナキュリア養成学校。東の大陸の中では、一番大きな学校だ。俺は六年制のラナキュリアの四年生。魔法がろくに使えない四年生というのは、下級生にも上級生にも評判が届くらしく、おそらくラナキュリアの中では本望ではないが、学生として一番の知名度を誇っているかもしれない。
しばらく歩いて学生寮を出た俺は、今度は学生寮の外壁を右側に、なぞるようにして歩き始めた。
目的地は、学生たちが魔法や体の鍛錬のために使う、修練場だ。じつは、学生寮の目の前にも修練場、しかも新築のものがあるのだが、残念ながらそこは五、六年生の場所になっていて、俺は入ることができない。だからわざわざ遠い場所にある古い修練場を目指している。朝早いのは、できる限り鍛錬の時間を増やしたいからだ。
外壁沿いに雑木林の中を歩いていると、左側の林のわずかな切れ込みから、大きな湖が見えた。そこは立ち入りを禁止されている。なぜか?その理由は、風に乗って聞こえてくる、人間の言葉ではない歌声を聴けばわかるだろう。湖には、本来なら海にいるはずの精霊、セイレーンが生活しているのだ。なぜいるのか理由は定かではない。噂によれば、何かを守るためにいるらしい。
俺は耳を塞ぎ、足を止めずに歩く。セイレーンの歌には二種類あり、セイレーンのそばに近寄ってしまった哀れな生き物を引き寄せ溺れさせる歌と、求愛の歌があり、この湖にいるセイレーンは前者を歌いはしない。だけどやっぱり不安なので、俺は耳をふさいだのだ。 耳を塞いだまま少し歩くと、木々よりも背の高い修練場の青い屋根が見えてきた。同時に、セイレーンの歌声も聞こえなくなった。
いつの間にか朝靄もかすれ始めている。そのぐらいこの修練場は遠いのだ。早く上級生になりたい。
「おはようございます。フォルス先輩」
雑木林をようやっと抜け、体についた草を払いながら修練場に近づくと、鈴のような凛とした女性の声が聞こえた。ローブを手で払いながらその声の主に挨拶を返す。
「おはよう。レアル。相変わらず早いな」
声の主。レアル=フォーミリアはいつもと変わらない無表情な顔で、修練場の入口に立ってこっちを見ている。栗色のセミロングの髪、メガネの奥で少し眠たげな丸い瞳。いつも白い肌は寒さのせいか病的なまでに青白く見える。
彼女との出会いは、一年前。俺が三年生で彼女が一年生の時だ。この修練所で今日のように朝早くから練習をしている最中に、彼女がいきなり、道がない方向から藪をかき分けて現れ、ここはどこですかと尋ねられてからの知り合いだ。その時は帰り道を教えてやり、そのまま帰ってもらった。しかし、なぜかそれ以来俺よりも早くここに来て一緒に練習するようになったのだ。考えの読めない不思議な少女が第一印象だったが、今となってはうまく自分の感情が表現できない不器用な可愛い後輩となっている。
ふたり肩を並べて修練場の重い扉を押し開き、中に入る。
修練場は、一階に砂を敷き詰めた武器を用いた戦闘のための訓練場があり、その上は魔法を練習するための訓練場になっている。俺は二階には滅多に近寄らないので、その構造は全くと言っていいほど知らないが、一階の訓練場に関しては入学以来ほぼ毎日通っているので、どこに何があるのかは完璧といっていいほど把握している。 一階の訓練場までの短い通路。明かりがない薄暗い廊下。そこを歩いたら、訓練場に到着だ。
振り返りレアルの方を見ると、丁度あくびをしているところだった。
「眠そうだな」
「先輩が……早いのです……」
不機嫌そうにそう言うと、目尻に浮かんだ涙を指ですくう。俺は肩を少し持ち上げてやれやれとため息を着くと、ローブを脱いだ。