第8話 接敵
「貴方って、誰にでも喧嘩吹っ掛けるのね?」
エルフィンは刑事達の後姿を見送ると、呆れたように言って片手で前髪を掻き上げた。
そして気持ちを切り換えて、大きく息を吐き、きゅっと口元を引き締める。
アーヴィンは黙ってエルフィンから視線を逸らせた。
「エルフィ……」
「二人共、彼から退きなさい」
言い掛けた僕の声を遮り、彼女は俯いて静かに言った。
微かに肩が震えている。
(射殺……命令って……マジなの? エルフィン!)
僕は状況が把握出来ないまま、その場に呆然と立ち竦んだ。
「イヤよ!」
ニアがエルフィンに気圧されながらも頭を振る。
「退き……なさいって!」
「イヤ! ニアは絶対に退かないもん!」
ニアが必死になって食い下がる。
「駄目よ!」
今度はエルフィンが銃を手にしていた。
銃口がニア越しにアーヴィンを捉える。
(ひょっとして、ニアごとアーヴィンを……?)
彼女の真剣な眼差しに、僕は怯んだ。
「……エルフィン?」
銃口を向けられたニアの表情が強張り、瞳が大きく見開かれた。
その瞳の中のエルフィンが一瞬ニアから視線を外した。
彼女の躊躇いが僕達に伝わる。
エルフィンだって判っているんだ。
「エルフィン止め……」
「あの人の指示か?」
言い掛けた僕の言葉に被るようにして、アーヴィンが口を割った。
彼の問い掛けに彼女は無言だった。
(あの人?)
僕は振り返ってアーヴィンを見た。
彼はベッドの端に腰を降ろしたまま、在らぬ方を向いていた。
視線は全く別の所を見ているけれど、彼の全神経は僕達三人に向けられている。
「……いつから気が付いていたの?」
や々間があってエルフィンが問い掛けた。
アーヴィンは徐に振り向いた。
「今更答えて何になる? あんな茶番を仕組んでおいて」
「茶番?」
「そうだ。俺から見れば茶番だ。ドールを遣った」
「何でも知っているのね?」
「何なら、君のスリーサイズも当ててみようか?」
アーヴィンはおどけて肩を竦めた。
調子をこいて口元は笑っているが、表情とは反対に彼の蒼い瞳は驚くほど覚めている。
僕は、アーヴィンとエルフィンがくっついていた事を思い出して顔が赤くなった。
「……セクハラは止めて貰えるかしら?」
エルフィンも気持ち頬が赤くなる。
「こんな時に何言ってるのよ!」
彼女は態と早口で捲し立てた。
そして今までに無いキツイ目付きでアーヴィンを睨み付ける。
「そんな事はないさ。何もかも知っていたのならあんな無茶な事はしなかった」
「あんな事? ……何を言っているの? この状況で気でもおかしくなったのかしら?」
「俺が? ……まさか」
アーヴィンは彼女を馬鹿にしたように鼻で笑った。
彼女の銃口は一瞬たりとも逸らされる事無くずっとアーヴィンを狙っている。
挑発されたエルフィンは、口を一文字にして猶もアーヴィンを睨み付ける。
(駄目だ。先に僕の神経の方がどうにかなっちゃいそうだ)
辺りの空気がピンと張り詰められた繊細な糸の様だった。
彼女の指に少しでも力が入ればと思うと、僕はぞっとする。
――前もそうだった。
オヤジさんが運ばれた病院で、武装警官達に取囲まれて銃で威圧されても、彼等から酷い暴行を受けた時も、アーヴィンは怯えた様子を微塵も出さなかった。
きっと、悲鳴を上げて涙しながら命乞いをすることさえ彼の頭の中には無いんだ。
それが一種のプライド?
(そうするように訓練されたから? でも、怖い時は誰だって怖いんだよ? 逃げる事が可能なら逃げ出したって良いじゃないか……こんな事、身体を失ってしまったこの僕が偉そうに言える様なことじゃないのだけど、他人からカッコ悪く映ろうと、自分の命は一つなんだよ? どうしてもっと器用に立ち回れないの?)
僕はアーヴィンのその不器用なまでの真っ直ぐな所が苦手に思えた。
「そこに居るのでしょう? 三島さん? あれ、違ったかな? じゃあ、ドクター山崎?」
不意に彼女の背後にあるドアに向かってアーヴィンは話し掛けた。
「え?」
僕達はアーヴィンの視線の先を辿った。
ドア越しに人の気配が動く。
僕は眼を疑った。
アーヴィンの言った通り、現れたのは僕達の良く知っているドクター山崎だった。
だけど、ドクターの顔色が悪い。
きっと、何かの病気を患っているんだ。
職業柄、元々あまり表情を出さない人だとは解っていたけれど、こんな異常な状況下でも表情が読み取れない。
僕はドクター山崎が僕達に付くのか、エルフィンに付くのか判断し兼ねて不安を覚えた。
「久しぶりだね。マック、それにニア」
おまけに付け足されてニアが膨れた。
「いつ頃から気が付いていたのかね?」
「貴方だと確信を持ったのは、ほんのついさっきですよ。彼女の腕に仕掛けられた盗聴器といい、三島さん殺害未遂のキョウの失敗といい、俺にはどれも引っ掛っていましたからね。大体、キョウ以外の俺を含めた全員がI・Dのコピーまでしてドールになる必要性があったのか。それ自体が疑問でしたよ。単なる復讐ならばキョウ一人だけで充分だ。逆に一人の方が身軽だし目立たない。なのにリスクを犯してまで六人に拘った理由が解らなかった。
死亡した筈の六人全員が生きていて、元委員会の連中にじっくりと時間をかけて復讐する。
金も時間も掛けた演出ですね。生き残っていた委員会の連中には、さぞや毎日が苦痛で恐怖だったでしょうから……なら犯人は、俺達当事者か、事を知っている者の誰かだ」
「ほお」
ドクター山崎は感心したように漏らす。
「ドールはどれも皆ミューズ・バイオロジカル・テクノ社製。貴方が以前勤務していたあのミューズ社の子会社だ。最初は、大手のメーカだから貴方との関連性には全く気が付きませんでした。疑問を持ち始めたのは三島さんの件以降ですよ。
キョウは一度ならず二度までも犯行をしくじっている。いや、出来なかった。そうじゃないですか?
別に、俺やニア達が居合わせたから……なんて理由は関係無い。少なくとも俺の知っているキョウは、狙ったモノをみすみす見逃す様なお人好しじゃない。それは相手が三島さんだったから出来なかっただけだ。
俺は前に貴方と三島さんが親しい仲だと伺っていました。ここからは俺の推察ですが、キョウの命を救ったのは貴方達じゃないですか? そして委員会の連中を消して、最後に三島さんを消せと。けど、キョウにはそれが出来なかった……」
ドクター山崎は彼の言葉に目を伏せた。
「その、キョウ……だがな、先程射殺されたよ」
「!」
僕とアーヴィンが絶句した。
僕達の顔色が蒼ざめる。
「ドールを自爆させた容疑で取調べ中に大暴れした。取り押えようとした生身の人間三人とサイバノイド五人の警官を殺害した」
ドキリと僕の胸が音を立てた。
「数年前からの元連邦軍監察委員殺人事件で既にキョウは起訴事実を概ね認めている。どの道極刑だった。それが少し早くなっただけだ」
(遣ったのはここに居るアーヴィンだ。あの大男は遣って無い。けど、その事をどうやって説明すれば良い? 説明したって誰が信じてくれる?)
僕はアーヴィンを窺った。
彼は押し黙ったまま俯いている。
その両肩が震えていた。
「? どお言う事? マック! ニアは何にも知らないよう」
ニアが僕に詰め寄った。
アーヴィン達の居る病室を取囲むようにして、武装した何人もの特殊部隊が素早く配置に着いた。
彼等は皆、遠隔操作で動いている量産型サイバノイドの人形だ。
―「配置ニ着キマシタ」
「了解、指示があるまでは各自待機」
ノイズに雑じってオペレータからの通信が入る。
―「302、327了解」
―「566、028、734了解」
「了解」
男は確認をすると通信を切った。そして襟に指を掛けて首を振る。
「あーあ、任務って言うから来て見れば……何だって子供のお守りかよ?」
「おい、緩みすぎだぞ」
相方が横槍を入れる。
「病人の小僧相手に何でDのE装備なんだ?俺達が直接向かえば良いものを……」
「さあ。上からの指示だ。」
(公費の無駄使いも良い所だ。一体何を考えているんだ。今回の上官は……)
男は、黙って自分達の後ろに控えている上官を一瞥すると、肩を竦めた。
(俺達を指揮するにしては妙にインテリっぽいし……大丈夫なのか?)
ドールが室内に設えてあった鏡をドライバーで外した。
そこには鏡の大きさよりも少し小さい、子供一人が潜れる位の大きさの穴が空いており、アーヴィン達の室内が隠し鏡となって覗く事が出来る。
ドールの目を通して、遠隔操作をしているオペレータのコントロールモニタに現状が映し出される。
「俺の所にもアイツと二つ、三つくらい違うのが居るがね。まあ、聞かねぇな。親の言う事ぁ。何を勉強してだか知らねぇが、偉そうに説教しやがる。知識だけ詰め込んでそれで全てが解かっているとでも思って勘違いしているのさ。何様の心算だか」
囁くように小声で言って、首を横に振った。
「コイツも同じか」
互いに顔を見合って苦笑いする。
彼等には、緊張感は全く無い。
「全部E装備にしているな?」
「OK。確認済みだ」
(E装備……空砲での威嚇制圧。時間稼ぎ……か。脅しにしちゃあ悪い冗談だ。このグレネイチャの小僧が一体何をしでかしたって言うんだ?)
男はもう一度上官を振り仰いだ。
「おい……」
相方が擦り寄って小声で囁いた。
「モニタに映っているあの男……」
彼はモニタの片隅に見え隠れしている眼鏡を掛けた背広姿の男を指差した。
「うん?」
「後ろにいる上官そっくりじゃないか?」
「……まさか……?」
言われてこっそりと上官の顔を盗み見る。
そこには、無表情でモニタを眺めているドクター山崎の姿があった。
暫くしてアーヴィンは面を上げた。
その表情は硬く、澄んだ蒼い瞳には何かを決心していたようにも見えた。
「……もう、良いです。早いトコ殺っちゃって下さい」
アーヴィンは自虐的にそう言って微笑み、軽く両手を広げた。
「エルフィン」
「はっ、はい?」
いきなり呼ばれてエルフィンの肩が跳ね上がる。
「良いぞ」
軽いノリで言うと静かに眼を閉じた。
エルフィンは動けないでいた。彼女の喉がごくりと鳴ったのが聞える。
「良いぞ……って、何が良いのよ!」
ニアが怒り出す。
「そ、そうだよ! な、何言ってるんだよ!」
つられて僕も怒り出す。
(自分の事なんだよ! 何でそんなに軽く……)
「二人共聴け!」
騒ぎ出した僕達を見て、急にアーヴィンは真剣な表情になった。
声のトーンも低くなる。
「良いか? ここで彼女が俺を殺り損なったら、今度は彼女が命令違反を犯したと見なして処罰される。最悪銃殺。彼女に選択の余地は無い」
アーヴィンはエルフィンを凝視したまま身動ぎもしないで、僕達に向かって淡々と事務的に言い放った。
相変わらず他人事のように。
「そんな……本当なの?」
僕には二人の命を天秤に掛けることが出来ない。
「これ以上、彼女を困らせるな」
(僕達だって! 困らせないでよ!)
「アーヴィン……」
(そこまで知っていてどうしてそんな顔が出来るの?)
エルフィンはぐっと唇を噛む。
「待ちたまえ」
見兼ねてドクター山崎が口を挟んだ。
「君は、三島が今何処に行っているのか気にならないのかね?」
「……」
「黙っているのは肯定と採っても構わないかね? ……三島は今、軍の諮問機関に行っている。君に下された命令の撤回を求めてな」
「はっ、撤回?」
アーヴィンは鼻で笑った。
「今更撤回も無いでしょう? 俺の知っている限り、命令の撤回は有り得ませんね。絶対に。時間の無駄だ」
吐き棄てるように言い放った。
「かも知れん。だが、無駄な努力だと君は笑うのか? 君自身の事なのだぞ? 三島も馬鹿な奴だ。死に急いでいる者の為に、安静にせねばならん己の身体を厭わずに……」
アーヴィンは黙ってドクター山崎を見上げた。
その瞳にはまだ猜疑心の影が色濃く残されている。
「ほぼ君が推察した通りだよ。灘京四郎は私が三島から預かり、蘇生バイオノイドにした。三島の思惑と私の医学的興味とが一致しただけなのだが……
ほんの数年前の事ではあるが、当時の蘇生技術は現在のそれとはかなり程遠いお粗末なモノだ。
キョウは自分が誰なのかさえ覚えてはいなかった。彼がリハビリを経て通常の生活に戻るのに一年半懸かったが、その間に記憶を少しずつ取り戻して行った。
記憶が戻って行くにつれて、君が知っているキョウに戻って行った。日々凶暴になって行く彼に、私は何度も条件付けの暗示を掛けたが……結果は君の知る所だ」
ドクター山崎は暗に言葉を付足してアーヴィンの様子を窺ったが、彼は黙って俯いている。
「私のラボから出て行くキョウに、三島は自分を殺せと命じた。別の、もう一つの生き方に期待していた三島だったが、無駄だった事に気付いたのだろう。三島は責任を感じてそう命じたのだ。だが、キョウは黙って出て行った。
キョウが去ってから数日後に死亡した君達五人のI・Dデータがバックアップごと盗まれた。恐らくキョウが遣ったと見て相違ないだろう」
(バックアップ……? そんな物が何故あったんだ?)
ドールに使用されるダミープログラムではなく、バックアップによるI・Dの複製は、一度に一つしか存在しないI・Dを複写する事が理論的には可能な違法行為だ。
しかし、現実には健常者をI・Dのダビング装置に掛ける行為は、本人を殺すのと同価値の意味で扱われている。
膨大な容量の個人データをデジタル化して読み取り、複製を興す際、人体に有害な電磁波が一気に読み取り側の身体に逆流して重篤な状態になる。 体内機能を侵された部分から壊死を起こし、やがてオリジナルは死に至る。
そのデータがいつ作成されていたのだろうか。
アーヴィンは過去に自分と同じグレネイチャが僅か数日で何人も居なくなっていた時の事を思い出していた。
現に自分達のI・D複製は存在していた。
彼等の犠牲はその為のテストと見てまず間違いないだろう。
運悪く順番さえ違っていれば、自分も居なくなっていた連中の仲間入りになっていたのかも知れない。
アーヴィンの眼がスッと細くなる。
「ニアの事といい、マックの事といい……今度はキョウまでもか? 貴方は……人の命を何だと思っているんだ! 助けておいて、やっぱり手が付けられないから始末する? 奴は、奴は二度もお前達に殺されたんだ。同じ理由で!」
「だから次はもっと調節をして……」
ドクター山崎の言葉にアーヴィンは激怒した。
「調節? 揶揄るなよバカヤロウ! この期に及んでまだそんなことを……何度奴を蘇生したとしても同じ事の繰り返しだ!」
「……なら、どうすれば良いのかね」
「俺が知るかよ! ……いや、知っていたって言うものか。判ろうとしない者に説明したって無駄だからな!」
(何故、もっと奴の言う事に耳を貸さなかった? 話を聴いて遣れなかった?)
アーヴィンの肩が激しく上下する。
「アーヴィン……」
ニアが僕に擦り寄って来た。
僕は黙ってニアの肩を抱く。
僕達はただ黙って彼を見守るより他に無かった。
アーヴィンを宥める事も説き伏せる事も出来ない、無力な子供なんだ。
深く息を吐いて、アーヴィンは自分の感情をコントロールしようとしているみたいだった。
「……綺麗事は、もう止めて貰えませんか?」
「何?」
「被告人死亡で何もかもが全てが白紙に戻ってしまったと思ったら当てが外れていますよ?」
「どういう事かね?」
ドクター山崎は猶も余裕で構えている。
「言いましたよね? ドールは全員ミューズ・バイオロジカル・テクノ社製だと。しかも、ご丁寧に軍の機密だったインターセプタから違法行為の自爆装置まで装備して……
明らかに軍が関与しているとしか思えない。三島さんが何処まで関与していたのか判らないが、あの人はそこまで奴を追詰めるようなマネはしない。
ドールは全て貴方個人の画策ではないのですか?」
ドクター山崎はアーヴィンを見下ろした。
「ほお、君は何故そんな事まで判るのかね? まるで現場に居合わせていた様に」
「そ、それは……」
言い掛けて口籠った。
返すべき言葉が無い。
「確か君は所轄の拘置所から意識不明で此処へ運ばれたと訊いていたが……私の訊き違いなのかね?」
「……」
「幾ら君がその筋のプロだからと言って、言い逃れ出来るような状態では無かったと思うのだが……どうだね? 一つ、私が納得出来る様状況を説明して貰えないだろうか?」
(俺の眼を盗んでいたのはこの人か!)
アーヴィンは自分がドールに換装していた時に誰かが視覚に干渉していた事を思い出した。
ドクター山崎は意味ありげに僕とニア、そしてアーヴィンを交互に見た。
その眼はまるで実験結果を期待して待っている科学者の眼だった。
あの優しかったドクターは何処に行ったのだろう?
僕は何だか薄ら寒さを覚えてぞっとする。
「この子達と何か関わりがありそうだが?」
「関係ない!」
アーヴィンは彼が言い終わるよりも先に鋭く言い放った。
「実に興味深いのだよ。彼等は」
「ドクター、俺は貴方に命を救って貰った恩がある。だがあの時も俺が被験者だったって事なのか? 貴方に都合の良い、珍しい被験者だったと?」
アーヴィンの脳裏に、複製に複製を重ねた何体ものニアの実験体の光景が浮かんだ。
彼女達の中には、既にヒトではなくなって終った者も多数存在していた。
「時として、人で在る事を捨てなければ医師は務まらんよ」
彼の言葉を読み取ってか、静かにドクター山崎は言った。
「何を言っている。止してくれ!」
「止めてよ!」
アーヴィンと僕の声が重なる。
以前にも同じような事を言った人がいた。
その人はある意味で僕の脅威となる存在の人だった。
けれど、まさかドクターまでもがこんな事言うなんて……
「あっ……」
不意に僕は頭を抱えて座り込んだ。
アーヴィンかドクターのどちらかの頭の中に浮かんだイメージが直接僕の頭の中に入って来る。
(ナンダコレ?)
水中を泳いでいる大型の魚?……いや、違う。
人魚?人だ!沢山いる。
それぞれが笑って……
あれは……誰?
―「ふふ……あはは……」
(! ニア?)
彼女の笑い声が耳に憑く。
「いや! ……これ、ニアなの?」
ニアが乱暴に頭を振った。
彼女にも見えているんだ。
これが。
暗闇の中、大きな手が現れて彼女達の首を折って次々に殺して行く。
時には刃物で無惨に切り裂かれ、周囲が真紅に染まった。
それは、獲物を仕留めた時に猟師が一撃で〆(しめ)る行為にも似ていた。
悲鳴が耳に残り、血塗れになったニアの手足がびく々と痙攣する。
(嫌だ! 見たくない!)
眼を固く閉じても、頭の中に直接イメージされる。
何度頭を振っても同じ事だった。
(……止めろ……止めろ、ヤメロ!)
僕の呼吸が激しく乱れる。
(ニアは……僕達は獲物じゃない!)
僕とニアが精神共鳴する。
ニアが耐えられなくなって悲鳴を上げた。
その右手首にはまだ外していなかった「インターセプタ」があった。
ニアの映った像で構成されている僕の左手首にも同じものがある。
同時に光り始めたそれはあっという間に強烈に輝き始めた。
室内の照明器具が一斉に破裂し、窓の二重ガラスが双方とも粉々に砕け散った。
その現象はここだけに留まらず、他の部屋にまで及んだ。
被害を被った周辺の病室から悲鳴があがり、看護師達が対応に慌てて館内が一時騒然となる――
「!」
鋭い音と共に、覗いていた隠し鏡に亀裂が奔った。
隣室で様子を窺っていた二人のドールは素早く身体を引く。
「行くか?」
緊張が奔った。
ドールからの視覚映像を見詰めていた男が視線を投掛ける。
彼が操作しているドールのその手には機関銃が握られている。
「待て」
もう一人が首を振り、すぐ後ろで座っている上官を仰ぐ。
指示は出ていない。
初めて見る僕達の能力に驚いたエルフィンが誤って引金を引いていた。
彼女の銃声に、僕達ははっとして我を取り戻した。
「アーヴィン!」
逸早く僕より状況を把握したニアが悲鳴を上げた。
アーヴィンが左の脇腹を押えて蹲った。
薄い若草色だった病院の着衣が瞬く間に赤黒く染まった。
僕とニアが息を呑む。
「く……後生だから、一発で決めてくれよ……外れは、無し……だ」
アーヴィンは苦痛に歪む顔で必死に笑った。
額から汗が噴き出し、呼吸が浅く乱れて不規則になる。
「出……来ない……」
エルフィンが首を横に振る。
「エルフィン! そいつで俺を撃て! 早くッ!」
痛みに震えながらアーヴィンが怒鳴った。
「……楽にしてくれよ」
一瞬見せた縋るような彼の表情に、エルフィンの身体がびくりと震える。
僕達の様子をじっと興味深そうにドクター山崎は窺っている。
アーヴィンはそのドクターの視線に気付いて強い不快感を覚えた。
そしてドクターを睨み付ける。
銃声に驚いて数人の医師達が廊下で誰かと言い争っている声が聞こえた。
「エルフィン!」
首を横に振って猶も拒否する頑なな態度に、アーヴィンは舌打ちしてベッドの下に左手を滑り込ませた。
自分の血に塗れた彼の震える手には、有る筈の無い拳銃が握り締められていた。
「いつの間に……」
ドクター山崎は唖然とする。
「付き添っていた警官から拝借した物です」
そう言いながらアーヴィンは眼にも留まらぬ速さで安全装置を解除すると、エルフィンに向かって銃口を向けた。




