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第7話 命令

 僕達が(正確にはニアだけなんだけど)病院に駆け付けた時、オースティンさんは既に集中治療室(ICU)から個室に移されていた。

 点滴を受けてベッドに横たわったオースティンさんは顔色も悪く、かなり衰弱していた様に見えた。

 もとせているためか、余計にやつれて精悍せいかんさを欠いている。

 署長さん達は近くの待合室に残り、入室を遠慮してくれていた。

「アーヴィン!」

「来るな!」

 ニアが駆け寄ろうとして歩を止めた。

 ニアの羽織っていた毛布がぱさりと床に落ちる。

 オースティンさんはニアが近付く事を許さなかった。寝返りをうってニアに背を向ける。

「頼む。今は来ないでくれ」

 押し殺した彼の声が、妙に震えていた。

「何? 泣いて……るの?」

 のぞき込むようにしてニアが訊ねる。

「……さいよ。あっちへ行けって!」

 彼の苛立ちが僕達に伝わる。

 邪険じゃけんにされてニアは膨れたが、諦めてオースティンさんを気遣い、何度も振り返りながらも、部屋を出て行こうと彼に背を向けた。

「ニア、マックは……居るのか?」

(はっ、はいっ!)

 僕は飛び上がった。

 って言っても、ニアの中にいる僕の姿が彼に見える筈ない。

「うん、居るよ」

(うわっ、居ないってどうして言ってくれないんだよ)

 ニアの即答に僕は慌てた。

 こういう時にニアは気が利かない。

 僕は自分勝手にニアをのろった。

「……出て来いよ」

 彼の声ですぐに判った。

(……怒ってる)

 それは僕がオースティンさんを見捨てたから? ……多分、きっとそうだ。彼をもう駄目だと諦めて、生死の間を彷徨さまよわせてしまったから――

(だけど、どうやって戻って来たんだろう……?)

「どおして? ニアはあっちに行けって言うのに、マックは……」

 彼の言い草にニアが膨れた。

「良いから早く」

 オースティンさんは弱々しくベッドから上体を起こして振り向いた。

 彼の紅い瞳がニアの姿を映し出す。

「アーヴィ……その眼!」

 彼に何が起こったのか詳細を知らないニアが、両手で口元を押えて驚いた。

 だけど、その事を知っていた僕でさえニアと同じ反応だった。

 彼をドールに換装させたのは僕だけれど、それはオースティンさんのI・Dだけだ。

 なのに、有りもしない薬物で彼の瞳は真紅に染まっている。

(何故? どうして?)

「まだ、充分に代謝出来ていないだけだ。もう時期元に戻る」

(代謝? 何の事? 意識不明で倒れただけじゃないの? ……あの眼、あの眼はサイバノイドの彼の眼じゃないの? どうしてアーヴィンが……)

 彼の紅い眼をじっと見詰めて、ニアが僕に問い掛けた。

 だけど、僕だって理由が判らない。

 不思議でならなかった。

 僕達の頭の中で、紅い瞳をしたオースティンさんと、自爆したドールの瞳が重なり合う。

「……何て格好だ」

 オースティンさんは溜め息雑じりに呟くと、ニアの姿に目を伏せた。

 眼の遣り場に困っている。

 胸の真ん中で切り裂かれたTシャツもあちこち破れて素肌が丸見えだ。

 穿いていたジーンズも同じ目に遭っていて、片方の股が裂け、赤いチェック模様の下着が見えていた。

「俺の事はいい。それよりも……」

「僕?」

 背後から声を掛けた。

 窓に映ったニアの姿を使って出て来たから、そうなってしまう。

 一瞬だけ彼の動きが停まった。

「相変わらずだな。驚かすなよ」

 リアクションが少なかったから、彼が本当に驚いたのかは判らなかった。

 オースティンさんはニアを見た時と同様の反応をした。尤も、彼女の姿のままなんだから当たり前かも知れない。

 僕は慌ててゆるんでいたTシャツの前を結び直すと、ニアが落とした毛布を拾って肩まで引き寄せた。毛布の下で、見えていた下着の端をジーンズに押し込む。

「こっ、これは……」

 僕はしどろもどろになった。

「解っている」

 僕達に何があったのかを知っている彼に、言い訳は無用だった。

「えー? ニアは解んないよ」

 間の抜けた返事が返って来る。

うるさい! ……少し黙っていろ」

 オースティンさんは素っ気無く言い放った。

「ぶうー」

 オースティンさんに叱られて、ニアはまたも膨れる。

(そう言えば、状況が全く呑み込めていないのが居たね。ここに)

 僕は改めてニアを見た。何箇所も破れているジーンズは仕方ないとしても、結び目の緩んだTシャツから胸の丸味がはみ出している。

 オースティンさんに指摘されているにも関わらず、身嗜みさえ気にしていない。

 普段の素がそのまんまだからと言ったって、見っとも無いよ。

「胸、はみ出してるよ」

 言った僕の方が耳まで真っ赤になった。

「えっ? あ……えへへ……」

 僕に言われて、やっと両腕で胸を隠す。

「笑ってごまかすなよ。もお。恥ずかしいとか思わないの?」

(女の子なのに)

 そりゃあほんの一瞬で幼児体型から女の子の姿になっちゃったんだから、自覚症状が薄いのは理解出来る。

 精神的にもギャップが激しいとは思うけど――

「毛布に包まってあっちに行ってろ」

「イィ〜ッだ! ふんっ!」

 ニアはぷいとそっぽを向く。出て行く気は無さそうだ。

「ったく。ねっ返りが……」

 舌打ちしてそう言うと、オースティンさんは困った顔をして左手で顔をおおった。

 このままニアの姿で居るとオースティンさんが話辛いかと思った。

 で、ニアのマトリックスを男性型にして本来の僕の姿に変換させる。

 目の前で変わって行く僕の姿に、オースティンさんの視線が釘付けになった。

 男性型になっても、胸とウェストのくびれが無くなっただけで他は殆ど変化が無い。

 僕の失くした本当の身体とは違って、基がニアの身体を用いているから、僕の姿はそれなりに見られる身体つきだ。

 急激な代謝で全身汗だくだった。

 僕は肩で荒い息をきながら、ひたいに張り付いた前髪をかき上げる。汗が床にしたたった。

「ニアを気にしても無駄ですよ。僕に何か?」

 僕はピンクのTシャツを脱ぎ捨てた。どうせ衣類の目的を果たしていない。

「……そうだな」

 仕方ないかという素振りで、彼は首をかしげて肩を落とした。

「……」

 そのままの状態で中々話を切り出さない彼に僕は少しだけ苛立ちを覚えた。

「話があったんじゃないんですか?」

「……」

「オースティンさん?」

 暫らくの間、彼は硬い表情でずっと押し黙っていた。

 僕は、彼の右手がぐっと強く握り締められている事に気が付く。

(何か……迷っているの?)

「オースティンさん?」

 もう一度呼び掛けた。

「あ? ……ああ」

 やっと呼掛けに応えてくれた。

 そして、おもむろに話し始める。

「マック、俺は……俺は今迄ずっと夢を見ていた」

「? ……何を言っているの?」

 僕はまゆしかめて彼を見詰めた。

 僕の心配している様子を見取ってか、彼は表情を和らげる。

「いや、実際は夢なんかじゃない。現実の話だ。俺がずっと夢だと思い込みたかっただけさ。

マック、俺はお前達が「ゲーム」として楽しんでいる世界の中のキャラクターだと思っても良い。拘置所で話した事は嘘じゃない。それだけお前達の現実界とは掛け離れていたって事さ。

 特に、俺の場合はグレネイチャだ。ヤバイ任務に失敗して死のうが殺されようがお構いなしだ。俺があのメンバーに加えられた時、そこに居合わせていたグレネイチャは俺を含めて八人居た。で、半月後のある日、たった二日も経たない内に気が付けば俺とトムの二人だけになっていた……これが解るか?」

「それって、他の皆は死んだって事?」

 オースティンさんは黙って静かにうなずいた。

「多分な……任務でいつ死んだっておかしくは無いし、キョウに殺られてもおかしくは無かった。実際の所、奴には何度も殺されかけて死線を彷徨さまよった事だって一度や二度じゃない。別に死んだとしても悲しんでくれる身内だって居やしない。けど、今までは不思議とどんな目に遭わされても「死にたい」とだけは望んだ事が無かった。だけど……」

 そこまで言うと、オースティンさんは視線を逸らせてうつむいた。

「俺は二度と逢うことが出来ない仲間に出逢った。もう一度逢いたいと願っても叶(かな

う)筈がない仲間と逢った。

 彼等の行き先が何処なのか、俺には見当が付いていた。死んでも猶「ドール」として利用され、操られる彼等を見るのは耐えられなかった。これ以上の侮辱ぶじょくは許せなかった。だからあの時一緒に、今度こそ……俺はやっと死に場所を見付けられたと思ったんだ」


 アーヴィンの脳裏にトムの横顔がよぎる。

 辺り一面が灼熱しゃくねつの炎で燃え盛っていた。

 全身が炎のり返しで、熱い感覚を通り越して痛みの感覚しか無い。

『借りは……返したぞ。アーヴ……』

 トムは軽く微笑んで重いハッチを閉める。

 ぐったりとして意識が朦朧もうろうとなっていたアーヴィンの耳に、彼の最後の声が微かに、しかしはっきりと残っていた。

 だが、その後でハッチ越しに彼が言った言葉が解からない。

 何故だか聴き取れていた筈なのに、思い出せない。

 もどかしさだけがつのる。

(待ってくれ! トム、何て言った? 俺に何を言った?)


「もう、思い残すことは無いと思って覚悟した。なのにお前は何故俺を連れ戻した? いつ……俺がいつ助けてくれと頼んだんだ?」

 僕は今にも彼に掴み掛かられそうになった。

 足が震える。

 見る物全てを射貫いぬく真紅の瞳と、彼の気迫に僕はおびえているんだ。

(そんな事……判らない)

 僕はどうすれば良かったのか、どうすべきだったのかさえ覚えてはいない。

「……やって、無い」

「何だと?」

 オースティンさんは怒ったように言い捨てた。

(うっ……こ、怖い……)

「僕は……な、何も……何もやっていないよ」

 声が震え、ごくりと喉が鳴った。

「嘘だ!」

 鋭く僕の言葉を否定した。

「だったら、どうしてこの俺が生きている? こんな事、お前にしか出来ない。他に誰が居るって言うんだ?」

「ほ、本当だよ。僕は、……僕はあの時貴方を見捨てたんだ」

 僕はそう言って耳を塞ぎ、その場にかがみ込んでうずくまった。

 心音が耳の傍で大きく聞え、呼吸が荒くなる。

「心の何処かでいつも……いつも貴方の事が嫌いで許せなかった。貴方なんか居なくなれば良い。消えてしまえば良いとも思った。

 エルフィンと親しく話が出来る貴方をうらやましいと思ったから……いや、違う。本当はニアを取られると思ったからだ。僕のニアを取られると思ったからだ。僕は、貴方に嫉妬していたんだ。だから何もしていない。きっと何もしていなかったんだ。僕じゃ無い!」

(その筈なんだ……多分そうだよ)

「マック!」

 ニアが鋭く怒鳴った。

「言わないでよッ! ……わ、解かってるんだ。僕のひとがりだって事。だけど……だけど、どうしようもないんだ! 仕方ないじゃないか!」

 感情の波が自制心というせきを切ってこわした。

 僕はそれまでいだいて来た想いを、洗いざらい彼に投げ付けてしまった。

「……」

 僕はニアとオースティンさんに眼を合わせられなくなって、顔を背ける。

(……僕は何てひどい言い方をするのだろう。こんな言い方しか出来ないなんて。こんな事を思っているだなんて……)


「……そうか」

 少し間を置いて、ポツリとオースティンさんがこぼした。

 それから、気不味きまずそうに言った。

「なら、良い……怒鳴って悪かったな」

「謝る事なんか無いよ。酷いよ! マック!」

 ニアが僕をめる。

「ニア」

 オースティンさんがニアを止めた。

「俺だって奴等に襲われた時、すぐ傍に居たお前達じゃなく三島さんを選んだ。その結果がこれだ。三島さんもマックもエルフィンも皆負傷した。そしてニアは……お互い様さ」

 そう言って後ろめたそうに視線を落す。

「そんな事当たり前でしょ! 狙われてたのはオヤジさんなんだもの!」

 イジケてしまった僕には、そう言ったニアがものすごく鼻持ちならない女の子に見えた。

(ニアには僕の気持ちなんて判らないんだ……判る訳無いよね?)

「そう、言うなって」

 いきり立つニアを、彼はなだめた。

「どうして? ……どうして僕なんかをかばうの? 僕は貴方に今まで酷い事をして来たし、言ったりもしたんだよ? 僕の事が許せなくても当然でしょ? なのに……」

 気不味い雰囲気が漂う。

「俺はマックに嫌われていようがいまいが全然構わない」

 オースティンさんは静かに言った。

「それは……僕が子供だから? それとも、貴方とは関係の無い無用な存在だから?」

(馬鹿にして)

 カッと頭に血が昇った気がした。

「いや」

 僕に視線を合わせたまま、ゆっくりと首を横に振る。

「何にも解かっていない子供だから?」

(やっぱり馬鹿にしているんだ。僕の事を)

 僕は猶も突っ掛かった。

「違う。それだけ俺の事を意識しているからだ。無関心からは何も生まれては来ない。けど、今が例え嫌いだというマイナスであっても意識さえしていれば、何かのきっかけでプラスになる可能性はある。まあ、そのまま現状維持って事も有り得るが……」

「僕は貴方の事を嫌って……嫉妬していたのに、僕の事、貴方は嫌いじゃないの?」

「マックの全てが好きかと聞かれれば、答えは「NO」だ」

「……やっぱり」

 僕は彼の言葉に項垂うなだれ、がっかりと肩を落とした。

「おい、勘違いするな。好きな所もあれば、嫌いな所だってある。その比率がどうなっているかだ。誰だってそうだろう? けど俺は、マックの事を良い様に思っている心算だ」

 オースティンさんは穏やかにそう言った。

 気持ち、彼の表情がゆるんだようにも見えた。

「どうやらその感情は俺に対しての嫉妬からじゃないな。もっと別のモノが「嫉妬」にり替わったみたいだ」

「え?」

「お前なら解るさ」

 そう言って、彼はふらつきながらもベッドから降りた。そして、座り込んでいる僕に近寄って右手を差し出す。

(……許してくれるの? 僕の事を……)

「あ……」

 僕とニアはオースティンさんの紅い瞳が元の蒼に戻って行くのに気が付いた。

 まるで感情の起伏が引き潮のように退いて行くのと同じみたいに。

 吸い込まれそうな蒼い瞳。

 エルフィンの碧い瞳も勿論綺麗だけど……どうしてかな。何だか凄く落着くんだ。

 ニアがき付けられたのも解るような気がする……

(? あ、あれ? ……どうしたんだろう?)

 目の前のオースティンさんがゆがんで見えた。

「お、おい泣くなよ。どうしてマックが泣く? 先に泣かれたら俺はどうすれば良いんだ?」

 僕の顔をのぞき込んだオースティンさんが戸惑った。

「え? 泣いて……って、僕が?」

 ほほに手を当てて見る。

 指先が暖かいモノで濡れた。

(本当だ。言われるまで気が付かなかった)

「……さい」

 微かに僕の唇が動いた。

「え?」

「アーヴィン……ごめんなさい」

 目頭めがしらが一層熱くなり、うるんだ僕の瞳から涙があふれた。

「……やっと、ファースト・ネームで呼んだな」

 暖かい大きな手が僕の頭を軽く包んだ。

 僕はニアが見ているのに構わずに彼にすがり付いて大声で泣いた。


 今迄僕は、上辺だけで彼の事をいろんな意味で拒否し、否定し続けて来た――

 でも、本当はその逆だったんだ。

 余りにも、その気持ちに気付くのが遅かったから。

 ニアに先を越されて悔しくて素直になれなくて……だから……

 今までの彼へのわだかまりが涙と一緒にけて流れて行くような気がする。

 彼が助かって良かったと心から思った。

 この気持ちに嘘は無い。

「……マックが泣いてる〜初めて見たよ。マックが泣いてるの」

 ニアは想像もしていなかった僕の涙に暫く呆然としていた。

「ずる〜い! マックばっかり!」

 ニアが我に返った。足を踏み鳴らして悔しがる。

「べ〜だ」

 僕はニアに向かって舌を出した。

 アーヴィンが苦笑する。


 一人の男の人が、ドアをノックして紳士的に入って来た。

 和やかな雰囲気も彼の入室で打ち消されてしまう。

 濃紺のスーツを着た、ガッチリとした体格の男の人だ。

 その身のこなしには一分いちぶすきも無い。

 一目で普通の人じゃない事が判る。

「……もう少し、駄目ですか?」

 アーヴィンが頼み込むように言った。

 彼には男の人が誰だか判っているみたいだった。

「残念だが、我々には時間が限られているのでね」

 わざとらしくそでを引いてちらりと腕時計をのぞく。

「そうですか」

 アーヴィンは片手で優しく僕を引き離して立ち上がった。

 軽い立眩たちくらみに左手で顔をおおい、よろめいてベッドにすとんと腰を降ろした。

「オ……アーヴィン!」

「……大丈夫だ」

 不安そうに気遣う僕とニアに、彼は顔を覆ったままでこたえた。

(あ! あの時の! )

 僕はこの男の人が誰なのかを思い出した。

 髭の署長さんの所に居た刑事さんだ。

「軍はお前さんの身柄を引き渡せと随分前から言って来ている」

 そう言うと、おもむろふところから拳銃を取り出した。

 アーヴィンの表情がくもる。

「そんな物をここで、この子達に見せないでくれ」

「以前、軍の関係者だった俺達の署長は、お前さんをいつまで経っても軍に引き渡そうとはしない。軍からのメールを受け取ってからは猶の事だ。むしろほとぼりがめるのを待っているみたいにな」

 態と僕達に見えるように、ゆっくりと安全装置を外す。

 軽い金属音に、ニアの肩が敏感に反応した。

「聞いているのか? おいッ!」

 アーヴィンはニアのそんな様子を見て、銃を手にした彼に対して語気を強めた。

 けれど、彼はアーヴィンの言葉に耳を貸す心算は全く無いらしい。

「署長はお前さんをこのまま見逃す心算だ。だが困るんだよ。他の署の良い笑い者になっちまうのだけは願い下げだ。ウダツの上がらなかったうちの署にチャンスが転がり込んだんだ」

 男の銃口がアーヴィンをとらえた。

「な、何すんのよ!」

「止めてください!」

 僕とニアが彼の前に両腕を広げて立ち塞がった。

 並んで同じ格好をしている傷だらけの僕達に、彼は躊躇ちゅうちょする。

 そして、改めて僕達二人を見比べて眉をしかめた。

「何だ、お前達のその格好は? 何処に行っていた? 後で補導しなきゃならんな」

「二人共止せ」

 アーヴィンが僕達に強く言った。

 そしてニアに向かって、毛布を投げる。

「きゃん?」

 頭から不意に落ちて来た毛布にニアが驚いて首をすくめた。

「ん、もお! ビクったじゃないのぉ」

 ニアが毛布から頭を出してうらめしそうにアーヴィンをにらんだ。

「ライナスさん……でしたか? ここでそんな物を子供達に見せないで戴けませんか?」

 もう一度丁寧に頭を下げて頼み込む。

「子供達を退けろ! それとも、子供にまもって貰おうとでも思っているのか?」

 彼は鼻で笑って見下すように言った。

「んだと?」

 聞き捨てならない彼の挑発にアーヴィンは豹変してかっとなる。

「図星か?」

揶揄ふざけるなッ!」

 二人の間に見えない火花が散った。

 ごくりと僕の喉が鳴る。

 ニアも銃に怯えながらも固唾かたずんで見守っている。

「止めろライナス!」

 低くうなるような声が飛んだ。

「あっ!」

 僕は小さく叫んだ。

 半開きのドアから低い声の持ち主である髭の署長さんが現れた。

(マズイよ。僕はサイバノイドでここには居ないって事になっているのに)

 僕は慌てた。

「署長」

 ライナスさんは署長の姿に躊躇する。

「止めるんだ。お前には署の留守を頼んでいた筈だ。人が眼を離しておる間に勝手な事をしおって……全く。オースティンは本時刻をって、我々が軍に引き渡した」

「しかし……」

 彼は猶も食い下がった。

「……」

 髭の署長さんは彼の後ろに立っていた僕を見つけると一瞬だけ眼を見張った。

 そして黙ってじっと見詰める。

 僕の隣に居るニアに視線だけ走らせて交互に見比べ、困惑した表情を浮べた。

(……どうしよう。バレちゃった)

「……命令だ」

 署長さんは僕に視線を投掛けたまま事務的に言った。

 そして誰かを入室させるために、一歩下がって身体を引く。

(あれ? 署長さん、僕の事判らなかったのかな? 気付いていたみたいなのに)

 僕は取敢えず胸をで下ろした。


 彼に代わって緩やかに流れる金髪の女性が入って来た。

 僕の胸が休む間も無くドキンと音を立てる。

「エルフィン!」

 ニアと僕の声がハモった。

(助かったぁ)

 僕は緊張から解放される。

「……解りました」

 ライナスさんは舌打ちすると、名残なごりしそうに銃を戻して引き下がった。

「良かったぁ。一時はどうなる事かと思ったよ」

 僕の表情が緩んだ。

(あれ?)

 皆の様子が変だ。周囲の空気が一層緊迫している。

 訝って僕はエルフィンの方を振り返った。

 彼女の顔色は蒼白だった。

 かなりの緊張が見て取れる。

 いつもの優しそうな表情は何処かに消えていた。

「……確かにお引き受け致しました」

 止してよ。エルフィンまでもが事務的にしゃべっている。

 どうして?

「エルフィン、どおして? どおいう事なの?」

 ニアが唸るように言って彼女を睨みつけた。

「……俺の射殺命令が下りたな……いや、下りたのはもっと前か。で、その執行者がエルフィンって処か?」

 アーヴィンが他人事のように口を割った。

 余りにも冷静に言うから、僕は事の大きさを把握はあく出来ないでいる。

「そういう事だ。すまんな。わし等には荷が重過ぎる。悪く思わんでくれ」

 署長さんはアーヴィンに向かってそう言うと、ライナスさんの肩をたたいて彼に退室を促した。

 彼は黙って署長に従う。

「汚い事は軍任せ……か?」

 アーヴィンは態と聞えるように、ライナスさんの背に向かって吐き捨てる。

「!」

 ライナスさんは署長の手を乱暴に振りほどいてアーヴィンに向き直った。

「ライナス!」

 彼は今にもアーヴィンに殴り掛りそうだった。

 数人の警官が慌てて彼を押え付けて拘束こうそくする。

「解っています! 俺だって馬鹿じゃない。こんな奴の為に逮捕されるのはマッピラですからね」

 そう言うなり、彼はすぐ傍にあったドアを思い切り蹴って出て行った。

 アーヴィン以外の僕達は一様に首を竦める。

 ドアはベコッと引っ込んで、壁の中に収納出来なくなってしまった。

「請求書、そちらに廻しておきますから」

「勝手にしろ!」

 アーヴィンの一言に、姿の見えなくなった通路から彼の怒声が返って来た。

 すぐに携帯を開く電子音が聞えて何処かに連絡を取っている。

「あ、俺だ。今何処に居る? 何?」

 ライナスさんの声がどん々遠ざかって行く。


「ライナス? 何処に連絡をしている?」

 署長は誰かと連絡を取っている彼をたしなめた。

「失礼します」

「ライナス!」

 署長の警告とも取れる態度にも、ライナスは意に介さず携帯を持ったままその場を離れた。

―「……ライナス?」

 つながっている携帯から、何度も彼を呼ぶ男の声がした。

「ああ、すまない。ちょっとな。で? 此方こちらに向かっているのか?」

 奇遇だなと思った。ライナスはたった今彼に連絡を取ったばかりなのに。

―「指示があった。あと少しで着く」

(指示? ……任務中か?)

 躊躇ためらいがライナスの口を重くした。

―「? どうかしたのか?」

「あ、いや……生意気なガキがいてな。少しシメて貰おうと思ったんだが……」

 相手が笑った。

―「お前が? ……悪いが、冗談は後にしてくれないか? 切るぞ」

「……ああ。じゃ」

 震える手で携帯を切った。

(時間が無い。このままだと奴は……)

 アーヴィンの生意気な顔が脳裏に浮かんだ。


 最初は、つくづく生意気な奴だと心底嫌っていた。

 自分が今まで締め上げて来た容疑者リストの中でも、アーヴィン程の強情な奴はまれだった。

 軍が捜している人物ならさっさと引渡し、それなりの処分をされてしまえとさえ思った。

 あの署長宛のメールを見るまでは――

 彼が見た連邦のデータが本当ならば、ライナスは十以上もアーヴィンと歳が離れている事になる。

 しかし、アーヴィンの態度からはまるで歳の差を感じられ無かった。

 数多くの修羅場を切り抜けて来た者だけが持っている何かを、ライナスはアーヴィンから敏感に感じ取っていた。

 おまけに今では近親憎悪の様な感情さえ芽生えている。

(俺が銃を向けても、奴はちっともどうじなかった……何故逃げない? 何故逃げなかった? あの子供達を人質にすることだって出来た筈だ。)

(なのに……)

 アーヴィンの蒼い瞳が強烈に脳裏に焼き付いていた。

 その眼は取り乱す事無く、まるでガラスの湖面のように、静かに、そして落ち着いていた。

(どうしてあんな顔が出来るんだ? ……殺されるのは自分なんだぞ?……)

「クソッ!」

 り場の無い苛立いらだちと焦燥感しょうそうかん

 携帯をにぎめている手が血の気を失う――

(俺は、何も出来ないのか……)


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