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第4話 インターセプタ

「オースティンとか言う男、多分軍が捜している人物本人でしょうね? さっさと引き渡しちまったらどうですか?」

 アーヴィンの聴取を終えていたライナスが、戻って来た署長に声を掛けた。

 デスクに向かい器用に片手でペンを廻してもれあそんでいる。

 時刻は深夜に入り、彼の背後では検挙された若者数人が警官と揉み合っていたり、酔っ払いの相手をしている者がいたりとにぎやかだ。

「いや、まだだ」

 署長は首を横に振った。

「ですが、発見次第引き渡すようにとの要請がありましたよね?」

「ああ」

「だったら……」

 言い掛けた時、目の前の電話が鳴った。ライナスは慌てて受話器を取る。


 彼が用件を終えても、まだその場に署長が立っていた。

「……何処かで……見覚えがあった気がするのだ」

「? オースティンがですか?」

「ああ……」

「そりゃあカメラマンですからね。事が起これば我々の行く所に出没してもおかしくはないですよ?」

 ライナスは何を言っているんですと言わんばかりに肩を竦めた。

 しかし、署長は眉間に深いしわを寄せてずっと押し黙っている。何かを思い出そうとしている様だったが、もと強面こわもてなのでその迫力にライナスは退いてしまった。

「引き渡すと言っても……彼は本当に該当人物だったのかね?」

「それが……さっぱりですね。『アーヴィン・オースティン(偽名を使用する可能性有)十九歳で性別が男のグレネイチャ。右利き』――氏名及び軍が作成した身体的特徴では合致しますが、奴の利き手は違う。とにかくたったこれだけで軍からの資料が顔写真さえ無いなんて……指紋、網膜、DNA等の電子データ、どれか一つでもあればすぐにしょっ引けるのですがね。決定打に欠けているんですよ」

 ライナスは首を横に振る。

「ま、あの通りのしたたかさは持っていますからね。たたけば幾らでも出て来そうですが?」

「それにしても、お前達もやり過ぎだぞ?」

「それは本人に言って下さいよ。ああやっても一向に口を割ろうとしないですからね。大体、自称「一介のカメラマン」が軍に追われている事自体怪しいですよ。奴さん、軍の施設に潜入でもしてヤバイ写真を撮りでもしたんですかね? あ、いっその事俺達で口割らせますか?」

 嬉しそうにこぶしをもう片方の手で握り、指の関節を鳴らす。彼はヤル気満々である事をアピールした。

「まあ待て。言う事が無ければ言えんだろう。それこそ、告発でもされたら……」

「またですか?」

 ライナスはうんざりして言った。

(綺麗事だけではどだい無理なんですよ。実際に動く末端の者にはね)

 目の前の画面にメールの表示が点滅した。

「軍からです。署長宛ですよ? ……プロテクタが掛かっています」

 署長は足早にライナスのそばに寄った。

 画面を覗き込むなり手早く解除パスワードを入力する。

「ちょっ、ここで? ……見えてしまいますよ? 良いのですか?」

「構わん。さして大した内容では無かろう……」

 そう言って画面に視線を落した署長はそのまま押し黙ってしまった。

「……」

 そこには、非公開のまま削除されていた四年前の資料のアーヴィン達六人のプロフィールが映し出されていた。

「これは……どう言う事だ?」

 署長はそれきり絶句する。

「?」

 ライナスは訳が解らずに画面と署長の表情を交互に見た。

 画面に映った子供達は幼さが残っているにも関わらず、皆一様に目付きが鋭く生意気そうだった。

 一目で其れなりの特別な訓練を受けて来た事がうかがえる。

「全員まだ子供ですね。おーお、憎ったらしそうなクソガキ共。皆良い面構えだ」

 ライナスが画面を見て嬉しそうに言った。

「確か、お前も何年か前まではそうだったと聞いているが?」

「はあ……まぁ、そう言われればそうなんですけどね?」

 真顔の署長からの容赦無い突っ込みに、ライナスは赤面して頭を掻いた。

「ん? こりゃあ四年前のデータじゃないですか」

 自分で墓穴を掘ってしまったライナスは、ファイルの記録が古いのに気付き、助かったとばかりに話を逸らせた。

「当時噂になっていたのはこの子供達だったのか……」

 署長は呟くように言った。

「知っているんですか? このガキ……いや、子供達の事を」

「ああ噂だけは耳にしていた……まだ十五歳になったばかりの子まで居たのか……うん? このグレネイチャの少年は……」

 ライナスと署長は一番最年少の子供のプロフィールに視線を奪われた。

 二人の頭の中で、少年の顔が先程拘置所で会ったばかりのアーヴィンの顔と二重に映し出される。

 署長が黙って画面に映っている最年少の少年のプロフィールに年齢数を追加して入力した。

 少年の顔が瞬く間に現在のアーヴィンの顔に変貌する。

「っしゃぁービンゴ! こいつ……署長、奴ですよ」

 ライナスはデスクを叩き、満面の笑みでガッツポーズをした。



「俺を連れて行けないか?」

 オースティンさんは僕の腕をつかまえてもう一度そう言った。

「しょ……正気ですか? 無理ですよ! 誰かを連れて行った事なんて無いし、そんな危険な事を試して見ようと思った事も有りません!」

 僕は必死に首を横に振った。

 今にも口から泡が吹き出しそうだ。

「だったら、今ここで試して見れば良い」

「そんな、簡単に……」

 僕は呆れて一瞬だけ言葉を失った。

「……止めて下さい! 僕と、生身の身体がそろっている貴方とではワケが違うんだ。無事に貴方を連れて行けるかどうかなんて分からないし、仮に連れて行くことが出来たとしても、何処へ入るんです? 二人でニアの中に入る心算ですか? そんなのきっと出来ませんよ」

「マックはニア以外、誰かの中に入れるのか?」

 僕はもう一度首を振った。

「いいえ。今までに互換性を試して見た事は有りますけど、ニアとこの身体にしか入れませんでした」

「サイバノイドになら、お前は誰にだって換装出来るだろう?」

「この身体には本来の僕のI・Dが組み込まれています。それに、換装する時はいつも目の前にあるから。離れた所からの換装はやった事はないんです。だからきっと出来ません」

 僕はきっぱりと言い切った。

「試してもいないのに? 俺のI・Dを持つサイバノイド(ドール)なら向こうにある。」

「そういう問題じゃないんです。個として既に起動しているサイバノイドに換装出来ると思っているんですか? 無理ですよ。大体、万が一に貴方のドールに換装出来たとしても、今度はどうやって戻って来る心算ですか? 戻れなかったら仮死状態になっている貴方の身体はどうなるか判らない……駄目です。僕には出来ません」

 かたくなに首を振る僕を見て、オースティンさんは深い溜め息を吐いた。

「……なら、お前がニアと二人で連中を何とか出来るのか? いや、何とか出来なくて良い。連中から逃げ出してニアを救えるのか?」

「そ、それは……」

 言葉に詰まった。

 恥ずかしくて自分でも情けないけれど、僕だけでは無理だと直感的に思う。

 オースティンさんは僕の様子を見て、静かに言った。

「本当は、俺が行ってどうなる事でも無いんだ。俺が全員の後輩だし、一番の根性無しだったからな。実際、サイバノイドであっても元は仲間だったんだ。その連中に俺が銃を向けられるのか、正直言って自分でも分からない。自信は無い……偉そうな事を言って済まなかったな。けど、お前達を逃す事なら出来るかも知れない。チャンス位ならきっと出来る」

 嘘偽りの無い、彼の率直な本音だった。

 そのくらい、僕にだって判る。

「オースティンさん……」

(貴方は今、危険な賭けをしようとしているんだよ? それでも?)

 僕は彼をじっと見据えた。

 彼の蒼い瞳には、死への期待も生への執着さえも微塵に感じられない。

 僕はどうするべきなのかを判断し兼ねて戸惑った。

(何を考えているの……?)

「決心が付いたか?」

 オースティンさんは冷静に言った。

 まるで僕にはそれを拒絶する事が出来ないのを判っているように。


 看守がマックを迎えに来た。

「時間だ。さぁ、出て貰おう」

 中はしんとして静かだ。何の気配も感じられない。

「……? ええと、マック君だったかな? 時間だ。早く出なさい……マック君?」

 看守はいぶかって中を覗いた。

「!」

 簡易ベッドに突っ伏して倒れているマックの姿と、壁に寄り掛かって崩れかけているアーヴィンの姿が目に飛び込んだ。

「きっ、救急車! 救急車! だっ、誰か早く呼んでくれ!」



「おい、ダグからの連絡はまだなのか?」

「はい」

「まさかあいつ等ヘマでもしでかして……」

「シッ!」

 受け答えしていた男が、喋りかけていたもう一人の男を遮った。

 二台のパトカーがサイレンを鳴らしながら通り過ぎて行く。

 暗闇の中に浮かび上がったカーナビが、目の前を通過したパトカーを二つの赤い三角の光で表示した。

 車内にパトカーの通信内容が入って来る。

 どうやら三島邸を襲った犯人である自分達を捜索中のようだ。

「……遣り過しましたよ」

「よし、出せ」

 エンジンの始動する音が響いた。

 野太い男の声と、やけに揺れる床にニアは目を覚ました。

 まだ頭がぼんやりする。

 覚えているのは大きな爆発音と、真っ白い布が目の前にあった事。

 そして強烈な薬品の臭いだった。

(ここどこ?)

 ニアは大きな薄暗い箱の中に閉じ込められていた。どうやら大型トラックのコンテナ内に居るようだ。傍に何人か居るが、不思議と人の気配がしていない。

(ニア、もしかして何処かに運ばれてるの?)

 ニアは少し頭を擡げた。

 手足は別に縛られてはいない。床に寝転がされているだけだ。

「気付いたようです。どうしますか?」

(誰? ニアの事言ってる?)

 ニアのすぐ傍にいた一人が、先程のリーダーらしい男に報告する。

 無意識に寝返りをうつ。

 下になって隠れていた右腕が出た。

「この子、インターセプタ持っていますよ? 右のリストだけですがレプリカじゃない。これは軍が使用していた本物です」

「ああん?」

 太い声の男がニアの方を窺っている気配がした。

「ふん、本体が無いんじゃあ使えねえ。廃棄処分品が残っていてどこぞで流出したモノだろう? 今時そんな古臭いインターセプタを遣える奴はいない。放っておけ。また薬嗅がしておけばいい。バラす迄は傷付けるなよ?」

「はい」

 感情の無い返事をした男は、ニアの右手にあるインターセプタを気にしながら、薬品の準備をする。


 インターセプタ。

 対サイバノイド戦用に開発された白兵戦用迎撃シールド。本体はヘッドセットの様に頭部に装着する。使用者の脳波と同調(シンクロ)させて増幅し、両の手足に装着している端末に伝達させる。平たく言えば、サイコ・エネルギーシールドで使用者本人を保護する防具だ。

 これとブラッディ・アイと呼ばれる覚醒剤――点眼する事で視覚神経に直接作用し、一時的に運動能力を高める目薬を併用することによって、生身の人間でもサイバノイドと互角に戦闘が可能になる。

 軽装備の上、機動力もある為に六年前に開発され汎用される方針だったが、覚醒剤であるブラッディ・アイの併用が必要だった為、当然の事ながら中毒患者が続出。その後使用全面禁止でお蔵入りになった代物だ。

 開発当時、アーヴィン達が主要モニタとして起用されていた事は言うまでもない。

 現在では、シェルアーマーと呼ばれる重装備のアーマースーツでしか対応出来ないが、これでは身動きが制限されてしまい、とても使えたものではない。尤も、サイバノイドにはサイバノイドを向かわせるのが現在の通常対応となっている。


(バラす? 誰を? ……ニアを?)

 ニアは驚いて飛び起きた。

 あごに醜い傷を持った大男が舌打ちする。

「もう代謝しちまったか」

 男の手が伸びてニアを捕まえようとした。

 咄嗟とっさにその手をくぐり、擦れ違いざまに男の脇腹の急所を突き上げるようにして殴った。

っ!」

 悲鳴を上げたのはニアの方だった。

 手が伸び切らない内に硬い金属に当たり、手首をひねりそうになった。

 瞬時に手を引いて事無きを得た。

「痛ったあ〜い!」

 小さく叫んで手を振った。

 気付くのが遅れたらニアの手の方が先に駄目になっていただろう。

(サイバノイドなの?)

 ニアはいまだに生身の人間とサイバノイドの区別が付かない。

 脇腹を殴られた男は唸ってよろめいた。

「何のマネだ?」

「そっちこそ! 人攫ひとさらい!」

 口では負けていないが、ニアの掌は極度の緊張でじっとりと汗ばんでいた。

 自分の倍近くもある背丈と何倍もの横幅の大男に凄まれているのだ。

 しかも生身の人間とは訳が違う。

 相手は人造人間のサイバノイド。本気を出さなくても、力の加減次第でニアの腕など簡単に圧し折られてしまう。

 リハビリをしていたマックでその威力は立証済みだ。

 コンテナの両脇に誂えていたシートから、二人の人影が立ち上がった。

「お前達は良い。小娘一人に手出しは無用だ」

 傷の大男は薄ら笑いを浮かべて、ゆっくりと近付いて来る。

(嘘ぉお?)

 ニアは恐怖で涙眼になった。ひたすら逃げの一手だ。このままではいずれ捕まってしまう。

 サイバノイドと張り合うなどと言う無謀な事はサイバノイド同士でやって貰いたい。

「おら、どした? さっきの威勢は。ああ?」

 大男は面白がってニアを追詰める。

 腕を掻い潜って何度目かに読まれて足を引っ掛けられた。

「きゃんっ!」

 ニアがバランスを崩したのと、車がバウンシングして揺れたのがほぼ同時だった。

 つんのめってシートに座っていた仲間の一人に頭から突っ込んでしまった。

 二の腕を掴まれてあっという間に捕えられた。

 傷の大男とは違って、背格好は今のニアと同じくらいだ。

(冷たい? ……こっちもサイバノイドなの?)

 その掌に体温が感じられない。

 はっとして腕を引いたが全く微動だにしなかった。

(動けない?)

 丁度、車がトンネルに進入し、車内が明るく照らし出された。

 ニアはその男の顔を見上げてドキッとした。

 少し長めの銀髪に赤銅色の肌。そして蒼い瞳をしたグレネイチャの少年。

 やや俯き加減で表情が全く無かったが、彼の面影に見覚えがあった。

 心臓の鼓動が早くなる。

 ニアはその鼓動が彼に気付かれはしないだろうかと、顔を赤くした。

「アー……」

 言い掛けて言葉を呑み込んだ。

(アーヴィン? ……違う? でも、そっくりだ)

 錯覚かと思った。

 よく、人種が異なると誰を見ても同じ人に見えると云われているが、この時もそうかと思った。

 しかし、ニアの目の前に居るのは、彼女の良く知っているアーヴィンに似た、自分と同い年くらいの少年だった。

「何だ。つまらねえ。もうお終いか?」

 大男が彼の手から強引にニアを引き離す。

「痛い! 痛い! ちょっと! 止めてよ!」

 左手首を乱暴に掴まれて悲鳴を上げた。

 ニアの身体はそのまま高々と宙に吊り下げられる。

「ぎゃぁーぎゃぁー喚くな! このまま腕を引き千切ってやろうか? ああ?」

 耳元でそう言って、大男はもう片方の手でニアの顎を強く掴んだ。

 対向してくる車両のヘッドライトがコンテナ内に漏れ、ニアの瞳を時折金色に光らせる。

 ニアは気丈にも大男を睨みつけ、空いている右手で男の手に爪を立てた。

 さっきの少年とは違って、ほのかな体温が感じられた。

 この大男はエルフィンと同様半身がサイバー化されているようだ。

 裸足の両足を必死になってバタつかせ、足掛りを探す。

「おお、がんばる、がんばる」

 大男が抵抗するニアをはやし立てる。

 右の手首が何だか熱い。

 気のせいか、真っ黒だったリストバンドが仄かに発光して見える。

 大男は薄ら笑いを浮べ、宙吊りにしたニアの身体を舐め回すように視姦した。

「うっ?」

 不意に、ぬるりとした生暖かい物がニアの頬を撫でた。

 全身に鳥肌が立つ。

 ニアは悲鳴を上げて両足をバタつかせる。

 滅茶苦茶に何度も大男の腹や胸部を蹴った。

 まるで金属かコンクリートを蹴っている感覚だ。しかし、今のニアは大男から離れたい一心だった。足が駄目になってもどうなっても構わなかった。

「!」

 偶然かも知れなかったが、渾身こんしんの一撃が見事にヒットして、大男はたまらずにニアの手を放して倒れ込んだ。

 車が大男の倒れた側へ振られ、横転しそうになる。

 運転手が悪態を吐きながらハンドルを切って最悪の事態を回避した。

(い……今、ニア何したの?)

「こ、このガキ……」

 大男の顔色がどす黒くなり、ただでさえいかつい形相がたちまち醜悪になる。

 ニアは車のシートにしがみ付いて怯えた。

「止めだ、止めだ!おい、この辺に確か廃屋になった工場があったな?」

 振り返って運転している男に尋ねる。

「はい。あと2キロ行った所に」

 運転していた男が感情の無い声で答える。

「生かして連れて行くのも面倒だ。そこでバラしてやる!どうせもう時期三島を殺った連絡も来る」

「ええっ?」

(オヤジさんが……)

 瞬時に彼等が自分達の保護者である「オヤジさん」を狙っている連中だと悟った。

 ニアの脳裏に三島とアーヴィンの顔が浮かぶ。

(どうして?)



 後方から、車のヘッドライトで照らし出される。

 乱暴に突き飛ばされ、ニアは勢い余って二、三回頭から突っ込んで転んだ。勿論アーヴィンから教えられた通り受身をしているので怪我は無い。

 廃屋になって随分と経っているのだろう。

 転んだ拍子に埃が土煙と混ざり合って辺りにもうもうと立ち込める。

 咳き込みながらも素早く起き上がって逃げ出そうとしたが、先回りしたアーヴィンによく似た少年と、もう一人の少年に退路を断たれる。

 もう一人の彼もアーヴィンと同様、銀髪に赤銅色の肌と蒼い瞳を持ったグレネイチャだった。

 正面からはニアを突き飛ばした大男が、薄ら笑いを浮かべて近寄って来る。

 その後ろでは、車から降りた運転手の後姿が見えた。

 彼は人一人が入るのに十分な大きさの円筒形の容器を準備している。

(冗談じゃないよう)

 ニアは自分がそこに投げ込まれるのだとさとった。

(どうする……?)

 ニアは身構えたまま左右に視線をはしらせた。鼓動が早い。

「へへ……」

 大男が刃渡り五十センチ程のなたのような分厚い刃物をさやからすらりと引き抜いた。

(マジなの?)

 ニアはそれを目にして一瞬怖気づいた。

 不意をかれて、後ろから二人に意図も簡単に捕らえられた。

 両腕と肩を体温の無い冷たい手でがっちりと押え付けられる。

 両方から腕を伸ばす様に左右から引っ張られた。胸を張って十字架に掛けられたような姿勢になる。

「血を見るのは十日前のシュナイダー以来だな。奴は撲殺してやったが、お前は大事な商品だ。綺麗に切断してやるよ」

 そう言って大男は刃の部分をめ、薄ら笑いを浮べた。

(ヤバイよ……何とかしなくちゃ)

 ニアの顔が蒼白になる。

 何度も肩を引いて乱暴に腕を抜こうとするが、二人ともしっかり捕まえていて逃れられない。以前、アーヴィンから教わった、相手の親指の付け根から切る様にして手首を抜く方法も試して見るが、サイバノイド相手には全く効果が無い。

 逆にニアの手が痛くなった。

「つ!」

 また右手首の辺りが熱くなって来た。

 両肩を突き出すように押えられているので、手首までは死角になっていて見えないが、恐らくまだ発光しているのだろう。

「覚悟は出来たか? うん?」

 冷たい刃先が、顔を逸らせたニアの首筋に軽く押し当てられた。

 青白い刃に堅く目をつぶったニアの横顔が映る。

 刃先がほんの軽く触れた所から、何かがしたたり落ちた。

 ニア自身痛みは感じられなかったが、それが自分の血であることはすぐに解る。しかし、解った所で身動きが取れない為、どうする事も出来ない。

 心臓の鼓動が一層速くなり、胸から飛び出しそうだ。

 大男の目が怪しげに光った。

 ニアの真正面に刃物が討ち下ろされる。

「いやぁ!」

 硬く眼を閉じて顔を背けた。紙一重でピンクのTシャツが下着ごと切り裂かれ、肌があらわになった。

 偶然ではない。

 大男は計算してやったのだ。

「あ〜、何すんのよ! お気に入りのブラだったのに!」

 肌をさらした事よりも、ニアにとっては気に入った下着が駄目にされた事の方が大切だったらしい。

 大男はニアの反応に一瞬戸惑った。

「変な小娘だな。まあ良い。一思いには逝かせねえ。車内での事もあるしな。先ずはその腕を肩から頂こうか」

 大男は薄ら笑いを浮かべて、再び刃物を大きく振り上げた。

(誰かぁ!)

 手首が熱い。恐怖に硬く眼を閉じて、堪らず悲鳴を上た。

 咄嗟に身体を低く落としながら右腕を渾身の力でよじった。

 アーヴィンそっくりの少年がニアの片手で軽々と投げ飛ばされ、大男の刃は空を切る。

 少年は五、六メートル先にある壁際に山積みにしてあった空のドラム缶にもの凄い音を立てて頭から突っ込んだ。

 見た目はどうであれ、殆どのサイバノイドの骨格は軽量とはいえ合金だ。ニアの倍以上の体重があった筈なのに、どうして投げ飛ばすことが出来たのか不思議だった。

(動く! どうして?)

 ニアは流れるように身体を反転させながら、もう一人の少年の上段を狙って廻し蹴りを放つ。

 重心のバランスが崩れていた彼はまともに喰らって倒れ込んだ。

「えっ?」

 ニアは二人のサイバノイドから逃れた自分の両手を交互に見詰めた。

 相当な質量を持っている彼を防具無しで蹴ったのに、全くの無傷だ。

 しかも痛みさえ感じられない。

(どうなってるの?)

 右手首にしてあったリストバンドが仄かに光っている。


『……なら、どうすれば真面目に取り組めるんだ?』

 中々自分の指示にしたがおうとはしないニアに憔悴しょうすいしたアーヴィンは、片手で頭を抱えてボヤいた。

 その彼の手首に、この黒いリストバンド(インターセプタ)があった。


 ニア達と再会したあの日以来、アーヴィンの両手首にはずっとそれがある。

 ニアはそれが気になっていた。

『何? これ』

『何でも無い』

 ニアが手を伸ばして触れようとしたが、アーヴィンは手を引いてそれを許さなかった。

 一見、黒いチタン合金の時計か腕輪(バングル)のようにも見えた。文字盤が見当たらないし、左右の手首にあるので時計では無さそうだ。

 だとしたらやはり腕輪なのだろうか?

 ニアは、アーヴィンがアクセサリーを身に着けるような人物では無い事を知っている。

『ねえ、これ何?』

 もう一度訊いてみた。

『リストバンドさ。見て解らないか?』

 そう言ってはぐらかした。

 まさかこれが軍の開発した対サイバノイド用サイコシールドであるインターセプタの末端だとは言えない。

『嘘』

『嘘なんて言ってない』

 アーヴィンはシラを切る。

『なら、片方頂戴』

『ええっ?』

 慌てて口をつぐんだ。

 その彼の反応にニアは一層怪しむ。

『タダのリストバンドじゃなかったの?』

 意味ありげな上目遣いで睨み付けた。

『あ? ああ……そうさ。タダのリストバンドだ。けど、左右両方揃っていないと意味無いだろう?』

 アーヴィンはニアに嘘を見透かされやしまいかと内心穏やかではなかった。

『それとも、彼女に貰ったとか?』

 もう一度上目遣いで軽く睨んだ。半分鎌掛け、半分焼きもちだった。

『……彼女? どの彼女だ?』

 意表を衝かれてつい真顔で受け答えしてしまった。

『えっ? どの……って?』

『……』

 気不味い空気が辺りを満たした。


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