第3話 誤解
壁越しで感熱センサーが使えないにも関わらず、アーヴィンは隣の客室からマシンガンで狙われた。
銃弾が階下へ急ぐアーヴィンを狙う。
兆弾が火花と白煙を撒き散らせて彼を執拗に追った。
何処かに誘導されているようにも思える。
「?」
唐突に銃撃が収まった。
次の瞬間、目が眩む程の大量のエネルギー弾が足元の床を穿った。
アーヴィンは反射的に身体を投げ出して事無きを得た。
階下からも狙われている。
獲物を外したエネルギー弾は天井を貫き、床と天井には三十センチ程の穴が開いた。
隠し持っていた銃で、穿たれた穴から微かに感じられる気配に向かって二、三発砲したが、相手も既に此方の動きを察している。
再度発砲して牽制しながら突っ切った。
(こいつ等……この前の!)
黒煙に撒かれながら、一気に階段の踊り場まで跳躍した。
が、着地と同時に別の角度から狙われ、瞬時に身体を伏せた。
踊り場の花瓶が砕ける。
アーヴィンは素早く両腕で顔をガードするが、花瓶から飛び散った破片と水のような液体を頭から被った。
慌てて片手で顔を拭い、思わず噎せ返る。
水だと思った物に刺すような臭いがした。
揮発性の引火物だ。
銃が使えない。
アーヴィンは舌打ちすると、左足膝下に隠していたサバイバルナイフを手にした。
至近戦に持ち込まなければ、ナイフでは到底太刀打ち出来無いのは百も承知だ。
火の手が上がった一階は黒煙で視界が利かなかった。
発火した家屋が轟音を上げて燃え上がる。
「う……!」
一瞬、自分が巻き込まれた劫火の記憶が過った。
時間が遡り、四年前の炎に包まれた自分がそこに居る錯覚を起こして立ち竦む。
(何をやっている! 動け!)
もう一人の自分が、怯んで身動き出来なくなった自分を一喝する。
近くで銃声が何度も聞え、エルフィンの悲鳴と被った。
はっとして、炎の呪縛から解放される。
「三島さん! エルフィン!」
(応えてくれ!)
アーヴィンは声を限りに叫んだ。
遠くで緊急車両のサイレンが聞こえた。
オヤジさんは直ちに救急病院の集中治療室へと運ばれた。
幸運にも弾は全てが急所を外れていたけれど、多量の出血で緊急を要していた。
僕達はオヤジさんが運ばれた集中治療室を見下ろせるブースに居た。
よく研修の為に利用される所らしい。オースティンさんが病院の人と話をつけてくれて特別に入室許可が下りたんだ。
でも、そこにニアの姿は無かった。
「俺からは誰も確認出来なかった。エルフィン、君は?」
僕はオースティンさんに傷を診て貰っていた。
この病院は人間の治療のみで、サイバノイドの身体を診てくれる設備が無い。
以前の身体のあった僕とは違って、普段病院のお世話にならなくなっていたから気が付かなかったけれど、この病院と同じようにサイバノイドを診てくれる所は意外と少ない事をこの時に知った。
脇腹の模造皮膚から乱暴にコードを引っ張り出される。
生身の身体なら、血管か神経に該当するのだろうか。痛覚は頚椎にあるスイッチを切られていたから痛くはないけれど、何だか気持ち悪い。
で、少し身体を捩った。
「こら、じっとしていろ」
「だって……」
「これ位ならすぐに済む。でも、後でちゃんと診て貰えよ? 俺が出来るのは応急処置だけだ」
彼は電磁メスを工具箱から取り出した。
スイッチを入れると先端が青白く光り、それを僕の傷口の奥に入れる。
「うわ、うわ!」
火花が散り、僕の身体が不自然に痙攣した。
「我慢しろ、男の子だろ?」
「チョッとびっくりしただけですよ。こんな時に男も女も無いでしょ?」
小さい子供をあやすような彼の口振りに、僕はムッとして生意気にも口応えする。
「……そうだったな」
オースティンさんはそう言って表情を和らげた。
でも、僕は何故だか彼に素直になれない。
ふと見上げて、エルフィンと眼が合ったような気がして慌てて顔を逸らした。
心臓がドキドキする。
オースティンさんから彼女の事を聞いてしまってから、僕は彼女を直視出来なくなっていた。
でも、やっぱりエルフィンの視線が気になって僕はもう一度彼女を盗み見る。
エルフィンはじっとオースティンさんの顔ばかり見詰めていた。
(何だ……見ていたのは僕じゃなかったのか)
がっかりした。僕は彼女の視線が気になったけれど、オースティンさんに僕の気持ちがばれているから猶更だ。
「エルフィン、どうした?」
オースティンさんは手を動かしながらも、彼女の視線にずっと気が付いていたみたいだった。僕の事を知っている筈なのに何も無かった様に振舞っている。
(てっきり、冷やかされると思ってた)
僕の治療が一区切り着くと、手を休めて面を上げる。
「……顎に大きな傷のあるサイバノイドの大男。私と同じ歳位のグレネイチャの少年もいたわ。あと外で二、三人の気配……それから……」
彼女は答えるのを躊躇った。
「それから?」
彼は手を止めてエルフィンを見上げ、促す様に言った。
蒼い眼が彼女を映し出す。
(何なんだよ? この空気は!)
息が詰まりそうだ。何だか僕は居辛くなった。
「四年前の、少なくともそれ以前の……アーヴィン・オースティンが居たわ」
「何だって?」
「黙ってろ!」
聞き返した僕の言葉を彼は一喝して遮った。
当の本人には既に見当が付いていたみたいだった。
少しも動揺していない。
「駄目ね。当たり前だけど、私ではとても太刀打ち出来なかったわ。怖くて動けなかった……悔しいわ」
エルフィンの碧い瞳から大粒の涙が毀れた。
彼女も全身の数箇所に傷を負い、サイバー化していた右腕を固定されていた。それでも、あの状態で懸命にオヤジさんを護衛していたのが窺える。
よくサイバノイドを相手に助かったよ。
オヤジさんが命を落とさなかっただけでも彼女に感謝するべきだ。
「エルフィンのせいじゃない。相手が悪かっただけだ……」
オースティンさんは大きなリバテープを僕に無造作に貼り付けて立ち上がった。
僕が小さく呻く。
「自分を責めるな」
そう言って、彼は彼女の肩に手を置き静かに頭を振った。
何だか自分を責めているようだった。
(その手を離せ!)
僕の視線が彼の手に注がれた。
そしてまたも不愉快になる。
「そうだよ! こんな事になったのは元はと言えば全部オースティンさんのせいだ!貴方が来たからニアが……ニアを! ニアを早く捜してよ!」
取り乱した僕にエルフィンの平手が飛んだ。
僕は不意を衝かれてよろめき、先程まで座っていた長椅子にもう一度へたりと座り込む。
あれからニアの姿が忽然と消えていた。何度も僕は彼女の中に戻ろうと意識を同調させてみるけど全然反応が無い。
遺体が見付からない上に、僕がまだ生きているって事は意識が無いまま拉致された可能性が高い。
あのニアが……信じられないけれど。
「何すんだよっ!」
僕は殴られた左頬を手で押さえて彼女を睨み付けた。
「マック!」
今度はエルフィンに一喝された。
彼女は僕に何か言い掛けたけれど、それをオースティンさんが左腕で遮った。
僕の視界はオースティンさんの後姿で一杯になった。
彼が彼女と僕の間に割って入ったからだ。
オースティンさんは振り向くと、今度は僕の両肩に手を置きながら身体を折り、ぐっと顔を近付けた。
真っ直ぐに僕の眼を見て、穏やかに諭すように話掛ける。
「マック、落ち着け。ニアは勿論捜し出す。もう時期三島さんの護衛が来る。連中が来なければここを離れる訳にはいかない……解るな?」
「……解かってるよ……そんな事……」
僕はバツが悪くなって彼の手を振り払い、顔を逸らした。
視界がじわりと揺らいでぼやける。
(嫌だ。こんな顔、オースティンさんに見られたくない!)
ぐっと下唇を噛みしめた。大声で泣き出したい気分だ。けど、そんなカッコ悪い事出来ない。(どうしよう)
オースティンさんが何者かの気配に気付いて、背後にある左右二ヶ所のドアを振り返った。
静かに立ち上がると軽く左肩を引く。
後ろ手に廻した左手が素早くシャツの裾の中に入ると、腰のベルトに挟んでいた銃把がちらりと見えた。
少し遅れてエルフィンも視線を走らせた。二人の「気」が張り詰められる。
外で大勢の人の気配がした。
序でに僕の泣き出しそうな気分も一瞬にして消え去ってしまう。
「……違うな」
そう独り言のように言うと、オースティンさんは銃を握っていた手を離した。
「エルフィン、マック、聴いてくれ。三島さんは多分もう一度狙われる」
オースティンさんは周囲に気を集中させながら、振り返らずに言った。
「そんな……だって、ここ病院だよ?」
僕が先に口を開く。
「病院だろうと連中には関係無い」
「もう、私には無理よ。こんな腕じゃ銃だって満足に扱えない」
彼女も気を配りながら、心細そうにアーヴィンを見る。
利き腕の右手首が大破してまともに指が動かせないでいた。
アーヴィンは振り返って彼女の腕に視線を落した。
「の、ようだな。連中に生半可な拘束は望めない……か。E‐S74とGUMを使え」
オースティンさんは小声で軍の専用らしいコードを伝えた。
「E‐S74ですって? ……それって、ここに居るマックも私も死ねってコト?」
エルフィンが怯えて訊き返す。
何だか判らないけど、エルフィンの反応からして対サイバノイド用に造られたモノらしい。 それも、拘束目的じゃなくて強烈な殺戮兵器みたいだ。
二つ目の「GUM」は何となくどんな物だか僕にでも想像がついた。
「いいや。仕掛ける「場所」を考えろ」
エルフィンが閃いたようだ。
彼女の様子にオースティンさんは黙って頷いた。
「来た」
オースティンさんが言ったタイミングで左右の入り口が同時に開かれる。
「動くな! 警察だ!」
武装した警官隊が通路を塞ぐ形で現れ、一斉にライフル銃を構えて僕達を取り囲んだ。
このブースに窓は無い。
あるのは左右の出入り口のドアと治療を視察する為に張られた壁一面の強化ガラスだけだ。
銃口で僕達を捕捉しながら徐々にその輪を狭めて行く――
「……」
僕は言葉を失くしていた。
サイバノイドの僕には生身の人間の目では見る事が出来ない赤外線も見える。
幾つもの赤くて細い光の糸が、総てオースティンさんの頭と胸に向けられていた。
勿論、右眼が義眼のオースティンさんはとっくにその事に気付いている。
……絶対に逃げられない。
「大丈夫だ」
目の前で起こった非日常的な出来事で唖然とする僕に、オースティンさんは落ち着いて静かに言った。
そして、座ったままの僕の頭にぽんと軽く手を置くと、僕達から離れた。
歩きながらゆっくりと大きく両手を上げ、頭の後ろでその手を組む。
その姿勢を保ったままで指揮官らしい人の所へ行き、二言、三言交わした。
すかさず数人がオースティンさんを取り囲み、素早くボディチェックをして拳銃二丁と手足にしてあった何かの装置数点を押収した。
その間、銃口は少しも逸らされる事無く彼を捕らえている。
少しでも不審な行動が認められれば即射殺されそうだ。
緊迫感が僕にも伝わる。
喉が渇いてカラカラだ。
(これは、悪い夢?)
バーチャル映像でもなければゲームでもなかった。
僕の目の前でオースティンさんは振り返る事無くそのまま彼等に連行されて行く――
「ま……待ってよ! どうしてオースティンさんを連れて行くのさ?」
慌てて追い掛けようとした。エルフィンに右腕を捕まれて引き止められる。
「どうして? オースティンさんはずっと僕と一緒に居たよ? 悪い事なんか出来っこないじゃないか」
彼女は眼を伏せて首を横に振った。
「オースティンさん!」
(待ってよ。これから僕はどうすればいいの? ニアが居ないのに、この上貴方まで!)
僕はじっとして居られなくなり、エルフィンの手を振り解いて彼の方へ駆け寄ろうとした。
「うわっ?」
すぐ目の前の床が白煙を上げて弾けた。
威嚇で足元を撃たれたんだ。
思わず両腕で顔を庇って立ち止まる。
「止せ! 子供に発砲するな!」
僕に銃口を向けた一人の銃身を掴んで、オースティンさんが止めに入った。 途端、あっという間に彼等に囲まれ、無抵抗のまま容赦無く何度も殴られる。
「放してよ! オースティンさんが……」
僕はエルフィンに後ろから抱き締められ、拘束された。
「うーっ! 放せぇぇ!」
僕は彼女の腕から逃れようと悪足掻きする。
目の前でオースティンさんが膝を折って崩れた。
それでも彼等は暴行を続けている。
エルフィンが直視出来ずに眼を逸らす。
そしてもう一度、僕が逃げ出さない様に凄い力で押え付けた。
「何でだよ! 何でオースティンさんが殴られんだよ! 止めに入っただけじゃないか!」
僕は引き揚げて行く警官達の後姿に向かって泣きながら大声で叫んでいた。
誰かが独房の電子錠を外している気配にアーヴィンは目を覚ました。
「痛……」
殴られた衝撃でまだ頭がくらくらしている。
右の義眼は自己修復中で、ザーという音と砂嵐のようなもの以外何も見えない。
『君は軍の手配中の容疑者と非常に酷似している。任意同行して貰おう』
そう言われてアーヴィンは従ったのだ。
(容疑者でも罪人扱いかよ……ま、当の本人だけど)
顔を顰めて顎を撫でる。取調べ中何度も暴行を受けて、左の奥歯がグラグラしていた。
エルフィンの腕に仕組まれた盗聴器を発見した当初から、遅かれ早かれこうなる事は判っていた事だ。
(……あった)
左の胸ポケットに入れてあった目薬を片手で弄った。
ブラッディ・アイ。
使用すれば文字通り瞳が真紅に染まる点眼タイプの覚醒剤だ。
使用して、ただ眼が赤くなるだけでは無い。視神経に直接作用して人間の本来持っている反射神経の速度を高め覚醒させる薬物だ。
六年前に開発されたブラッディ・アイは、使用後から代謝するまでの間、どんな色の瞳でも鮮やかに紅く染まる事から一時的にファッションとして若者の間で流行し、本来の効能からスポーツ選手やプロドライバーの間で広く持て囃されていた。
ただ、使用者によっては幻覚や、視神経を酷使する事で極度の頭痛や吐き気を伴う副作用が報告されており、その症状が現れる確立が非常に高い為に厚生技術省から不認可の指定を受けていた物だった。
(市販の容器に移し替えておいて正解だったな。どうやら単なる目薬だと思ったみたいだ)
アーヴィンはブラッディ・アイをニアに試しに使用した時のことを思い出した。
『ニア』
アーヴィンは手招きをしてニアを呼んだ。左手に何か持っている。
『は〜い。なになに?』
ニアは何を勘違いしたのか、瞳をキラキラさせて彼の許に来る。ジャンプをして両手を広げ、無邪気に彼の首に跳び付いた。
『うわっ? こっ、こら……悪揶揄は止せ』
ニアの屈託の無い笑顔と、腕に触れた柔らかな胸の感触にアーヴィンは珍しく動揺した。
『良いか? 気分が悪くなるかも知れないが、少しの間の辛抱だ……上を向いて』
そう言われてニアは照れた。上半身を軽く捩る。
『いや〜ん、そんなことぉ……ん』
言われた通りに顔を上げ、眼を閉じる。気持ち唇を窄めて。
『いっ? ……ちょっ、ちょっと待て、勘違いするな』
アーヴィンは、頬を赤らめながら上を向いて迫って来るニアの額を押えた。
『大丈夫よ。オヤジさんやマックには内緒にしててあげるからぁ』
『何ワケの解からない事を言ってる? ほら、眼を開けろ』
『そんなぁ。こんな時は眼なんて……』
ニアは猶も照れて赤くなる。
(止めてくれ。こっちまで恥ずかしくなる)
『馬〜鹿。何ぁに考えてる』
つられてアーヴィンも頬が少し赤くなったが、ニアに気取られないよう冷静さを装う。
何かを持っている左手を激しく振る。
手の中で水音が聞こえた。
『へ?』
『口まで開けろとは言ってない』
『だぁーって、上見たら開かない?』
『もう、黙ってろ』
調子を狂わせながらも、アーヴィンはニアの頭を片手で包むように固定すると、彼女の瞳に紅い目薬を点した。
『くうーっ……沁みるよぉ』
大袈裟に涙を流して乱暴に目を擦る。
『本来の濃度よりも50パー以上希釈してある。あまり強く擦るな。角膜に傷が付く』
『うーっ』
ニアが必死になって眼を擦っている間に、アーヴィンは拳銃から弾倉を抜き出して別の弾倉に差し替えた。
暫くは薬がニアに効いているかどうかをじっと静観する。
『……くっ!』
俯いていたニアの肩が震えた。
呼吸が次第に荒くなり、乱れ勝ちになる。
『気分はどうだ?』
(駄目か? 希釈し過ぎたか……)
そう思った時、ニアが顔を上げてアーヴィンを見た。
『……少し……でもそんなに悪くは……無いよ』
(効果有り)
ニアの瞳が鮮やかな真紅に染まっていた。
アーヴィンはそれを確認すると、銃口をニアに向ける。
『アーヴィン?』
ニアの顔が怯えて引き攣った。
『集中して避けてみろ。ペイント弾だが肌に直接当たれば痛いし汚れるぞ』
『ええーっ?』
本来の濃度半分以下に希釈して使用したが、彼の予想通りニアは期待を裏切らなかった。
今、手にしているのは、ニアに使用した希釈液などという生易しいものではない。
激しい頭痛と嘔吐に、彼は過去幾度と無く苦しんだ。
願わくは、この薬を使用する機会が無いことを祈っている。
これは緊急時の切り札の心算として所持していた。
誰かが電子扉を開けて中に入って来た。
気配と靴音で二人だと確認出来る。
アーヴィンは呻きながらもゆっくりと上体を起こした。
「気が付いたかね?」
振り返ると何処かで見覚えのあった男が立っていた。さほど背は高くはないが、ガッチリとした広い肩幅に黒髪の髭面だ。アーヴィンは地球の東洋で見た鍾馗という神様を思い出した。
(確か、陸軍に居た幕僚の……)
容姿上、強烈な印象を持っていたのですぐに分かったが、名前までは思い出せない。
(へぇ、こんな所に天下りかよ)
「アーヴィン・オースティン。報道カメラマンか……男前が台無しだな」
彼は事情聴取の報告書を手に、殴られて人相が変わっているアーヴィンを見下ろした。
彼が軍に在籍中、アーヴィンとは何度か面識があった筈だが、幸いにも彼はその事にはまだ気付いていない様子だ。
「何の……用だ?」
顔を顰めて鬱陶しそうに言った。口の端が裂けて腫れ上がり、まともに喋れない。
「通常ならば、許可は下りないが……面会人だ。三島部長のご子息を連れて来た」
「はぁ? ご子息?」
(居たか? そんなの?)
アーヴィンは首を傾げ、胡散臭そうに眉を寄せて彼を見上げた。
「オースティンさん……」
僕は所長の陰からおずおずと出て来た。
両手に氷水の入った洗面器とタオルを持って。
「よぉ」
オースティンさんが軽く笑った。
口には出さなかったけれど、「何だ、お前か」と言われたような気がした。
「良いかね? 時間は厳守したまえ」
「はい」
僕は所長に頭を下げる。
彼は僕を残して席を外した。
再び厳重な電子錠の掛かる音がする。そして、監視カメラのマイクが切られ、映像でのみ僕達を監視する為に予め取り付けてあった画面にプログラムの文字が表示された。
オースティンさんは目視でそれを確認すると、僕に向き直った。
「相変わらず、ファースト・ネームで呼ばない……か。まっ、いいけど?」
「え?」
彼に指摘されて初めて気が付いた。
僕が無意識に彼の事を遠去けている事に気付いていたみたいだった。
オースティンさんは僕の手から洗面器を受け取ると、それに直接顔を浸けた。
氷の入っていた冷水が瞬く間に彼の血で濁る。紫色に内出血して腫れ上がった右の瞼と左の口元を軽く押えるようにして拭き取った。
左の瞼も裂けていて、タオルにも血が滲んだ。
(うわ、痛そう)
「ニアは?」
僕は顔を顰めた。そして、思いも因らなかった彼の質問を聞き返す。
ここに来るまで、彼に素直に謝ろうと思っていた。
僕のせいでこんなにひどい目に遭って……非難されて拳の二、三発を覚悟の上でここに来た。
でも……
「何だ? まだ音信不通か」
(まただ)
「……人を携帯みたいに……言わないで下さいよ」
僕は機嫌を損ねてムッとなる。
人が真剣になっている時に……
(やっぱり、オースティンさんとは合わないや。こんないい加減な人とは……)
「あー? 怒った? 悪い、悪い、痛ててっそんな心算じゃ無かったんだけどな」
「じゃあ、どんな心算ですか?」
僕は膨れて突っ掛る。
「そう言うなって」
オースティンさんは軽いノリでそう言ってくすっと笑った。
「で、何しに来たんだ?」と蒼い眼が問い掛けている。
僕が単に氷水の差し入れだけに来たんじゃないって事はお見通しだった。
見透かされていて何だか物凄く嫌だ。
(やっぱり謝るのは止めだ)
冷水で幾分腫れが引いて来たオースティンさんの顔を見ているうちに、僕の気が変わった。
それに、訊きたい事もあった。
「何故、オヤジさんの奥さんや娘さんを殺害したんです? あんなにお世話になっていた人を」
僕は容赦無く単刀直入に切り出した。
殴られた痕に触れていたオースティンさんの手がぴたりと止まる。
「み、妙な言い逃れは出来ませんよ? ちゃんと当時のセキュリティ・カメラに貴方の仲間が……確か、キョウとか言う人達が映っていたそうですから。貴方が元軍の人だという事だって僕はとっくに知っているんだ!」
オースティンさんの瞳が大きく見開かれ、彼の態度が豹変した。
「……どう言う事だ?」
血相を変えて彼は僕の胸倉を掴み上げ、激しく揺さぶった。
(こっ、怖い!)
「こっ、こっちが訊きたいよ!」
「どうしてそういう事になっている?」
僕を掴み上げた手に一層力が篭った。
「くっ……し、知らないよ! は……放してよ!」
僕達の遣り取りをカメラで監視していたサイバノイドの看守二人が慌てて駆け込んで来た。
無抵抗のオースティンさんは、あっという間に羽交い絞めにされて壁際に貼り付けられる。 そしてもう一人が僕を外に出そうと促したけれど、僕はそれを拒否した。
「大丈夫です。少しだけ、もう少しだけ話をさせて下さい」
(僕だってサイバノイドだ。彼が本気を出さない限り大丈夫さ……多分)
看守の人達も、すぐに分かってくれて事無きを得た。
「……知らなかった」
オースティンさんはかなりショックだった様だ。監視員から解放されてもそのままの状態で居た。視線が定まらずに泳いでいる。
「オースティン……さん?」
「どうりで三島さん宅に誰も居なかった筈だ」
「って……貴方達は四年前にオヤジさんの家で……」
「灯台下暗し……か。三島さんのプライバシーにまで首を突っ込む心算は無かったから、ノーマークだった……」
小声で呟いたオースティンさんと目が合った。
彼は黙って真っ直ぐに僕を見る――
澄んだ蒼い瞳が、戸惑っている僕の姿を映し出した。
「やって……無いんだ。そうなんだね?」
何だかホッとした。
「オヤジさんが言ってた。当時……僕は何の議題の件かは知らないけれど、貴方達の件を中々承諾しなかったオヤジさんは、委員会からかなりの圧力を掛けられていたって。
だから、もしかしたら貴方達が遣ったと見せ掛けた偽装だったのかも知れないって。「わざわざカメラに映るようなヘマはせんだろう」って。そうも言ってた」
「さぁ、それはどうかな?」
オースティンさんはそっぽを向いて僕を軽くあしらった。
「え?」
思いも寄らない彼の言葉に僕は困惑した。
「そいつは案外本当かも知れない。マックがどれだけ俺達の事を知っているかは知らないが、奴なら有り得るかも」
「何故? キョウっていう人、貴方達のリーダーだって聞いているよ?」
「だからさ。当時、俺達はもう六人全員で行動を共にするような任務は無くなっていた。お互いにサポートし合うのはとっくに卒業していたんだ。俺とトムは……キョウとはいろんな面で合わなくて、滅多に顔を会わせる事さえ無くなっていた。」
「あの、トムって……確か貴方のファイルにも「トム」って有ったよね?」
「あれが奴のI・Dさ。サイバノイドに換装する事も出来たのに……」
そう言った後、軽く僕を睨み僕の頭を小突いた。
「痛い」
「おい、勝手に人のファイルを覗くな」
「はぁ〜い。でも、内容は見ていないよ」
(だって……たま々見えちゃったんだもの)
僕は口を尖らせて返事をする。
「当たり前だ。プロテクタ掛けているのに、そう簡単に外されて堪るかよ」
「でも、仲が良かったんだね。そのトムって人と」
「俺が?」
彼は意外そうな顔をした。
「うん。だって、いつも一緒だったんでしょ? 彼と。だから仕事でも一緒で……」
「まあ、確かにそう言えなくも無いか。勿論任務上での相棒でもあったがそれだけじゃない」
「?」
「相方は何の為に居たと思う?」
「それは、お互いのサポート……って、さっき言ってたじゃない」
(何言ってるのさ)
「初めは……だ。本来の目的はお互いの監視」
「監視?」
僕は首を傾げた。
「ああ。逃亡の阻止と、相方がミスを犯した場合の事後処理だ」
「どういう事?」
「相方を殺害後、任務を引き継ぐ」
「殺害って、そんな……」
「勿論、俺達はそんな馬鹿事は出来なかったし、そんな指示には従えなかった。他の連中はどうだったかは知らないが……今思えば、奴は親友と呼べるのだろうな」
(親友……)
ぐさりと何かが胸に突き刺さった。
僕にはそう呼べる友達はまだ居ない。
「あったの? そんな事が」
「ああ。何度も……上に事が発覚すれば即、二人共処刑され兼ねない程のな」
オースティンさんはそう言うと、過去を思い出すかのように遠い眼をした。
「しょ、処刑って……オースティン……さん?」
通常の生活からは全く聞き慣れない言葉を平然として言うオースティンさんに、僕は慌てた。
(この人は一体何をしていたんだろう?)
変だ。
今まで、彼の事なんかどうでも良かった僕なのに……
「あ? ああ、すまない。話が逸れてしまったな」
オースティンさんは気を取り直して話を続けた。
「キョウは何かと言えばすぐに荒事で事を片付けたがるような奴だった。元々ガタイもあったし、それなりの実力もあったからな。それに、薬物の副作用で少しおかしくもなっていたんだ。ブラッディ・アイで」
「その薬の名前、聞いたことがあるよ?」
「ま、四、五年前に流行っていたからな」
僕の反応に彼は相槌を打つ。
「奴はいつも自分の力を試したがっていた。新しい武器や格闘の技なんかを覚えてしまうと、その力がどの程度通用するモノなのかを実際に試してみる……試さずには要られない性分だった。他の連中はキョウに追従したけれど、俺達二人は自然に離れて行ったって感じかな? 尤も、キョウがメンバーの中で一番腕が立つし、指導者の立場でもあった。奴に背けばそれなりに報復があったから……」
そう言って彼は視線を自分の右腕に落とした。
掌をじっと見詰め、ゆっくりとその手を握っては開いて見せる。
僕はその動きが何処かぎこちなく、まるで精度の悪いロボットのように見えた。
彼の右の手首も肘も壊れている事に気が付く。
「……手、どうしたの?」
今まで傍目から見て彼の手がどうかなっているのかなんて解らなかったし、気付こうとも思わなかった。
でも、こうして間近で見れば、彼の手が普通でない事くらい判る。
「俺は元々右利きだ。レクチャーだとか言って、皆の目の前で壊された。二ヶ月は何も……ペンすら握れなかった。五年以上も経っているのにまだ時々痛む事がある」
「そんな……ずっと貴方は左利きだと思っていた」
(知らなかった)
「そんな事も有りだったんだよ。俺が一番年下の癖に生意気にも奴に反抗していたからな。「反抗すればこんな目に遭う」他の連中へのいい見せしめさ。今思えば俺も馬鹿だよな。もう少し利口になっていれば利き腕を壊される事なんてヘマは無かったのに。その前にも何度か奴とはあったんだ。まあ、ワケありでね。
三島さんと出逢ったのはその頃だ。トムと二人でキョウに遣られて動けずに非常用通路で蹲っていた。その時に俺達を見付けて介抱してくれたのが三島さんだった。
不思議だったよ。あの通路は普段誰も利用しないのに……
最初は三島さんも医療の知識が無くて、医療用ソフトを片手にテーピングのやり方や包帯の巻き方やらと格闘してくれたよ。流石に外科手術は無理だったから、靭帯が切れた俺の肘は結局そのままに……ま、骨折と同じで放置していても日が経てば自然治癒で一応動けるようにはなるんだけどな?」
「そんなの……イジメじゃない」
(酷いよ!)
僕はオースティンさんから視線を逸らせて声を詰まらせる。
「かもな?」
僕が泣き出しそうな顔をしていたのに気付いたオースティンさんは、努めて明るい口調に切り替えてそう言った。
「軍に医務室とかは無かったの?」
「あったさ。でも、俺達は居る筈の無い人間だ。本来なら、俺は三島さんや軍の大人達に出合う事さえ許されていない。何度も三島さんに助けて貰いながら、俺達の事がバレやしないかといつも怯えていた。バレれば俺達は処刑される……まるで野良犬か野良猫みたいに三島さんには見えただろうな。三島さんが俺達の存在を知る立場の人間だと分かったのはずっと後になってからだ」
僕はじっとオースティンさんの話に耳を傾けていた。
いつの間にか、普段のいい加減なオースティンさんの姿は僕の頭から払拭されていた。
こんなに彼と話したのは初めてだ。
僕はいつも……いつだって彼の事を解ろうとはしなくて……表面だけで彼の事を誤解していた。
(何も分かっていなかった。いや、分かろうとしなかったのは、僕だ)
「どうした? ……あ、いや。詰まらなかったな? こんな話」
すっかり気勢を殺がれて消沈してしまった僕を見て、彼は勘違いしたみたいだった。
「いえ、そんな……」
(……そうじゃ……ないんだ)
―だ、誰かぁ!
頭の中で悲鳴に似た声がした。
「えっ? ニア? ……ニアなの?」
僕は咄嗟に椅子から立ち上がる。
「聞こえたのか?」
すぐに彼女の許に行こうとした。その腕をオースティンさんが掴む。
「! 何をするんですか。放して下さいよ」
尤も、サイバノイドの身体を幾ら拘束しても、僕自身実体像を持っていないI・Dだけみたいなモノだからいつでもこの身体をすり抜けてニアの許へ行くことが出来る。
「俺を連れて行けないか?」
彼の言葉に僕は耳を疑った。