第11話 秘密
「その制服、中々似合っているな」
聞き覚えのある男の声にアーヴィンは振り返った。
そこには松葉杖を突いた三島が立っていた。
彼は慌てて外していた詰襟を正しながら起立する。
三島はそれ以上の礼は無用だと、軽く片手を挙げた。
「もう、起きても宜しいのですか?」
「お前こそ、良いのか?」
「若いですから」
さらりと言い返した。
三島はアーヴィンの言葉に一瞬ムッとする。
「……厭味を聞きに来たのではないぞ?」
咳払いをして苦笑しながらも、杖を支えに覚束ない足取りで近寄って来る。
アーヴィンは席を譲った。
「すまんな。まだ暫くは立っておられんのでな。失礼するよ」
三島はアーヴィンの座っていた席に腰を降ろした。
そして徐に彼を見上げる。
「よく……よく思い留まってくれたな」
そう言ってグレーの瞳を潤ませた。
「助かった……と言うべきでしょう?」
アーヴィンは自嘲気味に笑う。
「しかし、あの後お前は逃げようと思えば逃げられた筈だ」
「それしか他に手が無かっただけです……自分は二度もニアに助けられました。その借りがあるだけです。助かったのが奇跡だ。正直、残りの人生はオマケだと思っていますよ」
「護るものが出来たか」
「は?」
アーヴィンは三島の言葉を聞き返し、首を傾げた。
「足枷……の間違いじゃありませんか? それとも、猫の鈴ですか?」
「それは違う。護るべきものがあってこそ、人は尚一層強くなる。逆にそれが弱みとなって他人から付け込まれてしまう事も勿論あるがな。プラスに捉えるか、マイナスとして捉えるか。どちらを選択するかはお前次第だ。ま、精神面での話だが……」
「そんなものですかね?」
(……何が護るものだよ)
言われているこちらが気恥ずかしくなった。
「ところで……昨日も二、三人医務室に運ばれたと聞いて気を揉んだが……ドクターが感心しとったぞ。皆単なる脳震盪や脱臼だったそうだな?」
「大袈裟なんですよ。大した技も掛けていないのに……あんなの寸止めの十歩手前だ」
アーヴィンは不満そうに膨れっ面でそっぽを向いた。
「それじゃ業務の方はどうなっとる?」
「業務ですか? 順調とは言い難いですね。何せ、相手は最年少でも自分より三つも年上。上は二回り以上です。自分とは親子みたいなのまで居るんですよ? しかも大半が自分よりもガタイもデカイと来ている。初日早々彼等から洗礼を受けましたよ。お陰でシフトが滅茶苦茶だ」
「お前を「教官として認めない」……か?」
三島の顔が曇る。
「自分達よりも年下の、場合によっては息子以上も歳の離れているお前に指導される者も居る。彼等にとっては屈辱だろうな?」
「そうですね。少し時間が必要かと……」
「何だ。もうネを上げているのか?」
「いえ」
アーヴィンは屈託の無い笑顔を三島に向けた。
「それを訊いて安心した。彼等は軍のマニュアルしか知らん連中ばかりだ。上辺でのシミュレーションを何度完璧にこなしたとしても実戦経験の有るお前とでは比べ物にはならんよ」
「自分はまた同じ持ち場に就かされるのだと思っていました」
「あの時の二の舞はもう御免だからな。ただ、非常時の際には……」
「解っています」
三島の言葉にアーヴィンは即答した。
「そう、再々非常時が無い事をわしも願っておるよ」
アーヴィンは軽く顎を引いた。
「世間から非難されている事であれ、身を以って熟知している者は、それを見極める眼もまた兼ね備えて持っておる。まあ要するに、餅は餅屋と言う事だ」
(って、俺は餅屋かよ?)
もう少し、マシな喩え方は無いのかと恨めし気に三島を見て、アーヴィンは肩を竦めた。
「アーヴィン「殺す術を以って、生かす術に換えよ」……わしが言いたいのはそれだ」
アーヴィンの蒼い瞳が大きく見開かれる。
三島は満足気に彼を見上げた。
「……で? 今日は自分の陣中見舞いですか?」
アーヴィンは三島がその一言の為に態々(わざわざ)来たのでは無い事を見抜いていた。
「おお、その事だがな」
三島は表情を綻ばせて言った。
(……やっぱり)
三島がこれから自分に吹っ掛けようとしている難題を想像して気が重くなる。
「来月からお前に助手を就けようと思ってな。色々適任者を捜しておったのだよ」
「はぁ。助手……ですか」
(何だ。そんな事か)
ホッとした。尤も、陣中見舞いなどは元から予想してはいない。
「お前の……」
「っと、待ってください」
厭な予感に、彼は片手を軽く上げて言い掛けた三島を止めた。
「結構です。お断りします」
強い口調で言い切った。
「勘が良いな。相変わらず……そうか。まあ、いずれにせよ彼女達はお前の指揮下に入る。精々面倒を見てやれ」
「って……冗談でしょう?」
「わしが冗談を言う様な者かどうかはお前が良く知っている筈だ」
三島は真顔で言ったが、その眼は微妙に笑っている。
「……」
(いつも言っている癖に……)
「あ、居た々」
「アーヴィンだぁ」
聞き覚えのある、女の子達の弾んだ声が通路から聞こえた。
彼は声の方へと顔を向ける。
「お昼行こうよぉ」
「あ、いや……」
アーヴィンは彼女達の誘いを遠慮した。
「行って来い。わしなら構わんよ」
三島はニヤリと笑う。そして、くるりと椅子を回転させて彼に背を向けた。
(三島さん……)
三島の心遣いを覚って、アーヴィンは表情を和らげた。
「は……失礼します」
三島の背中に向かって姿勢を正し、軍の正式な敬礼をする。
「ねぇ、奢ってぇ〜」
甘えた猫なで声がする。
「どうしてそうなんだよ? ってか、誘った方が奢らないか? 普通ー」
迷惑そうなアーヴィンの声が遠去かる。
その遣り取りを背後で耳にした三島は、軽く肩を揺すって表情を綻ばせた。
『では、君はオースティンを再び軍に迎えると言うのかね?』
三島は黙って頷いた。
彼を取囲んでいた委員達は皆、一様にどよめく。
『静かに!』
委員長が静粛を求める。
『君は我々が非公式に抹殺した者が今更それを無条件で受け入れるとでも思っているのかね?現に、彼のメンバーから復讐目的の殺害事件が発生した。犯罪の模倣、違法なサイバノイドの悪質改造……一時は社会問題にまでなり、未だにその影響は各所に波及しておる。大体、君のその受けた傷も彼等に因るものではないのかね?』
委員長は、ベッドの上で上半身を起こし点滴をしたままの状態で答弁をしている三島を見下ろした。
左足に二発。内一発は三島の大腿骨を砕いていた。
腹部にも三発の銃弾を受けている。
鎮痛剤で痛みを散らしてはいるが、とても自力で立つ事が出来ない。
『それこそ、軍の内部に爆発物を持ち込むものだ。』
『オースティンが彼等と同じメンバーであった事実は認めます。けれど、彼等と同じ道を歩む事は断じて無い。私が保証します。万が一その危険性が見出されれば、一切の責任と、私に対するどのような処分でも甘んじましょう』
『ほお。随分な言いようですな』
委員の一人が三島を見下すように言い放った。
『私は部下を信頼しております』
『今は手配犯だ。奴が君の部下になれるとは決まってはおらんよ』
『軍を舐めて貰っては困る。何を甘い事を……』
委員達からは口々に三島を非難する言葉が出る。
『君はFCI統括部門だけでなく第8課の部長も兼任しておる。これ以上、敢えて危険な橋は渡らぬ方が賢くはないかね?』
『そうだ。態々(わざわざ)取扱注意の「核」を保持する必要は無い』
『「核」がそんなに危険ですか? 兵器としての「核」を想定しての場合でしか考えてはおられん様だ。平和利用としての逆もある。彼を指示、指導する側次第だ。何もかもがオースティン達の責任だと勘違いされては困る』
三島を諭そうとしていた者も何人かはいたが、それでも三島は静かに反論した。
『勘違い? 黙って聴いていれば……』
『口を慎みたまえ。我々が間違っていたとでも言うのか?』
『過去の事を蒸し返すのは止めて貰おう。第一、当時我々はそこには居なかった。居たのは殺された連中と三島君、君ではないか!』
委員達はそれぞれがそうだと頷いた。
『否定する心算は無い。本当に処罰されなければならなかったのは彼等ではなかった』
『どうやらオースティンを買被り過ぎておられる』
一人が三島に同情するかのように首を横に振った。
『訊けば君の部署にはつい先日も、エレメンタル紛いの獣まで招き入れたそうだが?』
『……何の事でしょうか? 仰っている意味が判りませんが?』
三島は惚けた。眉が僅かに動く。
『惚けおって……バイオノイドやサイバノイドならいざ知らず、そんな恐ろしい獣まで君は部署内で飼っているのかね?』
『その「獣」とか言うのは別問題にして戴こう。彼等は優れた能力で貴方方を日々陰で護っている者達ですぞ』
『はっ、汚らわしい。いつ気が変わってその刃を向けるとも限らない輩に護って貰わなくとも結構だ。それとも何か他の目的で飼っているのかね?』
『要するに、我々以上の能力を持った者であればその気になればいつでも欺ける。我々に従う必要など無かろう? 何故そう思わんのかね? それとも君は足枷になるものでも遣っているのかね?』
『何をどう誤認されたのか判りませんが、意味の無い部下への中傷は謹んで戴こう』
三島は恫喝とも取れる彼等の言葉を毅然とした態度で撥ね付けた。
『あくまでシラを切り通す心算か!』
『論議の方向が違って来てはおりませんかな?』
三島は平然と言い放った。
『何ぃ?』
収まりがつかなくなり、血相を変えた何人かが乱暴に起立する。
『まあ、待ちたまえ……』
『委員長』
手元のディスプレイに秘書官の顔が映り、自動で議会室の扉が開いた。委員長に秘書官が足早に近付く。
『少し待ってくれ』
委員長は議会のメンバーを見回すと、秘書官に耳を傾ける。
(遅い……山崎は何をやっている)
三島は自分の腕時計を睨み付けた。
そして、鳴らない携帯に苛立ちを募らせる。
身動きが取れない自分の為に、ドクター山崎は代役を買って出てくれたのだ。
時間的に見ても、アーヴィンにとっくに出会っている筈だが……?
秘書官との遣り取りに、何度も頷いた委員長は正面へと向き直った。
『先程オースティンの身柄を確保した。処分の方は此方に任せて貰おう』
ぴくりと三島の肩が上がる。一瞬、エルフィンの顔が脳裏を過った。
『では、どうあっても……?』
『元よりその心算だ』
委員長は素っ気無く言い放った。
『お、お待ち下さい! では何故委員会を招集されたのです?』
『君も判らん男だな。時間稼ぎだよ。過去、委員会の決議に撤回は認められなかった。それが何故だか判らない君ではあるまい?』
委員長の傍に居た一人が口を挟んだ。
三島の頬に赤味が差す。
『前例が無いから有り得ない……ですか? 委員長、それで貴方は承認されるのですか?これ以上無駄に時間を延ばすのであれば……』
『君の権限でオースティンをどうにかするのか?』
委員長は机上で両肘を着き、憔悴しきった表情で手を組み三島を見下ろす。
『越権行為だぞ!』
一人が机上を叩いて立ち上がり、三島を罵った。
『人一人の命を護れなくて、何が正義だ! 貴方方は我々が遣った四年前と同じ事をまた繰り返すお心算か?』
『口が過ぎるぞ! 三島君!』
『委員会に対する冒涜だ!』
またもや三島に対しての非難が沸き立つ。
『落ち着きたまえ。我々は既にオースティンに対して、射殺命令を下しておる。もう手遅れだ。今更論議して君の履歴に傷を付ける必要はあるまい?』
『……では、オースティンが助かれば命令の撤回を承諾して戴けますかな?』
委員長は三島の余裕に満ちた表情を見て、自分の目を疑った。
『……助かればの話だ。まさか君が事後承諾の心算で既に手配をしていたのか?』
『そんな賭けの真似を……お止めください。委員長! 三島君、君も慎みたまえ!』
数人が委員長の席に詰め寄った。
『いいえ、私はまだ何もしてはおりません。ただ、オースティンは非公認であれ、特殊部隊に籍を置いていた事をお忘れですか? 私が動くのはこれからです』
三島の瞳の奥に、揺るぎ無い確固とした何かを委員長は見出していた。
「『履歴』……か。もうとっくの昔に傷だらけになっておるわい……」
三島は渋い顔でその言葉を何度も小声で反芻した。
「……お前か」
振り返らずに静かに口を開く。三島の背後で気配が動いた。
「ドクター山崎の死亡が先程確認されました」
一瞬、三島の細い眼が大きく見開かれた。
「……そう……か」
(やはりわし等には処置させては貰えんかったか……)
溜め息混じりに肩を落とした。
(公判の日程さえ未定だったのに)
「彼が得た知識は今後軍の中央データに登録されます」
「必要なのは奴の知識だけであって、人格では無い……か」
親友を失ったやるせなさを振り解こうとでもしているように、三島は軽く首を横に振った。
「ご胸中、お察しします」
沈んだ声が返って来る。
「自分が死ねば無条件でA・Iの一部に組み込まれる。以前から、奴はそうなる事を望んではおらなんだ……持って半年、自らの死期を覚っていた山崎はいっその事、自分が関与したニア達と共に文字通り消える心算だったのかも知れんな」
(だからわしの代わりを買って出たのか……山崎?)
危険を承知で自分の代理を申し出たドクター山崎の真意が掴めなかった。
研究所や重要なセクションに何人ものダミーを忍ばせ、彼が得た過去の機密データを削除していたのも、彼が亡くなった今にしてみれば頷ける。
「良かったのですかね? ……これで」
「さあ、わしにも分からん。ただ、奴が望まなかった事態になってしまった事は確かだな」
三島は深い溜め息を吐いた。
「引き続きオースティンへの監視を続行しますか? 本人、自分が監視されている事にとっくに勘付いていますが? ……ま、これじゃ監視の意味がありませんがね?」
男は首を傾げて肩を竦める。
「いや、その件はもう構わん。忙しいのに済まなかったな。持ち場に戻ってくれ」
三島は男の視線に気付いた。
顔を上げてゆっくりと振り返る。
岬が三島を穏やかに見下ろしていた。
「だけど……よく、あの諮問会を説伏せましたね?」
「わしにもそれなりに貯金は持っている心算だよ。尤もお前達の件と今回の件、立て続けで底が尽きたかも知れんがな?」
三島は冗談交じりに苦笑した。
つられて岬も苦笑する。
「オースティンとフィリニックはともかく、あのニアって娘、遣えるのですか?」
岬は心許無そうな表情をする。
「さあて……わしにも判らん。アーヴィンとエルフィンの二人に任せてみるさ。ニアにはマックもついておる。どうやらあの娘は未知数の可能性を持っておる。勿論マックにも」
「人格特定可能な精神だけの少年……俺には専門外だが、医学的に見てもマックとかいう彼の存在は興味深いですね?」
「焦らずに見守ってみようと思っとる。遣える、遣えないと言う次元の問題は、それからもっと先の話でも構わん」
三島は余裕のある笑みで岬を見上げた。
「おい、聴いたか?」
軽く笑いながら、岬は背後を振り返った。
「へっ?」
突然僕に振って来たから、心構えが出来ずに拍子抜けた返事をする。
(ぼ、僕? ……どうして解ったのかな?)
ドアの陰に隠れて姿を消していた僕が居た。
ニアがアーヴィンと昼食に行った時、僕はこっそりニアから抜け出していたんだ。
「ほら、隠れてないで出て来いよ」
岬さんは笑みを絶やさずに、隠れていた僕の真正面に来て歩を停めた。
(どうして? 姿を消しているのに……それとも見えるの? 僕が?)
「フェアじゃないな?」
その言葉に、僕は渋々実体化する。
そこには岬さんの能力に怖じ気付き、表情を強張らせていた僕の姿が在った。
「おいで」
岬さんは僕の背後に廻り込み、軽く僕の背中を押した。
僕は仕方なくオヤジさんの居る椅子の処まで連れ出される。
盗み聴きしていた後ろめたさと、隠れていたのに意図も簡単に見付けられた恥ずかしさで居た堪れなくなった。
「何驚いている? ニア達が来た時から、ずっと居ただろ?」
岬さんは僕が居た事を当たり前のように言ってのけた。
(誰にも気付かれないようにそっとオヤジさん達を見ていたのに……)
僕の事に気付かなかったのはオヤジさんだけだった。
オヤジさんは背を向けたままで僕達の遣り取りを黙って聴いている。
「ど、どうして……?」
「気付くさ。俺達を見ていただろう? 気配がするんだよ」
「……嘘」
(何でそんなことまで……)
確か、僕がニアと同化した時もアーヴィンが僕を見付けた。
この人も彼と同じニオイがする。
並みの人間では到底察知出来ない動物的な鋭い勘を持っている。
「……どうした? ニア達と一緒に行かなかったのか?」
オヤジさんは僕の能力に改めて驚いていたのをはぐらかすように、椅子をくるりと回転させて僕達の方へと向き直った。
「オ……ヤジさん……あ、あの……その……」
僕は心の中のもやもやとしたものが拭い切れず、言葉に詰まってモジモジした。
(ああ〜っ! もう! 馬鹿! 馬鹿! 僕はオヤジさん達の会話を盗み聞きしたりして…… 一体何をしているんだろう? でも、やった後で悔やむから後悔って言うんだぁ〜)
僕の頭の中は混乱して、もう支離滅裂だ。
「どうしたね?」
オヤジさんはもう一度そう言って、僕に優しく微笑んだ。
僕に対して少しの疑いも持っていないかのような澄んだ瞳が向けられる。
「……」
僕は薄汚い自分を見られたくなくて思わず顔を逸らせた。
「訊いていただろう? 今の話。まだ不安か?」
押し黙ってしまった僕に、岬さんは問い掛けた。
(口先ではどうとでも言えるんだ。特に大人は。心の中では僕の事をどう思っているのだか解りはしないんだ。利用するだけ利用しておいて……あのアーヴィンだって何年か前は大人達に利用されて殺されていた筈だった……そうさ。でも……)
僕は顔を上げてオヤジさん達を見た。
「俺も君と同じ年の頃そうだった。少し人を疑う事を忘れた方が良いのかも知れないな?」
岬さんは僕の心が読み取れるのか、諭すように穏やかに言った。
「岬さん……」
「ウン?」
「岬さん……僕の事、変だと思わないの?」
「何言ってる?」
岬さんはチョッと困ったみたいだった。
「身体が無いんだよ! 僕は……きっ、キモイ……とか思わないの?」
「マック!」
オヤジさんの鋭い一声がとんだ。
目の前がぼやけた僕の瞳に、オヤジさんが椅子から立ち上がったのが見えた。
そこから先は僕がぎゅっと目を閉じたから解らない。
「だって……だって僕は……」
(幽霊なんだ。僕は!)
突然、オヤジさんの腕が僕を抱き締めた。
「!」
「いる! お前ならここに居るぞ!」
(オヤジさ……)
「お前はここに居る。居て良いんだ。自信を持て。他の者と違うからと言って諦めるな。諦めて自分を見失うな……解るなマック?」
オヤジさんはもう一度その言葉を噛締めるように言った。
自分でも、何故此処に残ったのか判らなかった。
でも、本当は……その一言が聴きたかっただけなのかも知れない。
僕の心がじんわりと温かくなった気がした。
「オヤジさん……」
僕の頬に涙が毀れた。
「もう、良いぞ」
腕組みをして、何かを待っているように静かに眼を閉じていた岬さんが口を開いた。
(……え? 誰に言っているの?)
僕は声の掛けられたドアの方を振り返る。
「もぉ、息が詰まっちゃったよぉ」
そこには昼食に行った筈のニア達が居た。
エルフィンもアーヴィンも一緒だ。
「? お前達、食事に行ったのじゃ無かったのか?」
驚いていたのは僕と、僕をしっかりと受け止めてくれたオヤジさんだけだった。
「え? ええ、まぁ……」
アーヴィンが口籠る。
「判ったか? 皆、君の事が心配なんだ」
「そうよ。悲劇のヒーローは止しなさいよ」
岬さんの言葉をエルフィンが継いだ。
「あん、もぉ! 混む時間帯になっちゃったじゃないのぉ。マックのせーだ」
「そう言うなって」
時計を一瞥したニアが口を尖らせて軽く頬を膨らませた。
アーヴィンがニアを諭す。
「行きましょ? マック。サイバノイドの身体が厭なら無理に換装しなさいとは言わないわ」
「はぁ〜ん。アンタ、あの身体が厭でオヤジさんにゴネてたのぉ?」
エルフィンの言葉に納得したニアが僕の心を見透かしたように言い放った。
「なっ、ち、違うよ」
(どうしてそうなっちゃうんだよ?)
今度は僕が膨れた。
「そんなんじゃないんだ。そうじゃなくって……」
「はいはい。アンタお腹が空いているからナーバスになっちゃっているのよね?」
「違うって!」
僕は剥きになって否定した直後にはっとした。
大体、ニアの身体の映し身である僕が空腹にならないのを知っているのはニア本人だ。
聞く耳を持たないニアの頑なな態度に、皆が僕の事を気遣って、態と話の方向をずらせている事に気が付いた。
「お昼、行こ?」
「な?」
ニアの言葉にアーヴィンが目配せする。
(……皆……)
「さ、一緒に行ってこい」
オヤジさんの温かい手が力強く僕の一歩を後押しした。
― 追伸 ―
「今度こそ行ったか」
三島はマック達の後姿を見送りながら、やれやれといった表情で再び椅子に腰を降ろした。
「……岬」
「はい?」
「わしは……自分は間違った事は遣ってはおらんと信じとる。立場が違っていても同じ人間だ。立場が違うから人の命を奪うのが許されるとは思ってはおらん……ま、こんな考えは軍にとっては……統率するべき者がそんな甘い思想を持っておるのは……却って危険な存在なのだろうな」
溜め息混じりに三島は漏らす。
「諮問会で相当堪えたんですね……でも、部長が居なければ、アーヴィン達は勿論、俺達もここには居ませんでしたからね。どうしたんです? 珍しく弱音を吐いて」
「総てが大団円で終わることが出来るのならば、わしもこうはなるまいて」
「お年のせいですかね?」
岬は惚ける。
「何を言っとるか!」
剥きになった三島の様子に、岬はくすっと笑みを漏らした。
「貴方の眼を信じますよ」
(全てを受け入れる貴方の心眼を……)
ドール ―デリート第2章― 完