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第1話 告白

 嫌な気分だった。

 闇夜の中、自分の背の丈程もある草叢を彼は必死に掻き分けていた。

 視界はすこぶる悪く、周囲を取囲んでいる草叢は思っていた以上に広い。

 赤外線の暗視スコープは既に失っていた。

 唯一、義眼である彼の右眼だけが暗闇での識別が可能だったが、障害を起こしたらしく映像がしきりに乱れて頼りにならない。

 自然の要塞は幾度と無く彼の進路を遮り、足を掬った。


 彼は独断である人物を密かに護衛していた。

 今迄、彼は追い掛ける側だった。緻密な行動計算から常に相手の先手を取り、決して追われる側の立場に立った事など無かったのだが……

 無防備な人物を密かに護衛すると言う護りの態勢が、一見簡単そうに見えてその実これ程まで難しいものだったとは夢にも思っていなかった。

 そして、何者かに十数メートルもの崖から突き落とされ、追い掛けられている。

 追って来る者は彼を突き落とした者とは全く別の気配だ。

 ただ、その人物が自分と十分互角、或いはそれ以下の技量の持ち主だと直感的に覚っていた。

 彼は本来の目的から遠去けられた事で焦りと苛立ちに冷静さを欠いていた。

 

 すぐそこまで来ている――

 気配が跳ぶ。

 彼の中で警報が鳴った。

 頭上を振り仰ぐ。

 小柄なシルエットが雲の切れ目から覗いた月明りに浮き出される。

 三つ編みの長い髪と華奢な身体の線でそれが少女ものだと判る。

 そして、その右手には青白く光る短刀が逆手に握られていた。

(そんなモノで、本気で俺が殺れるとでも思っているのか?)

 彼は一瞬相手を見縊みくびって油断した。

 少女が短刀を振り下ろす。彼は太刀筋を見切ってかわした。

「!」

 左上腕部に鋭い痛みが走る。

 少女は既に見切られていた事が解っていた様だ。素早く短刀を切り返して擦れ違いざまに彼の腕を掠めていた。

 少女は怯む事無く猶も短刀を薙ぎ払う。

 青白い光が一閃する度に、空を切る鋭い音がして雑草が舞った。

「オヤジさんに何の用?」

 少女が口を開いた。

 凛とした声だ。

 身長百六十前後の少女は、身長百九十以上ある彼と真っ向から向き合っても物怖じする気配一つ感じられない。

 逆に彼の方が躊躇していた。

 少女の声に聞き覚えがあったからだ。

(あの人がオヤジさん? ……どう言う事だ?)

 幾度も短刀を間合いギリギリでかわしながら後退りする。

 彼女の、その素早いが粗削りで無駄の多い太刀筋にも、どこかで見覚えがあったような気がしてならない。

(このは何処かで……?)

 つい、思い出す事に夢中になり、防御がおろそかになった。少女はそのすきを見逃さない。

 ハッとして反射的に手が動いた。

 火花が散る。

 振り下ろされた一撃を辛うじて持っていた拳銃の銃身で受け止める。

 少女の体重は知れていたが、体重を懸けて斬り込んで来るタイミングが絶妙だ。

 その反動で彼は引金を引いてしまった。安全装置は既に外してある。

「きゃう?」

 少女が短く叫んだ。彼女の身体が仰け反り、力無く草叢の中に落ちる。

(しまった!)

 全身の血液が凍り付き、心拍数が一段と上昇した。

(殺っちまった……か?)

 しかし、全く手応えは無い。

(当たって……無い筈)

 彼は肩で大きく息をしながら、闇に溶け込んだ少女の姿を探した。

 銃口は少女の倒れた方向に向けたままだが、今度は安全装置を掛けておいた。

 草叢を掻き分けると、少女のか細い腕が見えた。

 慎重に近寄り、少女の手首を捕ると脈拍の有無を確認した。

 早いが、規則正しく脈打っている。

 ほっと安堵あんどの息を吐く。そのまま視線を這わせた。微かに少女の胸が上下している。どうやら至近距離での銃声に驚いて失神した様だ。

 雲の間から月に掛かったコロニー(エア)が顔を出した。二つの月明りが少女の姿をほのかに照らし出す。

 詳細は不明だが、腰の辺りまである長い髪を三つ編みにした十七、八歳位の少女だ。

(この娘!)

 やはり彼には見覚えがあった。

 そして同時に背後でもう一人別の気配を察知する。


「動くなッ!」

 僕は精一杯の低い声で怒鳴った。

 でも、僕が彼に対して怖気付いているのを隠す事は出来なかった。彼は僕に背を向けてはいるけれど、僕の銃を構えている両手が震えているのに気が付いているみたいだ。

 僕は背中を向けて静止している彼を観察した。

 黒い髪に黒い上下の服装。闇に紛れるのなら造作も無い格好だ。

 それに拳銃まで持っている。

(やっぱり! オヤジさんを付け狙っていたのはこの人なんだ!)

 彼は静かに拳銃を足元に置き、軽く両手を上げながらゆっくりと彼女のそばから立ち上がった。

 思ったよりも背が高い。

「うっ、動くなって……言ってるんだ!」

 ごくりと喉が鳴った。緊張しているせいか口の中がカラカラになって喋り辛い。

 狙っている銃口が彼の動きに合わせてぐっと上がった。

(うっ……でかっ)

 二メートル近くはある。

 立ち上がった彼の背丈に威圧されて、僕は腰が引けてしまった。

「人に銃を向けているのなら、もう少し落ち着いてみろ」

 彼が静かに言った。そしてゆっくりと振り返る。

「ほ、本当に……う、撃つぞ?」

 声が震えて裏返る。おど々しているのがバレ々だ。

(うっ、うわっ! こっち向くな!)

 僕はぎゅっと眼を閉じた。

 誰だか判らないけど、目線を合わせたくない。

 実際、僕は人を撃った事も、怪我をさせた事さえも無い。

(それでもニアを助ける為なら何だってやってやるさ! そうしないといけないんだ!)

 そう自分に言い聞かせて、小さく萎縮した勇気を必死になって奮い立たせる。

「構わない。その銃で撃てるものなら遣ってみろ」

 投げ遣りに言い放った彼の口元が笑ったような気がした。

 そして月明かりを背にして振り向く。

 僕には逆光になって、彼が誰なのか解からなかった。

 けれど、あからさまに挑発されてカッと頭に血が昇る。

「ば、馬鹿にして! ぼ、僕が、う……撃てないとでも……お、思ってるの?」

 半泣きになりながら僕は引金を引いた。

「! ……あ、あれ?」

 引金は何度引いてもガッチリと固定されていて動かない。

(どうして?)

 あっという間に彼の手が伸びて、僕は両手の上から銃身を掴まれた。

「う、うわっ?」

 僕は彼の片手で両手ごとしっかりと拘束され、銃から手を放すことさえ出来ずに呆気あっけなく引き倒される。

(殺される!)

 全身が強張った。

 恐怖で悲鳴さえ出ない。

「外してないぞ。安全装……」

 彼の言葉を全部聴き取れなかった。

 僕は彼が首筋に振り下ろした手刀しゅとうで敢え無く気を失う。

(サイバノイドと人間の……双子?)

 彼は自分が倒した子供と少女の姿を見比べた。



 クリーム色の自動車が街外れの小高い丘陵を登って行く。

 この辺りは住宅もまばらで、周囲を緑に囲まれた閑散とした場所だ。

 その中の一軒に車は進入した。

 車から十七、八歳くらいの少女が降り立った。

 黒いカチューシャで留めた長い金髪は、緩やかに波打って腰の辺りまで流れている。  

 肌は貫ける様に色白で、すらりとした体型はまるで九頭身のモデル並みだ。

 整った小柄な顔には、エメラルドを想わせる碧い瞳を持ち、しっとりとした長いまつげに包まれていた。薔薇色の頬に、溶けてしまいそうな唇――恵まれた容姿は非の打ち所が無いと言っても過言では無かった。

 袖をまくった白いシャツにベージュのパンツ。何処にでも見られるファッションだったが、彼女はそれを自分の容姿で一際洗練されたものに換えていた。

 彼女は車両後部のハッチを開けて、両手一杯の買い物袋を取り出した。

 見た目、細い両腕に抱えた荷物は到底彼女の力では持てないように思えたが、彼女はそれを苦にせず軽々と持ち上げた。

「部長、今日も来ちゃいました」

 彼女の弾んだ声が、庭先で背を向けていた初老の男に掛けられる。

「おお、すまんなエルフィン」

 植木を剪定せんていしていた老紳士が手を休めて応えた。

 その温和な表情からは、彼が連邦中央統轄機構(FCI)の局部長兼、第九課所属部長だとはうかがえない。

 エルフィンは鼻歌を歌いながら、足取りも軽く家の中に入って行った。

「また来たよ」

「あ、いらっしゃい」

 サイバノイド(人造人間)に換装している僕は、ソファに据わったままで振り返る。

 彼女が来るのを心待ちにしていた僕は、嬉しくなって胸が高鳴った。


 僕が自分の身体を失ってから、一カ月があっという間に過ぎていた。

 特殊能力を持っていた僕は、身体を失っても双子のニアの身体を共有する事で、『僕』という存在を維持する事が出来た。

 でも、幾ら双子だからと言っても、いつまでもニアの身体を借りている訳にはいかない。

 ニアは一応女の子だし、総てに対して超鈍感な彼女が平気でも、僕の方が困ってしまう時だってある。

 だからオヤジさんは早くから僕の意を汲み取ってくれて、『僕』の受け皿になるサイバノイドの身体を与えてくれた。


 通常、何かの理由で身体の一部を失って生体、或いは機械化移植した人のことをバイオノイドと言い、身体の殆どを失って、脳核に電子制御機能を移植してナノマシンと併用すればサイバノイドと呼ばれて識別されている。

 半身がバイオノイドのエルフィンと違って、僕は完全体のサイバノイドだ。ナノマシンとニアの細胞を培養して造り出された脳核までダミー。本当の僕の細胞は一片さえこの身体には存在しない。

 『僕』の身体なのに……

(だからなのかな? ニアの身体とこの身体を行き来してはいるけれど、未だに思うように扱えないのは……)

 普通なら、サイバノイドに換装すれば早い人で数日、遅くても二、三週間で自分の身体として扱う事が出来るらしいのに、僕は未だに新しい身体に馴染めずに、ダンベルでリハビリ中だった。

 力の加減が上手く出来ない。気を許すとダンベルであろうと飴細工のようにしてしまう。

『元々運動音痴のマックが、そお簡単に扱える筈無いよぉ』ってニアは笑うけど、僕の身体はもう無くなっている。今はニアの運動能力と同じ筈なのにどうしてなのかな。

(何だか情けないよ)


「ニアは?」

 エルフィンがダイニングテーブルに買い物袋を置いて、部屋を見回す。

「オースティンさんとデート」

 開口一番に厭な事を思い出さされて、僕は不機嫌にぶすっとして言った。

 ダンベルを握っていた手に無意識に力が篭った。

 それは僕の手の中でぐにゃりと曲がり、それを見て一瞬エルフィンが退いた。

(ちぇっ、またやった……)

 僕は頭を乱暴に掻いた。

 エルフィンは、僕の失敗を見て見ぬフリをしてくれた。

 僕がこの身体に何度も苦労している事をずっと前から知っているからだ。でも、この彼女の優しさが僕としては逆に重く感じられて本当は厭なんだけどな。

「そう、まぁ〜た逃げられたのね……」

「え? 誰が?」

 僕の手が止まる。

「アーヴィンよ。ちょっと話があったんだけどね」

 エルフィンは軽く頬を膨らませて腕組した。

(何の話かな?)

「……オースティンさんが来るようになってから、ずっと振られっ放しだね?」

 僕は視線を逸らせて少し意地悪そうに言った。

「ん〜、そうね。まあ良いか。で? マックはお留守番なんだ」

 エルフィンはふふんと鼻で笑って僕を見た。

「そぉ〜だよっ! 文句ある? 僕、もう一回死にたかないもん!」

(鎌かけたの気付いたのかな?)

「今日は、何で行ったの?」

「HONDAのNS。四〇〇ccのツーストサイクル・レプリカだってさ。旧世紀の超〜骨董品だよ。何だってあんな野蛮な物に……もっと、安全な物が他に一杯あるじゃない」

 僕は不機嫌に言い放った。

 リハビリ中で置いてきぼりを喰らったのは本当だし、いつもの事だけど、彼とニアが一緒ってのが気に入らなかった。

 尤も、これがニアじゃなくてエルフィンだったらもっと嫌だろうけど。

(そりゃあバイクってカッコ良いし、僕だって本当は乗ってみたいよ。けど、あの人メチャクチャ運転荒いんだもん。一度だけ車に乗せて貰ったけど、怖くて眼を開けていられなかった。あの人の運転するバイクのタンデムシートに乗るだなんてコトは、僕にとっては論外だ)

「ふーん、マックは興味無いのかな?」

 エルフィンが僕の心を読み取ろうとしてぐっと僕に顔を近付けた。悪戯っぽい笑みを湛えて。

 心臓が発作を起こしたようにドキリと鳴った。

 思わず僕の顎が仰け反り、顔が火照った。

「あ……当たり前だろ?」

 完全に見透かされていた。

 僕の声が微妙に震える。

「に、してはそのバイクの事をよく知っているのね? あ〜あ、私も一緒に行きたかったなぁ」

 羨ましそうに言って小首を傾げた。

 緩やかにカールした長い金色の髪がさらりと流れる。

 エルフィンの何でも無い仕草に僕は視線を奪われた。

 そして、彼女の言った言葉に我に返る。

「ええ〜っ?何でさ。エルフィンもあの人に……?」

 取り乱した僕を見て、エルフィンは小さく吹き出した。

「な〜んて、嘘。それ、バイクでしょ? 第一、人のデートに一緒に行ける筈ないわよ。まあ、本当にデート……ならね?」

 意味有り気にウインクする。

「ちえ」

 僕は彼女に良いようにあしらわれた気がして、赤くなりながらも口を尖らせて腐った。

(あ、そうか。エルフィンも免許習得してたんだ。でも皆、何であの人に優しいんだよ。あの人は……)

「マック、爪!」

「え? はっ、はい」

 慌てて口元から右手を離した。

 僕は無意識に爪を齧っていたんだ。


 僕達の言う旧世紀では、車やバイクは人の手で運転していたそうだ。

 今では車等乗り物には大抵人工知能A・Iが搭載されていて、人はただ行き先を入力すれば自動計算で目的地により速く、より安全に辿り着ける。

 何も運転技術なんて全く必要ない。

 けど、たまにいるんだよね。

 あの人や、ニアみたいなオタク。

 旧世紀にも随分居たらしいけど、バーチャル映像じゃなくって、実際に運転テクニックやスピードの体感スリルを愉しんでる人達。

 手動で自分の思い通りに運転出来るのだから、愉しいだろうかも知れないけれど、本人のちょっとした操作ミスとかで事故や怪我なんて珍しくない。時には死亡事故なんてニュースにも出たりする。それなりに命懸けのリスクは附いて廻る。

 だけどそうまでして自分がハンドル握って運転したいものなのかな? 

 僕には理解出来ないや。


「エルフィン、良いかな?」

 オヤジさんが一息入れようとして、庭から戻って来た。

 首にタオルを掛け、その端でしきりに汗を拭っていた。

 冷房の効いた室内に入ると、オヤジさんは気持ち良さそうに声をあげる。


 久し振りの時間が取れたのに、オヤジさんは今朝からずっと庭木の剪定に汗を流していた。

 オヤジさんはあの夜に狙われてからというもの、外出を禁じられているにも関わらずに外へ出る機会が多くなったみたいだ。

 勿論軍の関係者らしい人達がオヤジさんを遠巻きに護衛しているのは分っている。

 オヤジさんもその事は承知している。

 だけど、あの時オヤジさんを付けていたのは、オヤジさんも知っているオースティンさんだった。

 なら事情を話して軍の人達に一言言えば良いじゃないか。

(……いや、やっぱり言えないか)


 オースティンさん……本名アーヴィン・オースティン。

 銀の髪と蒼い瞳を持ち、赤銅色の肌を持つ『グレネイチャ』と呼ばれる人種。

 グレネイチャとは、宇宙世紀の初頭に一部のセレブ達の間で流行した奴隷難民達の事だ。

 銀髪に蒼い眼を持った、人工的に掛け合わせて創られた亜人間。

 人間としての権利を求めての長い抗争を経て、やっとその権利を認められたものの、彼等の持つ銀の髪と蒼い眼、そして赤銅色の肌は優性遺伝の為、持て囃された反面忌み嫌われる事となる。

 何世代も経った今でも争いを好む野蛮な種族と誤解され、見ず知らずの他人から時折理不尽な思いをさせられている。

 オースティンさんは、固有の種族と認められるに到ったにも関らず、未だに『グレネイチャ』と呼ばれて、蔑まれている種族の一人だった。


 彼は僕が自分の身体を失った時に、僕と一卵性双子であるニアが出会ったフリーの報道カメラマン。

 直接彼とは面識が無かったから詳しくは知らないけれど、ニアが死にかけた時に偶然居合わせて助けてくれたそうだ。

 自分の仕事の為だとはいえ、危険を犯してまで僕を救いにニアと一緒に来てくれた。

 でも、僕の救出には間に合わなかった。

 表向きはカメラマンだけれど、彼の銃の扱い方は、素人の僕が見てもチョッと齧ったって感じじゃ無い。

 どう見たって熟練されたものだ。

 僕が思うに、きっとオースティンさんは何処かのスパイか何かだと思うんだ。

 その証拠に、オヤジさんだって彼に一目置いている。

(きっとそうだよ)

 オヤジさんは、護衛に来ている軍の人達にはスパイのオースティンさんとオヤジさんが個人的に知り合いだって事がバレちゃいけないから、きっと黙っているんだ。

(それとも別の人に本当に狙われているのかな?)

 自宅待機を命じられて幾ら退屈だからって、庭木の剪定なんか業者の人に頼めば良いじゃないか。

(なのに、どうして?)

 僕からは、まるでオヤジさんが自分を狙ってくれとでも言っているようにも見えていた。

 僕はいつの間にか無心になって親指の爪を齧っていた。


「はい」

 エルフィンは慣れたもので、オヤジさんに手早く濃いめの日本茶を淹れた。

 僕にはアイスココアを用意してくれる。

 暑い時には冷たい物が僕達は良いように思うけど、オヤジさんは決まって熱いお茶を好む。 熱い物を飲んだ後の汗が引いていくのが良いんだとか。

 僕にはよく解んないけど。

「元気でやっとる様だな。ここの所夕方にはよく来てマックとニアの面倒を見てくれているが、私用時間なのかね?それとも……」

 オヤジさんが向かいの一人掛け用ソファに身体を沈めながら、エルフィンを見上げた。

「……の、方です」

 彼女はオヤジさんの言葉を受け継ぐ形で答える。

 オヤジさんは、やはりなと言った表情で少しだけ顔を曇らせた。

(仕事の話かな?)

 僕は席を外そうと、オヤジさんとは逆にソファから腰を浮かせた。

「ああマック、そのままで良い」

 オヤジさんは軽く右手を挙げて僕を止めた。

「え? だって……」

 僕はエルフィンを見た。

 彼女は黙って軽く顎を引く。

「この前の事もあるからな。いい機会だ。少し事情をマックにも話しておかないと……」

 そう言って、淹れてもらった熱いお茶を啜る。

「この前って、あの晩の?」

「そうだ」

「でも、あれは僕達のカン違いでしょ? あの時の不審者はオースティンさんだったでしょ?髪を黒く染めていたけど……違うの?」

 オヤジさんとエルフィンはお互いに黙って顔を見合わせた。

 二人の様子から、勘違いしているのはどうやら僕とニアだけみたいだと察しがつく。

「わしは本当に狙われている。数日前から尾行されているのに気付いておった」

 オヤジさんは静かに僕の言葉を否定した。

 僕は神妙な面持ちで眉を寄せる。

「一週間前、ニュースでシュナイダー家の事件があったのを知らないかしら?」

 エルフィンは別に知っていなくてもいいのよという目で僕を見る。

 けど、僕だって一日中リハビリしている筈ないじゃないか。ニュースで社会勉強くらいするよ。

「知ってるよ」

 僕は、それがどうかしたのと口を尖らせた。

「資産家のシュナイダー氏が、一緒に住んでいた娘夫婦と十歳と七歳になる孫までもが殺されたって言う話でしょ? 確か、事件当時は金品目当ての強盗殺人かと思われたけど、金品には手出しされてはいなかった。しかも被害者の全員が素手で撲殺された疑いが持たれてる。その劣悪な手段に警察は違法改造されたサイバノイドか、一部の特殊能力を持ったエレメンタルによる怨恨か宗教テログループの犯行だとして捜査してるって。当主のシュナイダー氏は生粋の白人主義者だとか言われていたし……僕が知っているくらいだもの。それが嘘だったとしても、反発する相手は多いと思うよ。宗教だけじゃない。人種差別は相当根深いもの」

 現に、ニアから離れて完全換装したサイバノイドの僕は、街中でも幾つかの区域には立ち入ることが出来ない。

 『機械化人間お断り』の区域だ。

「確かにな」

 オヤジさんは僕の言葉に頷いた。

「彼は白人主義者だったからな」

「からな……って、オヤジさん知っているの?」

「ああ。彼は四年前連邦の監察委員だった一人だよ」

「だったって? それがどうかし……!」

 僕はオヤジさんの言葉で、何となく話が見えてきた様に思えた。

 オヤジさんも四年前はその中の一人だったんだ。

「今頃になって……」

 オヤジさんは溜息混じりに言って肩を落とした。

「部長、どういう事ですか?」

 エルフィンがコーヒーを淹れたカップをテーブルに置いて、僕の隣に座る。

 軽く僕の身体が彼女の方に傾いだ。

 彼女の付けている仄かな甘い香水が僕の鼻をくすぐる。

「オースティンが、元軍の人間だという事は二人共知っているな?」

「ぶっ!」

 僕は飲みかけのアイスココアを思いっ切り吹いた。

「あっ! ……もう、何やってるの?」

 エルフィンが慌ててタオルを取り出し、僕の口元を拭う。

「何だ、マックは知らなかったのか? ニアは知っておったぞ?」

 オヤジさんはテーブルに散った僕の吹いた跡を台拭きで丁寧に拭き取りながら、意外だという素振りをした。

「えっ? そっ、そうなの?」

 僕は拍子抜けした。

 勝手に彼がスパイで本当はオヤジさんの敵なんだと思っていたから。

 エルフィンは僕に黙って頷いた。

「彼を含めて六人居た。存在は決して公にはされなかったが、その六人を四年前、軍は事実上抹殺した……

 わしは個人的に……実は極秘裏に彼等を救い出すよう手を廻していた。上に知られれば極刑を覚悟で……あの後、わしへの報告は手遅れだったとしか受けておらんかった……だが、オースティンは少なくとも生きている。委員会の決議は執行された筈だ。言い換えれば六人全員が生存していてもおかしくは無いとも考えられる。

 しかし……あの状況下で我々全員を騙す茶番が可能だったとはどうしても思えんのだ。

 わし等は立ち会わなければならなかった……

 悪趣味だろう? 幾らモニタを通してだとは言え、わしはとても直視出来ずにずっと目を伏せておった。

 四年経った今でも……」

 そう言ってオヤジさんは言葉を呑んだ。

 過去の出来事を思い出して、俯き加減のオヤジさんの眉間に深く皺が寄せられている。

 ごくりと僕の喉が鳴った。

 無意識のうちに指が口元に近付く。

(え……?)

「ち、ちょっと待ってよ。確か四年前って……オースティンさん何歳?」

「十五歳。彼が最年少だったそうよ?」

 エルフィンが切なそうに言いながら、僕の手を止める。

「あ」

 慌てて手を引っ込めた。

 彼女の碧い眼に軽く僕は睨まれる。

(……て事は、単純に計算しても、今十九?)

「とても十九歳には見えない。もっと年上かと思った」

 どう見たってあの落ち着きは二十代後半だよ。

 本人がここに居たら、僕、ぶっ飛ばされそう。

「十五歳で既に軍の人間? ……って、それってもっと年齢が低い時から軍に居たって事? どう言う事? 学校には?」

 僕はエルフィンとオヤジさんを交互に見た。二人共僕の視線を避ける様にする。

「彼が既にその年齢で何故軍の人間になっていたかは、直接本人に訊けばよかろう。わしの口からは言えん事だしな。尤も、本人も話してはくれんだろうが……」

 その事を言えばオヤジさんの居る軍は認めたことになる。

 全てを内密にして来たことを。

「話を元に戻そう。オースティンを含めた六人全員の死亡報告がされた後、委員会は解散。当時の長官も任期を待たずに引退した。わしとロイ、ヨ・ジュンの三人はそれぞれ持ち場を与えられたが、他の者は皆長官にならって職を辞した。大半が定年間近を迎えていたからな」

 そう言って、もう一度湯飲みに手を伸ばす。

「でも、アーヴィン・オースティンは生きていた」

 エルフィンがオヤジさんの後を続ける。

「そうだ。わしが極秘裏に指示を出していた部下の一人が勝手に手を廻していた。オースティンが生きていたとわしが報告を受け、上に発覚すればわしが一切の責を負う心算だと……

 別に彼等を助けてどうこうする心算は全く無かった。わしはただ彼等が助かればそれでよかったのだ。何処かで生きてさえいてくれれば……

 だが、実際に事はそれだけでは済まされない。当時のわしはそこまで思慮が及ばなかった」

「じれったいんだけど。それって、オヤジさんを狙ってる人達はひょっとして?」

 僕の問い掛けにオヤジさんは黙って頷いた。

「薄々気にはなっていたのだが、ここ数年、とりわけこの数ヶ月に不可解な殺人が頻繁に起こっている。その中に紛れるようにしてリストに元委員会の連中の名前が挙がっていた。

 偶然かとも考えられたが、今回のシュナイダーの件とわしの件ではっきりした。

 多数の殺人は偽装か模倣犯による可能性が高いと考えられる。事実、何人もの実行犯を検挙したが、同一手口の事件は未だに続いている。真犯人が捕まっていない証拠だ。彼等は生きていて、わし等に復讐している。

 オースティンとて同じだ。当事者の一人だったのだから。わしに復讐すると考えてもおかしくはあるまい? あの晩、マック達が居なかったら、わしは確実に仕留められていたのかも知れん」

「部長を狙っていたのに、ニアやマックが居たので出来なかった……と?」

 エルフィンがすんなりとした細い脚を組み直して、オヤジさんの後を引き継いだ。

「かも知れんな」

(そうなのかな……僕達、何も役に立たなかったと思っていた。二人共、オースティンさんにあっという間にやっつけられちゃって、カッコ悪いとさえ思っていたのに)

 僕は自分の不甲斐無さを反省して落ち込んでいたけど、オヤジさんにそう言って貰えてチョットだけ心が晴れて嬉しくなった。

「あの……待って下さい」

 掌で包むように持っていたカップに視線を落し、考え込んでいたエルフィンが面を上げた。

「確かその委員会での決議は全員一致が原則になっている筈です。部長は委員会の決議に最後まで支持しなかったと私は窺っています。なのに何故可決されてしまったのですか? それに、何故彼等が部長まで狙うのかが納得出来ません」

「わしは……」

 オヤジさんは一呼吸於いた。

「わしは最後まで首を縦に振る心算はなかった」

「? なかったって……?」

「その心算だった。彼等を信じていたかった……」

 自然、声が小さくなり今にも消えそうだった。

(じゃあ、結局はその委員会に賛成しちゃったんだ)

「……何かあったのですね?」

 オヤジさんは口を噤んでしまった。膝の上で両手を組み合わせて顔を伏せる。その両手が小刻みに震えていた。今まで見たことも無かったオヤジさんの苦悩する姿に、僕は無条件で同情した。きっと何か訳があったんだ。

「部長」

「もう止めてよ」

 詰め寄るエルフィンを僕は咎めた。

「何かあった。で、オヤジさんはこうして狙われた。で、いいじゃない。何も本人が思い出して言いたくない事を聞き出す必要が……」

「マックには無くても私にはあるの。残念だけど、命令なのよ」

 言いかけた言葉をたたみ返された。彼女の事務的な口調にもカチンと癇に障る。

「そんな命令断っちゃえば良いんだ!」

 僕は彼女に食って掛かった。

「何いい加減な事言ってるのよ? 私は仕事で来ているの。マックには解らないでしょうけれどね」

 いつもより彼女が苛々しているのが伝わって来る。

「へぇ〜ご立派な仕事だね? 例え身内に等しいくらい近い存在でも、疑わなくっちゃいけないだなんて」

 僕は皮肉一杯に言ってやった。

 でも、エルフィンだって辛い立場なんだろうな。彼女が声を荒らげる事なんか滅多に無いもの。僕だって何となく彼女の気持ちが解る気がする。彼女の真一文字に引き結ばれた口元が僕にこれ以上何も言うなと語り掛けていた。

「部長の為でもあるのよ! 私だって好き好んでこんな……」

「止めんか」

 オヤジさんは弱々しく言って面を上げた。

「このままわしが口を噤んでしまっては行くまいて……エルフィン、君は何処まで知っている?」

「私は……」

 言い掛けて黙り込んだ。

 僕は黙って二人の遣り取りを聞いていた。無意識にストローの端を噛む。

「その様子だと、知っているな?」

「本当なのですか? 彼等の事と、奥様と娘さんの事で何か関係があるのでしょうか?」

 僕には、縋るような彼女の碧い瞳が「そうであって欲しくは無い……」と、語っていた様に見えた。そして彼女は今にも泣き出しそうな顔になる。

「離婚されたそうですが……申し訳ありません。先に謝らせて下さい。別居されたお二人の消息を我々は未だに見失っております。私自身、勝手に捜索させて戴きましたが……」

「見付からなかった。そうだな?」

 エルフィンがこくりと頷く。

 オヤジさんは全て解っていると言いたげだった。

「見付かる筈はあるまい。彼女達はもう生きてはおらんよ……四年前に彼等に殺害された。わしが呼び出されて留守をしている間に」

「……何ですって?」

 エルフィンが唸るように言った。

「何者かが仕組んだ罠だった。わしは彼等を呼んではおらん。そして、誰もわしを呼び出してはいなかったのだ」

「……」

 ストローを所在無く噛んでいた僕は、そのまま動けなくなった。


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