五
永子の顔を見ているうち、健一は、ある重要な疑問が浮かんでくるのを感じた。
「おい、永子!」
健一の切迫した口調に、永子はびくっと首を竦める。
「何よ?」
「君、再接続はいつ、したんだ?」」
永子はなぜか、黙り込んでまじまじと健一を見詰めた。
「やってないわ……再接続はしていない」
ふっと顔をそらせ、ぼそりと呟くように答えた。健一は永子の答えに、呆然となった。
「やってない……って、まさか?」
あれから永子は、健一の座長就任のため、大回転で働いていた。考えてみれば、一度たりとも、現実世界へ帰還したそぶりは見せなかった。健一も忙しさにかまけ、永子の再接続など丸っきり、頭に浮かばなかったのだが、まさか再接続していないとは思いもよらなかった。
「で、で、でも……それじゃ、君、ずーっと仮想現実に居続けたのか? 何日、経っていると思うんだ?」
「そうねえ……もう、一週間は経っているかしら」
なぜか永子は、楽しげな口調で答えた。
健一は永子の答えに、かーっと頭に血が昇るのを感じていた。
「そ、そ、そ、そんな! そ、それじゃ君……ろ、ろ、ろ……!」
「〝ロスト〟しているわ。ええ、それはとっくに、判っていたわ」
健一はあまりの衝撃に、がっくりと両肩を下げていた。
「何でそんな、馬鹿な真似をしたんだ。それじゃ、故意に〝ロスト〟したように、聞こえるじゃないか」
永子は、健一を真っ直ぐに見詰めた。
「ええ、その通りよ。あたし、故意に〝ロスト〟したの」
健一はぴしゃりと、自分の額を叩く。
「なぜ……」
そう、問い掛けるのがやっとである。
「健一が〝ロスト〟したからよ!」
永子の答えに、健一はくらっと、軽い眩暈を感じた。
「お、俺が……?」
「そうよ。健一がこっちの江戸で〝ロスト〟して、現実世界にはもう一人の健一が目覚めている。つまり二人の健一が存在するって、わけね。だからあたしも〝ロスト〟して、二人の自分を作る決意をしたのよ」
健一はゆるゆると、首を振った。
「判らない……判らないよ」
永子は身を寄せて、健一の肩にそっと手を置いた。
「心配しないで。責任を感じる必要はこれっきりもないから。あたしは健一の才能を信じている! こっちで取り残された健一の才能を花開かせるのは、あたしの役目だと覚悟しているの。現実世界と仮想現実、二人の健一を同時にプロデュースするのは不可能だから、あたしは〝ロスト〟して、もう一人の自分を残すという決断をしただけ。あたしはいつまでも、あんたをプロデュースしてあげる」
「永子……」
健一はゆっくりと顔を挙げ、永子を見詰め返した。
仮想現実での、永子の顔が近々と迫っている。現実世界の永子より、二十歳は若く、スタイルも良く、美人の永子である。
永子はにっこりと笑い掛けた。
「あのね……実は開闢【遊客】の、鞍家二郎三郎さんに頼んで、あたしの仮想人格がいつまでもこの若さでいられるよう、処置を頼んだの。二郎三郎は、快く引き受けてくれた。だから、あたしはずーっと、今の若さで仮想現実で生きていけるわ。どう、素敵じゃない?」
永子の説得に、健一は力なく笑いを返すだけだった。
そうだよな……。
いつだって永子は、健一の思いもかけない方法で、鼻面を引き回すのが常ってものだ。
それに……いつまでも若い永子が側にいてくれるんだぜ!
健一は、全身に、今まで思っても見ない、活力が湧いてくるのを感じていた。
「そうだな……そうだよ! とても、素敵だ!」
健一は思わず、答えていた。
永子は安心したように、健一の腕に自分の腕を絡ませた。
「それじゃ、湯屋にでも行って、身体をさっぱりさせない? あたし、近くにとても良い湯屋があるのを知っているの!」
二人はゆっくり、江戸の町並みを腕を組んで歩き出した。




