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電脳役者~月村健一の意外な運命~  作者: 万卜人
第十四回 大江戸遊客対黒客、最終決戦之巻
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 床に転がった銅鏡の面を、二郎三郎は手にした刀の鞘を振り被り、全力で打ち据える。

 びしっと鋭い音を立て、鏡面にひびが走った。

「鞍家さん、あんたの刀?」

 健一は、思わず問い掛けていた。

 さっきから二郎三郎は棍棒のように鞘を振り回しているが、あんな使い方をしていたら、最初の一撃で鞘は、ばらばらに分解しているはずである。

 二郎三郎は一つ、息を弾ませると、健一に向かって手に持った刀をぐいっと押し付けた。

 健一は渡された刀をしげしげと観察する。柄を持って、抜こうとするが──抜けない! それに、想像以上に重い!

「抜けないだろう?」

 二郎三郎は悪戯っぽく笑った。

「中身は全部、一本の鉄棒になっている。鞘も柄も、同じになっていて、少々の打撃じゃ折れない。鉄棒を刀の形に加工して、鞘の部分には漆を塗っている」

「へっ?」

「刀に見せかけているが、棍棒と同じだよ。侍の格好をしているからには、一応、差料は腰に必要だからな。しかし【遊客】の力が消え失せた今じゃ、重くて荷物だな」

 大きく息を吸い込むと、二郎三郎は、もう一度、鏡面を一撃した。鏡面の罅は広がり、映し出されている景観は消えて、内部のメカニズムが剥き出しになる。

 どかどかと足音が近づき、道庵が手下を従え、走ってくる。部屋の入口に立ち止まった。道庵は、二郎三郎が行った狼藉の跡を目にし、凝然となった。

「あーあ、あーあ、あ……やっちまったのか!」

 上げた声には、絶望の響きがあった。

 二郎三郎は肩を竦め、勝利をたっぷり自覚した口調で道庵に話し掛けた。

「どうやって、こんな代物を持ち込んだか、今となっちゃどうでも良いが、もう〝結界〟は、終わりだ! お前らの麻薬密売も、同じ結果だな」

 道庵はがっくりと項垂れ、ぼそぼそと呟くように答えた。

「そんなケチな企みじゃない! 麻薬など、大した価値はない。俺たちの希望は打ち砕かれた……」

 虚ろな目付きで、道庵は健一たちを見詰めている。健一は、道庵らの目付きに、何かしら、背筋がぞくりと寒くなるのを、感じていた。

 みしり……と、養生所の建物がきしんだ。

 はっ! と、道庵が顔を仰向ける。

「始まった……!」

 道庵の様子に、二郎三郎は切迫した口調で問い掛ける。

「何がだ? 何が始まると言うんだ?」

「に……逃げろっ!」

 あたふたとした足取りで、道庵たちはその場から離れ始める。

 道庵たちの慌てた様子に、健一たちは顔を見合わせた。永子も、二郎三郎にも、不安な表情が浮かんでいる。

 ぐらっ、と床が傾く。

 ぎぎぎ……、と厭な音を立て、廊下がゆっくりと歪んで見えた。

「こりゃ、本当に、やばそうだぜ……」

 二郎三郎が小声で呟いた。すでに道庵たち一行は、その場から退散して、健一たちが取り残された格好である。

「どっちへ逃げる?」

 健一が叫び声を上げた。

「こっちだ! 取りあえず、奴らが逃げた方向を目指そう!」

 二郎三郎が指差した方向に、健一たちは走り出した。

 がらがらがら……あれは、瓦が落ちる音だ!

 全速力で走る健一だったが、床が右に左に傾き、波のように揺れているので、真っ直ぐ走れない。

 どーん!

 恐ろしい轟音が背中に聞こえ、思わず振り向くと、天井が垂木と共に雪崩落ちていた。

 まるで大地震の最中だ!

 ゆっさゆっさと、建物自体が、巨人の手にもてあそばれているかのように、揺れている。

 廊下を這いつくばるように、三人は前へ前へと、進んで行く。もう、どこへ向かっているのか、方向感覚はまるで失われている。とにかく一刻も早く、この場を離れるべきだと焦燥感につき転ばされている。

「な……何が起きているんだ?」

 必死になって、健一は二郎三郎に説明を求めた。二郎三郎は青い顔をして、首を左右に振った。

「判らん! あの制御装置を壊したのが、原因らしいが……。多分、養生所を囲む〝結界〟そのものが不安定だったのかもな!」

 早口で答え、二郎三郎は周囲を狂おしい視線で見やっている。脱出口を探しているのだろう。

「あっちを見ろ!」

 床に這い蹲って、二郎三郎は指差した。その方向を見ると、廊下の片側が障子がすっかり外れ、薬草園が見えていた。

 ちゃんと外が見えている。他の仮想現実とは、接触していない!

「外だ!」

「うん!」と二郎三郎は、健一の言葉に頷いた。

 三人は、無我夢中で走って、薬草園へと飛び出した!

 地面に健一は、ごろごろと転がって、倒れこんだ。視界の隅に、ちらりと、二郎三郎と、永子が飛び出すのを認める。そのまま、きつく両目を閉じた。

 草の匂いに、健一は薄目を開けた。

 ぽかんとした顔つきで、永子が健一を見ていた。

「何なの……あの、地震は?」

「え──っ?」

 何を言っているのだろうと、健一は素っ頓狂な声を上げていた。

「揺れていないわ!」

 永子の言葉に、健一は立膝になってキョロキョロと周囲を見回した。

「本当だ、揺れていない……」

 改めて地面をまさぐるが、立っていられないほどの揺れは、まるで感じなかった。健一の気持ちを、二郎三郎が代弁する。

「揺れているのは、建物だけだったんだ! 見ろ、あれを!」

 二郎三郎が、養生所の建物を指し示した。

 養生所の建物が、大揺れに揺れていた。

 右に左に、見えない手に揺らされているように、ガタガタ、グラグラと激しく震動している。柱が、屋根が捻じれ、壁がぼっこんぼっこんと、紙のように膨張と収縮を繰り返している。

 これは地震などでは、絶対ない!

 何か、養生所そのものが、内部から揺り動かされているように、見える。

 ぎぎぎぎぎ……。

 黒板を、爪で引掻くような、神経に突き刺さる異音を立て、養生所の建物全体が、縮み始める。びしっ、ばしっ! と遂に応力に耐えかね、崩壊が始まった。

 ぐしゃっ! とあらゆる箇所が、内部に向かって落ち込んでゆく。

 その時、健一は、自分の身体が養生所に向かって、引き摺られる感覚を味わっていた。

 慌てて健一は、地面に生えている草を掴んだ。そうでもしないと、引っ張られる。

「離れろっ! 引っ張られるぞ!」

 発条ばね仕掛けのように、二郎三郎はピョンと立ち上がると、刀を杖にして歩き出す。健一もどうにか身体を持ち上げた。永子はすでに走り出している。素早い女だ!

 だが、平地のはずなのに、まるで坂道を駆け上がっているようだった。

 後頭部を掴まれている感覚に、健一は悪夢を体験しているように、錯覚していた。無我夢中で走っているのに、一歩も前へ進めない、あの感覚である。仮想現実は悪夢なのか?

 健一にとっては、現実そのものだ!

「待ってくれぇ!」

 健一は、声を限りに絶叫する。永子と二郎三郎は、とっくに影響の範囲外だ。健一は必死になって追いつこうとするが、なぜか足下はツルツルと滑って、前へ進めない。

 永子がくるっと振り向き「健一!」と叫んで、手を伸ばしてきた。

 二郎三郎が永子の身動きに気付き「よせ! 引っ張り込まれる!」と忠告するが、永子は真一文字に口を引き締め、片手を伸ばしてきた。

 しかし、その動きが、健一を捕えた力の影響下に入ったのか、ずるずると永子の足が滑った。

 これでは、健一もろとも、引っ張り込まれるだけだ!

「ちっ!」と二郎三郎は舌打ちすると、手にした刀の下げ緒を解いて、一方を握って放り投げた。

「掴まれ!」

 永子は二郎三郎の刀を、受け取った! 下げ緒を一杯に伸ばして、やっと届く距離である。永子はもう一方の手を、健一に伸ばしている。健一の目を見詰め、叫んだ。

「健一、掴んで……!」

 健一は歯を食い縛り、全力を振り絞って、永子に近づこうとした。

 まるで擂鉢の斜面を登るようだ。地面は完全に平坦なのだが、重力がおかしい……。じりじりと這い進み、永子の手を掴もうとする。

 指先が触れた!

 健一は安堵の声を上げ、ぐっと片腕を伸ばす。遂に、永子と、健一の手と手が、がっしりと絡み合った!

 二郎三郎は二人の手が繋がったのを確認して、ぐっと刀の下げ緒を掴んで、全身の力を上半身に込めた。

「畜生──っ!」

 吠えるように叫ぶと、引き寄せる。

 健一は、永子と二郎三郎に引き寄せられて、建物からじりじりと離れていた。

 あと、もう少し……。ほんのちょっと、二、三歩で安全な距離に逃れられる……。

 健一は希望を胸に抱いた。

 が、最後の希望を繋いだ刀の下げ緒が、遂にぶっつりと千切れていた!

「あっ!」と叫ぶ二郎三郎。

「健一──っ!」と永子は悲鳴を上げる。

 二人は二郎三郎の刀を握り締め、養生所の建物目掛け、引き寄せられた。

 最後に、健一は恐怖の視線で、近づく養生所の建物を見詰めていた。

 建物は、内部からの力に拉げ、崩壊していた。ぐしゃぐしゃと握り締められた拳のように、あらゆる箇所が中心に向かって崩落してゆく。

 むんず! と見えない力に捕えられ、二人は養生所が存在した空間へ引き寄せられて行く。

 中心は真っ黒で、時折びかっと稲光のような閃光が走っていた。僅かな時間で観察すると、中心の周囲は、光が歪んでいる。

 建物の破片は、真っ黒な中心に近づくと、ぱっと光を発して、吸い込まれてゆく。

 健一と永子は、ぴったりと身を寄せ、己の運命を受け入れていた。

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