一
小石川養生所の正門が見えてくると、門前に片岡外記と、億十郎、源三の三人が待っていた。二郎三郎と永子の姿が見えない。
火付盗賊改頭の、酒巻源五郎を従え、健一は早足で近づく。源五郎は馬上である。番士が口取りで従っている。
源五郎の馬が足掻き、壮んに鞴のような息を吐いている。健一の駆け足は、馬でさえやっと従いて行くほどの速度であった。
【遊客】が本気で走ると、馬など置いてきぼりにされるほどの、速力が出る。
「二人は?」
健一が声を掛けると、三人は顔を見合わせた。
「鞍家殿と、お永殿は、すでに邸内に入っております」
億十郎が相変わらず、四角張った返答をするのを耳にして、健一は首を捻った。
「なんで、あんたらは入らない? 俺を待っていたのか?」
「いや」と、外記は眉を顰めた。
「それが、入れないのだ。少なくとも、源三と億十郎の二人は」
「へえ?」
健一は思わず、頓狂な声を上げていた。いったい、何が起きている?
「月村殿。この中に、麻薬組織の連中が居るので御座るな?」
背後から、せかせかした調子で源五郎が話し掛けた。健一が無言で頷くと、源五郎はきっと門を睨みつける。
「ならば、ここで一刻の猶予もならぬ! 拙者、お先に失礼致す!」
叫ぶと、ひらりと下馬し、地面に飛び降りて正門に突入した。
「わっ!」
門に突入した源五郎は、まるで感電したかのように、棒立ちになった。
「どうしたっ!」
健一が近づくと、源五郎は門前で仁王立ちになっている。そのままぐらり、と背後に倒れ込む。
健一は、源五郎の身体を背後から支えて、脳天が地面に激突するのを防いだ。
源五郎は白目を剥き、口から蟹のように泡を噴いていた。
完全に気絶している。
そのまま、地面に横たえてやった。億十郎が近づき、源五郎の上体を起き上がらせ、活を入れる。
「う~む……!」
源五郎は唸り声を上げると、息を吹き返した。キョロキョロと、周囲を見回し、はあはあと荒い息を吐いた。
健一は、静かに話し掛けた。
「何があった?」
源五郎は健一を見上げ、首を何度も振った。袂から手拭を取り出し、額の汗を拭う。
「判り申さぬ。門を潜ろうとした瞬間、何やら、衝撃が全身を駆け巡り、後は何が何やら判らなくなり申した……」
外記を見ると、ゆっくりと頷いた。
「そうなのだ。養生所には、目に見えぬ障壁が設けられておる。結界かも、知れぬ」
「それで、何で二郎三郎と、永子は入れたんだ?」
「【遊客】には、影響ないのだ。どうやら、【遊客】のみが、この内部に入れるようじゃな」
「つまり?」
健一は外記の目を見詰め、質問した。が、外記が答えるまでもなく、解答はすでに脳裏に浮かんでいた。
「つまり、江戸NPCは入れない。億十郎と源三は、ここでお主を待つしか、なかったのじゃよ」
「ふうん。そうか……」
健一は腕組みをして、正門を見た。
見たところ、何も変化は感じられない。しかし源五郎の反応から、確かに何らかの障壁があるのは、確実だろう。
外記は健一の表情を窺うように、口を開いた。
「拙者は荒事は苦手でな。ここで二郎三郎たちを待つ決意をしたのじゃ。いずれ勘定奉行様と、町奉行の、養生所廻り与力と同心が駆けつけるはずじゃ。じゃが、その中に【遊客】は一人もおらぬ。従って、ここで手を拱いているしか、ないのじゃよ」
「つまり、俺が行くしかない――と、あんたは言いたいのか?」
健一は門を睨んだまま、ぼそりと答えた。外記は大いに頷いた。
「左様。お主が蛮勇を奮うと、期待しておるのじゃよ」
健一は思わず、外記を見やった。
外記は微笑を浮かべて、健一を見ている。冷徹な政治家らしい表情だが、健一はすでに決意を固めていた。
「そうだな。あんたの言う〝蛮勇を揮う〟ってのを、やって見るか!」
健一の決意を見て取り、源三が声を掛けた。
「お気をつけて……月村の旦那」
健一は「うん」と頷くと、大きく足を挙げて、正門へ歩き出した。




