七
荒々しく足音を蹴立て、火付盗賊改の頭を従え、健一は牢屋へと急行した。
「も、もし、月村殿! 何を致そうと思し召しか?」
背後から、源五郎が追いかける。健一はぎろっと振り向き、一喝した。
「黙れっ! 俺は、もう、我慢の限界に来ているんだ!」
「ひえっ!」
健一の気迫に当てられ、源五郎は立ち竦んだ。健一はさらに命令する。
「ここで待ってろ! 動くんじゃねえぞ!」
ぴしりと指差すと、源五郎は全身を硬直させ、その場で凝固する。健一の【遊客】としての命令に、否応もなく従ったのだ。
健一は全力で走った。
【遊客】の力を全開にしている。現実世界での自分とは、大違いの速力だ!
あっという間に、剣鬼郎を閉じ込めている牢屋へ到達する。
牢屋の剣鬼郎を見張っている番士が、健一の接近に気付き、手にした棒を構えた。
「どけっ!」
大声を上げると、番士はガクリッと腰を砕けさせ、その場に尻餅をついた。両目がポカンと虚ろに開き、蒼白な顔色になっている。
「どこかへ行っちまえ! 俺の目の前から消えうせろっ!」
「へ、へいっ!」
ばたばたと手足を足掻かせ、番士は必死の形相でその場を立ち去った。
「おいっ、月さん! 何をしているんだ?」
牢屋の格子から、剣鬼郎が顔を突き出し、喚いた。健一は、ぐるっと身体を剣鬼郎に向けて叫ぶ。
「剣鬼郎っ! すぐ現実へ帰還しろっ! 今なら見張りの江戸NPCはいないっ!」
「有り難え……。もう、駄目かと思ってたんだ。もう、時間切れが近いからな」
相変わらず能天気な剣鬼郎に、健一は心底、苛ついた。
「つべこべ言っている間に、さっさと抜け出さないか?」
剣鬼郎は、格子の向こうからあんぐりと口を開け、信じられないものを見たと主張するように、健一を見返す。
「おい、本当に、あんた、あの月さんなのか? いったい、何が起きた?」
健一は地団太を踏み、絶叫した。
「五月蝿いっ! 五月蝿いっ! う~る~さ~い~っ! どいつもこいつも、勝手な奴らばかりだっ! 俺はもう、知らんっ!」
喚いている間、涙が噴き毀れる。
何の涙か、自分でも判らない。ただ、無性に総てを否定したくなる自暴自棄な衝動が、内から突き上げてくる。
剣鬼郎はごくりと唾を呑み込み、小刻みに頷いた。
「わ、判ったよ……とにかく、ここからおさらばするぜ……」
目を閉じ、口の中で現実帰還のための、暗証を唱えている。一瞬、目を見開き、健一を見てニヤッと笑った。
「感謝するぜ、監督!」
言い終えた瞬間、剣鬼郎の姿は掻き消えていた。
行った……。
茫然と、健一は空になった牢屋を見詰めていた。
剣鬼郎は最後に「監督」と健一に声を掛けた。
監督か……。
健一は微かに笑いを浮かべ、静かに首を左右に振る。
もう、監督なんて、二度と呼ばれる機会はないのさ!
肩を落とし、健一は来た道を戻り始めた。
途中、先ほどの番士と、源五郎が健一を出迎える。源五郎は、恐る恐る、健一に声を掛けた。
「その……何をなさったので、御座る?」
「ああ、剣鬼郎を逃がしてやったのさ」
源五郎は言葉もなく、顔を真っ赤に染めた。健一は薄ら笑いを浮かべた。
「悪いか? あいつには罪はない」
「し、しかし、しかし……たとえ【遊客】といえ、火付けの容疑が御座る。貴殿のなされたのは、牢破りで御座るぞ!」
火付盗賊改としての威厳で、源五郎は健一を追及する。健一は「ふん!」と鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
番士がさっと、棒を構えた。
「お控えなされよっ! 牢破りは、重罪で御座る」
「五月蝿いっ! 黙れっ! 俺たち【遊客】に、お前ら江戸NPCが口出しするんじゃねえっ!」
全身の気力を充満させて、健一は番士に怒鳴った。番士は健一の気迫に、びくりっ、と飛び上がった。手にした棒が離れ、地面でがらがらと音を立て転がる。
健一は源五郎を睨みつける。
「さあ、養生所へ向かうぞっ!」
二歩三歩と前へ向かい、くるっと二人を振り向く。
「早くっ! 何してんだっ?」
源五郎と番士は、同時に頷いた。




