六
浅草清川神社近くに、火付盗賊改、酒巻源五郎の屋敷はある。村雨座からは、ほんの目と鼻の先であった。
案内を頼むと、熊川佐内と名乗る老人が出迎えた。どうやらこの老人が、屋敷を取り仕切っているらしい。
「お頭に面会?」
左内老人は、ありありと不審の表情を浮かべる。
無理もない。健一は町人の格好である。以前に訪ねた時は、健一は顔を合わせていない。
二郎三郎の名前を出しても、信用されないのかもしれない。源三ならシナリオを所持しているし、江戸町人として、きちんとした会話もできるだろう。
永子がいればな……と、健一は一瞬考えたが、すぐ自分の迷いを振り払った。
俺は【遊客】だ!
「是非に」
短く答え、【遊客】の気迫を、思い切り目の前の老人にぶつけた。
ぎくり、と老人が背筋を伸ばし、両目を見開いた。
「是非とも、面会を致したい!」
もう一度、健一が気力を振り絞ると、老人は一瞬、へたりこむような態勢になる。気の毒になって、健一が力を緩めると、どっと皺深い顔に、汗が噴き出した。
「わ、判り申した……。暫し、お待ちを……。お、お頭に言上申し上げる」
よろよろとした足取りで、奥へと消えた。
老人を見送り、健一は「はあーっ!」と大きく息を吐いた。
やった!
自分はやっぱり、【遊客】なのだ!
二郎三郎に説明されたとおり、江戸NPCは【遊客】の気迫に対抗できない!
卑怯かもしれないが、この気迫は、自分が江戸で生活する上で、切り札になる。
足音に顔を上げると、さっきの左内老人が、急ぎ足に近づくところだった。
「お頭が、御面会になられます。こちらへ……」
老人の言葉遣いが、丁寧なものに変わっていた。【遊客】の気迫が効いたのだ。
案内され、健一が屋敷奥へと進むと、山水を配した庭を前にした座敷に通される。
座敷には、一人の小柄な中年の侍が待っていた。ぴしりと折り目のついた羽織に、念入りに結い上げた髷。
一分の隙もない着こなしの、目付きの鋭い男であった。
「拙者が火付盗賊改を拝命する、酒巻源五郎で御座る。お手前は、確か鞍家二郎三郎様の、お知り合いで御座ったな?」
「月村健一と申します。二郎三郎さんには、お世話になっています」
健一は縁側に膝をついて、挨拶した。挨拶した後で「これで良いのかな?」と内心、首を捻る。
このような挨拶は、永子に任せ切りなので、自分が適切な態度を取っているのか自信がないのだ。
「そこは遠く、御座る。こちらへお進み下さるよう、臥して願い申す」
源五郎は手にした白扇を挙げ、招く。どうやら自分の対応は、そう間違っていないようだ……。源五郎の、自分に対する態度は、同じ侍階級のものだ。【遊客】は、町人の格好でも、一種特別な階級と見做されているのである。
「で、御用は?」
源五郎は手短に本題に入った。健一は、村雨座で手に入れた手懸りを、一気に喋った。
健一の説明に、源五郎の端正な顔つきが徐々に怒りに染められる。
「何と、それは真の話で御座るか? 御公儀の小石川養生所が、麻薬の巣窟とは!」
「鞍家二郎三郎、大黒億十郎の両名が、麻薬組織の陰謀を暴くため、向かっています。あなたの御出馬を願いたいのです」
健一は腹と、両目に意思のありったけを込めて源五郎を睨みつけた。健一から気迫が迸り、源五郎の品の良い顔つきが、恐怖のため、蒼白に変わった。
きりきりきりと眉が狭まり、額から大量の冷や汗が吹き出していた。
実に【遊客】の気迫というのは、効果覿面だ!
「わ、判り申した……す、すぐに用意致そう……!」
源五郎は気力を振り絞って、健一に向かって答える。さすがに火付盗賊改を拝命するだけあって、答える力は残っているらしい。
相手の回答を耳にして、健一は晴々とした気分に、軽く、酔っていた。
俺は【遊客】だ! 江戸仮想現実では、俺の気迫に、江戸NPCは対抗できない!
現実世界では、他人の目すら直視できず、受け答えを総て永子に任せ切りにしていたが、もしかしたら、この江戸仮想現実なら、自分は普通に生きて行けるかもしれない。
健一は立ち上がった。
ぐっと源五郎を睨みつけ、質問する。
「ところで、村雨剣鬼郎は?」
源五郎はポカンと口を開き、立ち上がった健一を見上げる。
「べ、別に変わりない……。屋敷内の牢に、留めおいているが……」
「案内して貰いたい!」
健一は素早く命令した。
源五郎は、ピョコリと、軽々しく頷く。




