三
関所の裏手に回ると、浜名湖に面して船着場がある。が、船着場にあるのは、船ではなく、表から見えた巨大な塔だ。
思ったより大きい。距離があるので、大きさを見誤ったのだ。
最初は、北海道によくある、牧草を備蓄するサイロくらいかと思ったが、とてもとても、そんな規模ではない。ほとんど高層ビルほどはあった。
直径は二十メートル、高さは優に百メートルはある。
すらりと伸びた円柱の基部には、三角形の……翼のようなものが……?
その姿は、どう見ても……。
「おい!」
健一の口中は、からからに乾ききっていた。
まさか! そんな……?
剣鬼郎は、意地悪そうな笑顔になっている。唇がにゅーっ、と横に広がり、目は喜悦に煌いた。
「そうさ! あれは、ロケットだ! ここでは【龍勢】と呼ばれているが。あんたの推測通り、火薬を使った、個体燃料ロケットさ!」
「【龍勢】だって? しかし、あれは……」
日本各地には【龍勢】と呼ばれる、火薬を利用したロケットが存在する。古くは火箭とも呼ばれたが、有名なのは、滋賀県甲賀市で開催される〝瀬古の流星〟である。
健一は、現実世界でそのような祭りの映像記録を、幾つか目にした。監督として、自分の作品に登場させたいと思ったからだ。
その時に目にした【龍勢】は、単純な打ち上げ花火で、ロケットとは程遠い。
しかし、今、目の前にある塔の底部には、ロケットらしき噴射口が、ずらりと並んでいる。
「あのう……」
背後に並んでいる他の【遊客】たちが、おそるおそるといった調子で、話し掛けてきた。
「あれで、江戸へ行くのですか?」
全員、ぼけーっと口を開けて、塔を眺めている。一様に「信じられない」という表情を浮かべていた。
剣鬼郎が大声を上げた。
「当ったり前だろう! ここは仮想現実だぜ! それとも、江戸まで、のったりのったり、歩いて辿り着くつもりか? さあ、乗った、乗った! 日が暮れるぜ!」
剣鬼郎は、両手を振り回し、健一と永子を急かせた。
近づくと、塔はいよいよ、圧し掛かるように偉容を見せてくる。基部からは、内部に入るための階段が取り付けられ、足軽がぶすっとした表情で、一同を待ち受けていた。
「江戸入府の者! 階段を上がり、中へ入りませえ!」
大声を上げ、手にした棒を、とんっ! と地面に打ちつけた。
「次回の打ち上げは、夕刻になりまする! さあさあ、遅れぬよう、お早く願いまするーっ……!」
語尾を長く伸ばして、入口を指し示した。
覚悟を決め、健一は階段を登った。
階段も、【龍勢】本体も、木造である。こんなので、本当に江戸へ到着するのか? という疑問が頭に浮かぶ。
だが、ここは江戸仮想現実なのだと思い直す。
内部に入り込むと、蚕棚のような寝床がずらりと並んでいる。ここに潜り込むらしい。人一人が寝そべると一杯で、高さは二尺ほどしかない。身を横たえると、すぐ目の前に、寝床の床があった。
係員らしき足軽たちが甲斐甲斐しく乗り込む【遊客】を世話してくれる。
寝そべると、寝床に渡されている帯を、ぎゅっと引っ張り出して、身体に縛着する。どうやら、身体を安定させる目的らしい。
「まるで、棺桶ね!」
隣の寝床に身を横たえ、永子が呟いた。永子の呟きに、健一はぎくりとなった。
「よせやい! 縁起でもない!」
健一の言葉に、永子も顔色を青くさせて唇をぎゅっと、引き結んだ。自分の言葉に、改めて恐怖が込み上げたらしい。
世話係の足軽は、丹念に【遊客】の点検を済ませると、一人うんうんと頷いて出口から出て行った。
「全員、乗り込みましたーっ!」
外から声が響き渡り、同時にがちゃりと音がして、入口の戸が閉められた。途端に、真っ暗になる。
ばたばたと駆け回る足音がして、ぼおーん……! と、銅鑼の音が聞こえる。
「点火ーっ!」
壁を通じて、命令する声が聞こえる。
しゅーっ! ぱちぱちぱち……と、音がして、鼻に、火薬の燃える金属質の匂いが漂った。
いよいよか……。健一は、ギュッと両目を閉じ、全身を強張らせた。
どどどどど……と、陰に籠もった震動が全身を揺さぶる。次いで、突き上げるような上下動が健一の全身を掴んだ。
ぐーっ、と身体中が押し付けられる感じがあって、健一は身動きもままならない。
ついに上昇を開始したのだ!
しばらくは、そのままだった。が、急激に音が止んで、身体を押し付けていた加速感が消えた。
ふわりとした感触に「ああ自由落下になったんだな」と思う。
これから、どうなる? 不安が、がっしりと、健一の心臓を鷲掴みにした。
突然、真っ暗だった室内に、眩しい光が爆発した!
何だ? 何が起きた?
慌てて首を持ち上げると、壁が目の前で、ばらばらに吹き飛んでいるのを認める。ぐわっ、と強風が健一の髪の毛を逆立てた。
ひゅーっ、と落下する感覚があった。
まさか? 墜落している?
周囲を見回すと、乗客たちが寝そべっていた寝床が、一つ一つ、ばらばらに分解して、空中に散乱しているのを見た! もちろん、健一の身を横たえた寝床も、空中に飛び出している。
健一を運んだ【龍勢】は、完全に空中分解して、跡形もない。寝床に縛り付けられているため、健一は首を擡げて、足下を見た。
何と、眼下に、江戸の町が広がっている。高度は千メートル以上! 足下に、真っ白な雲が広がり、隙間から江戸の街路がくっきりと、見えてくる。
「わあああああっ!」
健一は絶叫した。
もう、駄目だ! 打ち上げは失敗した!
健一は歯を食い縛った。