七
ぐったりと座り込んだ健一を、二郎三郎が陽気に慰めた。
「まあ〝ロスト〟したとはいえ、あんたは【遊客】だ! 江戸では【遊客】は尊敬されるし、色々あんたに向いた仕事だって、待っている。それほど、悪い生活じゃねえと、思うぜ!」
健一は、うんざりして、反論した。
「それじゃ、なぜあんたも〝ロスト〟しないんだ? 俺がこんな目に遭ったのも、あんたに従いてきたせいだぜ! どう、始末を付けてくれるんだ?」
二郎三郎は大仰に驚いて見せた。
「俺が〝ロスト〟? 冗談じゃない! この仮想現実で〝ロスト〟するのは、自己責任なんだ! まあ、俺もいつかは〝ロスト〟するかもしれないが、絶望だけはしないな。始末についちゃ、後にしよう。今は、江戸に麻薬が蔓延するのを、何としても食い止めなくちゃ、ならねえ」
最後は、真剣な口調になる。
「どうするね、健一。あんたはここで、自分の臍を眺めて、座り込んでいるつもりか?」
二郎三郎に尋ねかけられ、健一は自問した。
そうだ、これから自分は、どう生きるべきだろう? 江戸仮想現実で〝ロスト〟したという厳然たる事実は、もう、永久に変更できない。
自分は絶対に、現実世界へ帰還できない。生きている限り、この江戸仮想現実に釘付け状態である。
徐々に、怒りが体内に満ちてきた。怒りが、健一にある決断を取らせた。
「俺も、やる……」
ぼそりと呟いた健一に、二郎三郎が聞き返した。
「何だって?」
健一は立ち上がり、二郎三郎と向き合った。
「俺もやる! このままで、諦められるか! あいつらのせいで、俺は〝ロスト〟してしまったんだぞ! やるよ、俺も! 麻薬組織をぶっ潰すあんたの仕事に、加わるよ!」
「ほう……」と、二郎三郎は感心したように、ぐいっと唇を歪めて見せた。
「そいつは有り難い。あんたが本気で、俺たちに力を貸してくれるというのなら、歓迎するよ! だが、もう一度、ちゃんと念を押すぞ。絶対に、自分だけで行動しようなどと、考えないでくれ。くれぐれも、俺の指示に従ってくれ」
「判っている。充分、身に応えたよ」
健一は大きく頷いた。
その時、永子がきらりと目を光らせ、くいっと、わざとらしく眼鏡を指先で直す仕草を見せた。
「それなら、あたし、これから現実へ帰還するわ!」
「なんだって?」
健一は永子の言葉に、ぽかんと口を開いた。自分が〝ロスト〟して、もう現実世界へ戻れないと判った今の今、あてつけるような永子の言動は、理解し難い。
永子は真っ直ぐ健一を見詰め、説明した。
「判らないかしら? 今の瞬間、現実世界では、健一の本体が目覚めて、何があったか、首を捻っているところでしょう? だから、あたしが、現実の健一に説明しなくちゃならないと思うの。善後策を練るため、これからあたしは、現実へ戻るわね。現実の健一に連絡を取ったら、すぐこっちへ戻るわ。戻る場所は……鞍家さん、これからの計画は?」
てきぱきと立て板に水と説明する永子に、さすがの二郎三郎も度肝を抜かしているようだった。
一瞬、絶句していたが、ようやく立ち直り、頷いた。
「ああ、村雨座に向かうつもりだ。どう考えても、敵の本拠地に関する手懸りは、あそこにしかないと、思う」
「それなら、あたしの再出現場所は、浅草寺境内よね! 判った、あっちで一時間後、再接続します!」
言い終えると、永子は目を閉じ、現実帰還手続を始める。
あっという間に、永子の姿は、健一と二郎三郎の目の前から消え失せていた。
永子が消えた場所を、健一と二郎三郎は、馬鹿のように見詰めていた。呆気に取られ、しばし無言でいたが、二郎三郎は大きく息を吐いて肩を竦めた。
「やれやれ……。あのお永さん、現実世界ではプロデューサーと耳にしているが、聞きしに勝る遣り手らしいな」
「ああ、あいつは凄い遣り手プロデューサーさ! 俺なんか、振り回されっぱなしさ」
健一は不機嫌に同意した。
確かに永子は、どんな難局でも諦めず、粘り強く交渉し、動き回り、健一の仕事を助けてくれた。
しかし、健一が現実世界へ戻れない状態だと知りながら、しゃあしゃあと自分だけ現実世界へ戻るなど、他人の痛みを感じないのかと、つい、思ってしまう。
二郎三郎は、そんな健一の胸の内を察したように、腕を上げて、肩を叩いた。
「行こうぜ! 時間が迫っている」
「ああ、そうだな」
迫っている時間は、剣鬼郎の強制切断への、残り時間である。
自分が〝ロスト〟した今、他人の〝ロスト〟を回避する行動をするのは、何だか皮肉だな、と健一は思った。
二人は肩を並べ、歩き出した。




