四
「おめえ、名前は何と言う?」
二郎三郎の問い掛けに、若者はプイと顔を背ける。両手は後ろ手に雁字搦めに縛られて身動きもできない。顔には、精一杯の反抗心を表している。
地面にどっかりと座り込み、見下ろす健一、二郎三郎、永子、源三の顔を順繰りに睨み上げている。
若い。まだ、二十歳にはなっていないように、見える。しかし仮想現実では、どんな年齢にも設定できるから、見かけの年齢は全く当てにはならないが。
「こいつは、銀二って奴です。剣鬼郎様を贔屓して、是非とも村雨座で使って下さいと、頭を下げてきたのが、先月でしたな……」
若者の代わりに、源三が口を開いた。
そうだ、源三は、何度も剣鬼郎の村雨座に出入しているから、銀二という若者も、見知って当然だ──と、健一は一人で納得して頷く。
二郎三郎は、ほりほりと顎の先を掻きながら、銀二に尋ねた。
「おめえ一人か? 村雨座で、他に仲間がいるんだろう?」
ようやく、銀二はきっと、二郎三郎を見上げ、答える。
「仲間って、なんでえ? あんた、何を知っているって言うんだ?」
「色々とな……。例えば、村雨座の火事だが、原因についちゃ、見当がついている」
健一は二郎三郎に顔を向けた。
「そうだ! あんた、村雨座の火事を、調べるつもりだと、言っていたね。何か手懸りが掴めたのか?」
「ああ」
なぜか二郎三郎は、憂鬱そうな表情で頷いた。自分で調べた結果に、ひどく困惑しているといった顔つきである。
二郎三郎は、不意に源三に視線を向けた。
「源三さん。村雨座に入り込んだ【遊客】は、銀二と他に、何人いる? 入り込んだ時期についちゃ、心当たりはねえかね?」
「村雨座で働いている【遊客】は、十人あまりで……そういや、村雨座で働きたいと申し込んできたのは、そこの銀二とほぼ、同じ頃でござんす」
二郎三郎の問い掛けに、源三は夜空を見上げ、思い出しながら答えている。その目が、かっ、と見開かれた。
「鞍家様は、村雨座にいる【遊客】総てが、銀二の仲間だと仰るので?」
二郎三郎は、大きく頷いた。
「ああ、お前の言うとおりだと、思っているよ。多分、村雨座の【遊客】は、全員が銀二の仲間だろう。村雨座を隠れ蓑に、江戸開闢始まっての、大胆不敵な犯行が進行している疑いがある!」
健一は銀二の様子を観察した。銀二はさっきから黙りこくっているが、視線は落ち着きなく、キョトキョトと周囲を窺っている。
永子が初めて、口を開いた。
「その、江戸開闢以来の、大胆不敵な犯行とは、なんですの?」
二郎三郎は肩を竦めた。
「決まってるじゃないか! 麻薬の精製、及び売買だよ! しかも、犯罪集団は、村雨座に集まっている【遊客】たちだ!」
「まさか!」
源三は、顎をかくかくと震わせ、一歩ぎょっと後じさる。全身で二郎三郎の言葉を否定するかのように、両手を捩り合わせる。
「信じられませぬ! それでは、剣鬼郎様が犯行の中心人物だと、鞍家様は仰るのですか?」
二郎三郎はゆっくりと、首を左右にした。
「いいや、剣鬼郎は、騙されているだけだろう。そこの、銀二を初めとする【遊客】たちに、あなたのファンです、と持ち上げられ、いい気になって目の前で繰り広げられている犯行には、全然これっぽっちも気付いていないに違いねえ」
健一と永子は、密かに目を見合わせた。
剣鬼郎の能転気な性格なら、大いに有り得る!
健一は、割り込んだ。
「村雨座で麻薬を精製していると、なぜ判ったんだ? 何か、手懸りがあったのかい」
二郎三郎は両目を光らせ、答えた。
「ああ。麻薬の精製とは、本来、大掛かりな設備が必要だ。が、それも、原材料から麻薬成分を精製する行程があるからだ。材料が加工済みなら、ちょっとした知識があれば、台所でも抽出可能なんだ」
健一は首を捻った。今までの出来事を思い返し、ある考えに到達する。
「加工済みの材料……。そりゃ、もしかして針鼠の仙蔵が手掛けている……!」
「そうさ。風邪薬、咳止めなどには、塩酸エフェドリン、塩酸メチルエフェドリン、塩酸ジフェンヒドラミン、アセトアミノフェン、リン酸ジヒドロコデインなどの、覚醒剤成分が含まれている。それらは、ごく簡単な処理で、抽出が可能だ」
二郎三郎は一気に語り始めた。喋っている途中、怒りが込み上げたのか、眉間が険しくなり、目付きが真剣になる。
「二十一世紀のアメリカで、キッチン・ディーラーという言葉が流行った。台所で、風邪薬から覚醒剤を内職感覚で精製する主婦が、そう呼ばれたんだ。多くは、低所得者層のアパートで、麻薬が精製されたんだが、精製された場所の壁には、成分が沁み込み、後に引越した人間が中毒症状を起こした事件がある。俺は、村雨座の火災跡を調べてみた。やっぱり、色んな所に、跡が残っていたよ」
二郎三郎は、ぐいっと銀二の前に腰を下ろし、顔を突き合わせた。
「なぜだ! なぜ、この大江戸で、麻薬など蔓延らせる? おめえらの目的は、何だ!」
詰め寄られ、銀二は微かに口許を動かした。何か言いかけたその時!
ひゅっ、という風を切る音に、健一は一瞬びくっと身を強張らせた。
ぎゃあっ! と悲鳴が上がり、地面に座り込んでいる銀二の胸元に、深々と矢が突き立っていた!
どっと仰け反る銀二の口許から、がばっと大量の血液が迸る。
二郎三郎はさっと立ち上がり、狂おしく周囲を見回す。両目が暗視モードになっているので、獣のように光っていた。
いや、事実、二郎三郎は獣のように唸り声を上げ、全身で怒りを表している。
「畜生っ! 口封じか?」
草叢に微かな動きを認め、健一は後先も考えず、走り出していた。




